石原輝雄のエッセイ「マルセル、きみは寂しそうだ。」─8

コレクターへの鎮魂歌

MD8-1 49頁

 昨夏前後は賑やかだったと思うが、年が変わりデュシャン没後50年の一年が日本で静かに進んでいる。一般的に仏事は前倒しと聞くが、西洋の場合はどうなのだろう。世俗では他者たちの思惑が渦巻くから、わたしは距離を置く立場なのだけど、50年となるとお祝い事だったのだろうな。
 年末に『マン・レイの油彩が巡る旅』を上梓した時、古くからの熱心な銀紙書房刊本の読者で友人の田口一哉氏から興味深い本の存在を教えてもらった。出版されたばかりのドナルド・シャンブルーム(1950- )著『デュシャンの最後の日』(デビット・ゼイナー・ブック)で、デュシャン宅での食事会の翌日(?)にマン・レイが撮った、亡くなったデュシャンの写真に言及されていると云う。そんな写真の存在を知らなかったので、早速、アマゾンを通して注文した。

MD8-2 Duchamp’s Last Day by Donald Shambroom. 17.7×10.7cm PP.64 ISBN 978-1-941701-87-4

 年末の郵便事情が気になるものの早く読みたいと12月12日にクリック。ロンドンの業者ブックデボジトリーの発送は14日で到着予定は24日だった。ところが荷物は行方不明。先方待機指示の1月4日を過ぎても拙宅には現れなかった。海外からの郵便トラブルは、スペインで昔、1回あったきりなので、間違いは無いと気楽に構えていたけど、今回の本は内容が特別なので嫌な胸騒ぎ。人の死の真相に関心を示すのは「呪われる」と不安な日を幾日も過ごした。結局、業者に再送を依頼し1月17日に受け取った。小さな封筒に小さな本が入っている、写真もまたしかり。49頁の説明には「マン・レイ、死の床のマルセル・デュシャン、1968、13×18cm、ゲッティ研究所、ロサンジェルス蔵」とある。シャンブルームによるとティニー夫人がマン・レイに依頼し撮影された写真は2011年末に研究所に所蔵されたと云う。この日までこの写真はどうしていたのだろう、ネガの状態で残されていたのだろうか、不明点が幾つも指摘されているのに加え、「芸術か否か、記録であるのか否か」など、デュシャンとマン・レイとの共謀であるかの部分も含め、美術家で作家で学芸員でもある著者の詳細な調査と分析が64頁に渡る本の中で深められている。
 わたしは、同書が空の上にある時、荒川修作がオーラルヒストリーで言及した「デュシャン自死説」(日本美術オーラル・ヒストリー・アーカイヴ 2009年4月4日)への糸口が見つからないかと期待していたのだが、これは進められなかった。進めてはいけない事柄、礼を逸する行為。最初の本を行方不明としたのは、この為なのだろう。本では胸膜炎の病例としてジャフリー・バーマン医師の所見が紹介されている。

---

MD8-3 南海荘

MD8-4

---

MD8-5 大塚国際美術館B3環境展示「聖ニコラス・オルファンス聖堂」

MD8-6 同B2「フェルメールギャラリー」

MD8-7 同B1クリムト「接吻」


 以上の事柄をうちに秘めつつ、年明けに若い友人たちと淡路島へ旅行した。誘われるままなので何も知らなかったのだが、丸山・うずしお温泉の南海荘で温泉と美食を堪能。ここは、とろりとなめらかな泉質でお肌に良さそう(関係ないか)、イタリアンも申し分なく、お酒もほどほどに楽しい世間話を深夜まで。そして、翌日、大塚国際美術館へ渡った。原寸大で複製された総点数1,000点以上、標準鑑賞4時間と云う規模は別として、陶板名画を期待していなかったのだが、絵柄や絵肌を超えて作品の大きさから、西洋美術史を比較検討する鑑賞には、面白い部分があった。聖堂の空間からフェルメールの『デルフトの眺望』、さらに、昨年、実見したクリムトの『接吻』まで、何千年もの時を気楽に歩く。そうした中にマルセル・デュシャンの『階段を降りる裸体No.2』と『花嫁』が含まれていた。サイズの関係から陶板に継ぎ目がなく素直に楽しめた。昨秋、東京で再会したオリジナルの記憶をダブらせながら鑑賞していると、これは「死の床のマルセル・デュシャン」ではないかと思った。デスマスクのような物質感を有しながら、二次元に置き換えた永遠と言える写真陶板。オリジナルの油彩と異なり色彩が劣化しないとガイドブックには謳われている。シャンブルームの本を読んだ直後なのでこのように感じるのか、このタイミングでわたしの前に現れるべきだと、デュシャンの友人マン・レイが取り計らってくれたのか。ほとんど不意にデュシャンを観たので臨終に立ち会った気分、ティニーからの電話を受け取ったマン・レイ(の友人)と言えるかもしれない。

MD8-8 同2F本館 デュシャン「階段を降りる裸体No.2」「花嫁」他

MD8-9 鳴門の渦潮


 この後、うずしお観潮船に乗った。激しい潮流を観ながら人の死を思う。月と太陽に起因する潮汐が発生に関係すると云うが、例の男性用小便器に渦巻く水の勢いの、表面だけしか見れない状況に、── 謎の本質はここにあるのだろうと、やはり、連想は深まる。落ちたら助からない、なのに惹かれる、デュシャンの魅力の「蟻地獄」は、幼い友人を抱いているわたしには、危険このうえない。

