「駒井哲郎—煌めく紙上の宇宙」展について
片多祐子
横浜美術館では現在、「駒井哲郎―煌めく紙上の宇宙」展(2018年12月16日まで)を開催している。本展は、初期から晩年までの駒井作品の展開を縦糸に、関係作家との交流や影響関係を横糸として6章構成にて、日本の現代銅版画のパイオニアである駒井の多面的な姿を捉え直そうとする趣旨のもとに企画した展覧会である。
開幕初日の去る10月13日には、駒井に師事した銅版画家の中林忠良氏による講演会「師・駒井哲郎の人と作品―銅版とpas de deux(パ・ド・ドゥ)」を開催した。講演会の中で中林氏は、草創期の東京藝術大学の版画研究室で撮影された、駒井を捉えた貴重な動画を流された。そこに映し出された駒井は銅版画制作の一連の工程をデモンストレーションとして見せており、長い指が印象的なその手の動きからは、制作の何気ない仕草の中に繊細でストイックな精神や、銅版画に対する浪漫や強いこだわりが感じられた。中林氏は、駒井が56歳の若さであまりにも早い最期を迎えられたことは、腐蝕の過程で発生する有害なガスにより健康が蝕まれたことが大きな理由であったことにも触れられた。現在では中林氏らの調査と啓発の功績もあり銅版画制作における健康被害は知られ、予防策もとられるようになったが、駒井の時代の日本では、誰もそのことについて詳しくなかった。駒井は、通常よりも強力な酸化力の腐蝕液を用いて他者の追随を許さない高い腐蝕技術を誇ったと言われる。その技術により生み出された多彩な作品群は、作家自身の命と引き換えに実現したのであり、そこには駒井の魂が刻み込まれているといえよう。師弟愛あふれる講演会は、日本における銅版画の未来に寄せた、駒井の切なる想いを伝えるものであった。
駒井の次世代である中林氏は例外だが、本展は、駒井と同世代で交流した芸術家たちや、駒井が私淑した先輩格にあたる画家や版画家たちとの関係に光を当てている。そうした駒井の人間関係を紐解くことで、駒井が近く、またその姿が立体的に感じられたとの感想が聞かれ、企画者としては胸をなでおろす。本展の中では、初期から晩年までの代表作を含む駒井の作品群はもちろんのこと、書簡や愛用の品々の展示もまた、作家の息遣いが感じられる要素である。特に書簡に見られる、小さく、それでいて神経質そうにお行儀よく並ぶ文字は、ダンディで礼儀正しかったという、「普段の」駒井の姿を彷彿とさせるようでもある(泥酔すると人柄が豹変するという逸話については、本展図録のフランス文学者・粟津則雄氏と中林氏の寄稿文をお読みいただきたい)。
駒井は、西洋へ追いつこうと必死になった日本近代の歴史そのものを引き受けながら、格闘し続けた作家ではなかったかと思う。迷い、苦しみ悶えながらも、銅版画という磁場(フィールド)で闘い続けた姿には、西洋の文化である「美術」に向き合う孤独感や劣等感が漂っており、同じ日本人として大いなる共感を覚える。そうした失意を経て、独自の表現を結実させた駒井の人としての魅力こそが、同時代の多くの文学者や詩人たちを惹き付けたのであろう。それが、本展で紹介する駒井の詩画集や装幀といった文学者たちとの共作が数多く生み出され、また駒井にまつわる優れた評伝や作家論が綴られてきた所以であろう。
今日では版画は、写真や映像表現に、現代美術や複製メディアとしての最先端の座を譲って久しい。そして日本には、駒井が夢みたようなヨーロッパの美しい詩画集を愛でる文化が根付くどころか、われわれは今、電子書籍が普及しつつある時代に生きている。そのような現代において、命をかけて腐蝕をし続けた、駒井の思いを私たちはきちんと受け取れているだろうか。講演会から数日経った今日も、私の心には中林氏が涙ながらに語られた、銅版画にかけた駒井の魂の叫びが反芻し続ける。しかしこのような時代であるからこそ、ぜひ多くの方々に本展の会場で、日本が大切にしてきた紙の文化の奥深さとともに、強靭な意志により銅版画の分野で新たな表現を切り拓いた、駒井の魂の痕跡を、ご自身の目で確かめていただきたい。
(かただ・ゆうこ)
展示風景(第1章)
展示風景(第2章)
展示風景(第5章)
展示風景(第6章)
展示風景(愛用の品々)
展示風景(愛用の品々)
■片多祐子(かただ・ゆうこ)
神奈川県生まれ。2008年より、横浜美術館学芸員として勤務。専門は日仏近代絵画と版画。これまで担当した主な展覧会に「ドガ展」(2010)、「はじまりは国芳―江戸スピリットのゆくえ」(2011)展など。
●「駒井哲郎―煌めく紙上の宇宙」
会期:2018年10月13日(土)~12月16日(日)
会場:横浜美術館


