植田実のエッセイ「本との関係」
第4回 学校の謄写版
中学生だったとき、謄写版をよくやっていた。原紙を切り、謄写機で1枚ずつパタンパタンと刷っていた。個人用の学級日誌をつけるために、いちにちのことを1ページに記入するフォーマットを印刷し、1ヵ月分ずつ綴じる。あとは毎日の天気や授業や課外活動などについて書けばいい。クラスごとの、担当の生徒が毎日交代で記入するいわばオフィシャルな学級日誌はちゃんとあるのに、しかもどのように許可をとったのか、その印刷作業はひとり職員室で道具やインクを使ってやっていた。
先生がたの姿が見えない、しんと静まった職員室の記憶がある。東京・下北沢のわが家が敗戦の3ヵ月前の空襲で炎上したとき、そこに私は居なかった。学童集団疎開で長野県内の温泉旅館や村の集会所を転々としていた。家やまちを呑みこむ火に出会うのは避けられたが、いきなり焼跡の何もない地面と対面した。そこは今も日々大きくなっている。だれもが、「帰る」ことを生涯的に奪われていた。私は小学5年から高校卒業まで、母の故郷である福岡県小倉市(いまの北九州市内)をあちこち仮暮らしのあいだ、置き去りにしてきた東京の焼跡をずっと見ていた。中学校の職員室は失われたまちの記憶の調停役になっていたのかもしれない。私的学級日誌はひとに伝える目的のない、逆に学校生活の完全に閉ざされた記録を目指していた気もする。
やはり小倉市内の高校に入っても謄写版は続けていた。こんどは文学同人誌で、作業場所は空いている教室である。しかも無断拝借、授業までサボってのことだ。中学時代の伸び伸びした空気、好きな授業は数学と生物(生物部に入っていた)に比べて、高校では就職と進学とのクラスに分かれることで生徒同士の交流も重苦しく、大学受験を控えての授業から生物は遠のき、数学は突然その視界がなくなった。同人誌を通して新しい友人は増えたが文学仲間はけっこう面倒だ、ということも分かってきた。謄写版の同人誌なども真っ当すぎる。第1号を出しただけで終わった。
中学の終わり頃、たまたま北川冬彦の著書を読み、現代詩というジャンルの存在をはじめて知った。北川自身を含む多くの詩人たちの作品が紹介されていて、その異常な美しさにたちまち魅せられた。自分でも現代詩といえるものをつくりはじめた。いや実際にはつくったのではなく真似しただけなのだが。同時にそれらの詩集の、本としての斬新さは私にとんでもない贅沢を強いた。詩を扱う専門の古書店が東京にいくつもあることを知り、高校に入ってからはとくに渋谷の宮益坂上の中村書店から目録を定期的に送ってもらい、そこから選んで注文していたのである。親から渡される授業料をこっそり書籍料にあてていたのだが、その穴をどう埋めたのか覚えていない。1952年、高校2年のときに谷川俊太郎『二十億光年の孤独』、翌年に早くも次作『62のソネット』が出版されてこれは小倉の書店で買ったと思うが、そのときには現代詩のもうひとつ新しい時代が見えてきたという印象で、北園克衛、西脇順三郎、安西冬衛、村野四郎などの詩集は1940年代に刊行されていた。それらを東京から送ってもらっていたのである。
初版詩集のコレクションも、謄写版の学級日誌も同人誌も手元に残していない。あるのは高校文芸部で正式にまとめられた詩のアンソロジー『愛宕』(固苦しい誌名は学校がある場所の名)だけである。掌におさまるほどの小さな本だがシャレている。部長の小峯昇先生のデザインだったのか。先生は教室では英語を教えておられたが作家でもあり、芥川賞候補になられたこともある。このアンソロジーには詩を寄せられている。あとは部員生徒たちの作品。
詩集『愛宕』
発行日:1953年9月20日
著者:愛宕詩人同人
発行所:小倉高等学校文芸部
81ページ
15.1×10.3cm
現代詩を書く高校生はまだ少なかった頃で、小峯先生が部員を自宅に招いて下さったり国語の長野先生も興味をもたれて話しかけられてきた。長野先生にはまちのレストランで紅茶とケーキを御馳走になったが、いかつい風貌の先生とふたりきりの座では緊張のあまり紅茶のカップをソーサーにぶつけてその顫える音がいつまでも止まず困ったことがある。こういうヒイキって今の学校でもあるんだろうか。でも『愛宕』に載っている私の作品はどんな言いわけもできないくらいひどい。好きな詩人のスタイルをただコピーしている、それだけ。ちょっと変わった生徒にたいして甘かったとしか言いようがない。
授業を受けたかったのにうちのクラスには来てもえらえなかった数学の中村先生に声をかけられたことがある。「君、詩を書くのに数学は不可欠だよ」。大学受験をバカにしていたのか、その報いで1年目は見事に落ちた。
(うえだ まこと)
●今日のお勧め作品は、植田実です。
植田実
《端島複合体》(14)
1974年撮影(2014年プリント)
ゼラチンシルバープリント
40.4×26.9cm
Ed.5 サインあり
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
●植田実のエッセイ「本との関係」は毎月29日の更新です。
●ときの忘れものは昨年〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
阿部勤設計の新しい空間についてはWEBマガジン<コラージ12月号18~24頁>に特集されています。
2018年から営業時間を19時まで延長します。
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。