 さて、ランチを頂きに島内北東部のウェスティンホテル淡路へ移動。建築に関心を持つ友人に聞くまで安藤忠雄の海の教会が、この場所にあると知らなかった。食後、コンクリート打放しの空間で天井面から降り注ぐ十字架の光を体験する。季節と時間による光の表情を理解していないためもあろうが、強いばかりの表現と感じられた。ロマネスクやゴシックの時の澱から照射される神の光とは異なる21世紀の出来合いの意匠が、ただ、映されている。しかし、これこそ、今朝から続くデュシャンの臨終を支配するデスマスクの光に繋がるものだと感じられ、出処を知りたくなって夢舞台に上がった。しかし、仕掛けを知って落胆の気分が強い。地に眠るその人と光で結ばれる若いカップルは遠く隔たり、戻って教会の足元に目をやると、チープなブルーの上にチープな十字架が描かれている。生者の理屈が回りだし十字架の姿は消えてしまった。若い友人もこの場を離れていく。

MD8-10 ウェスティンホテル淡路「海の教会」

MD8-11 

MD8-12 

MD8-13
 
 ホテルロビーの花をモチーフにした赤い椅子に座り、ローズ・セラヴィにカメラを向ける。ゆらゆらと所在なげな造花のセラヴイ、感情を入れようとするのが場違いなのだろうな。年老いた者の一年はどのように進んでいるのだろう。クリスマスや正月を楽しみに指折り数えて布団に入った子供時代は遠く、興味を持った展覧会の開催日を思い違いするほど、わたしの日々は危うい。マン・レイへの大事な記憶だけが、わたしを生に「繋ぎ留める」の感を強くする。京都へは高速道路を使っておよそ3時間、コレクションの元へ還る幸せを感じるのだった。

MD8-14 椅子のプロダクトデザインは梅田正徳

---

 用意周到に作品の行末を管理し、他人の視線を自己に集めさせて、世を去った友人。その後の8年間を喪失感に包まれながら生き、墓碑銘に「呑気にしているけれど、無関心ではいられない」と刻まれたマン・レイ。リタイアしたコレクターの心境としては、「さりながら死ぬのはいつも他人である」より、マン・レイの方が、ピタリとくる。淡路島旅行から数週間が経ち、相変わらずのネット依存症をつづけながら、ハーシュホーン美術館に20年に渡って集めた重要なデュシャンを含むコレクションを死後に寄付するレヴィン夫妻の記事を知った。自宅展示をとらえた写真画像を見ると、『帽子掛け』『櫛』『秘めたる音に』『ローズ・セラヴィよ、なぜくしゃみをしない?』『L.H.O.O.Q.』『エナメルを塗られたアポリネール』『プロフィルの横顔』などの他、マン・レイの版画を含めた紙の作品が所狭しと飾られている。時価総額に換算するとどれほどとなるか恐ろしいが、「デュシャン作品35点、肖像と資料の写真15点、加えて書籍、カタログ、エフェメラの類が150点」。二人のコレクションは「金銭的価値ではなく、芸術家への熱愛と直感によって集められた」と評され、年内にお披露目の展示が行われると云う。

 没後50年を記念した精神の移動が、個人宅と美術館を結ぶ。「作品の再制作によって、永遠の生を手に入れるマン・レイの戦術」。「死後の再制作と昨今の高精細デジタル復元」。オリジナル的なものを求め続けたコレクターの時代が、そろそろ終わる。我が身も含めて「作家への敬愛」を形にする方法は、生きている者それぞれが、新たに見つけるべき事柄であるだろう。海の向こうではなく、ここ日本の年金生活者の選択肢は極めて少ない。
(いしはら・てるお)

石原輝雄「マルセル、きみは寂しそうだ。」
第1回(2017年6月9日)『「271」って何んなのよ』

第2回(2017年7月18日)『鏡の前のリチャード』

第3回(2017年9月21日)『ベアトリスの手紙』

第4回(2017年11月22日)『読むと赤い。』

第5回(2018年2月11日)『精子たちの道連れ』

第6回(2018年10月8日)『エロティックな左腕』

第7回(2018年11月2日)『親しげな影』
~~~
■書籍のご紹介
マンレイの油彩が巡る旅石原輝雄マン・レイの油彩が巡る旅刊行
限定28部 (内、著者本3部含)
サイズ 21 x 14.8 cm、252頁。
書容設計・印刷・造本: 著者(パピヨンかがりによる手製本)
限定番号・サイン入り。 美術館パンフレット、展覧会絵葉書、ホテル備品の他、各冊異なるエフェメラ類貼付。
本文: Aプラン・アイボリーホワイト 47.50kg 表紙: ケンラン・モスグレー 265kg
表紙カバー: キュリアスIRパール 103kg 帯: スーパーホワイトライラック
印刷: エプソン PX-049A


●今日のお勧め作品は、磯辺行久です。
磯辺行久Work-'63-85_600px磯辺行久 Yukihisa ISOBE
ワッペン・Work 63-85
1964年
ミクストメディア
65.2x53.0x7.0cm
サインあり
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください


本日18日(月)は休廊です
また明日19日(火)の営業時間は17時までとさせていただきます。

●ときの忘れものは〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。阿部勤設計の新しい空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 E-mail:info@tokinowasuremono.com 
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
12