植田実のエッセイ「本との関係」第13回
「インハンド」の潜在表現
TBSの新しいシリーズドラマを見ている。東京では毎週金曜夜10時で、4月12日に第1話、5月24日現在で、はやくも第7話。テレビドラマは、とくにこれはサスペンスなので、1時間のなかで完結させるために話の展開がめまぐるしく、ひとにそのあらましを伝えるだけでもたいへんだ。
原作は朱戸 アオ(スタンダールの小説「赤と黒」を思い出させるペンネーム)のマンガ『インハンド』。ドラマのタイトルも同じ。「アフタヌーン」2013年3月―8月号に掲載されたこの作品がまとめられて同年9月、講談社からシリーズ第1巻が刊行されたときは違うタイトルだったが、今回のドラマ化を機に『インハンド』に統一された。そのへんを説明しはじめるとかえってややこしくなるので省略。私はこのマンガが出た当初から繰り返し読んできたので、ドラマもいままでの分は毎週見ているが、とりあえずマンガ主体に紹介させてもらう。ドラマではそれなりの改変があったりするが大筋は同じ方向を追っている(と思う)。
ほかには見られないテーマを貫いているマンガである。「本格医療サスペンス!!」と本の帯にあるがその通り。「博覧強記のミステリー」ともうたわれている。たしかにその方面の知識と発想がハンパじゃない。専門用語も容赦なく出てくる。まずそれに魅入られ、繰り返し読んでいる。
第1話は、厚生省の患者安全委員会調査官である阿里玲 が、いまの日本で寄生虫専門の俊秀といえばこの男しかいないと教えられて会った紐倉哲と協力して事件の解明に当たる。紐倉が『インハンド』の主役である。若くて格好いい。右手を失って、黒いロボット義手をつけているがまだ慣れない様子だ。天才を自称し、歯に衣着せぬ物言いがむしろ魅力だが、研究所を訪ねてきた若い女性(厚生省の阿里)と顔を合わせるなり「君のウンコもちょっとでいいからくれないかなー」は、寄生虫学者ならではの挨拶だかそこまでテレビドラマには出せない。だが阿里も「私のウンコで良ければぜひ調べてください」と迷わず応じる。こうした言葉のやりとりがおかしい。冴えている。朱戸マンガの特性でもある。阿里は何事にも妥協を知らない一本気の女性だが、第2話以降では、より複雑な状況へと立ち向かうために成長して、さらに厚かましくも皮肉っぽくもある、内閣情報調査官健康危機管理部門の牧野(やはり若い女性)になった。と私は読んでいるがこの牧野がドラマでははじめからレギュラーになっている。ふたりが国家レベルの機関に属しているという設定は「医療サスペンス」の内実を暗示している。伝染病、バイオテロ、組織的犯罪など、個人対個人のレベルを越えた脅威に拮抗する「医療」なのだ。もうひとり仲間が加わる。学習塾の講師をしていた高家春馬は親戚の娘が伝染病で急逝し、そのルートを追ってきた紐倉と牧野に出会い、全然納得できないまま寄生虫専門家の助手を務めることになる。職業的医者顔負けの医療技術の持ち主であり、紐倉からの指示がある前に先まわりして必要な資料を揃えていたり、完璧さが謎めいてさえいるキャラクターだが男同士の会話はやはり朱戸好み(?)の喧嘩腰。ドラマではこの3人を山下智久、濱田岳、菜々緒の俳優陣が身体化している。一般にはまだ馴染みがなかっただろう女性マンガ家の仕事が突然テレビを通して、劇的に拡大されることになった。
今、どの局のサスペンスドラマを見ても、毎回のように死体が登場し、事故か病死か自殺か他殺か測りかねたり、迷路的な犯人探しのなかで刑事の見えないヒーロー性が強化されたり、血が日常茶飯事のごとく簡単に流されて警察機構から国家の内側にまで入りこむほどにおもしろく絵空事の、それがそのまま非現実的な現実にふいに連結される衝撃の、しかし結局は他人事ならばエンターテインメントなのだ。