横浜美術館「駒井哲郎―煌めく紙上の宇宙」展図録表紙、会期:2018年10月13日~12月16日
*画廊亭主敬白
昨年は埼玉県立近代美術館(武田コレクション)で、そして今年は横浜美術館で大規模な駒井哲郎の展覧会が開催され、駒井追っかけファンとしてこんなにうれしいことはありません。
企画を担当された片多祐子先生にご寄稿いただきました。
10月12日に開催されたレセプションにはご子息の駒井亜里さんはじめ、中林忠良先生、柳澤紀子先生、渡辺達正先生などのお弟子さんたちも出席し、大規模な駒井展の開幕を祝いました。
2018年10月12日
「駒井哲郎―煌めく紙上の宇宙」レセプションにて
左より、中林忠良先生、綿貫不二夫
(撮影:土渕信彦)
<本展では、初期から晩年までの駒井作品の展開を縦糸に、芸術家たちとの交流や影響関係を横糸とすることで、多面的な駒井の姿を捉えなおし、その作品の新たな魅力に迫ります。色彩家としての知られざる一面も、福原義春氏コレクション(世田谷美術館蔵)を核とした色鮮やかなカラーモノタイプ(1点摺りの版画)によってご紹介します。駒井の版画作品や詩画集など約210点とともに、関連作家作品約80点を展示し、さまざまなジャンルとの有機的な繋がりにより紡ぎ出された、豊穣な世界をご紹介します。(同館の広報資料より)>

2018年10月12日
「駒井哲郎―煌めく紙上の宇宙」開会式にて
酒井忠康世田谷美術館館長は、<福原さんの代理という気持ちになって>祝辞を述べられました。
昨日11月3日は文化の日、作曲家の一柳慧先生らが文化勲章を受章、皇居で文化勲章の親授式がありました。さらに明日5日には文化功労者の顕彰式が行われます。
特筆すべきは、今回史上初めて福原義春さんが「企業による社会貢献、とりわけ芸術文化支援(メセナ)の重要性に着目し、メセナ活動を牽引した」功績により、文化功労者に選出されたことです。
経営者として資生堂を率いる一方、企業メセナ協議会の創設に尽力、東京都写真美術館館長として写真芸術の振興にも大きな足跡を残されています。
今回の横浜美術館の駒井作品の中心をなすのが福原義春さんが長年かけて蒐集した駒井作品です。
まだ20代のサラリーマン時代に「版画友の会」の会員となり駒井哲郎作品を集め始め、半世紀にわたるその成果が世田谷美術館の「福原コレクション」となりました。
心より今回の栄誉をお祝い申し上げます。

2008年5月16日
青山「ときの忘れもの/細江英公写真展―ガウディへの讃歌」にて
左)福原義春さん
●今日のお勧め作品は駒井哲郎です。
駒井哲郎「岩礁にて」
1970年 銅版(カラー)
23.0×35.0cm
Ed.500 Signed
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※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
●ときの忘れものは昨年〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
阿部勤設計の新しい空間についてはWEBマガジン<コラージ12月号18~24頁>に特集されています。
2018年から営業時間を19時まで延長します。
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊です。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。

