今から70年前の今日6月8日、画家松本竣介(1912年4月19日 - 1948年6月8日)は36歳の短い生涯を終えました。
朝日晃による評伝『松本竣介』の297~298ページには死の前後のことが以下のように記されています。
<第二回の、美術団体連合展に出品する作品のために、アトリエには、二十号と五十号の二枚の真新しいカンヴァスが用意されていた。竣介の最後の体力は、二十号には『建物』(口絵図版)――教会の薔薇窓のような装飾のある白いコンクリートの建物――のある一面を、彼が生涯を通じて模索し続けた黒線によって立体造型化し、彼の線に対する立体表現の最後の実験を試みた。別の一点『彫刻と女』は、「画家としての線の持つ意味が最上の立体表現の言葉であるならば、その線の研究発展のために更に彫刻の勉強も舟越保武についてしてみよう」と決意していた、竣介晩年の彫刻とのつながりの意思表示でもあったろう。しかし、五十号の『彫刻と女』を制作する頃は、体力の衰弱も極限であったし、四十度の高熱は、薬ではなく彼の意志だけで抑えつけられて仕事は続行されていた。背景の処理なども心なしか薄塗りで弱い。
搬入は、義妹の栄子と兄の彬が受け持ち、五月二十五日の開会には間に合った。しかし、その後会場に出掛ける体力もなく、そして再起してはいない。結核、気管支喘息は、最後に心臓も弱めてしまっていたし、永い戦争中の貧しい食事は、いっそう死を早めてしまった。出品した二点の作品の不満足を話しながら、六月十六日の閉会までには再起して会場に行くことを夢みていた。しかし、六月八日、梅雨の晴れ間のふとした強い陽ざしの朝十一時、明るい陽ざしの射影は、竣介の死の床だけに落ちた。三十六歳である。その直前、枕もと近くにいた禎子夫人の手を探し求め、握手するように握りしめると、夫人に向って小さく頷いたように思えた。夫人には、
「どうもありがとう。もうしようがない。これで良いんだ。やるだけのことはやった。あとのことは頼むよ。」
という言葉にならない竣介の声に受け止められた。
麻生三郎は美術団体連合展の会場にいた。夫人の妹栄子が使いとして呼びに走った。新人画会の画友達、そして、先輩格の山口薫もその直後に集まった。数人の友人は、“生きてゐる畫家”の静かな死の顔を写し取った。>
*朝日晃著『松本竣介』(1977年、株式会社日動出版部)より
朝日晃『松本竣介』
1977(昭和52)年3月10日初版 日動出版部 発行
301ページ 20.5x15.0cm
税込2,000円 ※送料別途
目次(抄):
・賢治の風土で
・下落合四丁目
・就縛の予兆
・時局に生きる画家
・微動する自画像
・Y市の橋にて
・日本の形骸
・形骸からの出発
・先に歩いていった人間
・略年譜
口絵
松本竣介は短い生涯でしたが、多くの作家と交流し、また影響を受けました(年譜参照)。
丁寧に制作された油彩作品は数少なく、市場に出ることはめったにありません。
救いはご遺族によって長年守られてきた素描が数多く存在することで、以前は「資料」としてしかみなされなかったそれら素描なくしては回顧展ひとつ開催することはできないしょう。
全国5美術館(岩手、宮城、世田谷、神奈川、島根)を巡回、盛大に開催された生誕100年記念展も実は多くの素描作品があったからこそ、充実した内容となり、多くのファンを呼んだのでした。
松本竣介
《人》
c.1946 紙にペン、水彩
Image size: 24.5x17.5cm
Sheet size: 28.0x19.0cm
※『松本竣介とその時代』(2011年 大川美術館)P34所収 No.68
松本竣介
《構図(1)》
c.1940 紙にインク、墨
Image size: 21.1x28.6cm
Sheet size: 23.5x32.0cm
※『松本竣介没後50年展―人と街の風景―』(1997年、南天子画廊)P14-No.25
松本竣介
《人物像》(裏面にも作品あり)
1946年頃
紙にインク
Image size: 24.0x13.0cm
Sheet size: 27.2x19.0cm
※『松本竣介没後50年展―人と街の風景―』(1997年、南天子画廊)p.16所収 No.39
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
36歳で亡くなってから70年が過ぎ、竣介を直接知る人々もご家族以外では少なくなりました。
しかし、竣介ファンはむしろ増えているのではないでしょうか。
当時の画家としては異例なほど、竣介は多くの作家たちと交わりました。それは妻禎子とともに編集刊行した月刊の随筆雑誌『雑記帳』(1936~37年にかけて14号が刊行された)に寄稿した人たちのリスト(植田実「生きているTATEMONO 松本竣介を読む12」)を見れば、とても24歳の青年がなしたとは思えないほどの幅広さと豊かさを感じます。
