小林美香のエッセイ「写真集と絵本のブックレビュー」第15回

藤岡亜弥『川はゆく』

今回紹介するのは、藤岡亜弥(1972-)の写真集『川はゆく』(赤々舎、2017年)です。藤岡は20代の頃から台湾やヨーロッパ諸国、南米、ニューヨークと世界各地で旅や滞在を重ねながら写真家として活動を続け、人との巡り会いや、近親者や土地との関係を見つめながら、その関係の中にある自身の位置を探るような作品を制作してきました。これまでに発表した写真集として、ヨーロッパを旅する中で撮影した写真をまとめた『さよならを教えて』(ビジュアルアーツ、2004年)や、2000年から2006年にかけて東京に生活の拠点を置きながら、広島県呉市にある実家に帰省した際に撮り続けた写真をまとめた『私は眠らない』(赤々舎、2009年)を発表しています。ニューヨークから帰国後2013年から広島市内に生活拠点を移して写真を撮り続け、2016年に開催した写真展「川はゆく」により第41回(2016年度)伊奈信男賞を受賞しました。写真集『川はゆく』は、この写真展にもとづきつつ、作品を追加して綿密に再編成されています。

01(図1)
写真集『川はゆく』左 ケースの表 左 表紙


02(図2)
写真集『川はゆく』 ケースの裏


03(図3)
航空写真


『方丈記』の冒頭の一節「ゆく川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」を連想させる題名を追うようにして、写真集のケースの裏側には「川は血のように流れている 血は川のように流れている」と記されています(図2)。タイトルが示唆する無常観ととともに、血と川が相互に入れ替わる類推的な関係にあるものとして組み合わせられることで、体内の血の巡りが川の流れになぞらえられているようにも読み取られます。写真集のケースと表紙には、川が写った2点の航空写真を捉えた写真がトリミングの仕方を変えて使われており(図1)、ケースの方では、二枚の航空写真を収める金属製のフレームが、写真の画面を縦半分に、あたかも二つの川の間に差し込むように分割しています。写真集に収録された写真(図3)に照らし合わせて見ると、二枚の航空写真のうち左側は、原爆投下後の焦土と化した広島市街の川沿いの区画を捉えたものであり、右側はその後しばらく時間が経過した後に同じ地点を捉えたものであることが見て取れます。このように写真とむすびつけてみると「川は血のように流れている 血は川のように流れている」というフレーズは、夥しい数の被爆者達が流した血と結びついて紡ぎ出されたもののようにも響きます。藤岡は写真を撮り続けるなかで、自分の体内を巡る血と、原爆により流された血のありように想像を巡らせ、そこから広島という土地の現在と過去の間を往還するように写真集を編んだのではないでしょうか。

伊奈信男賞受賞に際して藤岡は次のようにコメントしています。「広島を歩くと、いやがおうでもヒロシマの表象に出会う。広島で平和を考えるのはあたりまえのことのようでもあるが、日常という厚い皮層からヒロシマの悲劇を垣間みることの困難さなど、生活してみて初めて知ることが多かった」。ここで藤岡が「広島」と「ヒロシマ」と二通りの表記の仕方を選び、繰り返し用いていることからも明らかなように、原爆に関わる事象としての「ヒロシマ」は、戦後から70年の時間の経過の中で抽象化され、あくまでも「表象」として日常生活の中に断片的にさし出されるもの、それ自体は直接確かめることのできない、不可視的なものになっています。藤岡が写真を撮りながら追求してきた「日常を通してヒロシマを考えるという作業」は、日常の景色の中から不可視的な層を掬い上げようとする試みであり、『川はゆく』が、写真集としては大部の240ページというボリュームになったのも、本質的には要約してまとめることのできない「日常」という時空との格闘の軌跡を示すことにあったと言えるでしょう。

04(図4)
小学生の集団


05(図5)
フラワーフェスティバル


06(図6)
被爆者を捉えた写真パネルとそれを撮影するカメラを持つ手


07(図7)
オバマ元大統領の広島来訪を報道する番組を見る人たち


08(図8)
原爆ドームを背景に、取材を受ける男性


藤岡は、デルタ地帯である広島市の川辺の景色や、通勤・通学で路上を行き交う人たち、遠足や社会見学、修学旅行で集団行動する子どもたち(図4)、路面電車の車内、8月6日の原爆忌などの行事のために平和公園の周辺に集う人々、広島東洋カープの試合やひろしまフラワーフェスティバル(図5)、夏祭りなど、人々が集まるイベントにカメラを向け、時折人々の日常生活の光景の片隅に現れる原爆ドームや広島平和記念資料館、被爆建物といった、原爆にまつわる建造物の姿を捉えています。写真集を通して眼をひきつけるのが、画面の中に別の画面を収める「複写」のような撮影手法です。平和資料館の展示物の写真パネルや印刷物をとらえたり(図6)、アメリカの政府要人(ケリー元国務長官、オバマ元大統領)の広島訪問を報道する番組を放映するテレビ画面をとらえたり(図7)、あるいは原爆ドーム周辺で報道カメラを向ける情景をとらえたりする撮影手法を用いることで(図8)、藤岡は「ヒロシマ」の表象のあり方、人々が「ヒロシマ」に視線を向け、フレーミングを形作る方法や関係のあり方を示しています。このような意図的に視線を入れ籠にしたり、人々が対象を見る状況を俯瞰して捉えてみせたりするような恣意的な画面の作り方は、「見る」ことや「記録する」という行為を意識化させ、それらの行為がどのような状況の元に成り立っているのか、ニュース報道がどのように伝達され、どのように受容されているのかといったことを含めて、その時空を記録しようとする意志に裏打ちされています。

09(図9)
ポストカードと原爆ドーム


10(図10)
ジャンプして宙に浮く女子学生たち


11(図11)
フラダンサーたち


藤岡の「見る」という行為への意識の向け方を探る上で重要な位置を占めているのが、原爆ドームの捉え方です。藤岡は「日常を通してヒロシマを考えるという作業」を続けていくなかで、「ヒロシマ」の揺るぎないシンボルである原爆ドームを、日常の景色の一部として捉えることを何度も試みています。たとえば、写真絵葉書を実際の原爆ドームの手前にかざして、過去に捉えられた姿と現在の状態の双方を見比べるような撮り方をしてみたり(図8)、原爆ドームが面している元安川の川沿いで偶発的に起きている出来事と組み合わせるような撮り方をしています。たとえば、女子学生達のグループが一斉にポーズを作ってジャンプし、宙に浮いているような写真を撮るのに興じている情景(図9)や、鮮やかなピンクの衣裳を纏ったフラダンサーたちが、対岸の原爆ドームの方を向いて並んでいる情景(図10)は、一見するとどことなくユーモラスな場面にも映りますが、手前と向こう岸の関係は、此岸と彼岸にも重なって見え、原爆ドームとその周辺の場所が担わされてきた意味合いと日常の営みの間にある裂け目のようなものをあらわにしているようでもあります。

12(図12)
金髪の少女


(図10)や(図11)においてもそうですが、子どもたち(図4)や若い女性(図5)、10代の若者達の姿が、写真集全体を通して多く捉えられています。被爆者の世代に属する高齢者の人たちの姿も所々に見られますが、戦後から遠く隔たった世代の幼い子どもたちや若者たちや外国から訪問してきたと思しき白人の少女の姿(図12)は、「ヒロシマ」として抽象化され得ない現在の広島を表す存在として差し出されているようでもあります。
藤岡や筆者のような1970年代に生まれた団塊ジュニア前後の世代、すなわち現在40代から50代にさしかかる世代で(以前にも書きましたが、私は1歳から18歳までの17年間、子供時代を広島市で過ごしました。)で、
広島やその周辺で育った人たちは、学校の中で原爆に関する平和教育を受けるだけではなく、被爆者の存在を、祖父母や親戚として身近に存在することを肌で感じ、体験談を耳にすることができました。しかし、さらに一世代を下った現在の若者や子どもたちは、被爆者の高齢化が進み、世代が移り変わっていくなかで、そういった経験をすることが難しくなっている現状があります。『川はゆく』は、移ろいゆく時間のなかで、日常という皮層の下に横たわる歴史を探るとともに、未来を担う子どもや若者達の相貌を景色の中に位置づけ、「ヒロシマ」と「広島」が多層的に重なる現在の広島の姿を描き出しているのです。
こばやし みか

■小林美香 Mika KOBAYASHI
写真研究者・東京国立近代美術館客員研究員。国内外の各種学校/機関で写真に関するレクチャー、ワークショップ、展覧会を企画、雑誌に寄稿。2007-08年にAsian Cultural Councilの招聘、及び Patterson Fellow としてアメリカに滞在し、国際写真センター(ICP)及びサンフランシスコ近代美術館で日本の写真を紹介する展覧会/研究活動に従事。
2010年より東京国立近代美術館客員研究員、2014年から東京工芸大学非常勤講師を務める。

●今日のお勧め作品は、植田正治です。
作家については、飯沢耕太郎のエッセイ「日本の写真家たち」第4回をご覧ください。
20170625_ueda_12_tasogare植田正治
《昏れる頃 3》
1974年
ゼラチンシルバープリント
イメージサイズ:14.7×22.4cm
シートサイズ:20.2×25.6cm
サインあり

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◆小林美香のエッセイ「写真集と絵本のブックレビュー」は毎月25日の更新です。