瑛九追っ掛け46年、右も左もわからないまま美術界に飛び込んだ亭主がどんなきっかけで「瑛九の画商」になったかは宮崎日日新聞(2011年5月25日朝刊)に書いたことがあります。
ど素人の恩人は瑛九の理解者であり後援者だった久保貞次郎先生(1909- 1996年)でした。
真岡の久保アトリエの前に立つ久保貞次郎先生。
壁面にはオノサト・トシノブ、瑛九、靉嘔、池田満寿夫、磯辺行久の巨大な壁画
「ボクの教え子に池田君という優秀な子がいます」と妻となる人を紹介してくれたのも久保先生でした。人生最大の幸運でした。
1991年7月27日 旧軽井沢の久保家別荘にて、久保先生と綿貫令子
追悼集『久保貞次郎を語る』
執筆:久保佳世子、久保翠、周郷博、武谷三男、浅川幸男、飯田祐三、今泉篤男、植松竹二郎、魚津章夫、尾崎正教、竹内啓子、飛田茂雄、室伏哲郎、綿貫不二夫、靉嘔、飯塚国雄、磯辺行久、岡部徳三、小此木眞三郎、小野忠重、桂ゆき、川上高徳、北川民次、木村利三郎、竹田鎮三郎、長倉翠子、細江英公、吉原英雄、青木茂、大島清次、金澤毅、河野実、瀬木慎一、田中万里子、田中穣、松本健一、青柳保、新井哲夫、木水育男、島崎清海、高森俊、野々目桂三、藤原治、臼田紘、菊地秀明、酒井美知子、清水たま子、鈴木靖子、竹内廸也、信定宏郎、秀坂令子、藤沼秀子、北沢長子、綿貫令子。
久保先生の一周忌に合わせて刊行された追悼集には55人が執筆されています。この幅広いネットワークこそが久保先生の真骨頂であり、その恩恵を私たちも蒙ることができました。
*池田満寿夫先生の名が見えないのは執筆を快諾されていたのですが1997年3月8日に急逝されたためです。
365日年中無休のブログにはいくつかカテゴリー分類をたてています。
「瑛九の世界」は現時点で220件ほどあり、瑛九関連の情報をアップしています。
また下記のように、多くの研究者、コレクターの皆さんにもご寄稿いただいてきました。
2006年9月26日/松本真希「宇宙のなかの小さな点 瑛九展」
2007年6月20日/加藤南枝「ギャラリートークはおもしろかった/瑛九展」
2011年9月5日~7日/浅野智子「瑛九の型紙考」(全3回)
2011年9月11日~13日/中川美香「瑛九を追って」(全3回)
2011年11月3日/植田実「生誕100年記念 瑛九展」
2013年8月28日/針生一郎「現代日本版画家群像第3回 浜口陽三と瑛九」(1979年執筆の再録)
2013年11月10日/瀧口修造「瑛九の訪れ」(1979年執筆の再録)
2015年2月~/中村茉貴「美術館に瑛九を観に行く」
2015年5月18日/難波田龍起「瑛九について」(1981年執筆の再録)
2016年6月29日/大谷省吾『激動期のアヴァンギャルド シュルレアリスムと日本の絵画1928-1953』
2017年1月23日/田中章夫「本間美術館と瑛九」
2017年5月13日/五十殿利治『非常時のモダニズム 一九三〇年代帝国日本の美術』
2017年12月29日/比田井一良「瑛九の初期印画紙作品について」
2018年5月~12月/鈴木素直「瑛九・鈔」(全8回 再録)
2018年7月22日/坂上義太郎「関西ゆかりのデモクラートの作家たち」展に寄せて
2019年1月18日/飯沢耕太郎「瑛九とフォト・デッサン」
2019年4月28日/大谷省吾「瑛九 ー 光の探求者」
2020年1月4日/土渕信彦「ポーラ美術館の《シュルレアリスムと美術 ダリ、エルンストと日本の「シュール」》展レビュー」
2020年2月13日/東海林洋「シュルレアリスムと絵画―ダリ、エルンストと日本の『シュール』」
2020年5月08日/大谷省吾「ウェブ上で見る瑛九晩年の点描作品」
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東京国立近代美術館で大谷省吾先生企画による「瑛九1935-1937 闇の中で『レアル』をさがす」展が開催されのは2016年11月22日~2017年2月12日でした。


小展示でしたが瑛九顕彰の歴史では画期的な展覧会であり、亭主は勝手連的に宣伝を買ってでて、2016年11月24日から最終日の2017年2月12日まで81日間、毎日<瑛九情報!>をブログの末尾に発信し続けました。
ジュール・ヴェルヌの如き波瀾万丈の物語ではありませんが、瑛九を知りたい方へのほんの入り口になればと考えた次第です。
展覧会終了後、2017年3月9日ブログに81回の<瑛九情報!>総目次を作成したのですが、今回若干の補正を施し再録させていただきます。
◆瑛九情報! 81日間の総目次
2016年11月24日「1960年の四人の作家展」
「四人の作家」展目録
会期:1960年4月28日―6月5日
主催・会場:国立近代美術館
出展作家:菱田春草、瑛九、上阪雅人、高村光太郎
*没後直後のドキュメントをお読みください。
11月25日「近美のtwitter」
11月26日「この人はコラージュがまじやばいからみといたほうがいいよ。坂口恭平 」
11月27日「瑛九は1911年(明治44年)生まれ、岡本太郎と同い年」
11月28日「展覧会を企画した大谷省吾さん」
大谷省吾『激動期のアヴァンギャルドシュルレアリスムと日本の絵画 一九二八-一九五三』
2016年 国書刊行会 発行
664ページ 21.7x17.0cm
