松本竣介研究ノート 第10回
『立てる像』補遺
小松﨑拓男
前々回と前回と2回にわたり、1942年に発表された『立てる像』(図)について書いた。書き終わった後で、つい最近、佐伯祐三の作品の中に、この『立てる像』とよく似た作品があることを知った、というか気がついた。タイトルもよく似ている。それは『立てる自画像』という作品である。
図
松本竣介
「立てる像」
1942年
油彩・画布
162.0×130.0cm
第29回二科展(1942年9月)
神奈川県立近代美術館
実は、佐伯のこの作品はかなり有名な作品で、現在は2021年に開館予定の大阪中之島美術館に収蔵されている。私も図版では何度か目にしている気はするが、印象には残っていない。現物は多分見ていないように思う。
なぜ有名かというと、佐伯祐三がパリで里見勝蔵と共にブラマンクのアトリエを訪れ、「アカデミック!」と罵倒されたあの逸話の後、自身の絵画の方向性を見失った佐伯が、その姿を描き留めた自画像だと言われているからである。自画像であるにも関わらず、顔はペインティングナイフで削られ表情がない。傷心の姿である。当時の佐伯祐三をよく表していると言われている。
この二つの作品のよく似たところはどこであるだろうか。
まずは、構図の類似性が上げられる。中央に画家自身の立像が描かれ、背景には白く空、その空に暗色が部分的に配されている。松本の場合は雲の影、佐伯の場合は、雲の切れ間か、同じような雲の影かは判然としないが、色の配置は似た印象を与える。また道が三角の構図に描かれ、その左右を佐伯の場合は黒い緑、松本の場合は建物や塀などの黒が囲んでいる。また、佐伯の垂直に描かれる木の幹と筆は、松本の煙突の垂直線と重なる。
大きな違いは三つ。一つは服の色が違うこと。今ひとつは、佐伯の自画像のパレットと筆を持つが、松本のそれは何も手にしていないことである。そして最後に絵の大きさが異なる。
私にはこの二作品がかなり類似しているように感じるのだが、どうだろうか。
しかし、何故これまでこの類似に気がつかなかったのか。いくつか理由があるように思う。一つは、この作品との類似の指摘は見たことがないということ。(もし誰かこの類似を指摘している文章などを知っているなら教えてほしいのだが・・・)さらに私自身についていえば、私はあまり佐伯祐三という画家に関心がなかったということもある。その悲劇的な生涯と、パリの街を描いた作品に惹かれる愛好家や専門家は多い。だが、佐伯米子との関係や加筆問題など簡単には触れられない問題も横たわっている。何れにせよ、私の領分ではない気がしていた。それは今でもあまり変わりないが・・・。
それともうひとつ、パレットを手にした自画像というと、印象としては、アンリ・ルソーの『風景の中の自画像』を強く連想するからかもしれない。私は、佐伯の作品から松本竣介の『立てる像』より、個人的にはルソーの作品を思い浮かべてしまう。松本の場合、確かに自画像であるものの、パレットを手にしていないことで、画家の自画像という感じがせず、同じ戦中の立像シリーズの一作という見方になり、他画家の作品との類似性にあまり思いが及ばないということもあるかもしれない。しかしよく考えると、『立てる像』は立像シリーズの中では色彩や描き方が違い、かなり異質ではある。
ところで松本竣介はこの佐伯祐三の作品を見たのだろうか?
