「紙にインクがのっている」その先のこと
「版画の景色 現代版画センターの軌跡」
会期:2018年1月16日(火)~3月25日(日)
会場:埼玉県立近代美術館
嶋﨑吉信
会場を一巡して多数の版画作品を眺め,あるいは展示資料のページを繰りながら私が思ったのは,日本人は版画がすきなんだなぁということ,日本人にはよくもわるくも版画が向いているんだなぁということだった.現代版画センターが版行した作品の数,関わりを持った美術家や版画家,建築家などの数と,見境がないともいえるような多彩な顔ぶれはあらためておどろきを誘うもので,通常のギャラリーでは考えにくいことだろう.それはやはり一に「版画」という括りがあったからであり,その普及という目的意識があったからこそであろう.版画に特化したからこそ,多彩な顔ぶれも日本各地で受け入れられたのであろうし,会員制という特殊なシステムを採用しながらも11年続いたのではなかったかと思うのである.
「日本人にはよくもわるくも……」と上に書いたが,「よくも」とは,いうまでもなく複数制作であることの利点だ.現代版画センターが全国の複数の会場で同時に,あるいは連続的に展覧会を開くことができたのは,版画の特性を最大限に活用してのことだった.そのような開催方式はまた,作家の名前や主催者の存在,そして版画そのものの周知と認知に力となったにちがいない.複数制作であることは価格の手ごろさともなって,美術作品を買うことの敷居を確実に下げたはずだ.
日本人は,自分の判断や意見をもとに美術家や作品を評価し,または購入するということにあまり積極的ではない.それは一般の人たちばかりでなく美術界の人びとや美術館自体においても同様で,たとえば,欧米で評価されてようやく国内でも関心が向けられるようになるという癖(へき)は昔もいまも変わらない.しかし,まだ有名ではない美術家でも安価な版画であれば,それを受け入れて購入することへの心理的障害は小さいだろう.そういう意味からも現代版画センターの活動は,美術の普及ないし美術に対する関心の涵養に資するものがあったことはまちがいない.そして(しかし)それは,版画に関して,版画を通して――という限定内でのことであったのだ.
「わるくも」とは,日本人は生(なま)な表現とは距離をおく傾向があるため,一見均されたような版画の画面に安心し,安住してしまうのではないかという危惧だ.「生」というのは絵具や筆致のことばかりでなく,作品にメッセージが仮託されているということでもあって,そういう美術は概して日本人には敬遠されがちだ.さらに心性ばかりでなく私たちの日常的空間を考えても,メッセージのある作品や油彩画はやはり重く,版画の方が親和性が高いということもあるだろう.ここでメッセージと呼んでいるのはかならずしも政治的・社会的,あるいは審美的主張のことではなく,作品に込められた精神的で抽象的なエネルギーというほどの意味であり,作品を生み出した人間の存在や意識の気配といってもいいかもしれない.版画に親しむのはもちろんよきことであるが,そこにのみとどまることは,生な表現へのアクセスを制限してしまうかもしれない.
「わるくも」は制作者についてもいえることで,それは版画家が自分で刷る場合も,専門家に刷りを委ねる場合も同様だ.版画は陶芸などと同様に技術的なプロセスとその習熟が不可欠であるため,技術を駆使しているということの達成感をもって作品の完成と勘違いをする人が制作者の側にも多い.要するに,表現すべきもの――すなわちメッセージがないままに,ただ版を起こして刷っただけという版画に出合うことは多いのである.あるいはまた,表現すべきものがあってもそれが薄弱であれば,版というフィルターによって濾されてしまうということもあるだろう.ここでつけ加えるが,私は版画が他のメディアにくらべて劣っているといいたいのではない.絵画においても,キャンバスに絵具がのっているだけという,たんなる物体でしかない例はたいへん多い.しかしながら版画は,「紙にインクがのっている」そのことだけで版画たりうるのであって,であるからこそ,それをもって合格点だと錯覚しやすいメディアであるとはいえるだろう.それは制作者にも観客にもあてはまるリスクだ.私は「紙にインクがのっている」その先を見たいと思うのである.
タケミヤ画廊のように歴史となった例はべつにして,美術館が特定のギャラリーの活動に光を当てて開いた展覧会というのを,私は寡聞にして知らない.今回それが実現したのは,やはり対象が版画専一のギャラリーであったことと,そのギャラリーがすでに存在しないという事実が背景としては大きかっただろう.しかし物語るに値するギャラリーは,営利か貸しかを問わずいくつもあるだろうし,今回のような例は美術館の活動に新たな方途を拓くことになるかもしれない.その意味では,企画者の着眼を私はよしとしたい.そのうえで今展に関していえば,たとえば図録やトークイベントにおいて,関わりのあった人に周囲から語らせるだけではない演出がほしかったと私は思う.そのひとつにはまず,現代版画センターを率いていた人をこそ説得し,表に請じて語らせるべきではなかったのかと――その名前が図録の謝辞にも奥付にもないことに当人の強い意志を感じはするけれども――素朴に思うのである.