11月29日「松本竣介と瑛九」
11月30日「瀧口修造 通りすぎるもの」
12月1日「瀧口修造【瑛九へ「ノートから 1951」】より」
12月2日「瀧口修造【瑛九のエッチング】『美術手帖』No.74 1953年10月号より」
12月3日「瑛九はけっしていわゆる孤絶の人なぞではなかった。いつも社会にむかってひらかれた心を持ちつづけたといってよいだろう。~瀧口修造」
12月4日「瀧口修造【ひとつの軌跡 瑛九をいたむ】『美術手帖』1960年5月号より」
12月5日「何事も平均化され、うやむやにされがちな現状にとって、山田光春氏の多年にわたる瑛九探求が『瑛九』として刊行されることはうれしい~瀧口修造【『瑛九』を待ちながら】」
山田光春著『瑛九 評伝と作品』1976年 青龍洞 480頁 瑛九の盟友だった画家山田光春が全国をまわり資料・作品を蒐集調査、克明に瑛九の生涯を追った伝記
12月6日「写真は光線の言葉だといわれます~瀧口修造『1955年1月・瑛九 フォート・デッサン展目録』より」
『瑛九フォート・デッサン展』出品目録
1955年 四つ折8頁 日本橋・高島屋
文:海老原喜之助、瀧口修造、岡鹿之助
12月7日「瑛九の父杉田直(すぎた なお)は息子を送った九ヵ月後の1960年(昭和35年)12月7日に亡くなりました。享年92」
杉田正臣著『父/暁天/瑛九抄』
12月8日「1891年(明治31年)宮崎初の眼科医院を開業した杉田直は医学界の発展に貢献する傍ら俳句をよくし、荻原井泉水の層雲同人として活躍しました」
12月9日「たゞ一つ湯婆残りぬ室の隅 漱石/明治41年12月22日夏目漱石から瑛九の父・杉田作郎に送られた俳句」
12月10日「1951年瑛九と泉茂らによって大阪で結成されたデモクラート美術家協会には多くの若者が集まりました」
12月11日「月が静かにさしよればフラスコにある球面 月月虹/秋田の医師船木綱春は瑛九の父杉田直の俳句仲間でした」
1975年11月秋田県大曲にて、関根伸夫先生と船木仁先生(右)。船木仁先生は私たちの最初のパトロンでしたが、その父君が瑛九の父と俳句仲間だったと知り、縁の不思議さを思わないわけにはいきませんでした。
12月12日「本展企画者・大谷省吾さんの講演会~書簡から読み解く 1935 -1937年の瑛九~は 12 月17 日と1月7日に開催されます」
12月13日「なんでも鑑定団に出演したKさん所蔵の油彩大作『田園』が寄託されています、必見です」
12月14日「近美の至宝『青の中の丸』は1981年3月1日ギャラリー方寸の開廊記念展で展示された作品です」

瑛九「青の中の丸」
1958年 油彩・カンヴァス
90.9×116.7cm
東京国立近代美術館所蔵
*ギャラリー方寸の開廊記念展出品作
※日本経済新聞社『瑛九作品集』所収
12月15日「一度は国立近代美術館に展示されながら、その後海を渡ってしまった名作もあり」

瑛九「傷ましき顔」(作品A)
1937年
フォトコラージュ
19.1x13.6cm
鉛筆サイン・年記あり
※日本経済新聞社『瑛九作品集』148ページ所収
12月16日「中村茉貴~美術館に瑛九を観に行く~第12回」
12月17日「瑛九の故郷、宮崎県立美術館では<第三期コレクション展より 瑛九の世界Ⅱ>を開催」
12月18日「瑛九の多くの文献資料には、早くから瑛九をコレクションし、瑛九の顕彰展を開催してきたある美術館の名がすっぽりと抜け落ちています」
12月19日「山形県酒田の本間美術館は瑛九のほぼ全てのリトグラフ作品を所蔵し、7回もの瑛九展を開催してきた」

瑛九「旅人」
リトグラフ
本間美術館所蔵
12月20日「酒田の本間美術館は1974年(昭和49)2月2日~2月23日に瑛九リトグラフ展を開催しています」
本間美術館のコレクションが基礎となり刊行された『瑛九石版画総目録』1974年 瑛九の会 限定1000部 74頁 1951~1958年に制作されたリトグラフ158点を収録
12月21日「写真家・細江英公の原点は瑛九」

2004年8月21日「第15回瑛九展/1936年画家の出発」
ときの忘れものにて細江英公先生(右)
12月22日「磯辺行久は高校時代にデモクラート美術家協会に入会、最年少」
12月23日「デモクラートの解散声明は靉嘔が執筆」
12月24日「建築家・磯崎新は学生時代に浦和の瑛九アトリエを訪ねた」
12月25日「池田満寿夫の色彩銅版画は瑛九の助言で生まれた」
12月26日「12月26日は瑛九の兄・杉田正臣さんの命日」
1979年6月8日新宿・小田急「現代美術の父 瑛九展」レセプションにて
左から杉田正臣さん(瑛九の兄)、郡司君さん(瑛九の姉)、杉田都さん(瑛九夫人)、靉嘔先生
12月27日「新人スタッフの英文レポート」
12月28日「瑛九の会の設立趣意書と八人の発起人」
12月29日「中村茉貴~美術館に瑛九を観に行く~第13回」
12月30日「瑛九畏るべし。ほぼ数年おきに回顧展が開催されるというようなことは他の抽象画家では例がありません」
12月31日「お正月に瑛九を見られる美術館は七つ」
2017年
1月1日「沖縄県立博物館・美術館は元旦から開館、瑛九を展示しています」
1月2日「お正月に瑛九を展示している美術館」
1月3日「お正月に瑛九を展示している美術館」
