石原輝雄のエッセイ「バウハウスへの応答展報告」
『それぞれのバウハウス』
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「BAUHAUS」マンション 築1988年
自宅近くに看板建築風のマンションがあって、庇に「BAUHAUS」と表記されている。京都市内に建物自体や飲食店、建築会社、デザイン系の事務所など、どれくらい、この七文字を冠した施設や組織があるのか知りようがないが、前を通る度に誰が命名したのかと気になっている。「BAUHAUS(バウハウス)」の浸透ぶりは相当数にのぼると思う。日本全国、さらに、世界にまで広げると、いったい、どれほどかと。そして、ヴァルター・グロピウスの提唱した理念が生きているのは、何処にあるか、誰の心に残されているのかと考える。
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美術館看板 岡崎円勝寺町
新聞判展覧会カタログ-1
さて、炎暑が続く京都で『バウハウスへの応答』展が始まった。本稿がブログにアップされる頃には「過ごしやすくなって」と願いながら、展覧会の様子を報告したい。若い頃にモホイ=ナジ・ラースローの『ザ・ニュー・ヴィジョン』やヴァシリー・カンデインスキーの『点・線・面 抽象芸術の基礎』などを手にしたが、関心は持ちながらも深入りには至らなかった。論理的思考に乏しいわたしの理解力に主な理由があるものの効率性や全体主義に対する素朴な反発と思うが、人口減少社会の中で見直す時期にきているのかもしれない。
10月8日(月・祝)まで京都国立近代美術館で開かれている今回の展覧会は、来年開設から100年を迎えるバウハウスの「受容と展開の歴史性だけでなく、その現在性についての視座を我々に与えてくれる」と云う。案内のチラシに使われているオレンジ色が、バウハウスに固有の色彩なのだろうかと思いつつ、四階の会場に入った。
展示室 右端ケース内に「バウハウス宣言と綱領」写真提供:京都国立近代美術館(撮影:守屋友樹)以下(提供写真)と記す。
展示室 中央にルカ・フライによるインスタレーション『教育伝達のモデル』(提供写真)
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ちょっと高等学校の文化祭かと間違う空間。習作が並び、最終型の作品はほとんど見当たらない。しかし、エフェメラ等の資料類に愛着を感じるわたしには至福の場。最初のアクリルケースを覗くとグロピウスが1919年にライオネル・ファイニンガーの木版画を表紙に使って現した大判の「バウハウス宣言と綱領」が置かれている。アクリル越しではあるが廉価(?)な薄橙色用紙の経年変化に痺れる。「社会主義の大聖堂」の絵柄もさることながら、二枚所持していないと表裏面を見せるこの展示は出来ないので、羨ましいと云うか、昔、ミュンヘンでのオークションに同種の出品がされていたことを思い出した。そんな訳で、左右に現れた色の違いに、ここに至る時間を想像するのである。──と書いた後、再訪して覗いたら右側に置かれた宣言文の方は複写だと気付いた。展覧会で両面を見せたいが為に、マン・レイ資料を複数枚入手してきたわたしとしては、ケースの中の複製品もさることながら(入れるなら表示して欲しい)、老眼の現実に自信喪失。テキストを読めばこと足れりではなくて、オリジナルのオーラ、時間の乗り物の魅力を展示で伝えるべきなのだが。
バウハウスは第一次世界大戦からの復興期に短期間存在したドイツ・ヴァイマール共和国の総合芸術学校。宣言は学生募集の過程で、高らかに「あらゆる造形活動の最終目標は建築である!」と歌う(再現色の異なる複写面なのだけど)。バウハウスの教育理念や時代状況については、幾つもの研究があるが、革命を経たヴァイマールの「民主主義的社会というコンテクスト」がドイツ精神と融合するのか、手厚い福祉政策と賠償金返済重圧下での独占による産業合理化、主にアメリカ資本による復興が世界恐慌によって頓挫する過程でのナチスの政権掌握。ドイツにおける「黄金の20年代」を映画産業ではなく、経済を主体的に發展させる建築からの視点で、デザインの分野と教育の現場から見直す事は今日的課題である。そして、芸術家と職人との垣根がはらわれ、共和国の発展に寄与する(?)。素材研究を重要視する予備課程を通しながらも、バウハウスの中心的な教育傾向は合理主義と機能主義。大量生産に結びつく工業デザインであり、資源の乏しいドイツでは、その不足を熟練工によって補おうとする考え(日本の状況と同じではないか)だと云う。