(しまさき よしのぶ)

埼玉県立近代美術館 撮影:酒井猛
左から藤江民(リトグラフ)、内間安瑆(木版)、林芳史(銅版)
於・埼玉県立近代美術館、撮影:酒井猛

左から、靉嘔(シルク)、元永定正(シルク)、小野具定(銅版)、右の壁面は菅井汲(アクリルにシルク、色紙)
於・埼玉県立近代美術館、撮影:タケミアートフォトス
■嶋﨑吉信(しまさきよしのぶ)
美術評論家.『美術手帖』編集部,企業ギャラリーの企画・運営,公共事業のアートワーク整備事業ワーキンググループなどを経て今日にいたる.
~~~~~~
●ときの忘れものは本日12日(月、祝日)は休廊です。
埼玉県立近代美術館は開館しており、亭主は会場にいますので、お声をかけてください(最近難聴に加え記憶力も著しく減退しており、失礼の段はお許しください)。
◆埼玉県立近代美術館で「版画の景色 現代版画センターの軌跡」展が開催されています。現代版画センターと「ときの忘れもの」についてはコチラをお読みください。
詳細な記録を収録した4分冊からなるカタログはお勧めです。ときの忘れもので扱っています。
会期:2018年1月16日(火)~3月25日(日)
現代版画センターは会員制による共同版元として1974年~1985年までの11年間に約80作家、700点のエディションを発表し、全国各地で展覧会、頒布会、オークション、講演会等を開催しました。本展では45作家、280点の作品と、機関誌等の資料、会場内に設置した三つのスライド画像によりその全軌跡を辿ります。
○西岡文彦さんの連載エッセイ「現代版画センターという景色」が始まりました(1月24日、2月14日、3月14日の全3回の予定です)。草創期の現代版画センターに参加された西岡さんが3月18日14時半~トークイベント「ウォーホルの版画ができるまでーー現代版画センターの軌跡」に講師として登壇されます。
○光嶋裕介さんのエッセイ「身近な芸術としての版画について」(1月28日ブログ)
○荒井由泰さんのエッセイ「版画の景色―現代版画センターの軌跡展を見て」(1月31日ブログ)
○スタッフたちが見た「版画の景色」(2月4日ブログ)
○毎日新聞2月7日夕刊の美術覧で「版画の景色 現代版画センターの軌跡」展が紹介されました。執筆は永田晶子さん、見出しに<「志」追った運動体>とあります。
○倉垣光孝さんと浪漫堂のポスター(2月8日ブログ)
○埼玉県立近代美術館の広報誌 ソカロ87号で1983年のウォーホル全国展が紹介されています。
○同じく、同館の広報誌ソカロ88号には栗原敦さん(実践女子大学名誉教授)の特別寄稿「現代版画センター運動の傍らでー運動のはるかな精神について」が掲載されています。
○現代版画センターエディションNo.614 磯崎新「MUSEUM-II」
現代版画センターのエディション作品を展覧会が終了する3月25日まで毎日ご紹介します。
磯崎新
「MUSEUM-II」
1983年
シルクスクリーン(刷り:石田了一)
イメージサイズ:55.0x55.0cm
シートサイズ:90.0x63.0cm
Ed.75 サインあり

出品作家45名:靉嘔/安藤忠雄 /飯田善国/磯崎新/一原有徳/アンディ・ウォーホル/内間安瑆/瑛九/大沢昌助/岡本信治郎/小田襄/小野具定/オノサト・トシノブ/柏原えつとむ/加藤清之/加山又造/北川民次/木村光佑/木村茂/木村利三郎/草間彌生/駒井哲郎/島州一/菅井汲/澄川喜一/関根伸夫/高橋雅之/高柳裕/戸張孤雁/難波田龍起/野田哲也/林芳史/藤江民/舟越保武/堀浩哉 /堀内正和/本田眞吾/松本旻/宮脇愛子/ジョナス・メカス/元永定正/柳澤紀子/山口勝弘/吉田克朗/吉原英雄
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●ときの忘れものは昨年〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531

新天地の駒込界隈についてはWEBマガジン<コラージ12月号>をお読みください。18~24頁にときの忘れものが特集されています。
2018年から営業時間を19時まで延長します。
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
「版画の景色 現代版画センターの軌跡」
会期:2018年1月16日(火)~3月25日(日)
会場:埼玉県立近代美術館
嶋﨑吉信
会場を一巡して多数の版画作品を眺め,あるいは展示資料のページを繰りながら私が思ったのは,日本人は版画がすきなんだなぁということ,日本人にはよくもわるくも版画が向いているんだなぁということだった.現代版画センターが版行した作品の数,関わりを持った美術家や版画家,建築家などの数と,見境がないともいえるような多彩な顔ぶれはあらためておどろきを誘うもので,通常のギャラリーでは考えにくいことだろう.それはやはり一に「版画」という括りがあったからであり,その普及という目的意識があったからこそであろう.版画に特化したからこそ,多彩な顔ぶれも日本各地で受け入れられたのであろうし,会員制という特殊なシステムを採用しながらも11年続いたのではなかったかと思うのである.