1月4日「瑛九を所蔵している美術館は亭主の把握しているだけでも48館」
1月5日「瑛九のガラス絵~府中市美術館・ガラス絵 幻惑の200年史展」
1月6日「瑛九の会機関誌~眠りの理由 No.1創刊号」

瑛九の会『眠りの理由 創刊号』
瀧口論文の他に、山田光春「瑛九伝」第一回、杉田都「雪とEi Q」、杉田正臣「思い出すことなど」が掲載された。1966年4月20日発行
1月7日「瑛九の会機関誌~眠りの理由 No.2」
1月8日「瑛九の会機関誌~眠りの理由 No.3」
1月9日「瑛九の会機関誌~眠りの理由 No.4」
1月10日「瑛九の会機関誌~眠りの理由 No.5」
1月11日「瑛九の会機関誌~眠りの理由 No.6,7合併号」
1月12日「瑛九の会機関誌~眠りの理由 No.8」
1月13日「瑛九の会機関誌~眠りの理由 No.9,10合併号」
1月14日「瑛九の会機関誌~眠りの理由 No.11」
1月15日「瑛九の会機関誌~眠りの理由 No.12」
1月16日「瑛九の会機関誌~眠りの理由 No.13」
1973年9月1日 瑛九の会発行
限定300部
34ページ 24.7×17.5cm
1月17日「瑛九の会機関誌~眠りの理由 No.14」
1月18日「瑛九の会の発起人たち」
1月19日「瑛九を支えた人々~福井県鯖江の木水育男さん」
1996年8月
晩年の木水育男さんと綿貫令子
鯖江の木水邸にて
1月20日「瑛九を支えた人々~尾崎正教さん」
1974年3月31日
現代版画センター旗揚げ「第一回東京オークション」にて尾崎正教さん
於・高輪プリンスホテル
1月21日「細江英公~瑛九と私」
1981年9月26日
第6回シンポジウム・瑛九
細江英公フォトデッサン実技講座
細江英公先生(中央)と尾崎正教さん(左)
於・ギャラリー方寸
1月22日「瑛九を支えた人々~福井県勝山の原田勇さん」
1981年3月1日
「瑛九 その夢の方へ」展オープニング
右から原田勇さん、中上光雄さん、綿貫不二夫
於・ギャラリー方寸
1月23日「田中章夫~本間美術館と瑛九」
1月24日「瑛九を支えた人々~福井県大野の堀栄治さん」
1979年6月8日新宿・小田急「現代美術の父 瑛九展」レセプションにて
左から二人目が堀栄治さん、中村一郎さん、中上光雄さん、原田勇さんたち、いずれも福井瑛九の会のメンバー。
1月25日「貴重な記録集~堀栄治・編<福井創美の歩み>」
1月26日「1938年のスケッチ帖~立正大学新聞臨時増刊・青年の読物特輯」
瑛九スケッチ帖 「青年の読物特輯」
1月27日「福井県勝山の中上光雄・陽子ご夫妻と瑛九」
2015年1月福井県立美術館「福井の小コレクター運動とアートフル勝山の歩み―中上光雄・陽子コレクションによる―」
1月28日「浦和のアトリエを守る都夫人」
1月29日「瑛九の銅版画について」
1月30日「初期スケッチ帖」
1月31日「スタッフMの瑛九展を見て」
2月1日「初期抽象画~作品ーB(アート作品・青)」
2月2日「スタッフSの<瑛九 1935-1937 闇の中で「レアル」をさがす>レポート」
2月3日「1941年制作の油彩・逓信博物館 A」
瑛九「逓信博物館 A」
1941年 油彩
46.0×61.1cm
*「瑛九作品集」(日本経済新聞社)42頁所載
2月4日「中村茉貴~都城市立美術館・瑛九芸術の迷宮へ~その1」
2月5日「瑛九の吹き付け作品」
2月6日「スタッフAの瑛九展を見て」
2月7日「生前、海外での作品発表の機会がただ一度ありました」
2月8日「最大の支援者・久保貞次郎の瑛九コレクション」
1979年6月新宿・小田急「現代美術の父 瑛九展」レセプションにて
左から、オノサト・トシノブ先生、久保貞次郎先生、マイクを握っている泉茂先生、瑛九の会事務局長の原田勇さん、右端の背広姿は瑛九の会代表の木水育男さん

2月9日「中村茉貴~都城市立美術館・瑛九芸術の迷宮へ~その2」
2月10日「ときの忘れものの第20回瑛九展と第23回瑛九展のカタログ紹介」
『第20回瑛九展 奈良美智24歳×瑛九24歳 画家の出発』図録
発行日:2010年9月11日
発行:ときの忘れもの
15ページ 25.6x18.1cm(B5判)
執筆:三上豊(和光大学教授)
図版:15点+参考図版:27点
『第23回 瑛九展』カタログ
発行日:2013年5月17日
発行:ときの忘れもの
執筆:大谷省吾(東京国立近代美術館主任研究員)
図版:約30点掲載、カラー 24ページ
25.6x18.1cm(B5判)
2月11日「46の光のかけら/フォトデッサン型紙ポスター」
「第21回瑛九展 46の光のかけら/フォトデッサン型紙」ポスター(表面)
2011年
発行:ときの忘れもの
デザイン:北澤敏彦+DIX-HOUSE
サイズ:84.1x59.4cm(A1)
限定200部(番号入り)
*全46点の型紙の裏表両面を掲載した大判のポスター
瑛九展ポスター(裏面)
2017年2月12日最終回「瑛九の生前最後の個展の案内状」

「瑛九油絵展」案内状
会期:1960年2月23日~28日
会場:銀座・兜屋画廊

個展案内状の裏に印刷された瑛九のメッセージ
~~~~~~~~~~~~~~~~
以上81日間の発信記録です。毎日一件づつはさすがにきつく、出たとこ勝負みたいなものでしたが、読み返してみると随分と偏っていますね。
