森本悟郎のエッセイ その後
第37回 角偉三郎(1940~2005) (1)漆芸界の異端児か?
C・スクエアという展示場所について、ぼくは特定のジャンルにこだわるつもりは当初からなかった。それは〈全ての表現は等価である〉という確信がもたらしたものだ。だからC・スクエアをコンテンポラリーギャラリーとみる人がいても、それが〈同時代の〉という本来の意味であれば結構なのだが、狭義の〈現代美術〉というカテゴリーを指すならば、それは正鵠を射ていないといえる。ぼくが求めたのは多様な表現であり、時代を共に生きる表現ということだった。
その意味で、漆芸家の角偉三郎さんは正しくコンテンポラリーの表現者だった。
角偉三郎「盛椀」
何度も塗り重ねて磨き上げられ、さらに沈金や蒔絵で加飾されるものもある華美で端正な伝統的輪島塗とは対照的に、漆を垂らすように扱ったり、手指で直接漆を塗りつけたりと少々アナーキーにもみえる角作品は、その実〈伝統的〉と称する工芸よりさらに遡った〈伝統〉への回帰だったのかもしれない。あるいは文化地理学的観点から、畿内で発達し洗練された乾漆に代表される西国文化と東北や関東で普及した荒々しい鉈彫りに代表される東国文化の出会いを、その中間地点である能登の地で受け止めようとしたのかもしれない。
いずれにせよ下地専門職人の家に育った角さんは、漆の扱いに関してまずは伝統に忠実だった。しかし同時に漆のもつ可能性も徹底的に追求した。漆のもつ可能性とは、角さんにはただ塗料としての漆にとどまらず、そのベースとなる〈木地〉も含んでのことである。木地師にはずいぶんルーティンから外れた難題をもちかけたという。その一つに〈へぎ板〉がある。〈へぎ〉とは〈剥ぐ・剥がす〉の訛言で、木材を楔などで割き、それを継いで板にしたのがへぎ板なのだが、割ったへぎ目は鋸で切るように真っ直ぐにはならないし厚みもそれぞれバラつきが出て、継いでもデコボコの状態となる。端正で寸法も均一に作るのが輪島木地師の矜持とすれば、これは抗いたくなるような仕事だったはずだ。そこを角さんは説得し、押し通した。いつだったか、京都高島屋での大規模な個展のオープニングに、角さんは木地師はじめ工房の職人さんたちを引き連れて出席、その場で彼ら一人ひとりを紹介して謝辞を贈った。作品に名前こそ出ないが、彼らの支えがあっての仕事であることを伝えたかった、とのことだった。
角偉三郎「へぎ板」
※ 輪島塗の要件:通商産業省告示第172号(昭和50年5月10日)
http://www.wajimanuri.jp/about/towa
※※ 沈金:漆器の表面に文様を毛彫し、そこに金粉・金箔を埋め込む技法。
(もりもと ごろう)
■森本悟郎 Goro MORIMOTO
1948年名古屋市生まれ。1971年武蔵野美術大学造形学部美術学科卒業。1972年同専攻科修了。小学校から大学までの教職を経て、1994年から2014年3月末日まで中京大学アートギャラリーC・スクエアキュレーター。展評、作品解説、作家論など多数。現在、表現研究と作品展示の場を準備中。
●今日のお勧め作品は、馬場檮男です。
馬場檮男
「赤いタンク」
1984年
リトグラフ
イメージサイズ:17.5×19.0cm
Ed.365
サインあり
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※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
ときの忘れものの通常業務は平日の火曜~土曜日です。日曜、月曜、祝日はお問い合わせには返信できませんので、予めご了承ください。
第37回 角偉三郎(1940~2005) (1)漆芸界の異端児か?