「日本人にはよくもわるくも……」と上に書いたが,「よくも」とは,いうまでもなく複数制作であることの利点だ.現代版画センターが全国の複数の会場で同時に,あるいは連続的に展覧会を開くことができたのは,版画の特性を最大限に活用してのことだった.そのような開催方式はまた,作家の名前や主催者の存在,そして版画そのものの周知と認知に力となったにちがいない.複数制作であることは価格の手ごろさともなって,美術作品を買うことの敷居を確実に下げたはずだ.
日本人は,自分の判断や意見をもとに美術家や作品を評価し,または購入するということにあまり積極的ではない.それは一般の人たちばかりでなく美術界の人びとや美術館自体においても同様で,たとえば,欧米で評価されてようやく国内でも関心が向けられるようになるという癖(へき)は昔もいまも変わらない.しかし,まだ有名ではない美術家でも安価な版画であれば,それを受け入れて購入することへの心理的障害は小さいだろう.そういう意味からも現代版画センターの活動は,美術の普及ないし美術に対する関心の涵養に資するものがあったことはまちがいない.そして(しかし)それは,版画に関して,版画を通して――という限定内でのことであったのだ.
「わるくも」とは,日本人は生(なま)な表現とは距離をおく傾向があるため,一見均されたような版画の画面に安心し,安住してしまうのではないかという危惧だ.「生」というのは絵具や筆致のことばかりでなく,作品にメッセージが仮託されているということでもあって,そういう美術は概して日本人には敬遠されがちだ.さらに心性ばかりでなく私たちの日常的空間を考えても,メッセージのある作品や油彩画はやはり重く,版画の方が親和性が高いということもあるだろう.ここでメッセージと呼んでいるのはかならずしも政治的・社会的,あるいは審美的主張のことではなく,作品に込められた精神的で抽象的なエネルギーというほどの意味であり,作品を生み出した人間の存在や意識の気配といってもいいかもしれない.版画に親しむのはもちろんよきことであるが,そこにのみとどまることは,生な表現へのアクセスを制限してしまうかもしれない.
「わるくも」は制作者についてもいえることで,それは版画家が自分で刷る場合も,専門家に刷りを委ねる場合も同様だ.版画は陶芸などと同様に技術的なプロセスとその習熟が不可欠であるため,技術を駆使しているということの達成感をもって作品の完成と勘違いをする人が制作者の側にも多い.要するに,表現すべきもの――すなわちメッセージがないままに,ただ版を起こして刷っただけという版画に出合うことは多いのである.あるいはまた,表現すべきものがあってもそれが薄弱であれば,版というフィルターによって濾されてしまうということもあるだろう.ここでつけ加えるが,私は版画が他のメディアにくらべて劣っているといいたいのではない.絵画においても,キャンバスに絵具がのっているだけという,たんなる物体でしかない例はたいへん多い.しかしながら版画は,「紙にインクがのっている」そのことだけで版画たりうるのであって,であるからこそ,それをもって合格点だと錯覚しやすいメディアであるとはいえるだろう.それは制作者にも観客にもあてはまるリスクだ.私は「紙にインクがのっている」その先を見たいと思うのである.
タケミヤ画廊のように歴史となった例はべつにして,美術館が特定のギャラリーの活動に光を当てて開いた展覧会というのを,私は寡聞にして知らない.今回それが実現したのは,やはり対象が版画専一のギャラリーであったことと,そのギャラリーがすでに存在しないという事実が背景としては大きかっただろう.しかし物語るに値するギャラリーは,営利か貸しかを問わずいくつもあるだろうし,今回のような例は美術館の活動に新たな方途を拓くことになるかもしれない.その意味では,企画者の着眼を私はよしとしたい.そのうえで今展に関していえば,たとえば図録やトークイベントにおいて,関わりのあった人に周囲から語らせるだけではない演出がほしかったと私は思う.そのひとつにはまず,現代版画センターを率いていた人をこそ説得し,表に請じて語らせるべきではなかったのかと――その名前が図録の謝辞にも奥付にもないことに当人の強い意志を感じはするけれども――素朴に思うのである.