若干の文献、資料を以下に追加掲載いたします。
・『Q Ei photo~dessin 新作発表展覧会目録』
1950年 12頁 写真一枚貼り込み 松坂屋
文:外山卯三郎 *瑛九生前の新作展目録で、瑛九によるフォトデッサンの小さな複写写真が貼りこんであります。
・『瑛九遺作展』出品目録
1960年 三つ折6頁 福井市・繊協ビル
主催:瑛九会
文:海老原喜之助、瀧口修造、山城隆一、泉茂
*瑛九没後僅か2ヶ月後に初めての遺作展が福井で開催された
・『瑛九作品展』カタログ
1969年1月 10頁
南天子画廊(会場=文藝春秋画廊)
文・池田満寿夫
・久保貞次郎編『瑛九画集』

1971年12月24日 瑛九画集刊行会発行
限定2,000部
編者:久保貞次郎
90ページ 30.0×23.4cm
*遺族や生前から瑛九を支えたコレクター達の所蔵する油彩、フォトデッサン、版画など66点を収録
・『みづゑ 1979年6月号No.891』
1979年6月3日 美術出版社発行
特集=瑛九
124ページ 29.5×22.5cm
・鈴木素直『瑛九・鈔』
1980年
鉱脈社 発行
著者:鈴木素直
63ページ 9.2x13.1cm
目次:出会い/瑛九への旅 東京・瑛九展を見て/一枚の写真の現実 二十回忌に思う/フォトデッサン/版画に無限の楽しみ/二人の関係 瑛九・池田満寿夫版画展/“必死なる冒険”をすすめた画家後藤章
/瑛九―現代美術の父
・『瑛九と仲間たち 久保貞次郎・美術の世界2』
1985年2月28日
発行:叢文社
著者:久保貞次郎
232ページ 21.6×15.9cm
・『瑛九とその周辺展』カタログ
1986年
埼玉県立近代美術館他で開催
発行:読売新聞社、美術館連絡協議会
128ページ 24.0×25.0cm
執筆:久保貞次郎・瀬木慎一、
出品:瑛九、靉嘔、池田満寿夫、泉茂、オノサト・トシノブ、長谷川三郎、早川良雄、細江英公、吉原英雄の全146点。
・『瑛九とその仲間たち展』カタログ
1988年
発行:町田市立国際版画美術館
112ページ 27.6×21.5cm
・『瑛九作品集』

1997年10月1日 日本経済新聞社発行
204ページ 32.0×26.0cm
クロス装
監修:本間正義
執筆:五十殿利治
年表:横山勝彦
編集:三上豊・綿貫不二夫
*油彩・フォトデッサン・版画など代表作237点を網羅した決定版作品集。
・『瑛九 前衛画家の大きな冒険』展カタログ
2004年 渋谷区立松濤美術館 176頁
執筆:瀬尾典昭
*瑛九没後、宮崎、埼玉などの美術館でさまざまな回顧展が開催されてきたが、晩年の点描に絞って構成されたのは初めて。
・『石井コレクション研究1:瑛九』
2010(平成22年)3月31日 筑波大学芸術学系発行
21×14.8cm 98頁
2010年1月23日、筑波大学で開催された瑛九ワークショップの記録集。
参加者、及び執筆者:五十殿利治 寺門臨太郎 田中佐代子、城山萌々、田島直樹、栗原真未、大塚真穂、小林美紀、坂本雅美、綿貫不二夫、


左)同書14~15頁
右)同書18~19頁
●本日のお勧め作品は瑛九です。
瑛九
《花々》
1950 油彩
45.5x38.2cm(F8号)
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
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◎昨日読まれたブログ(archive)/2009年08月12日|原茂のエッセイ「時代の証言者」
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◆没後60年 第29回瑛九展(Web展/アポイントメント制)開催中
会期=2020年5月8日[金]―5月30日[土]
皆様がご自宅で楽しんでいただけるよう初めて動画を制作し、第一部と第二部をYouTubeで公開しています。
特別寄稿・大谷省吾さんの「ウェブ上で見る瑛九晩年の点描作品」もぜひお読みください。
※アポイント制にてご来廊いただける日時は、火曜~土曜の平日12:00~18:00となります。前日までにメールでご予約ください。日・月・祝日休廊。

没後60年を記念して第29回瑛九展を開催し、1958~59年の点描を中心に、油彩、フォトデッサン、版画など15点を出品します。
今まで研究者やコレクターが執筆して下さったエッセイや、亭主が発信した瑛九情報は2020年5月18日のブログにまとめて紹介しています。
ときの忘れものは新型コロナウイルスの感染拡大防止のため、スッタフは在宅勤務しています。メールでのお問合せ、ご注文には通常通り対応しています。
◆ときの忘れもののブログは作家、研究者、コレクターの皆さんによるエッセイを掲載し毎日更新を続けています(年中無休)。
皆さんのプロフィールは奇数日の執筆者は4月21日に、偶数日の執筆者は4月24日にご紹介しています。
◆ときの忘れものは版画・写真のエディション作品などをアマゾンに出品しています。
●ときの忘れものは青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。
阿部勤設計の新しい空間はWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊。
