夜野悠のエッセイ「書斎の漂流物」

第六回◇「一冊の写真集」が二人の人生を変えた-運命的なカナダとの縁

「何か」の力が働くと感じるときがある。人との出会い、本との出会い、蒐集すべき「モノ」との遭遇…。大きな見えない力が時には、慣れ切った日常感覚を覆し覚醒を促す。その力を及ぼすのは迷路に迷い込んだ遊歩者を導く土地の精霊ゲニウス・ロキだろうか、あるいは悪戯っぽくもう一つの冒険へと誘う妖精か、はたまた運命の設計図に赤い糸で線をひく守護神か…。最初の出会いというのはいつも不思議なものである。「およそ事の初めには不思議な力が宿っている」(『ガラス玉演戯』ヘルマン・ヘッセ 高橋健二訳)のかもしれない。
カナダとの縁、それはある古本屋での不思議な出会いにさかのぼる。まだ会社勤めをしていたころ、休みの日になると東京・神保町などの古書店めぐりをするのが楽しみだった。今から十二年前の「その運命の日」、JR高田馬場駅から早稲田通りに続く古書店街をぶらぶらしていた。古書店めぐりも慣れてくると、神保町ではどことかお気に入りの店が決まってくる。早稲田の古書店街では美術、写真、文学など一味違う本格的な品ぞろえのI書店に寄るのが定番コース。暑い夏の盛り、店に入ると、コンクリート打ちっぱなしの吹き抜けの壁が冷やっとして心地よい。いつものように、シュルレアリスム関係の棚を漁っていたところ、カウンターで店の主人とカタコトの日本語で、なにやらやり取りしている外国人の姿があった。耳を澄ませていると、どうも、ネットに出ていた本がまだあるかどうか尋ねているらしい。途切れ途切れに聞こえてきたのは「バラケイ」「マダアリマスカ?「カイタイ」…。「バラケイ」と聞いてぴんときた。写真集バブルのころには五十万円近くで取引されていた細江英公の写真集『薔薇刑』の初版本を熱心に探しているのか「バラケイ」「バラケイ」を連発している。店の主人が「売り切れ、ソールドアウト」と言うと、本当にがっかりした様子で、気の毒に思った筆者は、思わず「その写真集なら持っているので譲ってもいいですよ」とその外国人に声をかけた。それがお互いの運命を変えるカナダ人Pとの不思議な出会いの始まりだった。後日、自宅近くのJR阿佐ヶ谷駅前の喫茶店で待ち合わせ、三島由紀夫をモチーフに独特の写真世界を表現した細江英公の写真集『薔薇刑』(杉浦康平デザイン 細江英公と三島由紀夫による連名サイン入り 限定1500部 集英社, 1963年刊)を持参。Pは仔細になめまわすように本の状態を確認し売買成立。この『薔薇刑』は箱が黒く塗装された段ボール紙製で傷みやすく、なかなか良い状態のものは少ない。実は仙台に赴任していたころ、古書店で出来上がったばかりの古書目録を見せてもらったとき、ある本のところで目が釘づけになった。当時でも二十万円以上で取引されていた『薔薇刑』がなんと一万円!一桁間違えたとしても安い。すぐにその当の古書店に電話を入れ取り置きを依頼。手に取るとまさに本物の初版『薔薇刑』だった。状態も悪くない。書斎の宝物となった。

「一冊の写真集」がきっかけとなってカナダ人の写真集コレクターPと知り合うことになったが、その後2年近く音信不通に。気にはしていたもののすっかり忘れていた数年後、偶然にも渋谷の古書店でばったりPと再会したのだった。古書マニアに限らず、精神的に近いフィールドにいる同士というものは、東京やパリなどの大都会でも、不思議とマグネットに導かれるように出会ったりするものだ。同じ精神的趣向のベクトルが「その特定の場所」へと誘うからかもしれない。その再会が縁でカナダ人Pとの交流が再開した。カナダ、とりわけモントリオールとトロントとの特別なつながりは、その後のある「決定的な出来事」によって始まった。

canada01カナダとの「赤い糸」になった細江英公の写真集『薔薇刑』(限定1500部 集英社, 1963年刊)


