H氏による作品紹介6

可能性に賭ける -自主ギャラリーで写真を買うー ~瀧康太、宮下マキ、川島保彦、牧野克彦、金沢和寛、福添智子、近藤ひとみ、岡崎マナミ、小山瑠津、平塚美幸、松下欄~

 残念ながら、メーカー系ギャラリーが、いつも風間健介展や内藤さゆり展のような記憶に残る展示ばかりをしているわけではない。展示の多くはアマチュアの作品であり、グループ展やコンクール展も多い。ギャラリーの目的がまずは顧客サービスと自社製品の販売促進である以上当然ではある。また、他のギャラリーでは展示の難しいドキュメンタリー系の写真にとってはなくてならない場所である。
 問題は。企業イメージ、ブランドイメージを損なうような尖った、攻めた作品はなかなか審査を通りにくいということである。美しすぎ、整いすぎ、正しすぎる。贅沢な不満であることは分かっている。でも、もっと別の写真も見たい。そんな閉塞感を打ち破るべく企画された新しい公募展がキャノンの「写真新世紀」でありリクルートの「ひとつぼ展」、だったと言えるのではないだろうか。
 「写真新世紀」は1991年にスタート。「テーマや作品形態、点数、国籍、年齢などを問わない公募形式によるコンテストを実施し、写真の持っている可能性を引き出す創作活動を奨励し、受賞作品展の開催や受賞作品集の制作、ウェブサイトでの情報発信など受賞者の育成・支援活動を総合的に行うというもの。グランプリ受賞者には野口里佳、HIROMIX、優秀賞には蜷川実花、佐内正史、オノデラユキ、澤田知子など、今では美術館で展示されたり、企画ギャラリーで作品が取り扱われる作家が並んでいる。
 「ひとつぼ展」は、リクルートが運営するギャラリー「ガーディアン・ガーデン」(銀座)主催の公募展。1992年に始まり2009年に「1_WALL」に改称。グランプリ受賞者には、野口里佳、蜷川実花、中野愛子、川内倫子、宮下マキらがおり、文字通り「写真新世紀」と並んで90年代を牽引した若手写真家の登竜門であった。

079Lot.79 瀧 康太
作品
1998
Type C プリント
I: 41.9x52.9cm
S: 44.9x54.3cm

 瀧康太さんは1971年静岡県出身。桑沢デザイン研究所インテリアデザイン研究科卒業。1998年第11回写真『ひとつぼ展』に入選し、翌1999年の第12回写真『ひとつぼ展』でグランプリを獲得。
 この作品は「ひとつぼ展」グランプリ受賞者個展、「瀧康太 Chronic of trance」(1999/9/28~10/7)に際して購入。「欲しいんですが」とのこちらのリクエストは当然のことながらギャラリーのスタッフに怪訝な表情をもって迎えられ、「ちょっとお待ちください」と奥にひっこんでからちょっとどころではなく待たされた後(展覧会場なので待つのに問題はない)、「ギャラリーとしての販売はできませんが、作家さんとの仲介はできますので、瀧さんに購入希望の旨お伝えします」とのことだった。その後ギャラリーを介して瀧さんから、展示プリントで良ければとの返答と価格をうかがい、サイズと履歴からしたら破格のバーゲン価格(よく考えればバリバリのヴィンテージである)で譲っていただけることになった。個展の修了を待って代金を持参、スタッフがプリントを丸めようとするのを慌てて止めて(ポスターではない!)、ありあわせの段ボールに挟んでもらって持ち帰ってストレージボックスに安置して一安心。同じギャラリーでもこうもプリントの扱いが違うのかと驚いたことを思い出す。
 もっとも、そのおかげで企画ギャラリーではあり得ない金額で購入できたわけなので痛し痒しである。ということで最低入札価格も作家さんには申し訳ないような価格となっております。これからどう化けるかわからない写真家の(もうそう言っても良いと思うが)ヴィンテージプリント、いかがですか。
 