『インハンド』の病いや死の恐怖はそれにたいして相手を選ばない。巻末に参考文献のリストや医療監修者の名が付されてもいるが、事実に則した追跡がよく見える。描かれるのはその結果としての誰をも無差別に巻き込むパニックである。でもテレビでは影響力をもつだろう。番組の終わりには、このドラマがフィクションであることをわざわざ断っているし、原作マンガでは、おぞましいといってもいいサシガメや顕微鏡下の東洋眼虫の姿を精緻な絵にしているところをテレビドラマでは、落書きみたいな虫のイラストを実写画面に重ねるなどの工夫を凝らし、事実にされてしまいそうな恐怖を逃してやっている。さらにドラマではまず3人のレギュラーを固定して毎回違う事件をオムニバスふうに扱う構成だから、マンガとドラマの相性は悪くないのだろう。
ただマンガにおける登場人物の声は文字で記されるから読者への接近が内面化している。文字だけの物語ともドラマで俳優たちが進める物語とも違うはずだ。第3話(4月26日放映)は、ある美容団体の不老不死的治療を受けた者のなかに重い症状があらわれたことで、例のトリオは当団体に潜入する。団体のトップ(ゲストの観月ありさが熱演)は、じつは若者の血を採取することで若さを保っていたのだ。マンガでは紐倉が彼女に言う。「なぜ生物は自分の生存を犠牲にしてまで子供を残すのか? 生きているものは必ず死ぬからさ」「あんたがどんなに死を嫌おうと、進化は死を必要としているんだよ」。シリアスな主人公であり、シリアスなマンガなのだ。同様の主旨はドラマでも語られている。しかし俳優の声にするとどれほどうまくても、ただ口数の多い男みたいにも見えてしまいかねない。
『インハンド』のオムニバス的に連なる各物語のタイトルは「ネメシスの杖」「ディオニソスの冠」「ガニュメデスの杯」「モイラの島」「ペルセポネの痘」「キマイラの血」と続く。ギリシャ神話における神々の名を冠している。病の生態において舞台が国外に地球規模に広がるその一方、人間存在の原基を抜かりなく杭のように打ち込む。構築される物語は表現ジャンルの違いを問わない。
朱戸アオのもうひとつの代表作、というか今のところこれを足して彼女の作品のほぼ全部だが、『リウーを待ちながら』1-3の三部作(2017-18年 講談社)は、同様なテーマをさらに真正面から掘り下げようとした長篇で、『インハンド』の軽快さはないかも知れないが、テレビドラマではカバーしきれない、実写なら映画が相応しいと思っていた。こちらは、富士山麓に位置する人口約9万(89311)人の横走 市に顕在化したペストとたたかう病院勤務の若い女性医師、自衛隊横走駐屯地内病院内科二佐、国立疫病研究所所員、その他多くの専門家や市民の動きを活写し、ついには市全体が完全封鎖されるまで、そしてそこから光を見出すまでの、海外からの医師団がボランティアとして集まってくるなかでの、死と生の極限状態をひたすらシリアスに(例によっておもしろおかしい場面にも事欠くことなく)たどる長い物語を通して、マンガがどれほどの思想を語れるかに迫っている。タイトルで見当がつく読者もいるだろうが、アルベール・カミュの『ペスト』(1947年)を踏まえている。またその邦訳本(宮崎嶺雄訳、新潮文庫。とても具体的な案内)が医者や患者のあいだに次々と渡され読まれてゆくエピソードが並行する。
さいごに光を見出す、と書いたが現実には何も完結していない。約2万(17809)人が亡くなり、重要な仲間からも犠牲者を出している。『ペスト』の前にカミュが著した『シーシュポスの神話』(1942年)はやはりギリシャ神話から選んだ男を書名とし、まるで『インハンド』の1項のようにも思えてしまう。カミュの言う、終わりの来ない「敗北」を終わりもなくたたかう人間を、彼女は表現しようとしているのだ。
朱戸アオを、マンガ家である前から私は知っていた。大学の建築科の講師として出した住宅の課題設計で、ひときわ印象的なプロジェクトをつくる学生に注目していたのである。卒業制作でも彼女の作品はその力強さにおいて群を抜いていた。社会に出れば当然、建築に専念すると思っていたのでマンガ家になったと聞いて戸惑った。だが2013年刊行の『ネメシスの杖』(現『インハンド・プロローグⅠ』)が送られてきたときに、建築を超えて彼女が見ている視野の広がりと切実さに圧倒されたのだった。