当時は電話などある家は稀で、まして竣介は耳が聞こえないわけですから、寄稿者への依頼は手紙か、直接その人の家に訪ねるしかありません。
ネットもファックスもない時代です。
ときの忘れもののコレクションから、竣介が親交した、または影響を受けた作家4人の作品をご紹介しましょう。
●北川民次(1894~1989)
「松本君の画は、美しい文学の様だ」(1940年10月日動画廊での初個展目録より)
北川民次
《手鏡を持つ母子像》
1947年
油彩
92.0×73.0cm
サインあり
北川民次
《見物人》(表紙図案或ハ口絵)
1941年頃
素描
24.5×17.0cm
サインあり
●難波田龍起(1905~1997)
難波田龍起
《作品》
1975年
色紙に水彩
イメージサイズ:22.0×20.0cm
シートサイズ:27.0×24.0cm
サインあり
*裏に年記あり
難波田龍起
《昼と夜》
1978年
カラー銅版
20.0×15.0cm
Ed.75 サインあり
●野田英夫(1908~1939)
野田英夫
《風景》
紙に油彩・ペン
24.0x33.3cm
*1979年の熊本県立美術館「野田英夫展」出品作品
野田英夫
《作品》
紙に水彩
25.4x30.9cm
●舟越保武(1912~2002)
舟越保武
《若い女 A》
1984年
リトグラフ(雁河)
51.0×39.0cm
Ed.170 サインあり
舟越保武
《少女の顔》
1979年
ブロンズレリーフ
12.0cm(径)
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『没後70年 松本竣介展』図録
2018年
ときの忘れもの 刊行
B5判 24ページ
テキスト:大谷省吾(東京国立近代美術館美術課長)
作品図版:16点
デザイン:岡本一宣デザイン事務所
税込800円 ※送料別途250円
竣介を偲び、これからもその画業の顕彰に微力ながらも努めたいと思います。
●ときの忘れものは昨年〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
阿部勤設計の新しい空間についてはWEBマガジン<コラージ12月号18~24頁>に特集されています。
2018年から営業時間を19時まで延長します。
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。

朝日晃による評伝『松本竣介』の297~298ページには死の前後のことが以下のように記されています。
<第二回の、美術団体連合展に出品する作品のために、アトリエには、二十号と五十号の二枚の真新しいカンヴァスが用意されていた。竣介の最後の体力は、二十号には『建物』(口絵図版)――教会の薔薇窓のような装飾のある白いコンクリートの建物――のある一面を、彼が生涯を通じて模索し続けた黒線によって立体造型化し、彼の線に対する立体表現の最後の実験を試みた。別の一点『彫刻と女』は、「画家としての線の持つ意味が最上の立体表現の言葉であるならば、その線の研究発展のために更に彫刻の勉強も舟越保武についてしてみよう」と決意していた、竣介晩年の彫刻とのつながりの意思表示でもあったろう。しかし、五十号の『彫刻と女』を制作する頃は、体力の衰弱も極限であったし、四十度の高熱は、薬ではなく彼の意志だけで抑えつけられて仕事は続行されていた。背景の処理なども心なしか薄塗りで弱い。
搬入は、義妹の栄子と兄の彬が受け持ち、五月二十五日の開会には間に合った。しかし、その後会場に出掛ける体力もなく、そして再起してはいない。結核、気管支喘息は、最後に心臓も弱めてしまっていたし、永い戦争中の貧しい食事は、いっそう死を早めてしまった。出品した二点の作品の不満足を話しながら、六月十六日の閉会までには再起して会場に行くことを夢みていた。しかし、六月八日、梅雨の晴れ間のふとした強い陽ざしの朝十一時、明るい陽ざしの射影は、竣介の死の床だけに落ちた。三十六歳である。その直前、枕もと近くにいた禎子夫人の手を探し求め、握手するように握りしめると、夫人に向って小さく頷いたように思えた。夫人には、
「どうもありがとう。もうしようがない。これで良いんだ。やるだけのことはやった。あとのことは頼むよ。」
という言葉にならない竣介の声に受け止められた。
麻生三郎は美術団体連合展の会場にいた。夫人の妹栄子が使いとして呼びに走った。新人画会の画友達、そして、先輩格の山口薫もその直後に集まった。数人の友人は、“生きてゐる畫家”の静かな死の顔を写し取った。>
*朝日晃著『松本竣介』(1977年、株式会社日動出版部)より
朝日晃『松本竣介』1977(昭和52)年3月10日初版 日動出版部 発行
301ページ 20.5x15.0cm
税込2,000円 ※送料別途
目次(抄):
・賢治の風土で