130Lot.130 宮下マキ
『寝食共存』より
2000
Type C プリント
I: 16.5x24.5cm
S: 20.3x25.3cm

 宮下マキさんのプロフィールをご自身のHPからコピペすれば「写真家。1975年生まれ。京都芸術短期大学映像科卒業。写真家木村晃造氏に師事。ガーディアン・ガーデン第10回 「ひとつぼ展」グランプリ受賞。98年ガーディアン・ガーデン「部屋と下着」個展以降は様々なギャラリーで個展を開催。水戸芸術館現代美術ギャラリー「プライベートルームⅡ」グループ展をはじめニューヨーク、イスラエル、オーストラリア、スウェーデンなど国内外でのグループ展にも多数参加。2001年文化庁新進芸術家海外研修員としてニューヨークへ留学。帰国後は東京を拠点に雑誌、広告、グラビア、ポートレート撮影から家族撮影まで幅広く活動している。現在、東京在住。一児の母」ということになる。
 こちらが拝見したのは第10回写真『ひとつぼ展』グランプリ受賞者個展「部屋と下着」(1998/11/9~11/26)。夕方のテレビのニュースで取り上げられていて(当時は写真新世紀展と「ひとつぼ展」は「木村伊兵衛賞」とならんで新聞やテレビが取り上げるような時代だった。この2つの公募展が写真界のみならず社会全体にどれだけのインパクトを与えたかが分かる)、おっ取り刀で駆けつけた。
 主宰者ガーディアン・ガーデンのコメントに「宮下マキは、全国の女の子の部屋を訪れ、お気に入りの下着をつけてもらい撮影した作品を発表します。 同世代の女性だからこそ撮れるありのままの部屋の様子や、構えない女の子の姿は、リアルな現代女性の生活の記録であると同時に、 密室で行われた女の子だけの撮影会をのぞき見るような感覚を誘います。」とあるが、本当にチャーミングでエロティック、それでいて清潔感のある、まさに「リアル」な「写」「真」で、荒木経惟に都築響一を掛け合わせたような(自分の語彙の貧困が悲しい。お三方ごめんなさい)本当に素晴らしい展示だった。その勢いのまま各地に巡回(?)し、翌1999年には水戸芸術館現代美術ギャラリーでの「プライベートルームII:新世代の写真表現」展に、菅野純、白井里実、長島有里枝、中野愛子、蜷川実花、野口里佳、野村恵子、原美樹子、山本香と共に出展している。
 100人ほどの女性のプロフィールが記され写真と共にファイリングされた2冊のポートフォリオは、そのまま1/1の手作りの写真集で、このまま写真集になったらいいのにとのコメントを残したことを覚えている。実際、2000年に小学館から同名の写真集が出版されるのだが、サイズ、頁数ともにあのオリジナルのファイルを手に取ったものとしては不満が残る。今からでも遅くはないからA4サイズのレプリカが欲しい。
 その後、宮下さんは一人の相手と密接に向き合う形での「寝食共存」シリーズを発表。また写真集『short hope』(2007年・赤々舎)、『その咲きにあるもの』(2009年・河出書房新社)を出版。現在は、マタニティ・フォトを始めとするプライベート・フォトを中心に一人一人と丁寧に向き合い寄り添いながら、幅広くまた息の長い活動をされている。

 この作品は当時四谷三丁目にあったギャラリー兼書店兼出版社のMoleでの個展「寝食共存」展に際して購入。ガーディアン・ガーデンやプリンツ、水戸芸術館といった広い空間とは異なり、前は雀荘だったという木造二階建ての建物のちょっと(大部)くたびれた部屋の感じが、作品のイメージにむしろぴったりハマって、実に魅力的な展示だった。最初サインが入ってなくて、一度プリントをギャラリーに戻してサインしていただいたのも懐かしい思い出である。

 Mole(モール) は、1989年に自主ギャラリーとして開設(当初は「FROG(Film ROund Gallery)を名乗っていた)され、1990年代の東京の自主ギャラリーの中心的存在であった。牛腸茂雄、春日昌昭ら、オリジナルにして唯一無二という本来の意味での「ユニーク」な写真家を数多く紹介すると共に、金村修の写真集を初めて出版するなど写真集の出版元としても存在感を示し、当時Moleから写真集を出するというのが若手写真家の夢であったりした。また海外・国内、新刊・古書、さらには写真家の手になる少部数のポートフォリオ、ハガキなど、ここに行けば必ず何か面白い物があるということで、四谷近辺のギャラリー巡りのランドマークだった。