可能性はなくはない。なぜなら制作年は1924年と佐伯の作品の方が古いからだ。松本竣介の作品に先立つのであるから、どこかで目にした可能性は存在する。では見たとしたら一体どこで見たのか。そして本当に見た可能性はあるのか。
しかし、現時点ではわからない。また、ただ似ているだけでは、偶然に同じような絵柄になることもなくはないだろう、と考えてもおかしくはない。
はっきりとした影響関係を指摘し、それを証明するのは簡単ではない。
佐伯祐三の滞欧作が公開されているのは年譜によれば、二科会と一九三〇年協会展で存命中にあった。死後に関しては私は未調査である。ということなので、佐伯祐三の展覧会歴と目録の調査が必要になる。これはどこかで美術年鑑か、美術雑誌を丹念に繰ってみれば、目録や図版を見つけられるかもしれない。もし出品が確認できたら、今度は松本竣介がその展覧会を見たかどうか、可能性を含めて考えることになる。ただ佐伯の作品が、自身の顔を削った自画像であることを考えると、死後の展覧会で時間をおかずに公開された可能性はあまり高くないように思うのだが・・・。
そして気になるのは、佐伯祐三のアトリエが下落合(現新宿区中落合)にあり、死後は妻佐伯米子が1972年まで住んでいたことである。決して遠くはないのである。もちろん松本竣介の自宅からである。そして案の定、松本の編集発行した『雜記帳』には佐伯米子の名前がある。創刊3号の1936年12月号と最終14号の1937年12月号に文章を寄稿している。明らかな接点がある。ということは、松本竣介が、佐伯祐三のアトリエを訪れ、そしてその場にあった『立てる自画像』を目撃した可能性もなくはないのだ。
ただこれも、アトリエに『立てる自画像』があったことが証明できないと、単なる願望、都合のいい推測になってしまう。
さて、どうしたものか・・・・。
(こまつざき たくお)
■小松﨑拓男 Takuo KOMATSUZAKI
千葉県生まれ。横浜そごう美術館、郡山市美術館準備室、平塚市美術館の主任学芸員を経て、NTTインターコミュニケーション・センター[ICC]学芸課長、広島市現代美術館学芸課長、副館長を歴任後、金沢美術工芸大学教授を2019年まで務める。現在、美術評論家連盟会員、文教大学情報学部非常勤講師として「美術」「サブカルチャー論」担当。
キュレーター時代には絵画をはじめとしてメディア・アートなど先端領域を含めた幅広い分野で近現代美術の展覧会を企画。村上隆、奈良美智、会田誠などを公立美術館で初めて本格的に紹介した。
主な展覧会に「TOKYO POP」(平塚市美術館)「New Media New Face / New York」(NTTインターコミュニケーション・センター[ICC])「絵画新世紀」「サイバー・アジア」(広島市現代美術館)「エコメトロ」(光州ビエンナーレ)などがある。
●本日のお勧め作品は、松本竣介です。
松本竣介 Shunsuke MATSUMOTO
《人物(W)》
1942年
紙に鉛筆
イメージサイズ:23.5x20.5cm
シートサイズ: 27.5x22.5cm
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※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
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●ときの忘れものは青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。
阿部勤設計の新しい空間はWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊。
『立てる像』補遺
小松﨑拓男
前々回と前回と2回にわたり、1942年に発表された『立てる像』(図)について書いた。書き終わった後で、つい最近、佐伯祐三の作品の中に、この『立てる像』とよく似た作品があることを知った、というか気がついた。タイトルもよく似ている。それは『立てる自画像』という作品である。
図松本竣介
「立てる像」
1942年
油彩・画布
162.0×130.0cm
第29回二科展(1942年9月)
神奈川県立近代美術館
実は、佐伯のこの作品はかなり有名な作品で、現在は2021年に開館予定の大阪中之島美術館に収蔵されている。私も図版では何度か目にしている気はするが、印象には残っていない。現物は多分見ていないように思う。
なぜ有名かというと、佐伯祐三がパリで里見勝蔵と共にブラマンクのアトリエを訪れ、「アカデミック!」と罵倒されたあの逸話の後、自身の絵画の方向性を見失った佐伯が、その姿を描き留めた自画像だと言われているからである。自画像であるにも関わらず、顔はペインティングナイフで削られ表情がない。傷心の姿である。当時の佐伯祐三をよく表していると言われている。
この二つの作品のよく似たところはどこであるだろうか。
まずは、構図の類似性が上げられる。中央に画家自身の立像が描かれ、背景には白く空、その空に暗色が部分的に配されている。松本の場合は雲の影、佐伯の場合は、雲の切れ間か、同じような雲の影かは判然としないが、色の配置は似た印象を与える。また道が三角の構図に描かれ、その左右を佐伯の場合は黒い緑、松本の場合は建物や塀などの黒が囲んでいる。また、佐伯の垂直に描かれる木の幹と筆は、松本の煙突の垂直線と重なる。
大きな違いは三つ。一つは服の色が違うこと。今ひとつは、佐伯の自画像のパレットと筆を持つが、松本のそれは何も手にしていないことである。そして最後に絵の大きさが異なる。
私にはこの二作品がかなり類似しているように感じるのだが、どうだろうか。
しかし、何故これまでこの類似に気がつかなかったのか。いくつか理由があるように思う。一つは、この作品との類似の指摘は見たことがないということ。(もし誰かこの類似を指摘している文章などを知っているなら教えてほしいのだが・・・)さらに私自身についていえば、私はあまり佐伯祐三という画家に関心がなかったということもある。その悲劇的な生涯と、パリの街を描いた作品に惹かれる愛好家や専門家は多い。だが、佐伯米子との関係や加筆問題など簡単には触れられない問題も横たわっている。何れにせよ、私の領分ではない気がしていた。それは今でもあまり変わりないが・・・。
それともうひとつ、パレットを手にした自画像というと、印象としては、アンリ・ルソーの『風景の中の自画像』を強く連想するからかもしれない。私は、佐伯の作品から松本竣介の『立てる像』より、個人的にはルソーの作品を思い浮かべてしまう。松本の場合、確かに自画像であるものの、パレットを手にしていないことで、画家の自画像という感じがせず、同じ戦中の立像シリーズの一作という見方になり、他画家の作品との類似性にあまり思いが及ばないということもあるかもしれない。しかしよく考えると、『立てる像』は立像シリーズの中では色彩や描き方が違い、かなり異質ではある。
ところで松本竣介はこの佐伯祐三の作品を見たのだろうか?