C・スクエアという展示場所について、ぼくは特定のジャンルにこだわるつもりは当初からなかった。それは〈全ての表現は等価である〉という確信がもたらしたものだ。だからC・スクエアをコンテンポラリーギャラリーとみる人がいても、それが〈同時代の〉という本来の意味であれば結構なのだが、狭義の〈現代美術〉というカテゴリーを指すならば、それは正鵠を射ていないといえる。ぼくが求めたのは多様な表現であり、時代を共に生きる表現ということだった。
その意味で、漆芸家の角偉三郎さんは正しくコンテンポラリーの表現者だった。
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角さんは伝統的な漆芸の町である輪島にあって、同業者から愛され畏敬もされながら、異端とも評される作家だった。制約が多い伝統工芸品としての輪島塗の要件※を踏み外しているようにみられたからである。若くして卓越した沈金※※技術によって日本現代工芸美術展で現代工芸賞、日展で特選を受賞するも、ある時期から自身の生き方と漆芸を重ね合わせるように、その来し方行く末を探るようになる。網野(善彦)史学に触れるとともに民俗学や柳宗悦の民芸論にも親しみ、日本列島という地理的特性、わけても能登の風土が育んだものへ目を注いでゆく。そんな中での能登半島柳田村で作られていた生活雑器、合麓椀(ごうろくわん)との出会は、角さんの後半生を決定づける漆芸の原点となる。
角偉三郎「盛椀」何度も塗り重ねて磨き上げられ、さらに沈金や蒔絵で加飾されるものもある華美で端正な伝統的輪島塗とは対照的に、漆を垂らすように扱ったり、手指で直接漆を塗りつけたりと少々アナーキーにもみえる角作品は、その実〈伝統的〉と称する工芸よりさらに遡った〈伝統〉への回帰だったのかもしれない。あるいは文化地理学的観点から、畿内で発達し洗練された乾漆に代表される西国文化と東北や関東で普及した荒々しい鉈彫りに代表される東国文化の出会いを、その中間地点である能登の地で受け止めようとしたのかもしれない。
いずれにせよ下地専門職人の家に育った角さんは、漆の扱いに関してまずは伝統に忠実だった。しかし同時に漆のもつ可能性も徹底的に追求した。漆のもつ可能性とは、角さんにはただ塗料としての漆にとどまらず、そのベースとなる〈木地〉も含んでのことである。木地師にはずいぶんルーティンから外れた難題をもちかけたという。その一つに〈へぎ板〉がある。〈へぎ〉とは〈剥ぐ・剥がす〉の訛言で、木材を楔などで割き、それを継いで板にしたのがへぎ板なのだが、割ったへぎ目は鋸で切るように真っ直ぐにはならないし厚みもそれぞれバラつきが出て、継いでもデコボコの状態となる。端正で寸法も均一に作るのが輪島木地師の矜持とすれば、これは抗いたくなるような仕事だったはずだ。そこを角さんは説得し、押し通した。いつだったか、京都高島屋での大規模な個展のオープニングに、角さんは木地師はじめ工房の職人さんたちを引き連れて出席、その場で彼ら一人ひとりを紹介して謝辞を贈った。作品に名前こそ出ないが、彼らの支えがあっての仕事であることを伝えたかった、とのことだった。
角偉三郎「へぎ板」※ 輪島塗の要件:通商産業省告示第172号(昭和50年5月10日)
http://www.wajimanuri.jp/about/towa
※※ 沈金:漆器の表面に文様を毛彫し、そこに金粉・金箔を埋め込む技法。
(もりもと ごろう)
■森本悟郎 Goro MORIMOTO
1948年名古屋市生まれ。1971年武蔵野美術大学造形学部美術学科卒業。1972年同専攻科修了。小学校から大学までの教職を経て、1994年から2014年3月末日まで中京大学アートギャラリーC・スクエアキュレーター。展評、作品解説、作家論など多数。現在、表現研究と作品展示の場を準備中。
●今日のお勧め作品は、馬場檮男です。
馬場檮男「赤いタンク」
1984年
リトグラフ
イメージサイズ:17.5×19.0cm
Ed.365
サインあり
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