「東京と京都で Sleepless Nights Stories 上映会」

井戸沼紀美


ジョナス・メカスさんの映画を初めて観たのは2013年だった。『ウォールデン』が上映されている渋谷のシアター・イメージフォーラムに何の気なしに立ち寄って、劇場を出る頃には身体中、熱い血が走っていた。

「どこが」「何が」と聞かれると難しいのだけれど、その時の私はある1シーンー[7年前。フラッシュバック]と字幕の出るーに訳もわからず涙していた。後から考えるとメカスさんの映画は、彼が撮りためてきた膨大な記録が、観ている人達のそれぞれのタイミングで生き返り、強く発光して飛び散っていくようだと思う。2013年、私にとってのそれが、あの1シーンだったのだと。

その後も(青山にあった当時の)ときの忘れものさんでメカスさんのDVDを観せていただきながら、彼のことがもっと知りたい、彼の映像がもっと観たいとうずうずしていた。インターネットの海を泳いで、日本で気軽に見ることのできる作品の少なさに肩を落としたりしながら。そして2014年の1月、メカスさんのホームページから「あなたの映画の上映の機会を作りたい」と1本のメールを打ってみる。改めて検索してみると、メカスさんが亡くなったのと同じ1月23日に、そのメールは打たれていた。ちょうど5年前だった。

メールを打ってからちょうど1時間ほどが経った時、メカスさんからのお返事が届いた。
こんな風に始まり

Kimi, thank you very very much for all the nice things you say in your e-mail !

こんな風に締めくくられたメールだった。

Best to you, have a beautiful year !

美しい1年の、たくさんの出会いの幕開けだった。

ときの忘れもののお二人、メカス日本日記の会の皆さま、ナジャのクロさん、1度だけお目にかかった安保さん。メカスさんを日本に紹介し、来日の旅も共にされた方々が、若造の耳にはもったいないほどの話をしてくださり、上映会の実現に協力してくれた。岡本零さん、西村大佑さん、ヨコスカ・シネクラブのみなさん。各地でメカスさんの上映会を開く方もいるのだと知って、世界が前より広いものに見えた。そして2014年の秋、NYでメカスさんにお会いし、11月にアップリンク渋谷で初めての上映会を開いた。

その翌年、私は大学を卒業し、映像制作会社に入社する。たったの5ヶ月で退社して、開催したのが2度目の上映会と、初めての写真展。今はもうなくなってしまった、西荻窪のtokiという場所でのイベントだった。キャパシティは2、30人くらいの場所だったけれど、その上映会のために西荻窪へ引越しをしてくれた人がいたのだと、先日インターネット上に書き込まれているのを見つけた。

それから数年が経って今年、またメカスさんの上映会と写真展をやらせていただく。ジョナス・メカスさんの写真作品を貸して欲しいとメールをし「もちろん快諾」というタイトルで綿貫さんからお返事をいただいたのは昨年の12月。年明けすぐの1月6日にこのブログの原稿依頼をいただき、少しずつ内容を考えていた。そして1月23日、メカスさんは帰らぬ人となってしまった。書き途中の原稿はすべて消すことにした。

考えてみれば、2014年の1月23日から、年に1度はメカスさんとメールのやりとりをしていた。実現しなかったものも含めて、上映会がしたいというメールに、彼はいつも直接返信をくださった。昨年末、今回の企画の依頼に別の担当の方から「Jonas asked me to reply to you.」と返事が来たことは、いま思うと少し嫌な予感だったのかもしれない。しかしそんなことに気づく由もなく、私も他の人たちと同じように、Twitter上であまりにも悲しい知らせを受けることになった。

親族以外の訃報を聞いた夜、一睡もできないのはメカスさんが初めてのことだった。頭の中で、いつか打ちひしがれたメカスさんの映画の断片がまた火花を散らしていた。ご本人に伝えておきながら実現できなかった計画に情けなくなったりもしながら、NYでメカスさんにお会いした時のことを思い出す。前を歩いていた友達の白いTシャツが秋の日差しに照らされたりする、そんなディティールまでが蘇ってきた。

