小国貴司のエッセイ「かけだし本屋・駒込日記」第29回
わたしが本を売り始める仕事に就いた時と、今の書店の棚を比べるとき、大きな違いの一つに「ヘイト本」の存在があげられるでしょう。わたしが働き始めた時は、特定の国やマイノリティの人々を悪しざまに罵る本が毎月のように出版されることはありませんでした。そのような本の登場にはじめて気づいたのは『マンガ嫌韓流』という本がベストセラーになってから。当時は、日韓ワールドカップと「冬ソナ」ブームが少し落ち着いて、韓流と言う言葉も一般的になった頃で、最初は、「韓流ブームをくさす様な本だろうか?」くらいに思っていたのですが、まったく違い、それは形を変え瞬く間に全国の書店に広がっていきました。ロングセラーのような定番書は生まれていないものの、似たようなタイトルの本は今でも生まれ続けています。では、なぜそんな現象が起こったのでしょうか?
今月は、「ヘイト本」の製作と流通がなぜ起こるのかを考えながら、出版業界が持つ仕組みの問題点を探った本、永江朗『私は本屋が好きでした』(太郎次郎社エディタス)をご紹介いたします。

とはいうものの、この本はいわゆる「業界本」のひとつです。出版業界に身を置く人、これから働こうとする人、本を出している、もしくは出そうとしている人が読めば、とても有意義な一冊になるに違いありません。いろいろな「業界本」が出ていますが、流通の問題点、そして「意思のない仕事」がもたらす最悪の状況を考える上で、最も役に立つ本だと、個人的には思います。最後に出版元のサイトのリンクを置きますが、この目次を一読しただけでも、それが良くわかります。
では、上に書いたような項目に当てはまらない人が、どれほど読むのだろうか?ほとんど読む人はいないのではないか?と、当初は私も思っていました。そんな中この本の発売を待っていたかのように、ある一冊の古書が入荷しました。こちらです。


日本では昭和19年に発行されているもので、日本語版の前にドイツ語版とロシア語版が出版されているようです。内容は、もちろんユダヤ陰謀論。ドイツ語版の解説では、「二百万部売れ」「学校の教材に」という文字も見えます。写真の翻訳者の解説にある、日本礼賛の文章も、どこかで見た事があるとは思いませんか?そして、このような本がどういう結果を生んだのか。本の出版ということが、社会の進む方向を決めるとは言わないまでも、進むべき方向へ舵を切りやすくする、そんな力を持っている、と改めて感じます。
そういう意味では、『私は本屋が好きでした』は「業界本」ではなく、我々みんなが読むべき、読んだ後、改めて自分の身の回りにある「メディア」の力を考えるべき本、なのかもしれません。
(本についての詳細は→http://www.tarojiro.co.jp/product/5970/)
(おくに たかし)
■小国貴司 Takashi OKUNI
「BOOKS青いカバ」店主。学生時代より古書に親しみ、大手書店チェーンに入社後、店長や本店での仕入れ・イベント企画に携わる。書店退職後、新刊・古書を扱う書店「BOOKS青いカバ」を、文京区本駒込にて開業。
~~~~~~
*画廊亭主敬白
謹んで中村哲医師のご冥福をお祈りいたします
12月4日アフガニスタンで長年、農業用水路の建設など復興に携わってきた中村哲医師が車で移動中に何者かに銃撃され、亡くなられました。
あまりのことに言葉を失います。
ときの忘れものはペシャワール会への支援活動を今後も継続します。
<農村や下町に行けば、そこには殆ど昔と変わらぬ人々の生活がある。そして我々の活動も、これらの人々の涙や笑いと共にある。何世紀も営まれてきた人々の暮らしが、たかだか10年やそこいらのプロジェクトで変わるものではない。しかも、俗にいう「進歩」や「発展」が本当にこの人々の幸せにつながるかどうか、私は疑問に思っている。
我々の歩みが人々と共にある「氷河の流れ」であることを、あえて願うものである。その歩みは静止しているかの如くのろいが、満身に氷雪を蓄え固めて、巨大な 山々を確実に削り降ろしてゆく膨大なエネルギーの塊である。我々はあらゆる立場を超えて存在する人間の良心を集めて氷河となし、騒々しく現れては地表に消える小川を尻目に、確実に困難を打ち砕き、かつ何かを築いてゆく者でありたいと、心底願っている。
(中村哲、ペシャワール会HPより引用)>
わたしが本を売り始める仕事に就いた時と、今の書店の棚を比べるとき、大きな違いの一つに「ヘイト本」の存在があげられるでしょう。わたしが働き始めた時は、特定の国やマイノリティの人々を悪しざまに罵る本が毎月のように出版されることはありませんでした。そのような本の登場にはじめて気づいたのは『マンガ嫌韓流』という本がベストセラーになってから。当時は、日韓ワールドカップと「冬ソナ」ブームが少し落ち着いて、韓流と言う言葉も一般的になった頃で、最初は、「韓流ブームをくさす様な本だろうか?」くらいに思っていたのですが、まったく違い、それは形を変え瞬く間に全国の書店に広がっていきました。ロングセラーのような定番書は生まれていないものの、似たようなタイトルの本は今でも生まれ続けています。では、なぜそんな現象が起こったのでしょうか?