しかし、宣言に含まれる「建築家、彫刻家、画家、我々全員が、手工業に戻らねばならない! なぜなら『職業としての芸術』は存在しないからである」と指摘する部分が、芸術によって人生を変えられてしまったわたしに戸惑いを覚えさせる。個人的な経験だが、長く勤めた会社は、企業の販売促進を支援する新聞の折込チラシや梱包資材の企画・デザイン、マーケティングなどを行っていた関係で、100人以上のデザイナーやプランナーを有していた。でも、同僚の美術系大学を出た人たちと「芸術」の話をした事が無いのである。職業にすると嫌いになった様子。最初から関心がなかったかも知れない。
ケース内に置かれた綱領(こちらはオリジナル)によると100年前のドイツで造形芸術を愛する若者に課す一年間の事業料は180マルクだったそうである。
展示室 ヨーゼフ・アルバースの予備課程における素材研究、構成練習など(再制作・作者不詳など) (提供写真)
今回の展覧会構成は、(1)バウハウス、(2)日本─新建築工芸学院、(3)インド─カラ・ババナの三部門に別れ、「バウハウス宣言」を端緒に日本とインドでの教育現場を中心とした受容を紹介している。展示品の多くは、教授陣の教科書、予備過程での生徒課題作品、授業風景の写真から生徒の残した時間割やノート、日本における紹介誌、インドでの織物や家具や玩具、と云った多面的な資料に、現代作家のルカ・フライによるインスタレーション『教育伝達のモデル』とオトリス・グループの映像作品『地平に O Horizon』が加わり現代への繋がりまでを示している。
次室に入り、フライの鉄枠から下るパネルや紙のモビールの間に、太い針金で出来たオスカー・シュレンマーが指導したかのような人形を見付け、本橋仁の再制作による糸とレコード盤による習作から、マルセル・デュシャンが3D画像に使ったピラミッドを連想して微笑ましく思いながら、美しく並べられた圧巻の展示で迫る川喜田煉七郎による雑誌『建築工芸アイシーオール』(洪洋社)に釘付けにされた。表紙を示した号と頁を開いた号が混在する44冊。日本におけるバウハウス受容に果たした同誌の影響は大きく、理論面での展開が1931-36年にかけて続けられた。第2巻第2号(女性の顔に影が映る)、及び第3号(眼のクローズアップ)の表紙に使われた写真などは、新興写真との関連から特に注目。未見の雑誌に見入りながら、時代の雰囲気を感じた。どうして、当時の雑誌に魅力を感じるのだろう、戦禍を潜り残された幸福への感謝、手にとって頁をめくりたいけど、我慢しなければ。
展示室『建築工芸アイシーオール』(洪洋社)など (提供写真)
展示室 台上の立体は水谷武彦、ヨハネス・ツァベルなど (提供写真)
通路でもあるような開かれた部屋で興味を持ったのは、ヨーゼフ・アルバースの予備課程に提出された水谷武彦による『素材研究─三つの部分からなる彫刻』と、モホイ=ナジ指導の『バランスの習作』(再制作含む)二点(ヨハネス・ツァベル他)。先入観を捨てさせる予備過程には、若者の夢、可能性が凝縮されているようで、観る者の青春を振り返させてくれる希望に満ちている。
夫婦でバウハウスに留学(1930-32)した山脇道子は、父親の影響で茶道に親しんでおり、「シンプルかつ機能的であることを良しとし、材質の特性をできるだけそのまま生かそうとする姿勢」(『バウハウスと茶の湯』新潮社、1995)と云った日本の伝統との共通点をバウハウスの教育に見出し、自信を持ったと回想している。20歳の日本女性がバウハウスラー(バウハウスの生徒)となって受け継いだ「ものを見る眼」、日本に戻って生活の中で使う品々、そして、バウハウスの紹介と実践を生きた生涯。