ど素人の恩人は瑛九の理解者であり後援者だった久保貞次郎先生(1909- 1996年)でした。
真岡の久保アトリエの前に立つ久保貞次郎先生。壁面にはオノサト・トシノブ、瑛九、靉嘔、池田満寿夫、磯辺行久の巨大な壁画
「ボクの教え子に池田君という優秀な子がいます」と妻となる人を紹介してくれたのも久保先生でした。人生最大の幸運でした。1991年7月27日 旧軽井沢の久保家別荘にて、久保先生と綿貫令子
追悼集『久保貞次郎を語る』執筆:久保佳世子、久保翠、周郷博、武谷三男、浅川幸男、飯田祐三、今泉篤男、植松竹二郎、魚津章夫、尾崎正教、竹内啓子、飛田茂雄、室伏哲郎、綿貫不二夫、靉嘔、飯塚国雄、磯辺行久、岡部徳三、小此木眞三郎、小野忠重、桂ゆき、川上高徳、北川民次、木村利三郎、竹田鎮三郎、長倉翠子、細江英公、吉原英雄、青木茂、大島清次、金澤毅、河野実、瀬木慎一、田中万里子、田中穣、松本健一、青柳保、新井哲夫、木水育男、島崎清海、高森俊、野々目桂三、藤原治、臼田紘、菊地秀明、酒井美知子、清水たま子、鈴木靖子、竹内廸也、信定宏郎、秀坂令子、藤沼秀子、北沢長子、綿貫令子。
久保先生の一周忌に合わせて刊行された追悼集には55人が執筆されています。この幅広いネットワークこそが久保先生の真骨頂であり、その恩恵を私たちも蒙ることができました。
*池田満寿夫先生の名が見えないのは執筆を快諾されていたのですが1997年3月8日に急逝されたためです。
365日年中無休のブログにはいくつかカテゴリー分類をたてています。
「瑛九の世界」は現時点で220件ほどあり、瑛九関連の情報をアップしています。
また下記のように、多くの研究者、コレクターの皆さんにもご寄稿いただいてきました。
2006年9月26日/松本真希「宇宙のなかの小さな点 瑛九展」
2007年6月20日/加藤南枝「ギャラリートークはおもしろかった/瑛九展」
2011年9月5日~7日/浅野智子「瑛九の型紙考」(全3回)
2011年9月11日~13日/中川美香「瑛九を追って」(全3回)
2011年11月3日/植田実「生誕100年記念 瑛九展」
2013年8月28日/針生一郎「現代日本版画家群像第3回 浜口陽三と瑛九」(1979年執筆の再録)
2013年11月10日/瀧口修造「瑛九の訪れ」(1979年執筆の再録)
2015年2月~/中村茉貴「美術館に瑛九を観に行く」
2015年5月18日/難波田龍起「瑛九について」(1981年執筆の再録)
2016年6月29日/大谷省吾『激動期のアヴァンギャルド シュルレアリスムと日本の絵画1928-1953』
2017年1月23日/田中章夫「本間美術館と瑛九」
2017年5月13日/五十殿利治『非常時のモダニズム 一九三〇年代帝国日本の美術』
2017年12月29日/比田井一良「瑛九の初期印画紙作品について」
2018年5月~12月/鈴木素直「瑛九・鈔」(全8回 再録)
2018年7月22日/坂上義太郎「関西ゆかりのデモクラートの作家たち」展に寄せて
2019年1月18日/飯沢耕太郎「瑛九とフォト・デッサン」
2019年4月28日/大谷省吾「瑛九 ー 光の探求者」
2020年1月4日/土渕信彦「ポーラ美術館の《シュルレアリスムと美術 ダリ、エルンストと日本の「シュール」》展レビュー」
2020年2月13日/東海林洋「シュルレアリスムと絵画―ダリ、エルンストと日本の『シュール』」
2020年5月08日/大谷省吾「ウェブ上で見る瑛九晩年の点描作品」
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東京国立近代美術館で大谷省吾先生企画による「瑛九1935-1937 闇の中で『レアル』をさがす」展が開催されのは2016年11月22日~2017年2月12日でした。


小展示でしたが瑛九顕彰の歴史では画期的な展覧会であり、亭主は勝手連的に宣伝を買ってでて、2016年11月24日から最終日の2017年2月12日まで81日間、毎日<瑛九情報!>をブログの末尾に発信し続けました。
ジュール・ヴェルヌの如き波瀾万丈の物語ではありませんが、瑛九を知りたい方へのほんの入り口になればと考えた次第です。
展覧会終了後、2017年3月9日ブログに81回の<瑛九情報!>総目次を作成したのですが、今回若干の補正を施し再録させていただきます。
◆瑛九情報! 81日間の総目次
2016年11月24日「1960年の四人の作家展」
「四人の作家」展目録会期:1960年4月28日―6月5日
主催・会場:国立近代美術館
出展作家:菱田春草、瑛九、上阪雅人、高村光太郎
*没後直後のドキュメントをお読みください。
11月25日「近美のtwitter」
11月26日「この人はコラージュがまじやばいからみといたほうがいいよ。坂口恭平 」
11月27日「瑛九は1911年(明治44年)生まれ、岡本太郎と同い年」
11月28日「展覧会を企画した大谷省吾さん」
大谷省吾『激動期のアヴァンギャルドシュルレアリスムと日本の絵画 一九二八-一九五三』2016年 国書刊行会 発行
664ページ 21.7x17.0cm
11月29日「松本竣介と瑛九」
11月30日「瀧口修造 通りすぎるもの」
12月1日「瀧口修造【瑛九へ「ノートから 1951」】より」