 今でもそうだが、四谷は企画ギャラリーでもメーカー系でもなく、写真家自身が発表の場として解説し運営する「自主ギャラリー」のメッカ。
 メーカー系ギャラリーと共に海外には見られないと言われるのかこの自主ギャラリー、その始まりは1967年。新宿周辺に、プリズム(1976年3月、東京綜合写真専門学校や造形大学の学生・卒業生ら)、PUT(同7月、ワークショップ写真学校東松照明教室のメンバー)、CAMP(同6月:同森山大道教室、北島敬三、倉田精二ら)が開廊したことに始まる。当時写真を扱うコマーシャルギャラリーが存在せず、メーカー系ギャラリーは若い写真家たちの新しい写真表現の受け皿とはなり得なかった。
 「現代美術や版画のギャラリーに企画を持ち込んだり、頼み込んだり」して、何とか確保したスペースも連続性を持たせることは不可能だった。そんな中で、写真家たちは写真以外の仕事やアルバイトで生計を立てながら、ギャラリーや同人誌といった独自のメディアを自主運営しようとしたのである。写真家たちの、写真家たちによる、写真家のためのギャラリーの誕生である。
 この自主ギャラリーの活動は、金子隆一、島尾伸三、永井宏編集による『インディペンデント・フォトグラファーズ・イン・ジャパン 1976-83』(東京書籍、1989年)に詳しい。そこに登場する作品が実に新鮮でみずみずしいことは驚くほどあり、挙げられる名前が、あっこの人が、えっこの人もという具合で、この「日本の現代写真史ではあまり言及されない時代」が、どれほど豊かな可能性に満ちていたかを明らかにしている。
 とはいえ、この自主ギャラリーは「1976-83」とのサブタイトルからも分かるように、1980年代に入るとその姿を消していく。プリズムは(最初からの予定通りとはいえ)1977年10月、PUTは1979年10月、もっとも長く活動を続けたCAMPも1984年2月で活動を停止する。
 展示作家の不在時に誰がギャラリーに詰めるか、赤字を誰が補填するかという現実的な問題から始まり、メンバーの作品の枯渇、メンバー相互の方向性の相違といった問題に至るまで、具体的な理由はいくらも挙げられるであろうが、写真家の写真家による写真家のためのギャラリーが、社会への開かれた回路をついに持ち得なかった、逆に言えば、社会がこのギャラリーに埋もれていた宝をついに掘り出すことができなかったという点が、自主ギャラリーの季節に終止符を打ったということではないだろうか。
 しかし、「写真とは何か」「写真を撮るとはどういうことか」「写真を発表するとは何をすることなのか」といった、自主ギャラリーが自らに問いかけた根元的な問いは伏流水のようにその後も流れ続けた。1980年代後半から、再び写真家自身によるギャラリーの開設が始まる。その後、1996年の関らによる「ガレリアQ」の誕生あたりから、インターネットという新たな社会への回路とバブル崩壊による家賃の下落とにも後押し、自主ギャラリーの第2の波が始まったといえるのではないだろうか。

 PLACE Mは1987年、写真家の瀬戸正人と山内道男が「自分たちの写真をリアルタイムで発表するため」に四谷3丁目に開設。真っ黒の穴あきボードの内壁がどことなく秘密基地めいていた。15メートルのロール紙に写真を連続的にプリントした伝説の「部屋」展が最初に展示されたのもここ。そもそも、開設の目的の一つがメーカー系ギャラリーでは不可能な「実験を細かく繰り返すため」であった。その後、メンバーは入れ替わり、現在は大野伸彦、瀬戸正人、中居裕恭、森山大道によって運営されている。「写真の実験の場」として「ギャラリーレンタルや企画展示のほか、写真について考え、作品を作りあげていくための写真ワークショップ「夜の写真学校」、実践的な暗室ワークショップ、暗室レンタル等の活動を通じて、常時、広く一般に開放されて」いる。

047Lot.47 川島 保彦
98 冬 新橋 東京
1999 Printed in 2002
ゼラチンシルバープリント
I: 30.4x20.1cm
S: 35.6x27.7cm

 川島さんの作品は2002年の「それでも、東京」展 において購入。まだ現在の場所に移る前、現ニエプスの場所での展示で、真っ黒な穴あきボードの内装に写真がマッチしていて、「アジェがいる」(そればっかり)と購入。同じような思いを抱いた方もおられたようで、すでにこの時点で写真集の出版が決定していた。もっと沢山購入しておけば良かったと思うことしきりの展示だった。

111Lot.111 牧野 克彦
光の擦過傷(かすりきず)より
2002
ゼラチンシルバープリント
I: 27.5x27.0cm
S: 32.4x27.8cm

112Lot.112 牧野 克彦
光の擦過傷(かすりきず)より
2002
ゼラチンシルバープリント
I: 28.2x26.0cm
S: 33.1x27.8cm
 
 牧野さんの作品は2002年の牧野克彦展「光の擦過傷(かすりきず)」にて購入。展示作品の購入を申し出たのたが、プリントが自分としては意を尽くしたものではないのでとわざわざ再プリントをして下さった。思い出の作品である。