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展示品を拝見しながら、リアリティに乏しい部分もあったので、8月12日(日)に催された梅宮弘光とヘレナ・チャプコヴァーによるレクチャー&ディスカッション「バウハウスと日本」(モデレーター: 本橋仁)を聴講させていただいた。
渡欧することなく日本にあって、バウハウスの影響を受けた川喜田煉七郎の、ハリコフでの国際コンペ入賞や国内での教育活動、能率研究を基にした店舗設計などの解説から、前述の『建築工芸アイシーオール』の背景を知り、益々雑誌に魅力を感じた。それに、水谷の習作は一枚の丸い金属板に切り込みを入れて作られているそうだ。熱意を持って楽しく話される梅宮氏から伝わる日本人の様子は、「1929年を情報が伝わるピーク」として、興味深い。バウハウスと高崎の井上房一郎との関係など、ときの忘れもの繋がりで興味はさらに広がるのだけど、川喜田らの生活構成研究所(1932年に新建築工芸学院と改称)の教育内容などが教師たちに支持され「普通教育における美術教育」となっていく過程で、わたしなどは戦線離脱してしまった。
個人の感想だけど、20歳前後に受けた文化や思想の影響で、人は一生を生きる。教育がそれを与える事は多いが、芸術家でも職人でもない人達が指導する技術ってなによ。「職業としての芸術」は存在しないと宣言された後、システムに従って自動的に出来てしまう造形、デザインの技術、職業を学ぶとは。「人」によってしか伝わらないバウハウスの理念も、時代の要請に従い伝言ゲームの過程で変質してしまう。「造形芸術を愛する若者」ではない人達を指導するってなんなの。わたしの場合も幾人かの師と仰ぐべき人と出会う幸運を持ったが、具体的な技術の指導はなかった。師の近くにいて後ろ姿を見ていただけ、写真から逃れなくなっていた若者だったから。でも、日本的な精神論では先に進みませんな。
展示室 インド─カラ・ババナ (提供写真)
インドでの受容については、1922年に開かれた『欧州絵画素描展』のカタログを手掛かりに「環境を重視した教育」に迫りたいと思うが、オトリスの映画(81分)の助けを借りつつも、展示品の訴求力は今ひとつ。9月22日(土)にときの忘れもののブログで親近感を持つ佐藤研吾の講演「シャンティニケタンから建築とデザインを考え、学び、作る」が予定されているので、感想はそれまで保留したい。
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新聞判展覧会カタログ-2
会場では『バウハウスへの応答』展の新聞判カタログ(44.5 x 30.5cm、無綴、16頁)が用意されている。受付で尋ねると無料で配布していると云う。オレンジ色を基調にして印刷段階のトンボとチャートを残した意匠の優れもの、デザインは大阪の上田英司(シルシ)。これは、コレクター・アイテムになりますな。
常設展示室 ピエト・モンドリアン(左)とヨハネス・イッテン
四階の常設展示室を進むと(会場の区切りが判りにくい)、夏にちなんで「水に映る影、水の戯れ」と題した小企画に、ピエト・モンドリアンの『コンポジション(プラスとマイナスのための習作)』(1916)と並んで、バウハウスの予備過程で色彩論を教えていたヨハネス・イッテンの油彩『幸福の島国』(1965)が掛けられていた。彼の指導は精神主義に寄りすぎて校長のグロピウスに解任されたと云うが視覚と精神は一続き、多数決は欺瞞に満ちている、造形よりも芸術の方がわたしの世界に近い。
8月の間に何度か会場に足を運んだ。その都度、メモを取られるなどの熱心な鑑賞者の方々をお見受けした。声を掛けることは出来ないので、それぞれの関心領域、問題意識は判らないが、その人達にとっては熱気に包まれた展示空間であるかと思う。これが、来春、ベルリンで催される展覧会『bauhaus imaginista』に続いて行くのだろう。どんな連帯となるのか見守りたい。
尚、本稿を纏めるにあたって、京都国立近代美術館の担当者の方々と神戸大学の梅宮弘光先生のお世話になった。記して感謝の意を現したい。「有難うございました」。
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町内の地蔵祠