2011年3月11日。誰しも忘れることのできない一日だ。東北を中心とした巨大地震とそれに伴う福島原発事故。ちょうど阿佐ヶ谷の自宅前の路上で遭遇、周りの風景から輪郭が消え、大きな揺れは二重画像のように見えた。立っていられないほどで、急いで部屋に戻ると書棚の本は飛び出し、家具や大型スピーカー、食器などのガラスの破片が散乱。急いでインターネットで国内や海外発のニュースを中心に状況を調べると、東京ではなく東北が大被害を受け、巨大津波が襲ったとのこと。家族の安否を確認した後、会社を辞める直前まで赴任していた仙台の友人たちや、知人に連絡。その後の福島第一原発の爆発映像を見て、風向きによっては東京も放射性物質を含んだ濃い放射能ブルームが来る可能性があると判断。2回目の大きな爆発映像を見た直後の3月15日早朝、濡れたタオルで口と鼻を覆いながら羽田空港へ向かった。実はこの日昼前に関東方面へ濃い放射能ブルームが流れ、ホットスポットができたという。取るものもとりあえず羽田から福岡へ。ネットカフェで10日間ぐらい過ごした後、ソウル経由でパリへ。パリでアパルトマンを借り数か月過ごし、ミュンヘン、バルセロナ、ロンドンにしばらく滞在した後、Pのいるカナダへ。モントリオールでアパートを確保してビザ期限ぎりぎりの半年間滞在。その後、パリ7区のエッフェル塔近くの屋根裏部屋に2年弱滞在した。大地震と原発事故によって押し出されるように図らずも海外へ。「疫病を防ぐ最良の方法はそれから逃げることだ」(『疫病流行記』ダニエル・デフォー 現代思潮社)という本能的直感でもって災いの発生源から遠ざかった。
3・11を契機に始まった筆者自身の「漂流」が新しい書斎の蒐集物をもたらすことになった。「どこに位置しようと誰にでも自分の南がある」(ドゥルーズの言葉 『ランボー・横断する詩学』野村喜和夫 未来社)と、この言葉を旅の聖なる指標として肝に命じた。
モントリオールはケベック州にあるフランス語文化圏の都市で、トロントやバンクーバーなど英語圏の都市とは人の気風や風土もかなり異なる。1960年代から70年代のヒッピー文化の残り香が漂う、どちらかといえば「ラテン的」な土地柄だ。

canada02モントリオール界隈。街の至る所にペイントアートがある。


モントリオールはレコード屋や古書店が多く、街歩きをしているとパリの裏町に紛れ込んだような錯覚を覚える。古書店はパリのちょっと入りづらい店の雰囲気と違って、かなりオープンで店主も気さくだ。パリの古書店でも探すのが難しいシュルレアリスム系の本が見つかることもある。値段もパリより3割ぐらい安い。

canada03カナダで入手した希少本。擦り切れたアンドレ・ブルトンの『シュルレアリスム宣言』(AU ÉDITIONS DU SAGITTARE 『溶ける魚』収録 1924年 写真左)と、HÉMISPHÈRES DÉCOUVERTE DES TRPOIQUES(アンドレ・ブルトンらによる特集・『熱帯の発見』ÉDITIONS HÉEMISPHÈRES New York 1944年 写真右)


canada04ヘンリー・ミラーの希少本『ORDER AND CHAOS CHEZ HANS REICHEL』 (THE 26 COPY CRIMSON OASIS , A-Z 26 Copies INSCRIPTION EDITION Signed by Henry Miller Loujon Press 1966年 限定26部 サイン入りで、とても凝った装丁)以前、オークションで落札し損ねた本をカナダで発見し入手。


canada05モン・ロワイヤルの古書店(その後モントリオールを訪れた時には、この壁のペイントアートはなくなっていた)


トロントに滞在中、飛行機で3時間半のキューバに行く機会があった。人生最悪の食中毒(まる五日間寝たきり、最後は病院へ)にもめげず、残された最後の三日間でハバナの裏町を撮ったのがソニー製のコンパクトデジタルカメラRX100M2。昨年京都市内で開いた写真展「古巴(キューバ)-モノクロームの午後」(京都国際写真際KYOTOGRAPHIE KG+ 2015年5月1日-7日)の2m近い布幕に引き伸ばしてもびくともしない写真の画質を見て、Pはこのカメラがほしくなったのか、コレクションしているダブりの写真集と物々交換しないかと持ち掛けてきた。コンデジと稀少写真集とを物々交換…悪かろうはずがない。コンパクトデジカメが超レアな写真集の数々に化けた。写真集の状態は決して良いとは言えないが中はきれいだった。

canada06稀少写真集に「化けた」SONY製コンパクトデジタルカメラRX100M2


canada07コンパクトデジカメと物々交換したHenri Cartier-Bressonなどの稀少写真集(下)


カナダから戻ると、希少な写真集を自分だけでなく、友人、知人らで「眼福」を共有しようと、ことし四月まで住んでいた京都の町屋で、「カナダからの漂着物・稀少写真集を見る会」を催した。お披露目したのは、有名なHenri Cartier-Bressonの代表的な写真集『THE EUROPEANS(ヨーロッパの人々)』(1955年 フランス 初版 ミロによるカバー)と、『THE DECISIVE MOMENT(決定的瞬間)』(1952年 フランス 初版 マチスによるカバー)のほか、植物のオブジェのようなクローズアップ写真で知られるKarl Blossfeldtの『WUNDER IN DER NATUR(自然の驚異)』(1942年版 ドイツ版 最初の版ではないがレアな写真集)、Halke Hajekの実験的な写真集『EXPERIMENTELLE FOTOGRAFIE』(1955年 ドイツ 初版)など。