12月2日「瀧口修造【瑛九のエッチング】『美術手帖』No.74 1953年10月号より」
12月3日「瑛九はけっしていわゆる孤絶の人なぞではなかった。いつも社会にむかってひらかれた心を持ちつづけたといってよいだろう。~瀧口修造」
12月4日「瀧口修造【ひとつの軌跡 瑛九をいたむ】『美術手帖』1960年5月号より」
12月5日「何事も平均化され、うやむやにされがちな現状にとって、山田光春氏の多年にわたる瑛九探求が『瑛九』として刊行されることはうれしい~瀧口修造【『瑛九』を待ちながら】」
山田光春著『瑛九 評伝と作品』1976年 青龍洞 480頁 瑛九の盟友だった画家山田光春が全国をまわり資料・作品を蒐集調査、克明に瑛九の生涯を追った伝記12月6日「写真は光線の言葉だといわれます~瀧口修造『1955年1月・瑛九 フォート・デッサン展目録』より」
『瑛九フォート・デッサン展』出品目録1955年 四つ折8頁 日本橋・高島屋
文:海老原喜之助、瀧口修造、岡鹿之助
12月7日「瑛九の父杉田直(すぎた なお)は息子を送った九ヵ月後の1960年(昭和35年)12月7日に亡くなりました。享年92」
杉田正臣著『父/暁天/瑛九抄』12月8日「1891年(明治31年)宮崎初の眼科医院を開業した杉田直は医学界の発展に貢献する傍ら俳句をよくし、荻原井泉水の層雲同人として活躍しました」
12月9日「たゞ一つ湯婆残りぬ室の隅 漱石/明治41年12月22日夏目漱石から瑛九の父・杉田作郎に送られた俳句」
12月10日「1951年瑛九と泉茂らによって大阪で結成されたデモクラート美術家協会には多くの若者が集まりました」
12月11日「月が静かにさしよればフラスコにある球面 月月虹/秋田の医師船木綱春は瑛九の父杉田直の俳句仲間でした」
1975年11月秋田県大曲にて、関根伸夫先生と船木仁先生(右)。船木仁先生は私たちの最初のパトロンでしたが、その父君が瑛九の父と俳句仲間だったと知り、縁の不思議さを思わないわけにはいきませんでした。12月12日「本展企画者・大谷省吾さんの講演会~書簡から読み解く 1935 -1937年の瑛九~は 12 月17 日と1月7日に開催されます」
12月13日「なんでも鑑定団に出演したKさん所蔵の油彩大作『田園』が寄託されています、必見です」
12月14日「近美の至宝『青の中の丸』は1981年3月1日ギャラリー方寸の開廊記念展で展示された作品です」

瑛九「青の中の丸」
1958年 油彩・カンヴァス
90.9×116.7cm
東京国立近代美術館所蔵
*ギャラリー方寸の開廊記念展出品作
※日本経済新聞社『瑛九作品集』所収
12月15日「一度は国立近代美術館に展示されながら、その後海を渡ってしまった名作もあり」

瑛九「傷ましき顔」(作品A)
1937年
フォトコラージュ
19.1x13.6cm
鉛筆サイン・年記あり
※日本経済新聞社『瑛九作品集』148ページ所収
12月16日「中村茉貴~美術館に瑛九を観に行く~第12回」
12月17日「瑛九の故郷、宮崎県立美術館では<第三期コレクション展より 瑛九の世界Ⅱ>を開催」
12月18日「瑛九の多くの文献資料には、早くから瑛九をコレクションし、瑛九の顕彰展を開催してきたある美術館の名がすっぽりと抜け落ちています」
12月19日「山形県酒田の本間美術館は瑛九のほぼ全てのリトグラフ作品を所蔵し、7回もの瑛九展を開催してきた」

瑛九「旅人」
リトグラフ
本間美術館所蔵
12月20日「酒田の本間美術館は1974年(昭和49)2月2日~2月23日に瑛九リトグラフ展を開催しています」
本間美術館のコレクションが基礎となり刊行された『瑛九石版画総目録』1974年 瑛九の会 限定1000部 74頁 1951~1958年に制作されたリトグラフ158点を収録 12月21日「写真家・細江英公の原点は瑛九」

2004年8月21日「第15回瑛九展/1936年画家の出発」
ときの忘れものにて細江英公先生(右)
12月22日「磯辺行久は高校時代にデモクラート美術家協会に入会、最年少」
12月23日「デモクラートの解散声明は靉嘔が執筆」
12月24日「建築家・磯崎新は学生時代に浦和の瑛九アトリエを訪ねた」
12月25日「池田満寿夫の色彩銅版画は瑛九の助言で生まれた」
12月26日「12月26日は瑛九の兄・杉田正臣さんの命日」
1979年6月8日新宿・小田急「現代美術の父 瑛九展」レセプションにて左から杉田正臣さん(瑛九の兄)、郡司君さん(瑛九の姉)、杉田都さん(瑛九夫人)、靉嘔先生
12月27日「新人スタッフの英文レポート」
12月28日「瑛九の会の設立趣意書と八人の発起人」
12月29日「中村茉貴~美術館に瑛九を観に行く~第13回」
12月30日「瑛九畏るべし。ほぼ数年おきに回顧展が開催されるというようなことは他の抽象画家では例がありません」
12月31日「お正月に瑛九を見られる美術館は七つ」
2017年
1月1日「沖縄県立博物館・美術館は元旦から開館、瑛九を展示しています」
1月2日「お正月に瑛九を展示している美術館」
1月3日「お正月に瑛九を展示している美術館」
1月4日「瑛九を所蔵している美術館は亭主の把握しているだけでも48館」
1月5日「瑛九のガラス絵~府中市美術館・ガラス絵 幻惑の200年史展」
1月6日「瑛九の会機関誌~眠りの理由 No.1創刊号」

