<迷走写真館>一枚の写真に目を凝らす 第39回

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一瞬、新しい生きものを目の前にしているような気持ちになった。全身に背びれと尾びれが隠し込まれ、危険を感じるとそれを一斉に開いて相手を威嚇する。思いがけないところから飛び出した奇妙な翼に、敵は一目散に逃げていく。

でも実際はその逆で、この「生きもの」は威嚇しているのではなく、威嚇されているのだ。大寺院の広場で売り子から鳩の餌を買い、三角錐型の紙筒を手にして一歩踏み出したとたんに、鳩が襲ってきたのである。もっとも彼らには威嚇するつもりはなかっただろう。彼女の右手に握られているものを狙ってまず一羽が降り立ち、それにつられてほかの仲間が群がったのだ。餌を見つけた一羽は翼をたたんで冷静につついているが、ほかの鳩たちは焦りすぎて状況がつかめていない。とくにいちばん高い位置にいるのは闘争的で、あたかも彼女の頭に跨がっているかのようだ。鳩にそんなに長い脚はないというのに。

翼を広げたときの仰々しい形状と、バサバサという羽の音と、近づいてくるときの唐突さ。鳥は不吉な予兆を連想させるが、背後の寺院の複雑な装飾もまたそれと響き合っている。いろんな形が隙間なくひしめき合うさまが禍々しく、悲劇と喜劇が混じり合った狂気じみたものを感じずにいられない。女性の顔も関係しているだろう。目をつむり、口を開いて前歯を露出させ、苦痛と恐怖と喜びがない交ぜになったような表情を浮かべている。着ている服が黒いために、その顔と餌を握った右手が強調されて瞼に焼き付き、いまにも鳥たちの国へと連れ去られていくかのような危うさを漂わせている。

寺院のファサードの一部は別の建物の影で暗くなっている。しかし、彼女の立っている場所はそれから外れており、影を生み出したのと同じ光の照射を受けて顔は輝き、法悦の瞬間のように瞳が閉じられている。そしていま、新たに気づいたのは、彼女の右肩のあたりにイーゼルを立てて絵を描いている男がいるという事実だ。
広場で起きているどんな出来事にもわれ関せずという態度で黙々と絵筆を動かしているこの男は、彼女の顔のサイズよりも小さく、手でぎゅっと握ったような奇妙な圧縮感がある。彼自身が一幅の絵のようでもある。

ふたつを交互に眺めるうちに、ある確信が足下から這い上がってきた。鳥の国に召されようとしている女と、それに背を向けて一心に筆を動かす男。ふたりは無関係のように見えるが、そうではない。この世の謎を象徴する光景として、その位置に男の姿がはまったのは必然なのだ。

大竹昭子(おおたけあきこ)

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●紹介作品データ:
沢渡朔
シリーズ〈Nadia〉より
1971年~1973年撮影(2016年プリント)
Gelatin Silver Print
Image size: 38.2×57.0cm
Sheet size: 50.8×61.0cm
Ed.5
サインあり

沢渡朔 Hajime SAWATARI
1940年東京生まれ。日本大学芸術学部写真学科在学中より写真雑誌等で作品発表を始め、日本デザインセンター勤務を経て、1966年よりフリーの写真家として活動。
ファッション・フォトグラファーとして活躍する傍ら、『カメラ毎日』を初め数々の雑誌で作品を発表。不思議の国のアリスを題材にした「少女アリス」(1973)や、イタリア人ファッションモデルを撮影した「ナディア」(1973)やなど数々の傑作を生み出し、その後も第一線で活躍を続けている。
主な作品集に『NADIA 森の人形館』『少女アリス』(73)、『密の味』(90)、『60's 』『60's 2』(01)、『kinky』(09)。

●展覧会のお知らせ
Akio Nagasawa Galleryで、沢渡朔さんの展覧会「Nadia」が開催されています。上掲の作品も出品されています。

沢渡朔写真展「Nadia」展
会期:2016年3月18日[金]~4月10日[日]
会場:Akio Nagasawa Gallery
   〒104-0061 東京都中央区銀座4-9-5 銀昭ビル6F
時間:11:00~19:00
月・火休廊

1971年、沢渡は、広告の仕事で出会ったイタリア人モデル、ナディア・ガッリィと恋に落ちました。愛する人を撮りつくしたいという写真家としての欲望のもと、夏の軽井沢、ヴェネチア他ナディアの故郷である
イタリア各地、冬の軽井沢、東京といった二人の旅の途上で、沢渡の視線は、被写体としてのナディアと恋人としてのナディアの間を往来し、虚構と現実を行き来する、美しくも不思議な物語が産まれました。
沢渡は、この「Nadia」によって“虚構と現実の往来の中で、一人の女性を撮りつくす”、虚実ない交ぜの
フィクションという自身の表現スタイルを確立し、それまでの女性をモチーフとした作品とははっきりと一線を画す、写真表現の新たな領域を切り開いたのです。
その結果、この「Nadia」は、現在でも語り継がれる戦後日本写真を代表するシリーズであり、
氏の代表作品となりました。
今回の展覧会にあたって、沢渡が「Nadia」シリーズの全てのネガを見返し、現在の視線で今後に残したいと考えるものを新たにセレクトしております。そのため、未発表作品が多数展示されることとなり、
今展覧会は、これまで見た「Nadia」とはまた違った印象を与えることでしょう。
この機会に是非、ご高覧の程、宜しくお願い致します。
展覧会に併せ、未発表作品を多数含む同名の新編写真集「Nadia b/w」「Nadia color」の2冊を、各600部限定/サイン&ナンバー入りにて刊行致します。
こちらもお手にとってご高覧頂けましたら幸いです。
(Akio Nagasawa Gallery HPより転載)

◆大竹昭子のエッセイ「迷走写真館 一枚の写真に目を凝らす」は毎月1日の更新です。