「プロフェッショナルの世界を見た」~1

笹沼俊樹


いつものように、ニューヨークのホイットニー美術館で、「何か良い作品はないか……」と、一般展示をジックリと見ていた時、妙にひかれた作品と出会った。ジョエル・シャピロ〔JOEL Shapiro:1941~〕が1978年に制作した“真っ赤”な変形六角形の立体の小品〔縦11.4×横14.6×厚さ8.3〕㎝(資料1)だった。

改資料1  (資料1)JOEL SHAPIRO
  UNTITLED, 1978
  CASEIN ON WOOD
  11.4×14.6×8.3㎝


帰りに、ポーラ・クーパー画廊〔当時のシャピロの契約画廊〕に寄り同時代の類似作品を見たが、気に入ったものはなかった。
翌週の土曜日、シャピロのスタジオ訪問。幸い彼はスタジオにいた。
「ホイットニーで、赤い1978年の立体の小品見ましたよ。あれ、いい作品ですね。その足でポーラ・クーパーに行き、同時代のもの4点見ましたよ。好みのものではなかったのです。あの種の作品、所有なさってませんか……?」
すぐ反応した。「探してみるよ。1~2点、コレクションとして持っているかも……」
1987年11月28日、彼に電話してみると、作品の所在をつきとめておいてくれた。急ぎ、彼のスタジオに向う。地階の倉庫で見せられたものは、プレインな形をした鮮やかなブル-〔シャピロ・ブルー〕の変形五角形の立体作品〔1979年制作:17.6×12.7×4.7㎝〕(資料2)。

資料2  (資料2)JOEL SHAPIRO
  UNTITLE
  1979年
  OIL ON WOOD
  17.6×12.7×4.7㎝


見た途端、思わず出た言葉。「これはいい。好みの作品ですよ」
これを聞いたシャピロは、これと全く同形の真っ黒な作品を黙ってさし出した。「ズシリ」と重い。ブルーの木製の作品を原型にして、部材をかえ、鉄で抜いたものだ。
シャピロは納得のいった出来の良い作品はコピーをつくる事がよくある。「これだな」と即座に思った。2つの作品を交互に、凝視していると、シャピロがつぶやいた。「この時代注1の作品で、copyをつくった作品はこれだけ」と一言。少し間をおき、「2つの作品を見比べてみなさい」とつぶやく。
「形状、色彩、素材、それぞれの特性が絶妙なバランスを形成した時、この手の作品は生気を宿すのだ」ということに気づかされた。実物で教示したのだろう。確かに、この形状の作品は“黒”では、その魅力は出ない。又、“鉄”では、軽快なシャープ感が出ない。
アメリカ有数の名門、プリンストン大学で2年間教壇に立っただけあって、教示の仕方がうまい。
「それを譲りましょう。大切にしてください」何を思ったか……、「今、ポーラにある在庫の4点のどの作品より、質ははるかに上ですよ」とつけ加えた。