紐倉の黒いロボット義手は『インハンド』という物語のアイコンである。むしろこれからその働きの意味が明文化されてくるような気がする。ドラマでも手首から先がくるくる回転したり、なかなか精巧なつくりになっている。
もうひとつ、黒い義手と連携して紐倉の心象を形にしているのが、紐倉研究所そのものである。箱根の広大な敷地のなかに、もと熱帯植物園だった庭と温室棟をそっくりそのまま住まいと仕事場に当てている。ジャングル状態のむせるような熱帯の森には、鳥も亀も、猫も犬も勝手気ままに暮している。そのなかを航行する巨大客船のような、ほとんど総ガラスの温室が緑の波のなかに立ち上がっている。正面ファサードはアーチ形をピラミッド状にシンメトリカルに構成した輪郭で、おそらく5,6階分の高さ。その妻面より数倍の距離で奥に延びる平側のガラス面も頂部は、正面と同じアーチ形が連続する意匠でまとめられている。館内は最頂部のガラス屋根まで吹き抜けている空間に、背の高い熱帯樹がのびのびと枝葉を広げている、そのところどころにバルコニー状のフロアや部屋が立体的に半ば隠れ半ば開いている。仕事場も台所も個室もシンプルな個々の場所で、だが吹き抜けごしにお互いが見えるような、もともと住まいや仕事場として計画されていない場所を臨機応変に使い分けているのだ。装飾的要素は少ないがアーチ、床タイル、階段やバルコニーの手摺子などにはアールデコスタイルの痕跡が残る。古い建物と庭を、新しい建築プログラムなしのまま紐倉はただひとりで使っていたのだ。
彼がコスタリカでヒントを得てつくった痒み止めの薬が爆発的に売れて大金持ちになり、閉ざされていた植物園を丸ごと買ったという。庭や温室内の自然を気に入ったわけではない。「こんなのニセモノさ」と彼自身は冷静だ。格好いい仕事場として使うより長椅子に身体をあずけて休んでいるときに彼本来の時空間が出現する。そこは研究の舞台ではない。世界を見ている場所だ。ある事件が一段落してすぐ、彼は思い立ってダーヴィンの遺体を調べにロンドンに行くが許可がおりないんだと東京に電話したりしている。箱根の植物園は世界のどことも地続きである。
だからこの庭と建築が他に例のない「主役」を果たしている。紐倉たちの声が、ドラマで生身の声を通すと、気取りや粗忽や蓮っ葉が強調されてしまうが、それは俳優の力不足というよりドラマの宿命で、原作以上に逆にマンガチックになってしまう。ましてやこの広大な場所の再現など不可能に近い。ドラマでは、千葉県館山市にある動植物園の外観を紐倉研究所に見立てているようだ。そのせいか画面に見えるのはほんの一瞬。だがガラス面を四方から束ねたような姿は、また別の幻覚のなかで成り立っている。そのようにドラマならではの工夫は至るところで感じられ、いまはドラマを通して原作マンガを再発見する日々だ。
インハンド(1)
朱戸アオ
講談社
インハンド プロローグ1 ネメシスの杖
朱戸アオ
講談社
インハンド プロローグ2 ガニュメデスの杯、他
朱戸アオ
講談社
リウーを待ちながら(1)
朱戸アオ
講談社
リウーを待ちながら(2)
朱戸アオ
講談社
リウーを待ちながら(3)
朱戸アオ
講談社
「本との関係」、大学在学中の話まで来たところで4回ほど道草してしまい、まだ卒業できていません。次にはそこに戻るつもりです。勝手をお許しください。
(2019.05.25 うえだ まこと)
●本日のお勧め作品は、植田実です。
植田実 Makoto UYEDA
《トゥールーズに向かうバスの窓から near Toulouse, France》
1991年撮影(2010年プリント)
ラムダプリント
15.9×24.4cm
