石原輝雄のエッセイ「マン・レイへの写真日記」第23回

天使ウルトビーズ 2011年7月13日 東京

manray23-1『天使ウルトビーズ』at ギャラリー16



23-1 プレス・ビブリオマーヌ

名古屋時代に丸善の古書展でコレクション・オパールを手に取った。赤色の夫婦箱に入った二つ折りカード20枚。山中散生編訳によるシュルレアリスム系の詩人と画家の作品を耳付厚口局紙に刷ったすぐれもの。シリーズ第1回がポール・エリュアールの詩にマン・レイのデッサンを配した『ナルシス』だったので欲しいと思ったが、学生の乏しい小遣いでは諦めなければならない価格設定だった。この時には、山中散生の詩集『夜の噴水』も合わせて出品されていた。どちらも美しい仕上がりで刊行元のプレス・ビブリオマーヌの名前を覚えておかなければと思った。

manray23-2小田急百貨店新宿店


 日本で最初の大規模なマン・レイ回顧展が催された1984年8月、東京に出掛けて新宿の小田急百貨店で400点近い写真やオブジェや版画などを観た。鑑賞二日目の午後、興奮したまま都バスに乗って三田に佐々木桔梗氏を訪ねた。前年に銀紙書房から刊行した拙著『マン・レイになってしまった人』へのお便りを頂戴し、マン・レイに関する未見の海外文献を架蔵されていると知って、ぜひとも拝見させていただきたいとお願いしての訪問だった。佐々木氏はプレス・ビブリオマーヌの刊行者。文面には「1925年刊大型詩集ストック社限定コクトオ『天使ウルトビーズ』(堀辰雄が持っていたのと同じ版)、口絵にレイヨグラフ(鉛筆にてサイン入り)の大きなのが入ったやつが手許にあります。」とあった。氏は浄土真宗本願寺派教誓寺の住職をされていて「職業柄留守も多く、前もっての約束ができませんが、何かの折に上京の時、是非お電話下さい。」とのお誘いだった。「直接印画紙への焼付けではない様ですが(300部限定では……) オリジナルとして認められているものの様です。これは貴兄の教示を待つ外ありません。」と第二信に続いていた。

manray23-3佐々木桔梗氏


manray23-4プレス・ビブリオマーヌ事務所
手前に『天使ウルトビーズ』


 事務所としてお使いのマンションに上がって、手に取るとフォトグラビュールの美しい黒に驚かされた。光で描かれた天使の肖像がコクトーにもラディゲにも重なって、詩の言葉は「天使ウルトビーズ、桟敷の上/翼の木目に包まれて。」(堀口大學訳)と始まっている。佐々木さんは自由に頁を捲らせてくださり、わたしは、充分に楽しむ事ができた。机に置かれたシュルレアリスムの貴重資料の中に、カイエダール画廊で開かれた『マン・レイ展』(1935年)の案内状があり、欲しくなって困った。

manray23-5プレス・ビブリオマーヌ事務所
机上にカイエダール画廊案内状



23-2 アドバイス

佐々木桔梗(本名教定)さんは筆者より30歳年長の1922年生まれ。「教誓寺だより」(2005年1月15日発行)によると、戦争には近衛師団で出征し印度支那戦線等を転戦、体調を壊され長い入院生活の後、帰還。戦後は新聞社に職を得て、記者の仕事のかたわら、生来の書物好きが嵩じた愛書家として知られ、プレス・ビブリオマーヌの名前で1956年から24年の長きにわたって美しい限定版の書物60余冊(自書の他、三島由紀夫、安部公房、吉行淳之介、渋沢龍彦等)を世に出された。父君の高齢に伴い1976年から住職継職。2003年に現住職へ引き継ぐまでの28年間を務められた。その後は好きな執筆活動を続けられたが2007年2月24日死去、享年84。筆者の関心領域との関連ではカメラ愛好と鉄道ファン、加えてモダニズム文献への傾倒。収集品については、事務所で沢山拝見させていただいたが、日本でのシュルレアリスム紹介者である山中散生の詩集や『「童貞女受胎」の周辺』といった共同作業が特筆出来るかと思う。

 佐々木さんと交流が始まった頃、筆者は詩の同人誌『ガルシア』に参加していた。この折も収集品の連載報告をしていたので、雑誌をお送りすると「次々と現品の入手。大いにやって下さい。今がチャンスのぎりぎりでしょう。やがてマン・レイは、エコール・ド・パリの巨匠なみに雲の上の芸術家になってしまうでしょうから。それにしても、数々の作品集や著書のあった事は、集め甲斐もあるし、研究も出来るので、今やマン・レイは日本でも身近な存在です。」と温かい援護射撃の葉書をいただいた。銀紙書房刊本にも注意をはらってくださり、感想等を電話でお聞きする事も度々あった。不在だった『封印された指先』を刊行した時には、留守番電話のテープが終わるまで、「素晴らしい」の連呼があって感激したのを覚えている。「父親か祖父の世代の人を集めるのが、一番良いですよ」と教えてくれたのも佐々木さんだった。


23-3 回り道

コレクターの悲しい性(さが)についても、書いておきたい。── わたしの事です。人様の愛蔵品であっても、欲しくなると見境がつかなくなり、羨ましい視線をいつまでも投げかけ、疎まれる日々を過ごしてきた。『天使ウルトビーズ』も、古書目録でチェックを続け(いつも高額だった)、パリに行った折など、名店ベルナルド・ロリエの店でコクトーの献辞とデッサンの入った限定番号45番を手にしたりした(これも高額)。でも、最初に出会った佐々木さんの「本」の感触が手と眼に残っていて、他の本への突撃が出来ない気分だった。

manray23-6パリ・サンジェルマンデュプレ
左側に行くとベルナルド・ロリエ


 コレクションを充実させるには情熱と資金力が必要と言われる。マン・レイへの愛については、胸を張って語る事が出来るが、乏しい軍資金に悩み、多くの先輩方に迷惑をかけた。佐々木さんの場合もカイエダール画廊の案内状を、架蔵するルネ・シャールの詩集『回り道の為のビラ』と交換して欲しいなどと、不躾なお願いをしてしまった。氏は「怖しい手紙! が届きました。ほんとに好きなんですねえ。」と呆れつつも、「エルンストからマン・レイへのオマージュ。可愛がって下さい。」と優しく対応して下さった(深謝)。その時の氏と同じ63歳となった筆者は、若い方からそんな依頼があったら困惑するなと思い、コレクションの公開は自粛の方向でなどと考えてしまうのだった。──人間の大きさが違いますね。


23-4 作戦会議

さて、今回の本題は、これからである。2011年7月、明治古典会主催の『七夕古書大入札会』に佐々木桔梗氏の旧蔵品が大量に出品された。目録に明記されている訳ではないが、コレクター仲間では噂されており、亡くなられてから4年、すでに多くが市場に出ていると聞いていた(東京に住んでいないので追跡できない)。目録には715番「(仏)天使ウルトビーズ」としてサイン入り、入札最低価格も示されている。この入札会では一般のファンも下見をすることが出来るので、東京に出掛け友人と落ち合って確認に当たった。

manray23-7東京古書会館
土渕信彦氏(左)と笠原正明氏


 ショーケースから取りだしてもらい、27年ぶりに頁を開くのは感慨深いものがある。時間を捲っている感覚と言えようか。そして、限定番号や状態を確認。しかし、同じケースに置かれていた写真(目録番号714番)の方に目移りしてしまった。マン・レイによるポール・エリュアールとアンドレ・ブルトンの肖像写真。山中散生氏宛の献辞と三者のサインが入れられている。台紙は長い年月の間に変色してしまっているが、かえって風情があり、恐る恐る写真の裏面をのぞくと小さな赤いスタジオ・スタンプが認められた。山中訳でボン書店から刊行された『童貞女受胎』(1936年刊、発禁本)の扉絵として掲げられた歴史的写真。サイズを測ってみると12.2 × 16.8cm。こちらの方は入札最低価格が低い為か、すでに入札封筒は膨らんでいる。
 山中の死後、慶應義塾大学に蔵書が寄贈されたと聞いて、氏の著書『シュルレアリスム資料と回想』と図書館のデータベースを照らし合わせた時、「全部じゃない」と推測。佐々木さんのところに不一致分が保管されていたのかと、品のない想像が渦巻いた。愛蔵品の生々流転に直面すると、コレクター心理は複雑である。でも、こうして市場に現れたのだから、感謝せねばならないだろう。

 古書会館近くの喫茶店で友人・先輩と作戦会議をするも、落札額の見当がつかない。わたしは、いつも手持ち資金の総額で入札する。これなら、ダメでもあきらめが付く。いや、あきらめなければならない。2点とも落ちてしまったら破産してしまうので、写真の方にしぼり、懇意にしている古書店で入札代行を依頼。松翁で蕎麦を食し冷酒を呑んでいる間も心は上の空。資金が不安なものだから早い時間で京都に戻る事にした。駅に向かう道すがら、山の上側だったかと思うが、友人の携帯に入った最新情報によると応札が一番多いのが、「写真」ではないかとの事。友人が、「もし落ちたら引き受けるから、保険だね」と言って、電話で『天使ウルトビーズ』にも入札をしてくれた。

manray23-8松翁 天麩羅蕎麦


manray23-9JR神田駅


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 翌日、知ったところによると、わたしは2番手の応札者。古書店主が「そこまで入れるの」と驚いた金額だったのに、勝てませんでした。残念なのか、安堵したのか複雑な気分。追加で入れた『天使ウルトビーズ』の方は、我が手に抱かれることになった。人生は不思議なものである。

manray23-10左から『天使ウルトビーズ』『回り道の為のビラ』『ヴァランティーヌ・ユゴーの肖像』at ギャラリー16



23-5 お墓参り

友人の講演会が行われた2014年1月、東京に出掛けたので時間を作り、教誓寺を訪ねた。泉下の佐々木桔梗(桔梗院釈教定)さんに、若い時に見せていただいた『天使ウルトビーズ』を預かる事になった経緯と、当時、交換させてもらった『回り道の為のビラ』が縁あって戻ったのを報告したいと思っての訪問だった。本堂で手を合わせると、戦前の京都駅で憲兵の眼を盗んで流線型蒸気機関車C53を撮った話しや、都電の車内で亀山厳さんと初めて会った時にも本を手にしていたと云う事柄が思い出された。そして、娘さんに生前のご様子などをお聞きした。「オリエント急行には奥様とご一緒に?」と尋ねると、「いつも一人で行ってしまうんですよ」と笑っておられ、わたしも同じだと、鉄道好きの日常が思い浮かぶのだった。墓地では佐々木さんの親友で供にリトル・プレスに情熱を傾けた詩人・鳥居昌三(詩香院釈浄昌居士)さんも眠っておられ、合わせてお参りさせていただいた。鳥居さんとはお酒の思い出が重なる。敬愛する二人の先輩からいただいた、「本への愛」が、わたしの中を静かに巡る。有難うございました。

manray23-11教誓寺墓地


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manray23-12日向坂


 「日向坂を下りて、国道415号線を越えた辺りに事務所があったんですよ」と、先程、娘さんに教えてもらった。30年前のわたしは、眼欲にまみれ、プレス・ビブリオマーヌを訪ねていたのだろうな。今はもう還暦を過ぎた身、「コレクターを廃業します」と報告したら、泉下の二人は、なんて答えるだろう。物欲から離れ、人の温かみの中で、気楽な後半生を送りたい。いやいや、送らせて。

最終回に続く

(いしはらてるお)

■石原輝雄 Teruo ISHIHARA(1952-)
1952年名古屋市生まれ。中部学生写真連盟高校の部に参加。1973年よりマン・レイ作品の研究と収集を開始。エフェメラ(カタログ、ポスター、案内状など)を核としたコレクションで知られ、展覧会企画も多数。主な展示協力は、京都国立近代美術館、名古屋市美術館、資生堂、モンテクレール美術館、ハングラム美術館。著書に『マン・レイと彼の女友達』『マン・レイになってしまった人』『マン・レイの謎、その時間と場所』『三條廣道辺り』、編纂レゾネに『Man Ray Equations』『Ephemerons: Traces of Man Ray』(いずれも銀紙書房刊)などがある。京都市在住。

石原輝雄のエッセイ「マン・レイへの写真日記」目次
第1回「アンナ 1975年7月8日 東京」
第1回bis「マン・レイ展『光の時代』 2014年4月29日―5月4日 京都」
第2回「シュルレアリスム展 1975年11月30日 京都」
第3回「ヴァランティーヌの肖像 1977年12月14日 京都」
第4回「青い裸体 1978年8月29日 大阪」
第5回「ダダメイド 1980年3月5日 神戸」
第6回「プリアポスの文鎮 1982年6月11日 パリ」
第7回「よみがえったマネキン 1983年7月5日 大阪」
第8回「マン・レイになってしまった人 1983年9月20日 京都」
第9回「ダニエル画廊 1984年9月16日 大阪」
第10回「エレクトリシテ 1985年12月26日 パリ」
第11回「セルフポートレイト 1986年7月11日 ミラノ」
第12回「贈り物 1988年2月4日 大阪」
第13回「指先のマン・レイ展 1990年6月14日 大阪」
第14回「ピンナップ 1991年7月6日 東京」
第15回「破壊されざるオブジェ 1993年11月10日 ニューヨーク」
第16回「マーガレット 1995年4月18日 ロンドン」
第17回「我が愛しのマン・レイ展 1996年12月1日 名古屋」
第18回「1929 1998年9月17日 東京」
第19回「封印された星 1999年6月22日 パリ」
第20回「パリ・国立図書館 2002年11月12日 パリ」
第21回「まなざしの贈り物 2004年6月2日 銀座」
第22回「マン・レイ展のエフェメラ 2008年12月20日 京都」
第23回「天使ウルトビーズ 2011年7月13日 東京」
第24回「月夜の夜想曲 2012年7月7日 東京」
番外編「新刊『マン・レイへの写真日記』 2016年7月京都」
番外編─2『Reflected; 展覧会ポスターに見るマン・レイ』
番外編─2-2『マン・レイへの廻廊』