瑛九の会『眠りの理由 創刊号』
瀧口論文の他に、山田光春「瑛九伝」第一回、杉田都「雪とEi Q」、杉田正臣「思い出すことなど」が掲載された。1966年4月20日発行
1月7日「瑛九の会機関誌~眠りの理由 No.2」
1月8日「瑛九の会機関誌~眠りの理由 No.3」
1月9日「瑛九の会機関誌~眠りの理由 No.4」
1月10日「瑛九の会機関誌~眠りの理由 No.5」
1月11日「瑛九の会機関誌~眠りの理由 No.6,7合併号」
1月12日「瑛九の会機関誌~眠りの理由 No.8」
1月13日「瑛九の会機関誌~眠りの理由 No.9,10合併号」
1月14日「瑛九の会機関誌~眠りの理由 No.11」
1月15日「瑛九の会機関誌~眠りの理由 No.12」
1月16日「瑛九の会機関誌~眠りの理由 No.13」
1973年9月1日 瑛九の会発行限定300部
34ページ 24.7×17.5cm
1月17日「瑛九の会機関誌~眠りの理由 No.14」
1月18日「瑛九の会の発起人たち」
1月19日「瑛九を支えた人々~福井県鯖江の木水育男さん」
1996年8月晩年の木水育男さんと綿貫令子
鯖江の木水邸にて
1月20日「瑛九を支えた人々~尾崎正教さん」
1974年3月31日現代版画センター旗揚げ「第一回東京オークション」にて尾崎正教さん
於・高輪プリンスホテル
1月21日「細江英公~瑛九と私」
1981年9月26日第6回シンポジウム・瑛九
細江英公フォトデッサン実技講座
細江英公先生(中央)と尾崎正教さん(左)
於・ギャラリー方寸
1月22日「瑛九を支えた人々~福井県勝山の原田勇さん」
1981年3月1日「瑛九 その夢の方へ」展オープニング
右から原田勇さん、中上光雄さん、綿貫不二夫
於・ギャラリー方寸
1月23日「田中章夫~本間美術館と瑛九」
1月24日「瑛九を支えた人々~福井県大野の堀栄治さん」
1979年6月8日新宿・小田急「現代美術の父 瑛九展」レセプションにて左から二人目が堀栄治さん、中村一郎さん、中上光雄さん、原田勇さんたち、いずれも福井瑛九の会のメンバー。
1月25日「貴重な記録集~堀栄治・編<福井創美の歩み>」
1月26日「1938年のスケッチ帖~立正大学新聞臨時増刊・青年の読物特輯」
瑛九スケッチ帖 「青年の読物特輯」1月27日「福井県勝山の中上光雄・陽子ご夫妻と瑛九」
2015年1月福井県立美術館「福井の小コレクター運動とアートフル勝山の歩み―中上光雄・陽子コレクションによる―」1月28日「浦和のアトリエを守る都夫人」
1月29日「瑛九の銅版画について」
1月30日「初期スケッチ帖」
1月31日「スタッフMの瑛九展を見て」
2月1日「初期抽象画~作品ーB(アート作品・青)」
2月2日「スタッフSの<瑛九 1935-1937 闇の中で「レアル」をさがす>レポート」
2月3日「1941年制作の油彩・逓信博物館 A」
瑛九「逓信博物館 A」1941年 油彩
46.0×61.1cm
*「瑛九作品集」(日本経済新聞社)42頁所載
2月4日「中村茉貴~都城市立美術館・瑛九芸術の迷宮へ~その1」
2月5日「瑛九の吹き付け作品」
2月6日「スタッフAの瑛九展を見て」
2月7日「生前、海外での作品発表の機会がただ一度ありました」
2月8日「最大の支援者・久保貞次郎の瑛九コレクション」
1979年6月新宿・小田急「現代美術の父 瑛九展」レセプションにて左から、オノサト・トシノブ先生、久保貞次郎先生、マイクを握っている泉茂先生、瑛九の会事務局長の原田勇さん、右端の背広姿は瑛九の会代表の木水育男さん

2月9日「中村茉貴~都城市立美術館・瑛九芸術の迷宮へ~その2」
2月10日「ときの忘れものの第20回瑛九展と第23回瑛九展のカタログ紹介」
『第20回瑛九展 奈良美智24歳×瑛九24歳 画家の出発』図録発行日:2010年9月11日
発行:ときの忘れもの
15ページ 25.6x18.1cm(B5判)
執筆:三上豊(和光大学教授)
図版:15点+参考図版:27点
『第23回 瑛九展』カタログ発行日:2013年5月17日
発行:ときの忘れもの
執筆:大谷省吾(東京国立近代美術館主任研究員)
図版:約30点掲載、カラー 24ページ
25.6x18.1cm(B5判)
2月11日「46の光のかけら/フォトデッサン型紙ポスター」
「第21回瑛九展 46の光のかけら/フォトデッサン型紙」ポスター(表面)2011年
発行:ときの忘れもの
デザイン:北澤敏彦+DIX-HOUSE
サイズ:84.1x59.4cm(A1)
限定200部(番号入り)
*全46点の型紙の裏表両面を掲載した大判のポスター
瑛九展ポスター(裏面)2017年2月12日最終回「瑛九の生前最後の個展の案内状」

「瑛九油絵展」案内状
会期:1960年2月23日~28日
会場:銀座・兜屋画廊

個展案内状の裏に印刷された瑛九のメッセージ
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以上81日間の発信記録です。毎日一件づつはさすがにきつく、出たとこ勝負みたいなものでしたが、読み返してみると随分と偏っていますね。
若干の文献、資料を以下に追加掲載いたします。
・『Q Ei photo~dessin 新作発表展覧会目録』