▪  ▪

コレクションに加える作品については、自分の注視度が異常に高まる。あつかましくも、この場で、シャピロに2つの要求をぶつけた。
作品の側面の木を貼り合わせた部分に多少の歪みが発生し、塗装部分に小さなクラック〔20㎜程のヒビ〕が出ている。又、塗装の一部に汚れた箇所があった。
「このクラック、補修していただけませんか……?、そして、汚れている部分が気になりますので、リペイントしていただけないでしょうか?」
この無理な要求のあとに、シャピロに発生した反応で、この作家の体質や作品制作の姿勢など、通常では見られない深い部分を垣間見ることになる。彼の虚をつくようなこの要求は意外な面に展開していった。
この要求に表情も変えず、彼は作品を手にとり、何を考えてか……、ヒズミの部分及び、その周辺を繁々と見つめ、「これを直せば、作品にダメージが出てしまう。しない方がよい」又、「リペイントはしない」とキッパリと断ってきた。
間違ったことを言っているのではないので、しばしの間、自分は無言のまま作品を凝視していると、シャピロは何を思ったか……、突飛なことを口にした。
「新たに、制作しなおすか……?」と独り言のようにつぶやいた。一呼吸おいて、妙なことをつけ加えた。
「それには、1978年でなく、1987年と年号を書き入れる」
これを聞いた時、「フッ」と思った。日本では、何十年も前の初期の作品と類似したイメージを今描き、平然と作品に初期の年号を入れる作家もいる。
シャピロは、厳密に自分の作品を管理していて、いいかげんな面が全くない人だと思った。この作品について、制作した8年前と、現在の感性の変化を十分に彼は自覚していたようだ。再制作すると、表層的には、同じ作品のように見えるが、本質的には、同じものではないと判断していたに違いない。
一方、口にした“再制作”について、なぜか……?、「やる」という言葉は出てこなかった。曖昧のまま立ち消えになった。
このあと、神経質な私の心を読んだのか……、「リペイントはしよう。時間はかかるよ」と短い一言が出た。“リペイント”はオリジナル性を損なう面が少ないと思ったのか……。
1987年12月5日、シャピロのスタジオに立ち寄った。
1階の作業机の上に、今回購入した‘79年の立体作品が置かれていた。それは青でなく、真白に塗られていた。眼に入って来た瞬間、「どうしたのか?」と思い、しばしの間凝視していると、彼が歩み寄って来て、
「今、塗り換えている最中。青の塗装をすべて剥離させ、下地にサンダーを掛け、その後白色の油彩を塗り、完全に乾燥させ、次に黄色の油彩を塗り、乾燥させた後、最後に青の油彩を塗るんだよ。だから、時間がかかるんだ」と丁寧に説明をした。「繊細な性格の人だ」と思った。
自分が考えていた“汚れた部分”だけの部分再塗装ではなく、作品全体を塗りなおしていたのだ。これにはビックリ。中途半端な男ではない。
そして、さらに、この作業を通して、シャピロ独得の色彩〔シャピロ・ブルー〕の特色ある“発色”を創出するため、見えない部分に工夫を重ねていることも分った。