今月は、「ヘイト本」の製作と流通がなぜ起こるのかを考えながら、出版業界が持つ仕組みの問題点を探った本、永江朗『私は本屋が好きでした』(太郎次郎社エディタス)をご紹介いたします。

とはいうものの、この本はいわゆる「業界本」のひとつです。出版業界に身を置く人、これから働こうとする人、本を出している、もしくは出そうとしている人が読めば、とても有意義な一冊になるに違いありません。いろいろな「業界本」が出ていますが、流通の問題点、そして「意思のない仕事」がもたらす最悪の状況を考える上で、最も役に立つ本だと、個人的には思います。最後に出版元のサイトのリンクを置きますが、この目次を一読しただけでも、それが良くわかります。
では、上に書いたような項目に当てはまらない人が、どれほど読むのだろうか?ほとんど読む人はいないのではないか?と、当初は私も思っていました。そんな中この本の発売を待っていたかのように、ある一冊の古書が入荷しました。こちらです。


日本では昭和19年に発行されているもので、日本語版の前にドイツ語版とロシア語版が出版されているようです。内容は、もちろんユダヤ陰謀論。ドイツ語版の解説では、「二百万部売れ」「学校の教材に」という文字も見えます。写真の翻訳者の解説にある、日本礼賛の文章も、どこかで見た事があるとは思いませんか?そして、このような本がどういう結果を生んだのか。本の出版ということが、社会の進む方向を決めるとは言わないまでも、進むべき方向へ舵を切りやすくする、そんな力を持っている、と改めて感じます。
そういう意味では、『私は本屋が好きでした』は「業界本」ではなく、我々みんなが読むべき、読んだ後、改めて自分の身の回りにある「メディア」の力を考えるべき本、なのかもしれません。
(本についての詳細は→http://www.tarojiro.co.jp/product/5970/)
(おくに たかし)
■小国貴司 Takashi OKUNI
「BOOKS青いカバ」店主。学生時代より古書に親しみ、大手書店チェーンに入社後、店長や本店での仕入れ・イベント企画に携わる。書店退職後、新刊・古書を扱う書店「BOOKS青いカバ」を、文京区本駒込にて開業。
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*画廊亭主敬白
謹んで中村哲医師のご冥福をお祈りいたします
12月4日アフガニスタンで長年、農業用水路の建設など復興に携わってきた中村哲医師が車で移動中に何者かに銃撃され、亡くなられました。あまりのことに言葉を失います。
ときの忘れものはペシャワール会への支援活動を今後も継続します。
<農村や下町に行けば、そこには殆ど昔と変わらぬ人々の生活がある。そして我々の活動も、これらの人々の涙や笑いと共にある。何世紀も営まれてきた人々の暮らしが、たかだか10年やそこいらのプロジェクトで変わるものではない。しかも、俗にいう「進歩」や「発展」が本当にこの人々の幸せにつながるかどうか、私は疑問に思っている。
我々の歩みが人々と共にある「氷河の流れ」であることを、あえて願うものである。その歩みは静止しているかの如くのろいが、満身に氷雪を蓄え固めて、巨大な 山々を確実に削り降ろしてゆく膨大なエネルギーの塊である。我々はあらゆる立場を超えて存在する人間の良心を集めて氷河となし、騒々しく現れては地表に消える小川を尻目に、確実に困難を打ち砕き、かつ何かを築いてゆく者でありたいと、心底願っている。
(中村哲、ペシャワール会HPより引用)>
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