Ed.7 サインあり
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
~~~~~~
●『一日だけの須賀敦子展 in MORIOKA第一画廊』
会期:2019年6月29日[土]
会場:岩手県盛岡市・MORIOKA第一画廊・舷
●『DEAR JONAS MEKAS 僕たちのすきなジョナス・メカス』
会期:2019年5月11日(土)~6月13日(木)
会場:東京白金・OUR FAVOURITE SHOP 内 OFS gallery
●『倉俣史朗 小展示』
会期:2019年5月25日(土)~6月9日(日)
会場:大阪・Nii Fine Arts
◆ときの忘れものは「第311回企画◆葉栗剛展 」を開催しています。
会期:2019年5月24日[金]―6月8日[土]11:00-19:00 ※日・月・祝日休廊

出品No.4 《<男気>KABUKI》 H 58.0cm

ときの忘れものは毎年アジアやアメリカのアートフェアに出展し、木彫作家・葉栗剛の作品をメインに出品しています。今回は、2014年以来二回目となる個展を開催し、国内未公開作品11点をご覧いただきます。
●ときの忘れものは青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。
阿部勤設計の新しい空間はWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊。
「インハンド」の潜在表現
TBSの新しいシリーズドラマを見ている。東京では毎週金曜夜10時で、4月12日に第1話、5月24日現在で、はやくも第7話。テレビドラマは、とくにこれはサスペンスなので、1時間のなかで完結させるために話の展開がめまぐるしく、ひとにそのあらましを伝えるだけでもたいへんだ。
原作は
ほかには見られないテーマを貫いているマンガである。「本格医療サスペンス!!」と本の帯にあるがその通り。「博覧強記のミステリー」ともうたわれている。たしかにその方面の知識と発想がハンパじゃない。専門用語も容赦なく出てくる。まずそれに魅入られ、繰り返し読んでいる。
第1話は、厚生省の患者安全委員会調査官である
今、どの局のサスペンスドラマを見ても、毎回のように死体が登場し、事故か病死か自殺か他殺か測りかねたり、迷路的な犯人探しのなかで刑事の見えないヒーロー性が強化されたり、血が日常茶飯事のごとく簡単に流されて警察機構から国家の内側にまで入りこむほどにおもしろく絵空事の、それがそのまま非現実的な現実にふいに連結される衝撃の、しかし結局は他人事ならばエンターテインメントなのだ。
『インハンド』の病いや死の恐怖はそれにたいして相手を選ばない。巻末に参考文献のリストや医療監修者の名が付されてもいるが、事実に則した追跡がよく見える。描かれるのはその結果としての誰をも無差別に巻き込むパニックである。でもテレビでは影響力をもつだろう。番組の終わりには、このドラマがフィクションであることをわざわざ断っているし、原作マンガでは、おぞましいといってもいいサシガメや顕微鏡下の東洋眼虫の姿を精緻な絵にしているところをテレビドラマでは、落書きみたいな虫のイラストを実写画面に重ねるなどの工夫を凝らし、事実にされてしまいそうな恐怖を逃してやっている。さらにドラマではまず3人のレギュラーを固定して毎回違う事件をオムニバスふうに扱う構成だから、マンガとドラマの相性は悪くないのだろう。
