藤本貴子のエッセイ「建築圏外通信」第11回

 研究と教育の実践として建築の実測を行い、その資料をアーカイブ化する取り組みを知る機会がありました。
 ひとつは、早稲田大学會津八一記念博物館で開催中の《ル・コルビュジエ ロンシャンの丘との対話》展です。早稲田大学では2013年度よりロンシャンの丘の建築群の実測調査を行っており、本展では礼拝堂のみならず、存在すらよく知られていなかった「巡礼者の家」や「司祭者の家」等の実測課程と結果が展示されています。礼拝堂に残されていた青図も展示されており、厳しい貸し出し規定のあるル・コルビュジエ財団からの借用では実現できない、贅沢な展示となっています。実測図と青図を重ねると、明らかな設計変更の跡も窺えます。実測には複数の学生も関わっており、来年以降もル・コルビュジエ作品の実測を継続するとのことです。
 もうひとつは、来日中のレスリー・ヴァン・デュザー氏(ブリティッシュ コロンビア大学教授)の講演で聞いた、アドルフ・ロース設計のミュラー邸実測調査です。デュザー氏は1991年民主化革命直後のプラハにおいて、ひどく荒れた状態だったミュラー邸の調査を行い、オリジナルの状態に蘇らせました。デュザー氏は学生と共に行った調査の教育的効果についても話してくれました。実測しても建物の全貌が明らかになるわけではありません。実際に測れるのは外周と室内の内寸のみ。入り組んだ部屋の本当の壁の厚みは、決して知ることができないのです。こうした経験は、学生にとっても非常に貴重だったとのことでした。ミュラー邸の調査と考察については ”Villa Müller: a work of Adolf Loos“ として著されています。ミュラー邸の実測図面はミュラー邸内にあるアドルフ・ロース・スタディセンターに納められています。デュザー氏はその後、チェコにあるロースのその他の作品の調査も行っています。調査結果はプラハ市立美術館で2008年から09年にかけて行われた展覧会に合わせて出版された ”Adolf Loos – Works in the Czech Lands” にまとめられ、一部資料はミュラー邸のスタディセンターに集められているそうです。これらの資料について彼女は、これから誰かが活用し研究することを希望すると強調していました。

01Villa Müller: a work of Adolf Loos, Kent Kleinman and Leslie Van Duzer, Princeton Architectural Press, 1994


02Adolf Loos – Works in the Czech Lands, Maria Szadkowska, Kant, 2009


 最近、とある壊される予定の建物の実測に行った研究者から、持ち主から実測図面の公開を拒否されたと聞きました。建て替え予定の建物の図面公開を施主が拒否した例もあります。建物を所有しきれなくなったことが公になることを恐れたり、解体の反対運動が起こることを危惧して、建物の情報さえも抑えようとするケースは少なくないようです。どうも、日本では建物の存亡や情報の活用如何はひとえに所有者の独断に委ねられているように感じます。法律的にはそうでしょう。しかし、建築を文化としてとらえたときに、果たしてその考え方は妥当と言えるかどうか。文化は共有されて初めて文化になると言えます。建物がある文化の一面を体現しているならば、その建物を巡る議論はもっと公に開かれてよいのではないでしょうか。建物を保持するには莫大な費用がかかりますが、文化の結実であると考えれば、所有者にだけその負担を強いるわけにはいきません。しかし、そもそも日本では建築が文化を担っているとは一般に認識されていない、とも言えます。建築の文化的意義を、どうすれば広く伝えることができるのか。建築資料に関わる者にも責任の一端があることを、自戒を込めつつ考えます。

《ル・コルビュジエ ロンシャンの丘との対話》展 開催中(2016年6月29日~8月7日)
http://www.waseda.jp/culture/aizu-museum/news/2016/06/17/1208/

ふじもと たかこ

藤本貴子 Takako FUJIMOTO
磯崎新アトリエ勤務のち、文化庁新進芸術家海外研修員として建築アーカイブの研修・調査を行う。2014年10月より国立近現代建築資料館研究補佐員。

●今日のお勧め作品は、磯崎新画文集『栖 十二』より第三信アドルフ・ロース[ミュラー邸](1928-30年 プラハ)です。
第3信より挿画7_A
磯崎新〈栖 十二〉第三信より《挿画7
アドルフ・ロース[ミュラー邸] 1928-30年 プラハ

第3信より挿画8_A
磯崎新〈栖 十二〉第三信より《挿画8
アドルフ・ロース[ミュラー邸] 1928-30年 プラハ

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