 ギャラリー・ニエプスはもともと中藤毅彦が2000年10月に代官山で開いたギャラリー。当時入居していた東光園アパート2号館は昭和初期のモダニズム建築で、映画やドラマのロケに使われるなど魅力的な建物だったが2002年12月火災により焼失。2003年4月に、それまでプレイスMが入居していたメイプル花上2Fに居抜きで移転。内装はそのままに壁が重厚な黒塗りから軽やかな白塗りへと印象はガラリと変わった。メンバーも新しく迎え、現在は中藤毅彦、福添智子、森田剛一、石川栄二、鼻崎裕介、中 悠紀、橋本とし子、岡崎牧人の8人により運営。メンバーによる展示の他、ジャンルを問わず意欲ある作家の為の自由な実験と発表の場としてレンタルも受け付けている。
 「作品を希望される方はお申し出下さい」とのポップはあるものの、原則的には作家さんとの直接交渉。当時は「いったいいくらぐらいでしょう」などとのたまう作家さん(?)もいてこちらの方が拍子抜けしてしまうこともしばしば。レンタルフィーが低廉なので価格がついている場合でも低廉な場合が多った。今から思えば宝の山。当時のような体力も資金力もないので当方は指を咥えて見ているだけなのだが、砂金掘り放題のゴールドラッシュはまだまだこれからも続くと思う。自主ギャラリー巡りが趣味の老若男女の皆様、一枚買うと世界が変わりますよ。

40Lot.40 金沢 和寛
「ちいさな子犬のちいさなお話」より
2005
インクジェットプリント
I: 33.2x24.8cm
F: 37.8x29.5cm

 金沢さんの作品は、2005年の金沢和寛個展「絵本展-子犬のぼうやのちいさなお話」(2005/5/14~22)にて購入。15年前とはいえ、当時の購入価格は3000円。嬉しいような申し訳ないような気持ちで一杯だった。
 金沢さんは紙素材による立体造形作家。ご自身のHPのプロフィールによれば、「1998 京都精華大学美術学部卒業、1998 グラフィックデザイン事務所入社、事務所退社後、フリー。現在に至る。独自に編み出した技法で段ボールや和紙などの「紙」を材料に使い、小さな立体造形物を制作しています。使用するツールはピンセット、カッター、そして自分の手。手作業にこだわり、許される限りの時間と手間をかけて作る事を心掛けています。」とのことである。

105Lot.105 福添 智子
『へたなうた』より貨物列車
2003
Type C プリント
I: 11.0x15.0cm
S: 16.6x24.8cm
Ed.10(1/10)

106Lot.106 福添 智子
『へたなうた』より車窓
2003
Type C プリント
I: 11.0x15.0cm
S: 16.6x24.8cm
Ed.10(1/10)

107Lot.107 福添 智子
『へたなうた』より春の田
2003
Type C プリント
I: 11.0x15.0cm
S: 16.6x24.8cm
Ed.10(1/10)

 福添智子さんは運営メンバーのお一人、ご自身のHPはあるものの、プロフィールには1974年大阪府豊中市生まれ、1999年東京綜合写真専門学校卒業とあるのみ、ニエプスのHPのメンバー欄にいたっては名前のみと徹底している。あくまでも写真そのものを見て欲しいという姿勢が、自主ギャラリー創生期の野武士たちを思わせて清々しい。

066Lot.66 近藤 ひとみ
「くすぶり」より
2006
ゼラチンシルバープリント
I: 32.1x48.3cm
S: 34.2x50.5cm

 近藤ひとみさんの作品は2006年の近藤ひとみ写真展「くすぶり」(2006/1/23~1/29)にて購入。近藤さんは当時メンバーだったはず。写真展のDMにもなった「飛ぶ鳥」のイメージが好ましくて購入した。

