私から山口薫先生へ
ー高崎市美術館「没後50年 山口薫先生からきみたちへ」ー
住田常生(高崎市美術館学芸員)
「没後50年 山口薫先生からきみたちへ」を単なる記念回顧展ではなく、現在へ、未来へとつなぐバトンをイメージして企画し、タイトルにもその願いを込めた。そして展覧会タイトルにあわせて、章解説も山口薫が一人称で語る体裁としたが、実は以前から担当展の「かんたんガイド」という小冊子で作家一人称の語りを試みており、今回初めて会場パネルでも試みた次第だ。作品と残された言葉をトレースするだけでは、作家の考えに触れることはできても、想いに触れることはできないというのが昨今の持論で、気の置けぬ同業の先輩後輩に話すと、気持ちはわかるが……という微妙な反応。一方、元美術教師でコレクターM氏からは「客観的に分析するだけでは腑分けになってしまう。結局作家、作品に肉薄するためには、詩のようなものにならざるをえないのでは?」という意見をいただいた。詩的想像=詩想ということ。詩想とは山口薫を語るに最もふさわしい言葉にも思えるから、この機会をお借りして、改めて「私から山口薫先生へ」肉薄してみたいと思う。山口の達成として、まず西欧の油彩表現としては邪道かもしれないが、心にかなう画材として、また心を託すに足る表現方法として油絵具と向き合い、自分だけの表現を得た技法面と、心象を描くために、シュルレアリスムや抽象表現など西欧のスタイルを模倣するのではなく、生活や心情、記憶からこそ描き得たイメージ面の二つが挙げられる。世代的な課題でもあった技法面とイメージ面のオリジナリティが、今日の「玄人好みの」山口像と、よりポピュラーな山口人気という二つの顔を端的に物語るし、それぞれの転機をたどれば、それなりに画家山口薫像を浮かび上がらせることはできる。しかし心の営みとして山口の想いをたどるには、妄想と断じられても仕方ない想像こそ必要で、また多くの人の妄想を誘うほどに、山口という「詩的想像」は魅力的ということでもある。
20代でタッチへの気づきがあったと思う。忠実に再現することや、憧れの誰かの絵に近づくことではなく、むしろ筆触のレベルまで降りて自分なりに心を込めること。それから物とまわりの空気が触れあう面として、線を想像すること。絵の中では図と地であり、そのアウトラインに他ならないが、線に前後の距離感を想像して、その前後をかぎりなく行き来することが絵画空間への入り口であり、その線を境に、図と地が入れ子のように奥から手前へと逍遥しはじめる。ものを見ることから、もののまわりを見ることへ。30代で心の世界へ、つまりは詩想へと大きく舵を切り、同時に生活のみを主題とする決心をする。この頃絵に雲のような白いかたちが現われる。20代前後の静物などをみると、すでに何かわからないものが描かれている。おそらく布を丸めて何気なく添えたというほどのことだろうが、見る人から「これは何?」と問われ、何であるかわからなくても存在感を持って絵の中に在ることが、かえって心の世界への扉を開いたのでは?それがより意識的な「白い雲」となって現われ、さらなる心の深奥へと、山口の背を押したのだと。ジャン・アルプの名をしきりに記すのがこの頃と、山口研究の第一人者黒田亮子氏よりお聞きし、アルプの形態と白い雲がすんなりと結びついた。《紐》《水》などの代表作でも、タイトルが示す「紐」でありながら紐でないもの、水を描きながらまわりの土を描くものなど、何でもないものや、ものでありながらそのものでないものが描かれる。抽象といえば抽象だし、具象といえば具象だが名づけようもなく、また名づける必要もないもの。山口の心そのもの。《水》には生涯こだわる菱形が現われるが、郷里箕輪村(現・高崎市箕郷町)の高台から見下ろす田んぼのかたちともいわれる。よすがとして東京上北沢のアトリエには、竹林やかしぐね(風除けの樫の垣根)をこしらえ、また「山口農園」と称して菱形で足つきの小さな箱庭をしつらえて、大の大人が田植えごっこ遊びをしたとも。何気なく惹かれるかたちや色が、思えばみな郷里につながっていて、15歳の絵日記タイトルそのままに「出発点ヨリ帰着点へ」心は帰ってゆく。造形的な意図や気づきから、記憶を手繰り寄せて「時」につながること。心の中をのぞくことは、時のながれをみつめること。そのような心のうつろいをこそ、山口は詩と呼び象徴とも呼んだ。最晩年、心は《若い月の踊り》のように「私には来世といわず過去、/つまり先人の住んでいるあの世といってもよい」ところへ向かう。過去こそ自分の未来であり、いつしか自分もその過去から、見知らぬ未来を見守るのだろうと……。そのような人の生き様に触れるたび、いつでも「ありがとう」というメッセージを、私は作品や言葉から確かに受けとる。世界への、時のながれへの感謝と、かぎりない癒しを。
アトリエ再現とメッセージコーナー「私たちから山口薫先生へ」

山口薫+母校箕輪小学校6年生+温井大介コラボ展示「時をこえて-私たちの箕郷」
右より《地の星「娘と花」》1937-47年、《紐》1939年、《水》1941年(いずれも群馬県立近代美術館蔵)