▪  ▪

1988年3月25日。電話もせず、目的があるわけでもなく、フラリとシャピロのスタジオに立ち寄った。彼は外出していて留守だった。
1階の立体制作場で助手の加藤氏が作業をしていた。スタッフで唯一の日本人である。主に作品の木工を担当していた。
「久しぶりですね。エネルギッシュにやってますね」
「ええ、結構忙しくやってます。でも、ずいぶんお目にかかっておりませんでしたね。お元気で何よりです」
「彼に、何か新しい面出てますか……?」
「そろそろ、変化しそうですよ。注意しておかれたら良いですよ」
「具体的に、どんなこと?」
「現在の作品より、はるかに抽象化した立体をボチボチ試み始めていますよ。部材として、新しく、針金なども使い出しましたよ。今のものより、難解かも……」
良い情報を聞いたと思った。これからのシャピロの新しい動きが楽しみであると同時に、今迄のスタイルの作品〔世評やマスコミの評価は極めて高い〕が少なくなり、重要性がさらに増してくると思った。
今後、“これらの作品の価格動向”は十分、注目材料になってくる。
シャピロとの対話から得られる情報は“玄関口”で取れる情報だが、加藤氏から聞くものは、“台所”からの情報で、より深い、的を射る興味ある情報なのだ。画商からの情報とも異なり、極めて重要なものだ。
同国人との雑談は時の流れるのが速い。そろそろスタジオを出ようと思い始めた時、彼が意外なことを口走りだした。
「以前に買われたブルーの立体作品、シャピロに言われ、作品を採寸し、同質の木材で、リメイクをやったんですよ」
これには驚いた。聞いた時、一瞬、息を呑んだ。かなり前に、彼がなにげなくつぶやいた事で、立ち消えになったと思っていたことが、実行されていたのだ。彼の作品に対する執着のすごさを感じた。
「完成したリメイクの作品を渡すと、彼はオリジナルの作品〔リペイントしたもの〕とこれを壁面に掛け、一週間程、一人で、何回も比較して見てましたよ。そして、その後、シャピロは私に、『リメイクの作品は綺麗すぎる。オリジナル作品の“良さ”、そして “味”が消えてしまっている。やはり、彼には、リペイントしたオリジナル作品を与えることにするよ』と言ってましたよ」
私の驚いている表情を見てか、少し間をおいて、
「シャピロから、リメイクの作品を見せてもらいましたか?」
「いや、見せてくれませんでした。再制作した事さえ、全く、知らされてませんよ」
続けて、「あのリペイントは加藤さんがやってくれたの……?」
「いや、リペイントは助手にやらせず、時間をかけて彼自身でやってましたよ」
これも驚き!これほどに高名な作家〔世界の現代美術史の中で、1970年代の作家を代表する一人〕が、人の眼の届かないところで、妥協なく自分の作品に責任をもって出来うる限りのことをしている。
何人もの助手がいるのに……。おそらく、前述の“歪み部分”への何らかの対応もしたのだろう。
「これぞ、プロフェッショナル」と思った。と同時に、シャピロは信頼のできる人であることを、シッカリと、確認をした。“台所からの情報”には、切れ味を感じた。
シャピロとの1回、1回の出来事の中での体験は、後のコレクション行為に多大な影響を与え、又、商社マンとして、ビジネスに於ての思考にも影響を与えていった。趣味での体験も馬鹿にできないものがある。
なお、この作品は、2010年8月14日~10月17日、2010年12月25日~2011年2月13日、2017年11月4日~2018年3月18日、これらの3回、東京国立近代美術館で展示された。


注1 この種の立体作品は2パターンがある。ひとつは、直線で構成された多面体を組み合わせて制作された立体作品。これは1978~1979年の2年間に限って制作された。記述した2例はこのパターンに属する。もう一種は、曲線をとり入れた同様な立体作品。これの大部分は1980年に制作された。
合計3年間しか制作されていないので、この種の作品は極めて少ない。
コレクターや美術館から特に好まれるのは前者のパターン。現在市場には皆無の状況。
このタイプに関してポール・アンカが非常に良い作品(1978年制作)をコレクションしている。

ささぬま としき

*画廊亭主敬白
美術界の一角に旋風を巻き起こし、毀誉褒貶さまざまな反応を呼んだ笹沼俊樹さんの連載が中断したのは2016年1月8日「現代美術コレクターの独り言 第21回」でした。「又、会う日まで」と書かれていたので、まあ一年もしたら再開してくださるだろうと思っていたのですが、待てど暮らせど原稿は来ない、さすがに3年の空白はファンとしては辛い。そこで亭主は考えた。珍しく沈思黙考、熟慮の末に考え出したのは(陰謀ですな)、笹沼さんが書かざるを得ない状況に追い込む以外にない! ということでした。第1回からお読みの方は笹沼さんの好みはよくお分かりでしょう。竹橋の東京国立近代美術館にはレアな笹沼コレクションが寄託されています。という次第で駒込で「ジョエル・シャピロ展」を開くことになりました。笹沼さん、渾身のエッセイを今日と明日の二回にわけて掲載します。ぜひご愛読ください。

●今日のお勧め作品はジョエル・シャピロです。
ジョエル・シャピロ 8ジョエル・シャピロ
"Untitled (Green)"
1980
リトグラフ/Lithograph on Arches Cover printed in green from an aluminum plate
Image size: 28.3×48.5cm
Sheet size: 55.8×75.5cm
Ed.30  Signed
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください

◆ときの忘れものは本日より第308回企画◆ジョエル・シャピロ展 を開催します。
会期:2019年2月8日[金]―2月23日[土] 11:00-19:00 ※日・月・祝日休廊
※誠に勝手ながら2月19日(火)の営業時間は17時までとさせていただきます。
2月3日ブログに出品作品の概要を掲載しました。
シャピロ展DM画像大
1941年生まれのジョエル・シャピロはアメリカを代表する彫刻家。
単純な長方形で構成された巨大な彫刻が特徴で、国内では博多駅前の西日本シティ銀行(磯崎新設計)や川村記念美術館などに設置収蔵されています。
彫刻と異なる繊細なドローイングとともに特徴の異なる版画(シルクスクリーン、リトグラフ、リノカット、アクアチント、ポショアールなど)も制作しています。
日本ではかつてギャルリームカイで紹介の展覧会がありましたが、近年は展観の機会があまりありません。本展では、1979-80年にかけて制作した初期リトグラフや、1988年にマホガニー、桜、クルミなどの多種の木を組合せて制作した木版画をご覧いただきます。


●1月23日に亡くなったメカスさんを偲ぶジョナス・メカス上映会(DVD)は今日と明日の二日間で終了です。
ブログの追悼記事をお読みください。
2月6日 井戸沼紀美「メカスさんに会った時のこと」
2月4日 植田実『メカスの映画日記 ニュー・アメリカン・シネマの起源1959―1971』
2月2日 初めてのカタログ
1月28日 木下哲夫さんとメカスさん
1月25日 追悼 ジョナス・メカス上映会2月5日[火]―2月9日[土]
2005年10月メカス
会期:2019年2月5日[火]―2月9日[土]
代表作「リトアニアへの旅の追憶」は毎日上映するほか、「ショート・フィルム・ワークス」、「営倉」、「ロスト・ロスト・ロスト」、「ウォルデン」の4本を日替わりで上映します。
上映時間他、詳しくはホームページをご覧ください。
明日2月9日夜のトーク「メカスさんを語る」(ゲスト:飯村昭子さん、木下哲夫さん)は既に満席となり受付を終了しました。

●上映会の会期中、メカスさんの著書を特別頒布します。
『ジョナス・メカス―ノート、対話、映画』表紙ジョナス・メカス ノート、対話、映画
著者:ジョナス・メカス
訳:木下哲夫、編:森國次郎
A5判 336ページ
せりか書房
価格:4,700円
1949年、肌寒いニューヨーク港に難民として降り立ったジョナス・メカス。入手したボレックスでニューヨークを、友人たちを、自らを撮り続けてきたメカスが語る、リトアニアへの想い、日記映画とニューヨークのアヴァンギャルド、フィルム・アーカイヴスの誕生…「ここに集められた文章は、どれも思い出であり、わたしの人生の一部である」。
主要作品のメカス自身による解説とコメンタリーを収録。

メカスどこにもないところからの手紙どこにもないところからの手紙
著者:ジョナス・メカス
訳:村田郁夫
19.5×12.8cm 199ページ
書肆山田
価格:2,500円


◆ときの忘れものは3月27日~31日に開催されるアートバーゼル香港2019に「瑛九展」で初出展します。
・瑛九の資料・カタログ等については1月11日ブログ「瑛九を知るために」をご参照ください。
・現在、各地の美術館で瑛九作品が展示されています。
埼玉県立近代美術館:「特別展示:瑛九の部屋」で120号の大作「田園」を公開、他に40点以上の油彩、フォトデッサン、版画他を展示(4月14日まで)。
横浜美術館:「コレクション展『リズム、反響、ノイズ』」で「フォート・デッサン作品集 眠りの理由」(1936年)より6点を展示(3月24日まで)。
宮崎県立美術館<瑛九 -宮崎にて>で120号の大作「田園 B」などを展示(4月7日まで)。

●ときの忘れものは〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。阿部勤設計の新しい空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 E-mail:info@tokinowasuremono.com 
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
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