 当時このニエプスの向かいにあったのが今はなきDays Photo Gallery。写真家・文筆家の小林紀晴さんとそのパートナーで元編集者の浦井美也さんが2003年に「写真のある生活」をキーワードに開いた貸ギャラリー。「写真展をやりたいという気持ちさえあればいい」と一切審査することなしにスペースを開放した。結果的に、「写真家にならずんば死か」というような思い詰めた写真学生(それはそれで好きなのだが)だけではなく、必ずしもプロの写真家となることを最終目標としない、自分の仕事は仕事としてそこにやりがいと使命を見出しつつ、その一方で写真と関わることによって世界を広げていこうとするような(しかし結果的には「写真家になりたいなりたいなりたい」派よりもずっと魅力的な作品を生み出すことになる)層を掘り起こすことに成功したように思う。軽やかで風通しの良い展示はいつも楽しみだったし、他のギャラリーに比べてずば抜けてセンスのいいDMに思わず足を運ばされたこともしばしばだった。
 また、オリジナルプリントや写真集などを販売するショップスペースDays Photo Shopを併設し、最初から写真を販売することを前提にしたギャラリー運営は新鮮だった。オープニング企画である作家・椎名誠の「海を見にいく」展で、「展示された作品はすべて販売いたします」と、8×10(6切)のオープンエデイションとはいえ、人気作家の作品を1点30000円で販売したのは、多くの人に「写真って買えるんだ」という嬉しいショックを与えたと思う。
 展示作家さんたちも「写真家なら一点3万円から」などというおかしな常識に惑わされずに、普通の人が実際に手に取って購入できる価格を付けてくれていたように思う。「自分が写真家として認められる」こと以上に、「自分の作品が人の手に渡る」ことを純粋に喜びとするような、一個の人間としての奥行きと魅力のある作家さんたちとお目にかかることができるのが嬉しくて、足繁く通ったのがこのギャラリーだった。写真を撮ることも展示することも見ることも買うことも飾ることも全部ひっくるめた「写真のある生活」を楽しむ人の集まる場所だったと思う。そしてその真ん中にはいつも浦井さんがいた。

018Lot.18 岡崎 マナミ
「布の島、纏(マトイ)の人」より
2004
ゼラチンシルバープリント
I: 16.1x24.3cm
S: 20.3x25.4cm

019Lot.19 岡崎 マナミ
「布の島、纏(マトイ)の人」より
2004
ゼラチンシルバープリント
I: 16.1x24.3cm
S: 20.4x25.3cm

020Lot.20 岡崎 マナミ
「布の島、纏(マトイ)の人」より
2004
ゼラチンシルバープリント
I: 16.0x24.3cm
S: 20.3x25.3cm

 染織家でもある岡崎マナミさんの写真作品。岡崎マナミ写真展「布の島、纏の人」(2004/2/17~22)にて購入。いわゆる写真家による写真表現ではなく、染織というプロの目から捉えられた視点が新鮮だった。デイズフォトらしい展示だった。

 だから、オーナー夫妻にとってはおめでたい理由とはいえ、その場所がなくなってしまうということを聞いたときはショックだった。
 その分、これもまた伝説の東京写真文化館のディレクター篠原さんがデイズ(の場所)を引き継ぐと聞いたときにはみんな狂喜した。開廊前からHPへのアクセスが殺到したというのもその期待の大きさの表れだった。そして、その期待は裏切られなかった。
 篠原さんは、ルーニイのHPの人気コンテンツ「ルーニイの部屋(blog)」にこう書いた。

「247というのは、24hour 7daysをもじったもの。常日頃、写真と一緒の生活を楽しみましょう、という意味です」

「旧、デイズフォトギャラリーの造作はそのままルーニィに移行されます。ギャラリースペースにおきまして、手を加えるところはありませんので、申し添えます。写真集などを販売していたスペースは、マットやフレームの工房となります。また、日曜日の搬入、搬出の際には、利用者の方のワークスペースとしてご利用いただけます」。

 そして、HPの顔「ルーニイについて」には、こんな「ギャラリスト宣言」があった。

「世間的には無名の作家でも自分なりに「いいなぁ」と思うことってあります。大規模なプロジェクトでは、いちいち感動しなくても、自分の仕事をこなすだけでそれなりの成果が上がってくるものだと思いますが、アートを扱う仕事としてあまり面白いものじゃありません。
 私は1991年に初めての写真展を仲間達と一緒に立ち上げて以来、13年間写真展という軸で仕事をしてきました。私は写真が好きで、すばらしい作品を生み出す写真家が好きで、そういうホットな空間である写真展が好きです。もういちど原点に立ち戻って、写真表現のすばらしさを多くの人に感じてもらいたい、そして写真家達がもっと誇りを持って仕事ができる舞台を用意したい。小さくてもお客さんや作家と真正面から向き合える場所を作りたいと思いました。道楽や、自己満足のスペースをやろうと思っている訳じゃないんです。
 ルーニィとは、スラングで「いいなぁ!」みたいな意味のことばです。フォトギャラリーを軸に、同じ志を持っている写真家達を結集し、写真の世界に新しい風を吹き込む一助になることを願っています。壁を飾る色とりどりの作品達も、そしてお客さまも「ルーニィ!」を感じられる素敵な場をプロデュースしていきたいです」
 24時間7日間 写真やアートに囲まれて暮らす心地よさと、観る・創る・所有するよろこびを皆様にご提案する場でありたいと思っています。」