可能性はなくはない。なぜなら制作年は1924年と佐伯の作品の方が古いからだ。松本竣介の作品に先立つのであるから、どこかで目にした可能性は存在する。では見たとしたら一体どこで見たのか。そして本当に見た可能性はあるのか。
しかし、現時点ではわからない。また、ただ似ているだけでは、偶然に同じような絵柄になることもなくはないだろう、と考えてもおかしくはない。
はっきりとした影響関係を指摘し、それを証明するのは簡単ではない。
佐伯祐三の滞欧作が公開されているのは年譜によれば、二科会と一九三〇年協会展で存命中にあった。死後に関しては私は未調査である。ということなので、佐伯祐三の展覧会歴と目録の調査が必要になる。これはどこかで美術年鑑か、美術雑誌を丹念に繰ってみれば、目録や図版を見つけられるかもしれない。もし出品が確認できたら、今度は松本竣介がその展覧会を見たかどうか、可能性を含めて考えることになる。ただ佐伯の作品が、自身の顔を削った自画像であることを考えると、死後の展覧会で時間をおかずに公開された可能性はあまり高くないように思うのだが・・・。
そして気になるのは、佐伯祐三のアトリエが下落合(現新宿区中落合)にあり、死後は妻佐伯米子が1972年まで住んでいたことである。決して遠くはないのである。もちろん松本竣介の自宅からである。そして案の定、松本の編集発行した『雜記帳』には佐伯米子の名前がある。創刊3号の1936年12月号と最終14号の1937年12月号に文章を寄稿している。明らかな接点がある。ということは、松本竣介が、佐伯祐三のアトリエを訪れ、そしてその場にあった『立てる自画像』を目撃した可能性もなくはないのだ。
ただこれも、アトリエに『立てる自画像』があったことが証明できないと、単なる願望、都合のいい推測になってしまう。
さて、どうしたものか・・・・。
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■小松﨑拓男 Takuo KOMATSUZAKI
千葉県生まれ。横浜そごう美術館、郡山市美術館準備室、平塚市美術館の主任学芸員を経て、NTTインターコミュニケーション・センター[ICC]学芸課長、広島市現代美術館学芸課長、副館長を歴任後、金沢美術工芸大学教授を2019年まで務める。現在、美術評論家連盟会員、文教大学情報学部非常勤講師として「美術」「サブカルチャー論」担当。
キュレーター時代には絵画をはじめとしてメディア・アートなど先端領域を含めた幅広い分野で近現代美術の展覧会を企画。村上隆、奈良美智、会田誠などを公立美術館で初めて本格的に紹介した。
主な展覧会に「TOKYO POP」(平塚市美術館)「New Media New Face / New York」(NTTインターコミュニケーション・センター[ICC])「絵画新世紀」「サイバー・アジア」(広島市現代美術館)「エコメトロ」(光州ビエンナーレ)などがある。
●本日のお勧め作品は、松本竣介です。
松本竣介 Shunsuke MATSUMOTO《人物(W)》
1942年
紙に鉛筆
イメージサイズ:23.5x20.5cm
シートサイズ: 27.5x22.5cm
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