松本竣介研究ノート 第5回

画風は何故変わる~松本竣介の場合(上)


小松崎拓男


 画家は何度か自分の画風を変える。そこにはいろいろな理由が存在するのだろう。美術史の研究にも一人の画家の画風の変遷を追う方法がある。そこには、その画家なりの個性を明らかにし、美術の歴史の中での存在意義や意味を探ったり、社会との関わりやその時代を生きた人々の精神史を考えたり、といった人文科学の学問的目的がある。
 この時、探求の方法は、常に事実を検証しながら、根拠を明らかにして、単なる感覚や感情論とは異なる、実証的な方法論でなくてはならない。しかし時として、文系、あるいは人文系学問が、実証科学には至らず、単なる神話や物語の創出に終わるのを見る。美術で言えば、印象批評や感覚的な作品解釈がこれに当たるかもしれない。ある意味それは、個人の感想や印象として正しいのかもしれないが、学問でも科学でもないだろう。
 
 さて、何故画家は自身の作品の画風を変えていくのか?当然、自身の内面の問題に起因する場合、また自身の外部にある問題によっても変わり得る。さらに、そうした問題があったとしても、終生ほとんど大きく画風の変わらなかった画家も存在するように思う。写実を標榜する現代のリアリズム絵画の作家などはその典型かもしれない。
 松本竣介はこうした写実主義の作家ではなかった。したがって、生涯に何度か画風が変わっている。ではその特徴はどのようなものであったのか。具体的な変遷を語る前に、触れておかなくてはならない問題がある。それは描かれた対象、モチーフの問題である。端的に言えば、松本竣介が描いたモチーフは大きく分けて二つしかない。「建物」と「人物」である。このふたつのモチーフが、別々の画面に、あるいは一つの画面に統合されて、時期を追って繰り返し描かれているのである。この交替的な現れは、驚くほど明瞭であり、ほとんど法則的と言ってもいいほどである。あまりにも明瞭すぎるからだろうか、この事実を指摘しているのを私は見たことがない。そしてただ例外的に、花がモチーフとして描かれているもの、自分の子どもの描いた絵のトレースから制作されたものが、わずかにあるだけである。

20190803小松崎拓男「建物」 「建物」
 1935年
 油彩・板に紙
 97.0×130.0㎝

 1935年秋の第22回二科展に『建物』が初入選する。この時の作品はモチーフが建物であり、そこには一切人物は描かれていない。骨太の輪郭線によって描かれた建物は常にルオーの影響を指摘される。またルオー作品を実際に見ることができたことも知られており、この点は間違いがない。そして翌1936年第23回二科展にも出品している。
 さて、ここで私は迂闊にもこの時出品された作品が明らかになっていたと思い込んでいたが、当時どのような作品を出品していたのか、タイトルすらわかっていない事実に突き当たった。2012年に開催された生誕100年展のカタログの年表にも記載はない。手元に資料がなく、今はそれ以上確かめようがない。

20190803小松崎拓男「有楽町駅附近」 「有楽町附近」
 1936年1月
 油彩・板に紙
 72.7×90.9㎝

 この当時の作品には1936年1月に制作された『有楽町駅附近』があり、ここには大きな、何か決定的な画風の変化は認められない。したがってその年の秋に出品されていた作品にもそう大きな変化はなかったのではないかという推測ができる。が、それが事実かどうかはわからない。
 一方、その翌年の1937年の第24回二科展に出品された『郊外』という作品では、特徴だった太い輪郭線がなくなり、さまざまな緑と青の色の階調で構成された風景の中に点在する建物が描かれている。
 画風が変化した。

20190803小松崎拓男「郊外」 「郊外」
 1937年8月
 油彩・板
 96.6×130.0㎝

 余談だが、この時、建物の縞模様に使われている黄色という色は、松本竣介の絵画に使われているのを滅多に見たことのない色でしかも原色に近く、非常に珍しいものだ。同様な構図の作品は1938年1月の年記のある同じタイトルの作品『郊外』があり。ここには赤の原色に近い色も見える。これも珍しい色使いである。

20190803小松崎拓男「街」 「街」
 1938年8月
 油彩・板
 131.0×163.0㎝
 大川美術館所蔵

 そして1938年第25回二科展に代表作のひとつ『街』が発表された。周知のようにこの作品は「建物」と「人物」がひとつの画面でモンタージュされたものである、ふたつのモチーフ、すなわち背景に描かれた都会風景の建物群である「建物」と、線描によって描かれた都会に暮らす人々という「人物」が統合されてひとつの画面に表れている。
 さらに大きく画風は変化した。

(次回へ続く)

注 松本竣介は抽象画も描いているが、イメージの元となったのは建物や都市風景である。そのほか戦意高揚画の存在もあるが、絵画作品であるよりはポスターといった方がよく、例外的なものとしていいだろう。
こまつざき たくお

■小松﨑拓男 Takuo KOMATSUZAKI
千葉県生まれ。横浜そごう美術館、郡山市美術館準備室、平塚市美術館の主任学芸員を経て、NTTインターコミュニケーション・センター[ICC]学芸課長、広島市現代美術館学芸課長、副館長を歴任後、金沢美術工芸大学教授を2019年まで務める。現在、美術評論家連盟会員、文教大学情報学部非常勤講師として「美術」「サブカルチャー論」担当。
キュレーター時代には絵画をはじめとしてメディア・アートなど先端領域を含めた幅広い分野で近現代美術の展覧会を企画。村上隆、奈良美智、会田誠などを公立美術館で初めて本格的に紹介した。
主な展覧会に「TOKYO POP」(平塚市美術館)「New Media New Face / New York」(NTTインターコミュニケーション・センター[ICC])「絵画新世紀」「サイバー・アジア」(広島市現代美術館)「エコメトロ」(光州ビエンナーレ)などがある。

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matsumoto_11松本竣介 Shunsuke MATSUMOTO
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イメージサイズ:33.0x24.0cm
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