片多祐子
横浜美術館では現在、「駒井哲郎―煌めく紙上の宇宙」展(2018年12月16日まで)を開催している。本展は、初期から晩年までの駒井作品の展開を縦糸に、関係作家との交流や影響関係を横糸として6章構成にて、日本の現代銅版画のパイオニアである駒井の多面的な姿を捉え直そうとする趣旨のもとに企画した展覧会である。
開幕初日の去る10月13日には、駒井に師事した銅版画家の中林忠良氏による講演会「師・駒井哲郎の人と作品―銅版とpas de deux(パ・ド・ドゥ)」を開催した。講演会の中で中林氏は、草創期の東京藝術大学の版画研究室で撮影された、駒井を捉えた貴重な動画を流された。そこに映し出された駒井は銅版画制作の一連の工程をデモンストレーションとして見せており、長い指が印象的なその手の動きからは、制作の何気ない仕草の中に繊細でストイックな精神や、銅版画に対する浪漫や強いこだわりが感じられた。中林氏は、駒井が56歳の若さであまりにも早い最期を迎えられたことは、腐蝕の過程で発生する有害なガスにより健康が蝕まれたことが大きな理由であったことにも触れられた。現在では中林氏らの調査と啓発の功績もあり銅版画制作における健康被害は知られ、予防策もとられるようになったが、駒井の時代の日本では、誰もそのことについて詳しくなかった。駒井は、通常よりも強力な酸化力の腐蝕液を用いて他者の追随を許さない高い腐蝕技術を誇ったと言われる。その技術により生み出された多彩な作品群は、作家自身の命と引き換えに実現したのであり、そこには駒井の魂が刻み込まれているといえよう。師弟愛あふれる講演会は、日本における銅版画の未来に寄せた、駒井の切なる想いを伝えるものであった。
駒井の次世代である中林氏は例外だが、本展は、駒井と同世代で交流した芸術家たちや、駒井が私淑した先輩格にあたる画家や版画家たちとの関係に光を当てている。そうした駒井の人間関係を紐解くことで、駒井が近く、またその姿が立体的に感じられたとの感想が聞かれ、企画者としては胸をなでおろす。本展の中では、初期から晩年までの代表作を含む駒井の作品群はもちろんのこと、書簡や愛用の品々の展示もまた、作家の息遣いが感じられる要素である。特に書簡に見られる、小さく、それでいて神経質そうにお行儀よく並ぶ文字は、ダンディで礼儀正しかったという、「普段の」駒井の姿を彷彿とさせるようでもある(泥酔すると人柄が豹変するという逸話については、本展図録のフランス文学者・粟津則雄氏と中林氏の寄稿文をお読みいただきたい)。
駒井は、西洋へ追いつこうと必死になった日本近代の歴史そのものを引き受けながら、格闘し続けた作家ではなかったかと思う。迷い、苦しみ悶えながらも、銅版画という磁場(フィールド)で闘い続けた姿には、西洋の文化である「美術」に向き合う孤独感や劣等感が漂っており、同じ日本人として大いなる共感を覚える。そうした失意を経て、独自の表現を結実させた駒井の人としての魅力こそが、同時代の多くの文学者や詩人たちを惹き付けたのであろう。それが、本展で紹介する駒井の詩画集や装幀といった文学者たちとの共作が数多く生み出され、また駒井にまつわる優れた評伝や作家論が綴られてきた所以であろう。
今日では版画は、写真や映像表現に、現代美術や複製メディアとしての最先端の座を譲って久しい。そして日本には、駒井が夢みたようなヨーロッパの美しい詩画集を愛でる文化が根付くどころか、われわれは今、電子書籍が普及しつつある時代に生きている。そのような現代において、命をかけて腐蝕をし続けた、駒井の思いを私たちはきちんと受け取れているだろうか。講演会から数日経った今日も、私の心には中林氏が涙ながらに語られた、銅版画にかけた駒井の魂の叫びが反芻し続ける。しかしこのような時代であるからこそ、ぜひ多くの方々に本展の会場で、日本が大切にしてきた紙の文化の奥深さとともに、強靭な意志により銅版画の分野で新たな表現を切り拓いた、駒井の魂の痕跡を、ご自身の目で確かめていただきたい。
(かただ・ゆうこ)
展示風景(第1章)
展示風景(第2章)
展示風景(第5章)
展示風景(第6章)
展示風景(愛用の品々)
展示風景(愛用の品々)■片多祐子(かただ・ゆうこ)
神奈川県生まれ。2008年より、横浜美術館学芸員として勤務。専門は日仏近代絵画と版画。これまで担当した主な展覧会に「ドガ展」(2010)、「はじまりは国芳―江戸スピリットのゆくえ」(2011)展など。
●「駒井哲郎―煌めく紙上の宇宙」
会期:2018年10月13日(土)~12月16日(日)
会場:横浜美術館