(しまさき よしのぶ)

埼玉県立近代美術館 撮影:酒井猛
左から藤江民(リトグラフ)、内間安瑆(木版)、林芳史(銅版)於・埼玉県立近代美術館、撮影:酒井猛

左から、靉嘔(シルク)、元永定正(シルク)、小野具定(銅版)、右の壁面は菅井汲(アクリルにシルク、色紙)
於・埼玉県立近代美術館、撮影:タケミアートフォトス
■嶋﨑吉信(しまさきよしのぶ)
美術評論家.『美術手帖』編集部,企業ギャラリーの企画・運営,公共事業のアートワーク整備事業ワーキンググループなどを経て今日にいたる.
~~~~~~
●ときの忘れものは本日12日(月、祝日)は休廊です。
埼玉県立近代美術館は開館しており、亭主は会場にいますので、お声をかけてください(最近難聴に加え記憶力も著しく減退しており、失礼の段はお許しください)。
◆埼玉県立近代美術館で「版画の景色 現代版画センターの軌跡」展が開催されています。現代版画センターと「ときの忘れもの」についてはコチラをお読みください。
詳細な記録を収録した4分冊からなるカタログはお勧めです。ときの忘れもので扱っています。
会期:2018年1月16日(火)~3月25日(日)
現代版画センターは会員制による共同版元として1974年~1985年までの11年間に約80作家、700点のエディションを発表し、全国各地で展覧会、頒布会、オークション、講演会等を開催しました。本展では45作家、280点の作品と、機関誌等の資料、会場内に設置した三つのスライド画像によりその全軌跡を辿ります。○西岡文彦さんの連載エッセイ「現代版画センターという景色」が始まりました(1月24日、2月14日、3月14日の全3回の予定です)。草創期の現代版画センターに参加された西岡さんが3月18日14時半~トークイベント「ウォーホルの版画ができるまでーー現代版画センターの軌跡」に講師として登壇されます。
○光嶋裕介さんのエッセイ「身近な芸術としての版画について」(1月28日ブログ)
○荒井由泰さんのエッセイ「版画の景色―現代版画センターの軌跡展を見て」(1月31日ブログ)
○スタッフたちが見た「版画の景色」(2月4日ブログ)
○毎日新聞2月7日夕刊の美術覧で「版画の景色 現代版画センターの軌跡」展が紹介されました。執筆は永田晶子さん、見出しに<「志」追った運動体>とあります。
○倉垣光孝さんと浪漫堂のポスター(2月8日ブログ)
○埼玉県立近代美術館の広報誌 ソカロ87号で1983年のウォーホル全国展が紹介されています。
○同じく、同館の広報誌ソカロ88号には栗原敦さん(実践女子大学名誉教授)の特別寄稿「現代版画センター運動の傍らでー運動のはるかな精神について」が掲載されています。
○現代版画センターエディションNo.614 磯崎新「MUSEUM-II」
現代版画センターのエディション作品を展覧会が終了する3月25日まで毎日ご紹介します。
磯崎新「MUSEUM-II」
1983年
シルクスクリーン(刷り:石田了一)
イメージサイズ:55.0x55.0cm
シートサイズ:90.0x63.0cm
Ed.75 サインあり

出品作家45名:靉嘔/安藤忠雄 /飯田善国/磯崎新/一原有徳/アンディ・ウォーホル/内間安瑆/瑛九/大沢昌助/岡本信治郎/小田襄/小野具定/オノサト・トシノブ/柏原えつとむ/加藤清之/加山又造/北川民次/木村光佑/木村茂/木村利三郎/草間彌生/駒井哲郎/島州一/菅井汲/澄川喜一/関根伸夫/高橋雅之/高柳裕/戸張孤雁/難波田龍起/野田哲也/林芳史/藤江民/舟越保武/堀浩哉 /堀内正和/本田眞吾/松本旻/宮脇愛子/ジョナス・メカス/元永定正/柳澤紀子/山口勝弘/吉田克朗/吉原英雄
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新天地の駒込界隈についてはWEBマガジン<コラージ12月号>をお読みください。18~24頁にときの忘れものが特集されています。
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営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
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