冒頭のマンションから通りを西に入ると地蔵が祀られている不可思議な一角に出る。毎年、夏の終わりに催される地蔵盆では子供たちが、お菓子をもらったりゲームをしたりして楽しく遊ぶ。僧侶による読経や法話、主体を子供たちにおいての地域の伝統行事、年齢の違いを越えて共に遊んだ経験をもって育つ子供たちを思うと、教育は地域の文化。バウハウスと大上段に構える事もないのではないだろうか。
(いしはら てるお)
●「バウハウスへの応答」
会期:2018年8月4日(土)~ 10月8日(月・祝)
会場:京都国立近代美術館
休館日:毎週月曜日
(ただし、9月17日、24日、10月8日(月・祝)は開館し、9月18日、25日(火)は閉館)
●講演会「シャンティニケタンから建築とデザインを考え、学び、作る」
日時:9月22日(土) 午後5時~6時30分
講師:佐藤研吾(In-Field Studio / 歓藍社)
会場:京都国立近代美術館 1階講堂
定員:先着100名(当日午後4時より1階受付にて整理券を配布します)
参加費:無料
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●今日のお勧め作品は三上誠です。

三上誠「作品」
1967年 ミクストメディア
イメージサイズ:121.0×30.5cm
フレームサイズ:140.0×49.8×(厚さ)6.2cm
*『三上誠画集』(1974年、三彩社刊)所収No.90
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
●ときの忘れものは昨年〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
阿部勤設計の新しい空間についてはWEBマガジン<コラージ12月号18~24頁>に特集されています。
2018年から営業時間を19時まで延長します。
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。

『それぞれのバウハウス』
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「BAUHAUS」マンション 築1988年自宅近くに看板建築風のマンションがあって、庇に「BAUHAUS」と表記されている。京都市内に建物自体や飲食店、建築会社、デザイン系の事務所など、どれくらい、この七文字を冠した施設や組織があるのか知りようがないが、前を通る度に誰が命名したのかと気になっている。「BAUHAUS(バウハウス)」の浸透ぶりは相当数にのぼると思う。日本全国、さらに、世界にまで広げると、いったい、どれほどかと。そして、ヴァルター・グロピウスの提唱した理念が生きているのは、何処にあるか、誰の心に残されているのかと考える。
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美術館看板 岡崎円勝寺町
新聞判展覧会カタログ-1さて、炎暑が続く京都で『バウハウスへの応答』展が始まった。本稿がブログにアップされる頃には「過ごしやすくなって」と願いながら、展覧会の様子を報告したい。若い頃にモホイ=ナジ・ラースローの『ザ・ニュー・ヴィジョン』やヴァシリー・カンデインスキーの『点・線・面 抽象芸術の基礎』などを手にしたが、関心は持ちながらも深入りには至らなかった。論理的思考に乏しいわたしの理解力に主な理由があるものの効率性や全体主義に対する素朴な反発と思うが、人口減少社会の中で見直す時期にきているのかもしれない。
10月8日(月・祝)まで京都国立近代美術館で開かれている今回の展覧会は、来年開設から100年を迎えるバウハウスの「受容と展開の歴史性だけでなく、その現在性についての視座を我々に与えてくれる」と云う。案内のチラシに使われているオレンジ色が、バウハウスに固有の色彩なのだろうかと思いつつ、四階の会場に入った。
展示室 右端ケース内に「バウハウス宣言と綱領」写真提供:京都国立近代美術館(撮影:守屋友樹)以下(提供写真)と記す。