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canada09以前住んでいた京町屋で久々にブックサロンとして、「カナダからの漂着物・稀少写真集を見る会」を開く。


カナダ人の友人Pが住むトロントは北米屈指の金融街である。大手銀行や保険会社などの超高層ビルが競うように立ち並ぶ。不動産バブルが続き、地価が高騰を続けている。そんな金融都市・トロントだが、都会のエアポケットのような「裏トロント」といってもよい場所がある。それがトロントの裏街・ケンジントン・マーケットだ。ヒッピー文化の香りが残り、「ゆるい」時間が流れるアンダーグラウンド的な穴場。どんな都市にもちょっと危険な匂いのするノワールな「危うい場所」というのがひとつぐらいは存在する。東京でいえばゴールデン街や歌舞伎町、パンク発祥の地のロンドン・カンデンタウン、パリなら多国籍な街ベルヴィル界隈とか…。そういう場所がなければ、どんなに清潔な近代的都市も、精神的に窮屈すぎてきっとくつろげないであろう。真夏の早朝、ケンジントン・マーケットにある「ジミーズ・カフェ」の落書きだらけの屋外テラスで、まだ冷やっとした空気を吸い込み、熱いコーヒーと手に入れたばかりの古本を読みながらまったりするのは至福の喜びだ。

canada10トロントにも何度か長期滞在した。写真はケンジントン・マーケット界隈


canada11ケンジントン・マーケットにある人気の「ジミーズ・カフェ」。ジミー・カーターや、ジミー・ヘンドリックスら「ジミー」にちなんだ写真や絵が飾られている。フランクでとても落ち着くカフェだ。


canada12モントリオールやトロントの古書店などで入手した本や写真集の数々


「一冊の写真集」から結びついたカナダの街と人々-。「出会いは絶景である」(俳人永田耕衣)とはよく言ったものである。2011年の日本脱出以来、過ごしたモントリオールやトロント、パリ、ミュンヘン、バルセロナ、ロンドン、キューバのハバナ、モロッコのタンジール…。「一冊の写真集」をきっかけにしたPとの出会いがなかったとしたら、こうした旅や、旅先のさまざまな人との結びつき、希少な本の蒐集もなかったかもしれない。私事で恐縮だが、モントリオールでの滞在中に家族が訪問したことがきっかけとなって、絵本作家の娘がワーキングホリディでモントリオールに住み、そのときに知り合った現地のカナダ人と結婚するという結果も生んだ。予測不可能な運命とは不可思議で面白い。カナダ人の友人Pも、「一冊の写真集」で筆者と結びついたことが縁で、日本に何度か住み多くの日本人の知己を得、「日本は第二の故郷」と言わせるほど彼の人生に深い影響を与えた。
「一冊の写真集」を通した出会いと3・11体験がなかったら、安全地帯の書斎で、室内旅行者として引きこもり、きっと空想の旅を続けていたであろう。半ば押し出されるようにして日本を後にした三年間の「逃亡生活」は、自分自身のレゾンデートルを見極めるための一回限りの筋書きのない舞台だったのかもしれない。「そして私は自分の地理を知るために旅をする」(マルセル・レジャ『狂人の芸術』の「ある狂人[の手記]」より-ベンヤミン『パサージュ論Ⅲ都市の遊歩者』岩波書店)…。筆者はこの三年にわたる海外滞在でこの言葉の意味するところを深く確信したのだった。
よるの ゆう

■夜野 悠 Yu YORUNO
通信社記者を50代前半で早期退職後、パリを中心にカナダ、ドイツ、モロッコなど海外を中心に滞在、シュルレアリスム関係を中心に稀少書や作品などを蒐集する。2015年5月に国際写真祭『KYOTO GRAPHIE』のサテライトイベント『KG+』で、モノクロの写真・映像、キューバの詩で構成した写真展『古巴(キューバ)-モノクロームの午後』を開催。同年12月には京都写真クラブ主催の『第16回京都写真展 記憶論Ⅲ』で、『北朝鮮1987-消えゆく夢幻の風景』を展示。京都市在住。

作成日: 2016年8月15(月)
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●本日のお勧めは細江英公です。
細江英公鎌鼬受賞記念
細江英公
1970年3月30日
1970年 23.6×29.5cm
ゼラチン・シルバー・プリント
サインあり

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