1950年代の代表作群。左より《花子誕生》1951年(群馬県立近代美術館蔵)、《牛の頭》1954年(高崎市美術館蔵)、奥の壁《歳月の記録》1956年(群馬県立近代美術館蔵)
最晩年の画境。右より《翼の影》1964年(個人蔵)、《しのぶ鎧》1967年、《金環色(蝕)の若駒》1968年、《若い月の踊り》1968年(以上3点群馬県立近代美術館蔵)
(すみたつねお)
■住田常生(すみた つねお)
高崎市美術館主任学芸員。1968年生まれ。2000年より高崎市美術館に勤務し、「清宮質文のまなざし」(2004)、「犬塚勉展 永遠の光、一瞬の風。」(2015)、「生誕100年木村忠太展 光に抱かれ、光を抱いて。」(2017)、「生誕100年 清宮質文 あの夕日の彼方へ」(2017)などの展覧会に携わる。
「没後50年 山口薫先生からきみたちへ」


没後50年 山口薫先生からきみたちへ
期間:9月23日(日・祝)~12月2日(日)
会場:高崎市美術館
出品リスト ※画像をクリックすると拡大します。


「まるで、独り言を手がいう様に」描く高崎市出身の山口薫は、「詩らしきものが先に生まれ/絵があとにつづくときもある」と語る詩人であり、また高校や大学の教師でもありました。県内コレクションを中心に没後50年を記念する本展では、地元の仲間や学校の教え子たち、影響を受けた画家などの作品も交えつつ、画家、詩人であり、良き教師でもあった山口薫の面影を偲びます。また未来の教え子である市内の児童とともに、改めて「山口薫先生」の絵から学ぶ機会を設けます。
~~~
●今日のお勧め作品は、山口薫です。
山口薫 Kaoru YAMAGUCHI
「昼の月と馬」
リトグラフ
37.5x53.5cm
Ed.100 Signed
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
●ときの忘れものは昨年〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
阿部勤設計の新しい空間についてはWEBマガジン<コラージ12月号18~24頁>に特集されています。
2018年から営業時間を19時まで延長します。
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。

ー高崎市美術館「没後50年 山口薫先生からきみたちへ」ー
住田常生(高崎市美術館学芸員)
「没後50年 山口薫先生からきみたちへ」を単なる記念回顧展ではなく、現在へ、未来へとつなぐバトンをイメージして企画し、タイトルにもその願いを込めた。そして展覧会タイトルにあわせて、章解説も山口薫が一人称で語る体裁としたが、実は以前から担当展の「かんたんガイド」という小冊子で作家一人称の語りを試みており、今回初めて会場パネルでも試みた次第だ。作品と残された言葉をトレースするだけでは、作家の考えに触れることはできても、想いに触れることはできないというのが昨今の持論で、気の置けぬ同業の先輩後輩に話すと、気持ちはわかるが……という微妙な反応。一方、元美術教師でコレクターM氏からは「客観的に分析するだけでは腑分けになってしまう。結局作家、作品に肉薄するためには、詩のようなものにならざるをえないのでは?」という意見をいただいた。詩的想像=詩想ということ。詩想とは山口薫を語るに最もふさわしい言葉にも思えるから、この機会をお借りして、改めて「私から山口薫先生へ」肉薄してみたいと思う。山口の達成として、まず西欧の油彩表現としては邪道かもしれないが、心にかなう画材として、また心を託すに足る表現方法として油絵具と向き合い、自分だけの表現を得た技法面と、心象を描くために、シュルレアリスムや抽象表現など西欧のスタイルを模倣するのではなく、生活や心情、記憶からこそ描き得たイメージ面の二つが挙げられる。世代的な課題でもあった技法面とイメージ面のオリジナリティが、今日の「玄人好みの」山口像と、よりポピュラーな山口人気という二つの顔を端的に物語るし、それぞれの転機をたどれば、それなりに画家山口薫像を浮かび上がらせることはできる。しかし心の営みとして山口の想いをたどるには、妄想と断じられても仕方ない想像こそ必要で、また多くの人の妄想を誘うほどに、山口という「詩的想像」は魅力的ということでもある。