展示室 中央にルカ・フライによるインスタレーション『教育伝達のモデル』(提供写真)---
ちょっと高等学校の文化祭かと間違う空間。習作が並び、最終型の作品はほとんど見当たらない。しかし、エフェメラ等の資料類に愛着を感じるわたしには至福の場。最初のアクリルケースを覗くとグロピウスが1919年にライオネル・ファイニンガーの木版画を表紙に使って現した大判の「バウハウス宣言と綱領」が置かれている。アクリル越しではあるが廉価(?)な薄橙色用紙の経年変化に痺れる。「社会主義の大聖堂」の絵柄もさることながら、二枚所持していないと表裏面を見せるこの展示は出来ないので、羨ましいと云うか、昔、ミュンヘンでのオークションに同種の出品がされていたことを思い出した。そんな訳で、左右に現れた色の違いに、ここに至る時間を想像するのである。──と書いた後、再訪して覗いたら右側に置かれた宣言文の方は複写だと気付いた。展覧会で両面を見せたいが為に、マン・レイ資料を複数枚入手してきたわたしとしては、ケースの中の複製品もさることながら(入れるなら表示して欲しい)、老眼の現実に自信喪失。テキストを読めばこと足れりではなくて、オリジナルのオーラ、時間の乗り物の魅力を展示で伝えるべきなのだが。
バウハウスは第一次世界大戦からの復興期に短期間存在したドイツ・ヴァイマール共和国の総合芸術学校。宣言は学生募集の過程で、高らかに「あらゆる造形活動の最終目標は建築である!」と歌う(再現色の異なる複写面なのだけど)。バウハウスの教育理念や時代状況については、幾つもの研究があるが、革命を経たヴァイマールの「民主主義的社会というコンテクスト」がドイツ精神と融合するのか、手厚い福祉政策と賠償金返済重圧下での独占による産業合理化、主にアメリカ資本による復興が世界恐慌によって頓挫する過程でのナチスの政権掌握。ドイツにおける「黄金の20年代」を映画産業ではなく、経済を主体的に發展させる建築からの視点で、デザインの分野と教育の現場から見直す事は今日的課題である。そして、芸術家と職人との垣根がはらわれ、共和国の発展に寄与する(?)。素材研究を重要視する予備課程を通しながらも、バウハウスの中心的な教育傾向は合理主義と機能主義。大量生産に結びつく工業デザインであり、資源の乏しいドイツでは、その不足を熟練工によって補おうとする考え(日本の状況と同じではないか)だと云う。
しかし、宣言に含まれる「建築家、彫刻家、画家、我々全員が、手工業に戻らねばならない! なぜなら『職業としての芸術』は存在しないからである」と指摘する部分が、芸術によって人生を変えられてしまったわたしに戸惑いを覚えさせる。個人的な経験だが、長く勤めた会社は、企業の販売促進を支援する新聞の折込チラシや梱包資材の企画・デザイン、マーケティングなどを行っていた関係で、100人以上のデザイナーやプランナーを有していた。でも、同僚の美術系大学を出た人たちと「芸術」の話をした事が無いのである。職業にすると嫌いになった様子。最初から関心がなかったかも知れない。
ケース内に置かれた綱領(こちらはオリジナル)によると100年前のドイツで造形芸術を愛する若者に課す一年間の事業料は180マルクだったそうである。
展示室 ヨーゼフ・アルバースの予備課程における素材研究、構成練習など(再制作・作者不詳など) (提供写真)今回の展覧会構成は、(1)バウハウス、(2)日本─新建築工芸学院、(3)インド─カラ・ババナの三部門に別れ、「バウハウス宣言」を端緒に日本とインドでの教育現場を中心とした受容を紹介している。展示品の多くは、教授陣の教科書、予備過程での生徒課題作品、授業風景の写真から生徒の残した時間割やノート、日本における紹介誌、インドでの織物や家具や玩具、と云った多面的な資料に、現代作家のルカ・フライによるインスタレーション『教育伝達のモデル』とオトリス・グループの映像作品『地平に O Horizon』が加わり現代への繋がりまでを示している。
次室に入り、フライの鉄枠から下るパネルや紙のモビールの間に、太い針金で出来たオスカー・シュレンマーが指導したかのような人形を見付け、本橋仁の再制作による糸とレコード盤による習作から、マルセル・デュシャンが3D画像に使ったピラミッドを連想して微笑ましく思いながら、美しく並べられた圧巻の展示で迫る川喜田煉七郎による雑誌『建築工芸アイシーオール』(洪洋社)に釘付けにされた。表紙を示した号と頁を開いた号が混在する44冊。日本におけるバウハウス受容に果たした同誌の影響は大きく、理論面での展開が1931-36年にかけて続けられた。第2巻第2号(女性の顔に影が映る)、及び第3号(眼のクローズアップ)の表紙に使われた写真などは、新興写真との関連から特に注目。未見の雑誌に見入りながら、時代の雰囲気を感じた。どうして、当時の雑誌に魅力を感じるのだろう、戦禍を潜り残された幸福への感謝、手にとって頁をめくりたいけど、我慢しなければ。
展示室『建築工芸アイシーオール』(洪洋社)など (提供写真)
展示室 台上の立体は水谷武彦、ヨハネス・ツァベルなど (提供写真)通路でもあるような開かれた部屋で興味を持ったのは、ヨーゼフ・アルバースの予備課程に提出された水谷武彦による『素材研究─三つの部分からなる彫刻』と、モホイ=ナジ指導の『バランスの習作』(再制作含む)二点(ヨハネス・ツァベル他)。先入観を捨てさせる予備過程には、若者の夢、可能性が凝縮されているようで、観る者の青春を振り返させてくれる希望に満ちている。
夫婦でバウハウスに留学(1930-32)した山脇道子は、父親の影響で茶道に親しんでおり、「シンプルかつ機能的であることを良しとし、材質の特性をできるだけそのまま生かそうとする姿勢」(『バウハウスと茶の湯』新潮社、1995)と云った日本の伝統との共通点をバウハウスの教育に見出し、自信を持ったと回想している。20歳の日本女性がバウハウスラー(バウハウスの生徒)となって受け継いだ「ものを見る眼」、日本に戻って生活の中で使う品々、そして、バウハウスの紹介と実践を生きた生涯。
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展示品を拝見しながら、リアリティに乏しい部分もあったので、8月12日(日)に催された梅宮弘光とヘレナ・チャプコヴァーによるレクチャー&ディスカッション「バウハウスと日本」(モデレーター: 本橋仁)を聴講させていただいた。
渡欧することなく日本にあって、バウハウスの影響を受けた川喜田煉七郎の、ハリコフでの国際コンペ入賞や国内での教育活動、能率研究を基にした店舗設計などの解説から、前述の『建築工芸アイシーオール』の背景を知り、益々雑誌に魅力を感じた。それに、水谷の習作は一枚の丸い金属板に切り込みを入れて作られているそうだ。熱意を持って楽しく話される梅宮氏から伝わる日本人の様子は、「1929年を情報が伝わるピーク」として、興味深い。バウハウスと高崎の井上房一郎との関係など、ときの忘れもの繋がりで興味はさらに広がるのだけど、川喜田らの生活構成研究所(1932年に新建築工芸学院と改称)の教育内容などが教師たちに支持され「普通教育における美術教育」となっていく過程で、わたしなどは戦線離脱してしまった。
個人の感想だけど、20歳前後に受けた文化や思想の影響で、人は一生を生きる。教育がそれを与える事は多いが、芸術家でも職人でもない人達が指導する技術ってなによ。「職業としての芸術」は存在しないと宣言された後、システムに従って自動的に出来てしまう造形、デザインの技術、職業を学ぶとは。「人」によってしか伝わらないバウハウスの理念も、時代の要請に従い伝言ゲームの過程で変質してしまう。「造形芸術を愛する若者」ではない人達を指導するってなんなの。わたしの場合も幾人かの師と仰ぐべき人と出会う幸運を持ったが、具体的な技術の指導はなかった。師の近くにいて後ろ姿を見ていただけ、写真から逃れなくなっていた若者だったから。でも、日本的な精神論では先に進みませんな。
展示室 インド─カラ・ババナ (提供写真)インドでの受容については、1922年に開かれた『欧州絵画素描展』のカタログを手掛かりに「環境を重視した教育」に迫りたいと思うが、オトリスの映画(81分)の助けを借りつつも、展示品の訴求力は今ひとつ。9月22日(土)にときの忘れもののブログで親近感を持つ佐藤研吾の講演「シャンティニケタンから建築とデザインを考え、学び、作る」が予定されているので、感想はそれまで保留したい。