1950年 12頁 写真一枚貼り込み 松坂屋 文:外山卯三郎 *瑛九生前の新作展目録で、瑛九によるフォトデッサンの小さな複写写真が貼りこんであります。
・『瑛九遺作展』出品目録
1960年 三つ折6頁 福井市・繊協ビル 主催:瑛九会
文:海老原喜之助、瀧口修造、山城隆一、泉茂
*瑛九没後僅か2ヶ月後に初めての遺作展が福井で開催された
・『瑛九作品展』カタログ
1969年1月 10頁 南天子画廊(会場=文藝春秋画廊)
文・池田満寿夫
・久保貞次郎編『瑛九画集』

1971年12月24日 瑛九画集刊行会発行限定2,000部
編者:久保貞次郎
90ページ 30.0×23.4cm
*遺族や生前から瑛九を支えたコレクター達の所蔵する油彩、フォトデッサン、版画など66点を収録
・『みづゑ 1979年6月号No.891』
1979年6月3日 美術出版社発行特集=瑛九
124ページ 29.5×22.5cm
・鈴木素直『瑛九・鈔』
1980年鉱脈社 発行
著者:鈴木素直
63ページ 9.2x13.1cm
目次:出会い/瑛九への旅 東京・瑛九展を見て/一枚の写真の現実 二十回忌に思う/フォトデッサン/版画に無限の楽しみ/二人の関係 瑛九・池田満寿夫版画展/“必死なる冒険”をすすめた画家後藤章
/瑛九―現代美術の父
・『瑛九と仲間たち 久保貞次郎・美術の世界2』
1985年2月28日 発行:叢文社
著者:久保貞次郎
232ページ 21.6×15.9cm
・『瑛九とその周辺展』カタログ
1986年埼玉県立近代美術館他で開催
発行:読売新聞社、美術館連絡協議会
128ページ 24.0×25.0cm
執筆:久保貞次郎・瀬木慎一、
出品:瑛九、靉嘔、池田満寿夫、泉茂、オノサト・トシノブ、長谷川三郎、早川良雄、細江英公、吉原英雄の全146点。
・『瑛九とその仲間たち展』カタログ
1988年 発行:町田市立国際版画美術館
112ページ 27.6×21.5cm
・『瑛九作品集』

1997年10月1日 日本経済新聞社発行204ページ 32.0×26.0cm
クロス装
監修:本間正義
執筆:五十殿利治
年表:横山勝彦
編集:三上豊・綿貫不二夫
*油彩・フォトデッサン・版画など代表作237点を網羅した決定版作品集。
・『瑛九 前衛画家の大きな冒険』展カタログ
2004年 渋谷区立松濤美術館 176頁 執筆:瀬尾典昭
*瑛九没後、宮崎、埼玉などの美術館でさまざまな回顧展が開催されてきたが、晩年の点描に絞って構成されたのは初めて。
・『石井コレクション研究1:瑛九』
2010(平成22年)3月31日 筑波大学芸術学系発行21×14.8cm 98頁
2010年1月23日、筑波大学で開催された瑛九ワークショップの記録集。
参加者、及び執筆者:五十殿利治 寺門臨太郎 田中佐代子、城山萌々、田島直樹、栗原真未、大塚真穂、小林美紀、坂本雅美、綿貫不二夫、


左)同書14~15頁
右)同書18~19頁
●本日のお勧め作品は瑛九です。
瑛九《花々》
1950 油彩
45.5x38.2cm(F8号)
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
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◎昨日読まれたブログ(archive)/2009年08月12日|原茂のエッセイ「時代の証言者」
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◆没後60年 第29回瑛九展(Web展/アポイントメント制)開催中
会期=2020年5月8日[金]―5月30日[土]
皆様がご自宅で楽しんでいただけるよう初めて動画を制作し、第一部と第二部をYouTubeで公開しています。
特別寄稿・大谷省吾さんの「ウェブ上で見る瑛九晩年の点描作品」もぜひお読みください。
※アポイント制にてご来廊いただける日時は、火曜~土曜の平日12:00~18:00となります。前日までにメールでご予約ください。日・月・祝日休廊。

没後60年を記念して第29回瑛九展を開催し、1958~59年の点描を中心に、油彩、フォトデッサン、版画など15点を出品します。
今まで研究者やコレクターが執筆して下さったエッセイや、亭主が発信した瑛九情報は2020年5月18日のブログにまとめて紹介しています。
ときの忘れものは新型コロナウイルスの感染拡大防止のため、スッタフは在宅勤務しています。メールでのお問合せ、ご注文には通常通り対応しています。
◆ときの忘れもののブログは作家、研究者、コレクターの皆さんによるエッセイを掲載し毎日更新を続けています(年中無休)。
皆さんのプロフィールは奇数日の執筆者は4月21日に、偶数日の執筆者は4月24日にご紹介しています。
◆ときの忘れものは版画・写真のエディション作品などをアマゾンに出品しています。
●ときの忘れものは青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。
阿部勤設計の新しい空間はWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊。
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