ただマンガにおける登場人物の声は文字で記されるから読者への接近が内面化している。文字だけの物語ともドラマで俳優たちが進める物語とも違うはずだ。第3話(4月26日放映)は、ある美容団体の不老不死的治療を受けた者のなかに重い症状があらわれたことで、例のトリオは当団体に潜入する。団体のトップ(ゲストの観月ありさが熱演)は、じつは若者の血を採取することで若さを保っていたのだ。マンガでは紐倉が彼女に言う。「なぜ生物は自分の生存を犠牲にしてまで子供を残すのか? 生きているものは必ず死ぬからさ」「あんたがどんなに死を嫌おうと、進化は死を必要としているんだよ」。シリアスな主人公であり、シリアスなマンガなのだ。同様の主旨はドラマでも語られている。しかし俳優の声にするとどれほどうまくても、ただ口数の多い男みたいにも見えてしまいかねない。
『インハンド』のオムニバス的に連なる各物語のタイトルは「ネメシスの杖」「ディオニソスの冠」「ガニュメデスの杯」「モイラの島」「ペルセポネの痘」「キマイラの血」と続く。ギリシャ神話における神々の名を冠している。病の生態において舞台が国外に地球規模に広がるその一方、人間存在の原基を抜かりなく杭のように打ち込む。構築される物語は表現ジャンルの違いを問わない。
朱戸アオのもうひとつの代表作、というか今のところこれを足して彼女の作品のほぼ全部だが、『リウーを待ちながら』1-3の三部作(2017-18年 講談社)は、同様なテーマをさらに真正面から掘り下げようとした長篇で、『インハンド』の軽快さはないかも知れないが、テレビドラマではカバーしきれない、実写なら映画が相応しいと思っていた。こちらは、富士山麓に位置する人口約9万(89311)人の
さいごに光を見出す、と書いたが現実には何も完結していない。約2万(17809)人が亡くなり、重要な仲間からも犠牲者を出している。『ペスト』の前にカミュが著した『シーシュポスの神話』(1942年)はやはりギリシャ神話から選んだ男を書名とし、まるで『インハンド』の1項のようにも思えてしまう。カミュの言う、終わりの来ない「敗北」を終わりもなくたたかう人間を、彼女は表現しようとしているのだ。
朱戸アオを、マンガ家である前から私は知っていた。大学の建築科の講師として出した住宅の課題設計で、ひときわ印象的なプロジェクトをつくる学生に注目していたのである。卒業制作でも彼女の作品はその力強さにおいて群を抜いていた。社会に出れば当然、建築に専念すると思っていたのでマンガ家になったと聞いて戸惑った。だが2013年刊行の『ネメシスの杖』(現『インハンド・プロローグⅠ』)が送られてきたときに、建築を超えて彼女が見ている視野の広がりと切実さに圧倒されたのだった。
紐倉の黒いロボット義手は『インハンド』という物語のアイコンである。むしろこれからその働きの意味が明文化されてくるような気がする。ドラマでも手首から先がくるくる回転したり、なかなか精巧なつくりになっている。
もうひとつ、黒い義手と連携して紐倉の心象を形にしているのが、紐倉研究所そのものである。箱根の広大な敷地のなかに、もと熱帯植物園だった庭と温室棟をそっくりそのまま住まいと仕事場に当てている。ジャングル状態のむせるような熱帯の森には、鳥も亀も、猫も犬も勝手気ままに暮している。そのなかを航行する巨大客船のような、ほとんど総ガラスの温室が緑の波のなかに立ち上がっている。正面ファサードはアーチ形をピラミッド状にシンメトリカルに構成した輪郭で、おそらく5,6階分の高さ。その妻面より数倍の距離で奥に延びる平側のガラス面も頂部は、正面と同じアーチ形が連続する意匠でまとめられている。館内は最頂部のガラス屋根まで吹き抜けている空間に、背の高い熱帯樹がのびのびと枝葉を広げている、そのところどころにバルコニー状のフロアや部屋が立体的に半ば隠れ半ば開いている。仕事場も台所も個室もシンプルな個々の場所で、だが吹き抜けごしにお互いが見えるような、もともと住まいや仕事場として計画されていない場所を臨機応変に使い分けているのだ。装飾的要素は少ないがアーチ、床タイル、階段やバルコニーの手摺子などにはアールデコスタイルの痕跡が残る。古い建物と庭を、新しい建築プログラムなしのまま紐倉はただひとりで使っていたのだ。