20代でタッチへの気づきがあったと思う。忠実に再現することや、憧れの誰かの絵に近づくことではなく、むしろ筆触のレベルまで降りて自分なりに心を込めること。それから物とまわりの空気が触れあう面として、線を想像すること。絵の中では図と地であり、そのアウトラインに他ならないが、線に前後の距離感を想像して、その前後をかぎりなく行き来することが絵画空間への入り口であり、その線を境に、図と地が入れ子のように奥から手前へと逍遥しはじめる。ものを見ることから、もののまわりを見ることへ。30代で心の世界へ、つまりは詩想へと大きく舵を切り、同時に生活のみを主題とする決心をする。この頃絵に雲のような白いかたちが現われる。20代前後の静物などをみると、すでに何かわからないものが描かれている。おそらく布を丸めて何気なく添えたというほどのことだろうが、見る人から「これは何?」と問われ、何であるかわからなくても存在感を持って絵の中に在ることが、かえって心の世界への扉を開いたのでは?それがより意識的な「白い雲」となって現われ、さらなる心の深奥へと、山口の背を押したのだと。ジャン・アルプの名をしきりに記すのがこの頃と、山口研究の第一人者黒田亮子氏よりお聞きし、アルプの形態と白い雲がすんなりと結びついた。《紐》《水》などの代表作でも、タイトルが示す「紐」でありながら紐でないもの、水を描きながらまわりの土を描くものなど、何でもないものや、ものでありながらそのものでないものが描かれる。抽象といえば抽象だし、具象といえば具象だが名づけようもなく、また名づける必要もないもの。山口の心そのもの。《水》には生涯こだわる菱形が現われるが、郷里箕輪村(現・高崎市箕郷町)の高台から見下ろす田んぼのかたちともいわれる。よすがとして東京上北沢のアトリエには、竹林やかしぐね(風除けの樫の垣根)をこしらえ、また「山口農園」と称して菱形で足つきの小さな箱庭をしつらえて、大の大人が田植えごっこ遊びをしたとも。何気なく惹かれるかたちや色が、思えばみな郷里につながっていて、15歳の絵日記タイトルそのままに「出発点ヨリ帰着点へ」心は帰ってゆく。造形的な意図や気づきから、記憶を手繰り寄せて「時」につながること。心の中をのぞくことは、時のながれをみつめること。そのような心のうつろいをこそ、山口は詩と呼び象徴とも呼んだ。最晩年、心は《若い月の踊り》のように「私には来世といわず過去、/つまり先人の住んでいるあの世といってもよい」ところへ向かう。過去こそ自分の未来であり、いつしか自分もその過去から、見知らぬ未来を見守るのだろうと……。そのような人の生き様に触れるたび、いつでも「ありがとう」というメッセージを、私は作品や言葉から確かに受けとる。世界への、時のながれへの感謝と、かぎりない癒しを。
アトリエ再現とメッセージコーナー「私たちから山口薫先生へ」
山口薫+母校箕輪小学校6年生+温井大介コラボ展示「時をこえて-私たちの箕郷」
右より《地の星「娘と花」》1937-47年、《紐》1939年、《水》1941年(いずれも群馬県立近代美術館蔵)
1950年代の代表作群。左より《花子誕生》1951年(群馬県立近代美術館蔵)、《牛の頭》1954年(高崎市美術館蔵)、奥の壁《歳月の記録》1956年(群馬県立近代美術館蔵)
最晩年の画境。右より《翼の影》1964年(個人蔵)、《しのぶ鎧》1967年、《金環色(蝕)の若駒》1968年、《若い月の踊り》1968年(以上3点群馬県立近代美術館蔵)(すみたつねお)
■住田常生(すみた つねお)
高崎市美術館主任学芸員。1968年生まれ。2000年より高崎市美術館に勤務し、「清宮質文のまなざし」(2004)、「犬塚勉展 永遠の光、一瞬の風。」(2015)、「生誕100年木村忠太展 光に抱かれ、光を抱いて。」(2017)、「生誕100年 清宮質文 あの夕日の彼方へ」(2017)などの展覧会に携わる。
「没後50年 山口薫先生からきみたちへ」


没後50年 山口薫先生からきみたちへ
期間:9月23日(日・祝)~12月2日(日)
会場:高崎市美術館
出品リスト ※画像をクリックすると拡大します。


「まるで、独り言を手がいう様に」描く高崎市出身の山口薫は、「詩らしきものが先に生まれ/絵があとにつづくときもある」と語る詩人であり、また高校や大学の教師でもありました。県内コレクションを中心に没後50年を記念する本展では、地元の仲間や学校の教え子たち、影響を受けた画家などの作品も交えつつ、画家、詩人であり、良き教師でもあった山口薫の面影を偲びます。また未来の教え子である市内の児童とともに、改めて「山口薫先生」の絵から学ぶ機会を設けます。
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●今日のお勧め作品は、山口薫です。
山口薫 Kaoru YAMAGUCHI「昼の月と馬」
リトグラフ
37.5x53.5cm
Ed.100 Signed
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※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
●ときの忘れものは昨年〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
阿部勤設計の新しい空間についてはWEBマガジン<コラージ12月号18~24頁>に特集されています。
2018年から営業時間を19時まで延長します。
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。

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