 その後ルーニイは「ジャンルの幅を広げながら、2011年には姉妹ギャラリーのクロスロードギャラリーを加え、2017年1月より新宿から、日本橋小伝馬町・馬喰町エリアへ移転し、写真を中心としながら広く作家ものを取り扱うギャラリーとして再出発」(公式HPより)。目の離せないギャラリーの一つである。

065Lot.65 小山 瑠津
作品
2005
ゼラチンシルバープリント
I: 16.2x11.4cm
S: 17.6x12.8cm

 小山さんの作品は、2005年度美学校写真工房展 #1の「Catch the Light」展(2005/7/26~31)に際して購入。壁一面に散らばって展示された何枚もの作品の中で、小ぶりながら目を引かれた一枚だった。

102Lot.102 平塚 美幸
作品
ゼラチンシルバープリント
I: 24.2x30.6cm
S: 27.8x35.4cm

113Lot.113 松下 欄
作品
2006
ゼラチンシルバープリント
I: 21.9x21.3cm
S: 35.3x27.9cm

114Lot.114 松下 欄
作品
2006
ゼラチンシルバープリント
I: 21.4x21.3cm
S: 35.3x27.9cm

 平塚さんと松下さんの作品は、2005年の平塚美幸・松下欄二人展「雲のかたち」(2005/3/15~20)にて購入。きれいに額装され、等間隔にきっちりと並べられたクラシックな展示がむしろ新鮮だった。

 自主ギャラリーで有名な1976年であるが、別な意味でも大事な年である。当時の写真雑誌を開いてみればわかることだが、この年写真界の話題になっていたのは、プリスム、PUT、CAMPと並んで、前年末に京橋の南天子画廊で展示販売された「世界の写真展ー一八〇〇年代~現代に至る歴史的展望」展であり、北青山に開店した「現代版画とオリジナル写真専門のカジュアル・アーツ・ショップ」J1であり、何よりもワークショップ写真学校主催の「『写真売ります」展』(資生堂ザ・ギンザ)と、篠山紀信の『「写真あげます」展』(ミノルタフォトスペース)の対決であった。そもそも、自主ギャラリー自体もまた、CAMPが「イメージショップ」との二つ名を持っていたことからも分かるように、「写真を売る」ということをはっきりとイメージしていた。自主(インデペンデント)というスタンスには、写真家が自分の手で自分の作品を売るということが含み込まれていたのである。1976年は、日本において「写真を売る」ことがみんなの意識にのぼり始めた年なのである。
 しかし、結果的にこの年が写真売買元年として記憶に残ることはなかった。「売ります」対「あげます」対決も、写真雑誌の論調は「あげます」展の方に好意的だったような印象である。まだまだ、写真を売ることに対する抵抗は大きかったのであり、何よりもそこには「買います」と手を挙げる個人がいなかったのである。いくら「売りたい」人がいても「買いたい」人がいないことには売買は成立しない。「写真を買う人」を発掘することが次の課題であった。そして、この大事業のためには、写真の売買によってギャラリーを成り立たせる企画(商業)写真ギャラリーの誕生を待たなければならなかったのである。
 話しが大げさになった。久しぶりに当時の本を段ボールから引っ張り出して目を通したら思わず熱くなってしまった。写真売買の文化を根付かせる、そんな独りよがりの熱意を持って新宿・四谷を歩き回っていた頃の余熱を感じていただければ嬉しい。その頃からすればずいぶんと写真を買うという人も増えた(と思うし思いたい)。このオークションをきっかけに、リアルタイムで起こっている写真というこの魅惑的な世界に(観客としてでだけではなく)プレイヤーとして加わって下さる方が一人でも増えてくれることを願っての長文である(あれ、逆効果?!)(H)

◆ときの忘れものはH氏写真コレクション展を開催します。
会期:2019年7月9日(火)~7月13日(土)
H氏写真コレクションDM

●ときの忘れものは青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。
阿部勤設計の新しい空間はWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 
E-mail:info@tokinowasuremono.com 
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊。