スタッフSの西山純子「恩地孝四郎展」ギャラリートーク・レポート

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読者の皆様こんにちは、前回の「スタッフSの「中藤毅彦×金子隆一」ギャラリートーク・レポート」に引き続き、遺憾な事に今回も(贔屓目に言って)およそ一月遅れで、先月2月12日に開催された「恩地孝四郎展」のギャラリートーク・レポートを送らせていただきます。

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今回出演していただいた千葉市美術館主任学芸員の西山純子さんは、一言で説明すると現代版画のスペシャリストです。以前は各地の美術館が手の届く範囲で場当たり的に開催していた版画展とは根本的に異なる、明治期末から戦後にかけての日本版画を体系づけて展示したシリーズ展「日本の版画」を1997年から5回にかけて企画するなど、ときの忘れものの亭主も大いに学ばせていただいてきたとか。今回のトークでも恩地孝四郎に限らず、創作版画全般について語っていただきました。

20160212恩地展ギャラリートーク_02ギャラリー・トーク名物、ときの忘れもの亭主の前語り。
今回の話題は恩地作品と亭主の出会いと、その関わりについてでした。

最初に話題に挙げられたのは恩地本人についてではなく、洋画家、吉田博(1876~1950)について。
50歳を越えてから木版画の制作をはじめ、それでも260数点の作品を世に残した作家ですが、その制作過程は彫師と摺師の必要とする新版画で、世間から見ると恩地孝四郎が率いる創作版画に立ちふさがる、まさに仇敵であるかのように見られる人物です。現在千葉市美ではこの吉田博の展覧会を企画中ですが、そこで展示するための撮影を、先日吉田博の孫に当たる方が経営されている、その名も吉田スタジオにてされてきたそうです。この時西山さんが感じたのは、吉田博の版画の厳密さや精緻さであり、また恩地孝四郎の作品が同じ版画でありながら、吉田博の版画とは対極に位置しているということでした。先月東京国立近代美術館で開催された「恩地孝四郎展」を観て、ときの忘れもの亭主が展示されていた大作群にショックを受たように、西山さんもまたショックを受けたそうです。ただし、亭主のショックが大作を一枚も扱ったことがないという画商の自負へのものだったのに対し、西山さんのショックは吉田博の版画に比べ、いっそ不安定に思えるほど恩地の作品群が自由奔放だったからでした。

20160212恩地展ギャラリートーク_09亭主をアシスタントに、展示されている作品や書籍に関連した恩地とその周囲について語る西山さん。
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そのような対照的な版画作品に頭を半分づつ占められながら、話題は画廊に展示されている作品に移り、《四月》が挿入されていた「婦人グラフ」で看板作家を勤めていた竹久夢二の取り巻きから恩地の作家としてのキャリアが始まっていたことや、抽象絵画の創始者と呼ばれる恩地の表現技法が夢二の描く「心」という無形のモチーフから学んだこと、しかして夢二が女性像や風景等、実在するもので「心」を表現したことに対し、恩地は無形である「心」を実在するもので表現することを受け入れられなかったが故に二人の道が分かれたのであろうこと等、実に興味深い時間をご提供いただきました。

20160212恩地展ギャラリートーク_17恒例の記念撮影。

20160212恩地展ギャラリートーク_19トーク後の懇親会。
遠方からも大勢の方にご来廊いただき、盛況でした。

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20160212恩地展ギャラリートーク_22近所のレストランでの打ち上げ風景。

次回のギャラリーイベントは、3月19日(土)開催のコンサートですが、こちらのレポートも私、新澤が提供させていただく予定となっております。二度あることは…ではなく、三度目の正直として、次回こそは早期のレポートのお届けを実現させていただきます。

(しんざわ ゆう)

■西山純子(にしやま・じゅんこ)
1966年東京生まれ。千葉市美術館学芸員。早稲田大学大学院研究科芸術学(美術史)修士課程修了。最近の展示では「生誕130年川瀬巴水一郷愁の日本風景」を担当。著書には、共著として「すぐわかる画家別近代日本版画の見かた」(東京武術2004年)、編集協力として「よみがえった美術―日本の現代版画」(オリヴァー・スタットラー著 玲風書房 2009年)などがある。