彼がコスタリカでヒントを得てつくった痒み止めの薬が爆発的に売れて大金持ちになり、閉ざされていた植物園を丸ごと買ったという。庭や温室内の自然を気に入ったわけではない。「こんなのニセモノさ」と彼自身は冷静だ。格好いい仕事場として使うより長椅子に身体をあずけて休んでいるときに彼本来の時空間が出現する。そこは研究の舞台ではない。世界を見ている場所だ。ある事件が一段落してすぐ、彼は思い立ってダーヴィンの遺体を調べにロンドンに行くが許可がおりないんだと東京に電話したりしている。箱根の植物園は世界のどことも地続きである。
だからこの庭と建築が他に例のない「主役」を果たしている。紐倉たちの声が、ドラマで生身の声を通すと、気取りや粗忽や蓮っ葉が強調されてしまうが、それは俳優の力不足というよりドラマの宿命で、原作以上に逆にマンガチックになってしまう。ましてやこの広大な場所の再現など不可能に近い。ドラマでは、千葉県館山市にある動植物園の外観を紐倉研究所に見立てているようだ。そのせいか画面に見えるのはほんの一瞬。だがガラス面を四方から束ねたような姿は、また別の幻覚のなかで成り立っている。そのようにドラマならではの工夫は至るところで感じられ、いまはドラマを通して原作マンガを再発見する日々だ。
インハンド(1)朱戸アオ
講談社
インハンド プロローグ1 ネメシスの杖朱戸アオ
講談社
インハンド プロローグ2 ガニュメデスの杯、他朱戸アオ
講談社
リウーを待ちながら(1)朱戸アオ
講談社
リウーを待ちながら(2)朱戸アオ
講談社
リウーを待ちながら(3)朱戸アオ
講談社
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「本との関係」、大学在学中の話まで来たところで4回ほど道草してしまい、まだ卒業できていません。次にはそこに戻るつもりです。勝手をお許しください。
(2019.05.25 うえだ まこと)
●本日のお勧め作品は、植田実です。
植田実 Makoto UYEDA《トゥールーズに向かうバスの窓から near Toulouse, France》
1991年撮影(2010年プリント)
ラムダプリント
15.9×24.4cm
Ed.7 サインあり
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
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●『一日だけの須賀敦子展 in MORIOKA第一画廊』
会期:2019年6月29日[土]
会場:岩手県盛岡市・MORIOKA第一画廊・舷
●『DEAR JONAS MEKAS 僕たちのすきなジョナス・メカス』
会期:2019年5月11日(土)~6月13日(木)
会場:東京白金・OUR FAVOURITE SHOP 内 OFS gallery
●『倉俣史朗 小展示』
会期:2019年5月25日(土)~6月9日(日)
会場:大阪・Nii Fine Arts
◆ときの忘れものは「第311回企画◆葉栗剛展 」を開催しています。
会期:2019年5月24日[金]―6月8日[土]11:00-19:00 ※日・月・祝日休廊

出品No.4 《<男気>KABUKI》 H 58.0cm

ときの忘れものは毎年アジアやアメリカのアートフェアに出展し、木彫作家・葉栗剛の作品をメインに出品しています。今回は、2014年以来二回目となる個展を開催し、国内未公開作品11点をご覧いただきます。
●ときの忘れものは青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。
阿部勤設計の新しい空間はWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
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