・下落合四丁目
・就縛の予兆
・時局に生きる画家
・微動する自画像
・Y市の橋にて
・日本の形骸
・形骸からの出発
・先に歩いていった人間
・略年譜
口絵松本竣介は短い生涯でしたが、多くの作家と交流し、また影響を受けました(年譜参照)。
丁寧に制作された油彩作品は数少なく、市場に出ることはめったにありません。
救いはご遺族によって長年守られてきた素描が数多く存在することで、以前は「資料」としてしかみなされなかったそれら素描なくしては回顧展ひとつ開催することはできないしょう。
全国5美術館(岩手、宮城、世田谷、神奈川、島根)を巡回、盛大に開催された生誕100年記念展も実は多くの素描作品があったからこそ、充実した内容となり、多くのファンを呼んだのでした。
松本竣介《人》
c.1946 紙にペン、水彩
Image size: 24.5x17.5cm
Sheet size: 28.0x19.0cm
※『松本竣介とその時代』(2011年 大川美術館)P34所収 No.68
松本竣介《構図(1)》
c.1940 紙にインク、墨
Image size: 21.1x28.6cm
Sheet size: 23.5x32.0cm
※『松本竣介没後50年展―人と街の風景―』(1997年、南天子画廊)P14-No.25
松本竣介《人物像》(裏面にも作品あり)
1946年頃
紙にインク
Image size: 24.0x13.0cm
Sheet size: 27.2x19.0cm
※『松本竣介没後50年展―人と街の風景―』(1997年、南天子画廊)p.16所収 No.39
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36歳で亡くなってから70年が過ぎ、竣介を直接知る人々もご家族以外では少なくなりました。
しかし、竣介ファンはむしろ増えているのではないでしょうか。
当時の画家としては異例なほど、竣介は多くの作家たちと交わりました。それは妻禎子とともに編集刊行した月刊の随筆雑誌『雑記帳』(1936~37年にかけて14号が刊行された)に寄稿した人たちのリスト(植田実「生きているTATEMONO 松本竣介を読む12」)を見れば、とても24歳の青年がなしたとは思えないほどの幅広さと豊かさを感じます。
当時は電話などある家は稀で、まして竣介は耳が聞こえないわけですから、寄稿者への依頼は手紙か、直接その人の家に訪ねるしかありません。
ネットもファックスもない時代です。
ときの忘れもののコレクションから、竣介が親交した、または影響を受けた作家4人の作品をご紹介しましょう。
●北川民次(1894~1989)
「松本君の画は、美しい文学の様だ」(1940年10月日動画廊での初個展目録より)
北川民次《手鏡を持つ母子像》
1947年
油彩
92.0×73.0cm
サインあり
北川民次《見物人》(表紙図案或ハ口絵)
1941年頃
素描
24.5×17.0cm
サインあり
●難波田龍起(1905~1997)
難波田龍起《作品》
1975年
色紙に水彩
イメージサイズ:22.0×20.0cm
シートサイズ:27.0×24.0cm
サインあり
*裏に年記あり
難波田龍起《昼と夜》
1978年
カラー銅版
20.0×15.0cm
Ed.75 サインあり
●野田英夫(1908~1939)
野田英夫《風景》
紙に油彩・ペン
24.0x33.3cm
*1979年の熊本県立美術館「野田英夫展」出品作品
野田英夫《作品》
紙に水彩
25.4x30.9cm
●舟越保武(1912~2002)
舟越保武《若い女 A》
1984年
リトグラフ(雁河)
51.0×39.0cm
Ed.170 サインあり
舟越保武《少女の顔》
1979年
ブロンズレリーフ
12.0cm(径)
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『没後70年 松本竣介展』図録2018年
ときの忘れもの 刊行
B5判 24ページ
テキスト:大谷省吾(東京国立近代美術館美術課長)
作品図版:16点
デザイン:岡本一宣デザイン事務所
税込800円 ※送料別途250円
竣介を偲び、これからもその画業の顕彰に微力ながらも努めたいと思います。
●ときの忘れものは昨年〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
阿部勤設計の新しい空間についてはWEBマガジン<コラージ12月号18~24頁>に特集されています。
2018年から営業時間を19時まで延長します。
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。

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