中村惠一「新宿・落合に住んだ画家たち(中村式落合散歩)」第8


松下春雄


愛知県生まれの私にとって名古屋出身の鬼頭鍋三郎や松下春雄が落合に住んでいたことを知って親しみを感じた事を思い出す。30歳で白血病によって突然死を迎えた松下春雄についてはその事実は知ったものの実作に出会う機会も少なく、夭逝であったためにエピソードを記憶していて、語ってくれる方も少なく、幻の画家に近い印象をもっていたのだった。一方で落合に住んだ文化人の足跡を調べるうちに松下春雄の名前や存在は少しずつ顕在化してきたのだった。挿絵画家の竹中英太郎について調べているうちに竹中の借家のそばに詩人の春山行夫が名古屋から出てきた直後に下落合の四の坂上の借家に住んでいて、松下春雄も訪ねてきていたのではないかとか、直後に春山は下落合1445番地の鎌田邸に下宿するが、そこには松下も同居していたとか、西落合にアトリエを柳瀬正夢は借りるが、貸主は松下春雄を白血病で失った家族であったとかの話を聞いた。

01松下春雄松下春雄

特に松下の西落合のアトリエに関しては2013年から14年にかけて開催された「柳瀬正夢展」の開催にあたり柳瀬正夢の西落合アトリエの場所の特定を行いたいとの要請もあって、松下春雄のご遺族と連絡をとる必要が生じ、連絡の上訪問したことがあった。ご遺族はいったん昭和9(1934)年、柳瀬正夢にアトリエと母屋を貸したうえで妻の実家である南池袋に越していた。松下春雄の作品などはすべてアトリエから池袋に移したそうだ。従い、松下の絵を柳瀬が見る機会はなかったようである。昭和16(1941)年、柳瀬が三鷹にアトリエを建築、引っ越した後に家族はふたたび池袋から引っ越してきたそうである。幸い、池袋は空襲に焼けたが、西落合は焼け残った。アトリエも母屋も作品も戦後まで残ったとのことであった。そのような話を聞いている場所はまさに松下春雄と柳瀬正夢が絵を描いた場所なのであった。

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03丸印の場所が松下春雄アトリエのあった場所

今回は西武新宿線の新井薬師前駅から歩くことにする。新井薬師前駅は中野区である。駅前の道を北に向かう。あたりの住所は上高田である。まっすぐに北に歩くと妙正寺川を渡る橋にでる。この場所は右手がオリエンタル写真工業本社および本社工場、写真学校があり、左手には第二工場があった場所である。なおもまっすぐに北上すると左手には哲学堂公園がみえる。なおも歩くと水の塔が登場する。このあたりは後に瀧口修造が越してくる屋敷に近い。なおも道なりに歩くと目白通りと合流する交差点となるが、その手前を右に入ると松下春雄のアトリエのあった場所にでる。最初に訪問した時にはアトリエは残っていないものの母屋が当時のままにあって庭の感じが当時の面影を残していたが、現在は建売住戸に分割建築されてしまい、まったく面影は失われてしまった。ご遺族によれば、隣には鬼頭鍋三郎のアトリエがあり、少し離れた場所には母屋があったので、二人は短い期間ではあるが、並んで描いていたことになる。柳瀬は昭和9(1934)年に越してくるので鬼頭鍋三郎との交流が想像される。

松下春雄は明治36(1903)年に名古屋に生まれた。小学校卒業後に銀行の給仕として働いた。大正7(1918)年に人見洋画塾で絵画を学び、大正10(1921)年、絵を学ぶために上京、本郷絵画研究所に学び、岡田三郎助に師事した。大正12(1923)年、関東大震災をきっかけに名古屋に帰り、鬼頭鍋三郎や中野安次郎、加藤喜一郎らと美術研究グループ「サンサシオン」を結成した。大正13(1924)年8月に上京、新潮社に勤務しながら辻永に師事した。大正14(1925)年、松下春雄や鬼頭鍋三郎を頼って春山行夫などが上京、詩人・高群逸枝の借家の隣に共同で住んだ。その後、春山は大澤海蔵や松下とともに下落合1445番地に共同生活した。春山が発行したこの時期の雑誌の奥付に住所の記載がある。松下はサンサシオン展ばかりではなく光風会展や帝展、日本水彩画会展などにきわめて精力的に作品を発表している。また落合地域をモチーフに作品を描いている作家でもある。

04下落合 徳川男爵別邸「下落合 徳川男爵別邸」

05下落合文化村入口 「下落合文化村入口」

昭和3(1928)年4月、渡辺淑子と結婚、昭和7(1932)年4月に葛ヶ谷306番地(西落合)に母屋とアトリエを建てて越してきたのであった。しかし、主はこのアトリエに長くは住めなかった。名古屋から伊勢にスケッチ旅行している最中に体調を崩し、昭和8(1933)年12月31日白血病のため急逝したのであった。

06二人のポーズ「二人のポーズ」

07女と子「女と子」

なかむら けいいち

中村惠一(なかむら けいいち)
北海道大学生時代に札幌NDA画廊で一原有徳に出会い美術に興味をもつ。一原のモノタイプ版画作品を購入しコレクションが始まった。元具体の嶋本昭三の著書によりメールアートというムーブメントを知り、ネットワークに参加。コラージュ作品、視覚詩作品、海外のアーティストとのコラボレーション作品を主に制作する。一方、新宿・落合地域の主に戦前の文化史に興味をもち研究を続け、それをエッセイにして発表している。また最近では新興写真や主観主義写真の研究を行っている。
・略歴
1960年 愛知県岡崎市生まれ
1978年 菱川善夫と出会い短歌雑誌『陰画誌』に創刊同人として参加
1982年 札幌ギャラリー・ユリイカで個展を開催
1994年 メールアートを開始
1997年 “Visual Poesy of Japan”展参加(ドイツ・ハンブルグほか)
1999年 「日独ビジュアルポエトリー展」参加(北上市・現代詩歌文学館)
2000年 フランスのPierre Garnierとの日仏共作詩”Hai-Kai,un cahier D’ecolier”刊行
2002年 “JAPANESE VISUAL POETRY”展に参加(オーストリア大使館)
2008年 “Mapping Correspondence”展参加(ニューヨークThe Center for Book Arts)
2009年 “5th International Artist’s Book Triennial Vilnius2009”展に参加(リトアニア)
2012年 “The Future” Mail Art展企画開催(藤沢市 アトリエ・キリギリス)

中村惠一のエッセイ「新宿・落合に住んだ画家たち(中村式落合散歩)」は毎月22日更新です。

●本日のお勧め作品は小山田二郎です。
11小山田二郎
「夜」
1983年 水彩
37.0x27.0cm
Signed
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