横浜美術館「駒井哲郎―煌めく紙上の宇宙」展図録表紙、会期:2018年10月13日~12月16日*画廊亭主敬白
昨年は埼玉県立近代美術館(武田コレクション)で、そして今年は横浜美術館で大規模な駒井哲郎の展覧会が開催され、駒井追っかけファンとしてこんなにうれしいことはありません。
企画を担当された片多祐子先生にご寄稿いただきました。
10月12日に開催されたレセプションにはご子息の駒井亜里さんはじめ、中林忠良先生、柳澤紀子先生、渡辺達正先生などのお弟子さんたちも出席し、大規模な駒井展の開幕を祝いました。
2018年10月12日「駒井哲郎―煌めく紙上の宇宙」レセプションにて
左より、中林忠良先生、綿貫不二夫
(撮影:土渕信彦)
<本展では、初期から晩年までの駒井作品の展開を縦糸に、芸術家たちとの交流や影響関係を横糸とすることで、多面的な駒井の姿を捉えなおし、その作品の新たな魅力に迫ります。色彩家としての知られざる一面も、福原義春氏コレクション(世田谷美術館蔵)を核とした色鮮やかなカラーモノタイプ(1点摺りの版画)によってご紹介します。駒井の版画作品や詩画集など約210点とともに、関連作家作品約80点を展示し、さまざまなジャンルとの有機的な繋がりにより紡ぎ出された、豊穣な世界をご紹介します。(同館の広報資料より)>

2018年10月12日
「駒井哲郎―煌めく紙上の宇宙」開会式にて
酒井忠康世田谷美術館館長は、<福原さんの代理という気持ちになって>祝辞を述べられました。
昨日11月3日は文化の日、作曲家の一柳慧先生らが文化勲章を受章、皇居で文化勲章の親授式がありました。さらに明日5日には文化功労者の顕彰式が行われます。
特筆すべきは、今回史上初めて福原義春さんが「企業による社会貢献、とりわけ芸術文化支援(メセナ)の重要性に着目し、メセナ活動を牽引した」功績により、文化功労者に選出されたことです。
経営者として資生堂を率いる一方、企業メセナ協議会の創設に尽力、東京都写真美術館館長として写真芸術の振興にも大きな足跡を残されています。
今回の横浜美術館の駒井作品の中心をなすのが福原義春さんが長年かけて蒐集した駒井作品です。
まだ20代のサラリーマン時代に「版画友の会」の会員となり駒井哲郎作品を集め始め、半世紀にわたるその成果が世田谷美術館の「福原コレクション」となりました。
心より今回の栄誉をお祝い申し上げます。

2008年5月16日
青山「ときの忘れもの/細江英公写真展―ガウディへの讃歌」にて
左)福原義春さん
●今日のお勧め作品は駒井哲郎です。
駒井哲郎「岩礁にて」1970年 銅版(カラー)
23.0×35.0cm
Ed.500 Signed
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