メカスさんがアレン・ギンズバーグの最期の3日間を追った『Scenes from Allen’s Last Three Days on Earth』という作品を観せてもらったとき、私が驚いたのは「そこから何かがいなくなっている」ということについてだった。メカスさんの作品には「いつか過ぎ去ってなくなってしまうような幸福な時間」や「もうなくなってしまったけれどかつてそこにあったもの」が映っていた気がして、それらは常に「なくなってしまいそう」であったし「なくなってしまっていた」けれど、現在形で「なくなっていく」ことはないだろうと、勝手に思い込んでいた。しかしギンズバーグはメカスの映画の中から、そして地球からも、初めは存在したはずなのに、いなくなってしまった。

けれどそのことに驚いた時、私が見逃していたのは「生まれ続けてもいる」ということだったのかもしれない。同じ作品の中でメカスさんは咲き誇る花を指して「これは彼(ギンズバーグ)からの贈り物かもしれないね」というようなことを言っていたと思う。何かが過ぎ去った時、そこにはまた何かが生まれているのだ。

メカスさんにお会いしたとき「死への恐れはありますか?」と尋ねると、彼は「ありません、それは普通のことだから」と答えてくれた。そうして他の質問になると「私が去っても、他の者たちが去っても、君たちはここにいるだろう」「君たちは未来を作っているひとりなんだ」と言葉をくれた。それらのメッセージが今、痛いくらいに胸に差し迫ってくる。

昨年の春に始めた『肌蹴る光線 ーあたらしい映画ー』という映画の上映企画、今回はその一環としてメカスさんの近作2作を上映し、ときの忘れものさんからお借りしたメカスさんの写真作品も展示させていただく。私が映画の上映企画を立ち上げた時「素晴らしい映画が少しでも多くの人の目に触れる機会を作りたい」という目の前の欲望が動機の大部分を占めていた。けれど4回目のイベントを開催しようとしているいま「もう少し大きくて繊細なものごとについて考えてみよう、そうしなければ」という気持ちも芽生え始めている。

今回上映させていただく作品の1つ『幸せな人生からの拾遺集』について、2014年の上映会で吉増剛造さんは「生きてそよいでいる」と表現された。その途方もない言葉を「Ikite-Soyoideiru」とそのまま打ってメカスさんに送ると、メカスさんは「Tokyo, thank you for a beautiful letter and please thank Gozo for his beautiful words」と返信をくださった。

生きてそよいでいる。数多の言葉たちの中から、吉増さんがメカスさんの映画へ紡いだこのフレーズのこと、そして言語の異なる国に住むメカスさんがそれを美しい(beautiful)と言ったこと。そのことに私は、国境や時代を超えた繊細さを教えてもらった気がしている。

メカスさんがいなくなってしまった今、これまで以上に私たちは「未来を作っているひとり」だと感じる。そんな中で、人の人生が交わる場所を作ること。自分にできる企画はこじんまりとしていて、世の中の多くの人には少しも知られていない。けれどだからこそ、その場その時のことだけでない流れを、常に想像しなければと感じるのだ。

メカスさんの撮った個人的な映像が、世界にこんなにも美しい波をたて続けているのはなぜか。そう考えるとやはり、メカスさんは身の回りの暮らしを撮影しながら、常に大きなもの、例えば世界や未来のことを思い描いていたのではないかと思う。彼の生まれ育ったリトアニアの空もさぞ広く、そして透き通っていたのではないだろうか。

大げさなことを言えるほどの器もないけれど、それでも東京と京都の小さなスペースで、大きくて繊細な世界を想像したい。それが、メカスさんの映画にいつも何かを教わりながら数年を過ごした、今の自分の願いだと強く感じている。メカスさんのファンの方はもちろん、まだ彼の作品に出会う前の方にも、足を運んでいただけたらとても嬉しい。
(いどぬま きみ
201902メカス上映会
『肌蹴る光線 —あたらしい映画— vol.4』
▼上映
・東京会場
場所:東京都 アップリンク渋谷
2019年3月10日(日)
『Sleepless Nights Stories』上映
『幸せな人生からの拾遺集』上映
料金:各1,800円