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新聞判展覧会カタログ-2会場では『バウハウスへの応答』展の新聞判カタログ(44.5 x 30.5cm、無綴、16頁)が用意されている。受付で尋ねると無料で配布していると云う。オレンジ色を基調にして印刷段階のトンボとチャートを残した意匠の優れもの、デザインは大阪の上田英司(シルシ)。これは、コレクター・アイテムになりますな。
常設展示室 ピエト・モンドリアン(左)とヨハネス・イッテン四階の常設展示室を進むと(会場の区切りが判りにくい)、夏にちなんで「水に映る影、水の戯れ」と題した小企画に、ピエト・モンドリアンの『コンポジション(プラスとマイナスのための習作)』(1916)と並んで、バウハウスの予備過程で色彩論を教えていたヨハネス・イッテンの油彩『幸福の島国』(1965)が掛けられていた。彼の指導は精神主義に寄りすぎて校長のグロピウスに解任されたと云うが視覚と精神は一続き、多数決は欺瞞に満ちている、造形よりも芸術の方がわたしの世界に近い。
8月の間に何度か会場に足を運んだ。その都度、メモを取られるなどの熱心な鑑賞者の方々をお見受けした。声を掛けることは出来ないので、それぞれの関心領域、問題意識は判らないが、その人達にとっては熱気に包まれた展示空間であるかと思う。これが、来春、ベルリンで催される展覧会『bauhaus imaginista』に続いて行くのだろう。どんな連帯となるのか見守りたい。
尚、本稿を纏めるにあたって、京都国立近代美術館の担当者の方々と神戸大学の梅宮弘光先生のお世話になった。記して感謝の意を現したい。「有難うございました」。
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町内の地蔵祠冒頭のマンションから通りを西に入ると地蔵が祀られている不可思議な一角に出る。毎年、夏の終わりに催される地蔵盆では子供たちが、お菓子をもらったりゲームをしたりして楽しく遊ぶ。僧侶による読経や法話、主体を子供たちにおいての地域の伝統行事、年齢の違いを越えて共に遊んだ経験をもって育つ子供たちを思うと、教育は地域の文化。バウハウスと大上段に構える事もないのではないだろうか。
(いしはら てるお)
●「バウハウスへの応答」
会期:2018年8月4日(土)~ 10月8日(月・祝)
会場:京都国立近代美術館
休館日:毎週月曜日
(ただし、9月17日、24日、10月8日(月・祝)は開館し、9月18日、25日(火)は閉館)
●講演会「シャンティニケタンから建築とデザインを考え、学び、作る」
日時:9月22日(土) 午後5時~6時30分
講師:佐藤研吾(In-Field Studio / 歓藍社)
会場:京都国立近代美術館 1階講堂
定員:先着100名(当日午後4時より1階受付にて整理券を配布します)
参加費:無料
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●今日のお勧め作品は三上誠です。

三上誠「作品」
1967年 ミクストメディア
イメージサイズ:121.0×30.5cm
フレームサイズ:140.0×49.8×(厚さ)6.2cm
*『三上誠画集』(1974年、三彩社刊)所収No.90
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
●ときの忘れものは昨年〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
阿部勤設計の新しい空間についてはWEBマガジン<コラージ12月号18~24頁>に特集されています。
2018年から営業時間を19時まで延長します。
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。

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