第4回 学校の謄写版
中学生だったとき、謄写版をよくやっていた。原紙を切り、謄写機で1枚ずつパタンパタンと刷っていた。個人用の学級日誌をつけるために、いちにちのことを1ページに記入するフォーマットを印刷し、1ヵ月分ずつ綴じる。あとは毎日の天気や授業や課外活動などについて書けばいい。クラスごとの、担当の生徒が毎日交代で記入するいわばオフィシャルな学級日誌はちゃんとあるのに、しかもどのように許可をとったのか、その印刷作業はひとり職員室で道具やインクを使ってやっていた。
先生がたの姿が見えない、しんと静まった職員室の記憶がある。東京・下北沢のわが家が敗戦の3ヵ月前の空襲で炎上したとき、そこに私は居なかった。学童集団疎開で長野県内の温泉旅館や村の集会所を転々としていた。家やまちを呑みこむ火に出会うのは避けられたが、いきなり焼跡の何もない地面と対面した。そこは今も日々大きくなっている。だれもが、「帰る」ことを生涯的に奪われていた。私は小学5年から高校卒業まで、母の故郷である福岡県小倉市(いまの北九州市内)をあちこち仮暮らしのあいだ、置き去りにしてきた東京の焼跡をずっと見ていた。中学校の職員室は失われたまちの記憶の調停役になっていたのかもしれない。私的学級日誌はひとに伝える目的のない、逆に学校生活の完全に閉ざされた記録を目指していた気もする。
やはり小倉市内の高校に入っても謄写版は続けていた。こんどは文学同人誌で、作業場所は空いている教室である。しかも無断拝借、授業までサボってのことだ。中学時代の伸び伸びした空気、好きな授業は数学と生物(生物部に入っていた)に比べて、高校では就職と進学とのクラスに分かれることで生徒同士の交流も重苦しく、大学受験を控えての授業から生物は遠のき、数学は突然その視界がなくなった。同人誌を通して新しい友人は増えたが文学仲間はけっこう面倒だ、ということも分かってきた。謄写版の同人誌なども真っ当すぎる。第1号を出しただけで終わった。
中学の終わり頃、たまたま北川冬彦の著書を読み、現代詩というジャンルの存在をはじめて知った。北川自身を含む多くの詩人たちの作品が紹介されていて、その異常な美しさにたちまち魅せられた。自分でも現代詩といえるものをつくりはじめた。いや実際にはつくったのではなく真似しただけなのだが。同時にそれらの詩集の、本としての斬新さは私にとんでもない贅沢を強いた。詩を扱う専門の古書店が東京にいくつもあることを知り、高校に入ってからはとくに渋谷の宮益坂上の中村書店から目録を定期的に送ってもらい、そこから選んで注文していたのである。親から渡される授業料をこっそり書籍料にあてていたのだが、その穴をどう埋めたのか覚えていない。1952年、高校2年のときに谷川俊太郎『二十億光年の孤独』、翌年に早くも次作『62のソネット』が出版されてこれは小倉の書店で買ったと思うが、そのときには現代詩のもうひとつ新しい時代が見えてきたという印象で、北園克衛、西脇順三郎、安西冬衛、村野四郎などの詩集は1940年代に刊行されていた。それらを東京から送ってもらっていたのである。
初版詩集のコレクションも、謄写版の学級日誌も同人誌も手元に残していない。あるのは高校文芸部で正式にまとめられた詩のアンソロジー『愛宕』(固苦しい誌名は学校がある場所の名)だけである。掌におさまるほどの小さな本だがシャレている。部長の小峯昇先生のデザインだったのか。先生は教室では英語を教えておられたが作家でもあり、芥川賞候補になられたこともある。このアンソロジーには詩を寄せられている。あとは部員生徒たちの作品。
詩集『愛宕』発行日:1953年9月20日
著者:愛宕詩人同人
発行所:小倉高等学校文芸部
81ページ
15.1×10.3cm
現代詩を書く高校生はまだ少なかった頃で、小峯先生が部員を自宅に招いて下さったり国語の長野先生も興味をもたれて話しかけられてきた。長野先生にはまちのレストランで紅茶とケーキを御馳走になったが、いかつい風貌の先生とふたりきりの座では緊張のあまり紅茶のカップをソーサーにぶつけてその顫える音がいつまでも止まず困ったことがある。こういうヒイキって今の学校でもあるんだろうか。でも『愛宕』に載っている私の作品はどんな言いわけもできないくらいひどい。好きな詩人のスタイルをただコピーしている、それだけ。ちょっと変わった生徒にたいして甘かったとしか言いようがない。
授業を受けたかったのにうちのクラスには来てもえらえなかった数学の中村先生に声をかけられたことがある。「君、詩を書くのに数学は不可欠だよ」。大学受験をバカにしていたのか、その報いで1年目は見事に落ちた。
(うえだ まこと)
●今日のお勧め作品は、植田実です。
植田実《端島複合体》(14)
1974年撮影(2014年プリント)
ゼラチンシルバープリント
40.4×26.9cm
Ed.5 サインあり
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●植田実のエッセイ「本との関係」は毎月29日の更新です。
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阿部勤設計の新しい空間についてはWEBマガジン<コラージ12月号18~24頁>に特集されています。
2018年から営業時間を19時まで延長します。
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