・京都会場
場所:京都府 誠光社
2019年3月9日(土)
『幸せな人生からの拾遺集』上映
2019年3月30日(日)
『Sleepless Nights Stories』上映
料金:各1,500円(ドリンク別)

▼写真展『Frozen Film Frames』
・東京会場
場所:東京都 スタジオ35分
2019年2月27日(水)~3月16日(土)
時間:18:00-23:00
定休日:日・月・火
東京都中野区上高田5-47-8(西武新宿線「新井薬師」駅から徒歩3分)

★飯村昭子さん×大森克己さんトーク
2019年3月2日(土)17:00~
料金:1000円(1ドリンク別)
※要予約

・京都会場
場所:京都府 誠光社
2019年3月1日(金)~15日(金)
時間:10:00-20:00
定休日:無休
京都市上京区中町通丸太町上ル俵屋町437(京阪「神宮丸太町」駅から徒歩3分)

井戸沼紀美 Kimi IDONUMA
1992年生まれ、都内在住。明治学院大学卒。これまでに手掛けたイベントに『ジョナス・メカスとその日々をみつめて』(2014年)、『ジョナス・メカス写真展+上映会』(2015年)、『肌蹴る光線 ーあたらしい映画ー』(2018年~)がある。

*画廊亭主敬白
メカスさんの若い友人・井戸沼さんが東京と京都で上映会と展覧会をしたいと言ってきたのは昨年末だった。もちろん大歓迎で、ついでにブログに企画者としてメッセージを書いてね、と原稿の依頼をしたのだった。
それが追悼文になってしまうなんて・・・・

INTERVIEW WITH JONAS MEKAS 2014

2014/09/09 NYのメカスさん宅にてメカスさんを井戸沼紀美さんがインタビューした動画です。

0909-08ジョナス・メカス
「料理をする私の母、1971(リトアニアへの旅の追憶)」
CIBA print
35.4x27.5cm
サインあり
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※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください

追悼 ジョナス・メカス トークイベント「メカスさんを語る」
去る1月23日NYの自宅で、ジョナス・メカスさんが亡くなられました(96歳)。9日に予定していたトークイベントは雪で中止(延期)しましたが、あらためて下記日程で開催します。
①一緒にNYに行った友達を交えた、メカスさんとの写真日時:2月21日(木)18時
会場:ときの忘れもの2階図書室
講師:飯村昭子(フリージャーナリスト、『メカスの映画日記』『メカスの難民日記』の翻訳者)
木下哲夫(メカス日本日記の会、『ジョナス・メカス―ノート、対話、映画』の翻訳者)
植田実(住まいの図書館編集長、『メカスの映画日記』の装丁者)
要予約:既に満席で、キャンセル待ちの方も多数おり、受付は終了しました。
参加費:1,000円は皆さんのメッセージとともに香典として全額をNYのアンソロジー・フィルム・アーカイブスに送金します。
*写真は2014年9月NYのメカスさんの自宅にて。詳しくは井戸沼紀美「メカスさんに会った時のこと」を参照。

2月16日 佐伯誠「その人のこと、少しだけ_追憶のジョナス・メカス」
2月13日 「メカスさんの版画制作」
2月6日 井戸沼紀美「メカスさんに会った時のこと」
2月4日 植田実『メカスの映画日記 ニュー・アメリカン・シネマの起源1959―1971』
2月2日 初めてのカタログ
1月28日 木下哲夫さんとメカスさん


本日19日(火)の営業時間は17時までとさせていただきます。

●ときの忘れものは〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。阿部勤設計の新しい空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 E-mail:info@tokinowasuremono.com 
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
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