柳正彦のエッセイ「アートと本、アートの本、アートな本、の話し」第6回

パート~3
クリスト・アンド・ジャンヌ=クロードと本


 60年代末から80年代末までは、クリストとジャンヌ=クロードの本といえば、ニューヨークのエブラムス社が定番でした。その頃、現代美術に関する書籍といえばエブラムス社の出版物というのが常識でしたから、至極当然なことだったと思います。
 1970年の作品集に始まったクリスト・アンド・ジャンヌ=クロードとエブラムスとの関係は1990年に出版された「包まれたポン・ヌフ」の記録集で終わりました。それに代わって、プロジェクトの記録集の出版元となったのは、ドイツの新進出版社、タッシェンでした。
 コミック本のコレクターとして知られた青年、ベネディクト・タッシェンが1980年に創業したタッシェン社は、徐々に現代美術や建築関係の出版にも力をいれるようになり、90年代中頃までには、世界的に知られる存在になっていました。
 ちょうど同時期、クリストとジャンヌ=クロードは、1991年に茨城とカリフォルニアを結んで実現した「アンブレラ」の記録集に取りかかれない状況にありました。一つの理由は、「アンブレラ」が実現した直後から、ベルリンにある旧ドイツ帝国議会議事堂を包む「包まれたライヒスターク」の実現の可能性が高まり、多くの時間をベルリンでの交渉活動に費やすようになったからでした。さらに、1992年にスタートした、「オーバー・ザ・リバー」の実行地を探す大仕事もありました。それらに加えて、もう一つ大きな理由がありました。クリストとジャンヌ=クロードが望むような大冊の出版に、エブラムスが難色を示したからです。
 そこに登場したのがタッシェンでした。タッシェンで何冊かの本を出版し、また、ヨーロッパで幾つかのクリスト展を企画した美術史家のバルデ・シュバを通して、タッシェンからプロジェクト記録集の出版の申し出がきたのでした。タッシェンの希望は、もちろん、ベルリンを舞台にする「包まれたライヒスターク」の記録集の出版でした。それに対して、クリストとジャンヌ=クロードは、「アンブレラ」の記録集の出版を条件にしましたが、出版社側はそれをOKとしました。
 こうして、90年代前半にスタートした、タッシェンとの関係は、クリストとジャンヌ=クロードの出版活動に、さらなる一面を加えることになりました。
 プロジェクトが実現している、まさにその期間内に、小判の記録集を出版することです。このアイデアがアーティスト側、出版社側のどちらから出たかは残念ながら訊くチャンスがありませんでしたが、双方、そしてクリストファンにとっては、嬉しい企画でしょう。
 タッシェンによる最初の小判記録集は、「包まれたライヒスターク」のものでした。22×18㎝のものですが、表紙が異なる2つのバリエーションがあります。一つは、プロジェクトに使われた布地をほぼ原寸大で印刷したもの、もう一つは実現したプロジェクトの写真が使われています。前者には、プロジェクトのスタートから、現地での工事作業が始まる頃までの記録写真やクリストが描いたドローイングが掲載されています。それに加えて、後者には1995年6月24日に完成した「包まれたライヒスターク」を様々なアングルでとらえた写真が十数ページに亘って掲載されています。
 後者が発行されたのは、プロジェクトが実現してから約一週間後、つまり2週間だけの限定展示であった「包まれたライヒスターク」が、まだ存在する時に販売が開始されたわけです。この僅かな時間で、増補部分を編集するために、クリストとジャンヌ=クロード、専属写真家のフォルツ、そしてタッシェンの編集者は、かなり綿密な準備をしていかことは想像に難くないでしょう。
 2つのバージョンの小版記録集は、その後も、2005年にニューヨークで実現した「ゲーツ」、そして一昨年にイタリアで実現した「フローティング・ピアーズ」の際にも刊行されました。どちらの場合も、タッシェン社の編集スタッフ数名が、現地に小さなオフィスを構え、プロジェクト実現と同時に編集活動が開始できる準備を整えていました。
 クリストとジャンヌ=クロードの作品以外にも、野外プロジェクトの記録集は数多く出版されていますが、たとえ増補という形であってもこれほどの短時間での出版は、余り例のないものでしょう。
ちなみに、「包まれたライヒスターク」も、「ゲーツ」も、そして「フローティング・ピアーズ」も、プロジェクトの実現から一年ほどの内に、大判の記録集も出版されています。
 クリストの最新作は、今年の6月にロンドンで完成した、大規模な屋外インスタレーション作品、「ロンドンのマスタバ」でした。この作品に関しての記録集は、特に出版されませんでしたが、同時期にサーペンタイン・ギャラリーで開催されたクリストとジャンヌ=クロードのドラム缶を使った仕事に的を絞った展覧会のカタログには、「ロンドンのマスタバ」の写真が多数掲載されています。先に紹介した小版の記録集のように完成から一週間とまではいきませんでしたが、3週間後には本が完成するように、やはりタッシェンの編集者、デザイナーがロンドンに入り、クリスト、専属写真家のフォルツと共に編集を行っていました。

 クリストとジャンヌ=クロードの本の仕事の紹介、今回で終わりにします。長々とおつきあいくださり、ありがとうございました。

 来月は、日本で出版された現代美術に関する出版物の中で、国際的に見てももっとも稀覯と思える展覧会カタログを紹介したいと思います。
やなぎ まさひこ

柳正彦 Masahiko YANAGI
東京都出身。大学卒業後、1981年よりニューヨーク在住。ニュー・スクール・フォー・ソシアル・リサーチ大学院修士課程終了。在学中より、美術・デザイン関係誌への執筆、展覧会企画、コーディネートを行う。1980年代中頃から、クリストとジャンヌ=クロードのスタッフとして「アンブレラ」「包まれたライヒスターク」「ゲート」「オーバー・ザ・リバー」「マスタバ」の準備、実現に深くかかわっている。また二人の日本での展覧会、講演会のコーディネート、メディア対応の窓口も勤めている。
2016年秋、水戸芸術館で開催された「クリストとジャンヌ=クロード アンブレラ 日本=アメリカ合衆国 1984-91」も柳さんがスタッフとして尽力されました。

●柳正彦のエッセイ「アートと本、アートの本、アートな本、の話し」は毎月20日の更新です。

一日だけの須賀敦子展
須賀敦子の旅路
会期:2018年11月22日(木)11時~19時
会場:ときの忘れもの(入場無料)
主催:BOOKS青いカバ
出品作品:大竹昭子の写真作品「須賀敦子の旅路」より10数点、
須賀敦子の全集など書籍30種類を販売します。
19時30分よりの大竹昭子さんと植田実さんによるトーク「須賀敦子の文学を読み直す」は満席です(受付終了)


●ときの忘れものは昨年〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
阿部勤設計の新しい空間についてはWEBマガジン<コラージ12月号18~24頁>に特集されています。
2018年から営業時間を19時まで延長します。
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
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