皆様こんにちわ。
ときの忘れもの国内担当のスタッフMです。

ときの忘れものでは、「没後60年 第29回瑛九展」(Web展/アポイントメント制)を開催しております。はじめて動画を制作し、第一部と第二部の2本をユーチューブで公開しています。
来廊をご希望の方は前日までにメールでご連絡ください。

今回は、「没後60年 第29回瑛九展」にも展示している銅版画をご紹介いたします。
瑛九が制作した銅版画の数を皆様ご存じでしょうか。
なんと約350点あります。それも1951年から1958年までの僅か足掛け8年の間に集中して制作されました。
IMG_5878(山田光春「瑛九 評伝と作品」(1976年、株式会社青龍洞) p.335より引用)

実は、瑛九の銅版画のカタログ・レゾネ(総目録)はありません。
そのためいったいどれほどの作品が制作されたかが正確には不明です。
約350点という言い方もそのためです。
銅版画のレゾネに代わる資料として、下記の3つの資料が残っています。

1)没後に都夫人が編集した「私家版の瑛九銅版画目録」(1961年、写真アルバム形式、229点収録、ただし重複あり)
2)南天子画廊発行の没後最初の後刷りの「瑛九原作銅版画集総目録」(1969年、50点収録)
3)林グラフィックプレス発行の「瑛九銅版画 SCALE Ⅰ~SCALE Ⅴ目録」(1983年、278点収録。同社が1974年から1983年にかけて行なった後刷りの図録)
*2)と3)はほとんど重複せず(一部重複あり)、上記三つの文献をきちんと整理し、漏れている作品も含めて調査する必要があります。
詳しくは画廊亭主がこちらの記事で詳しく書いています。

瑛九は1960年に48歳の若さで亡くなりますが、そのわずか1年後の1961年に杉田都夫人が「私家版の瑛九銅版画目録」(写真アルバム)を作成しています。上記の1)ですね。
画廊亭主によると都夫人は同じアルバムを複数作成し、福井のコレクター・木水育男さん、久保貞次郎先生、瑛九の会初代事務局長・尾崎正教さんなどに託したそうです。

「瑛九 エッチング 総目録 寸法による分類 No1」※類の漢字はへんのみ。
DSC_0115表紙
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「瑛九 エッチング 総目録 寸法による分類 No2」※類の漢字はへんのみ。
DSC_0116表紙
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「エッチング 総目録」
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瑛九が亡くなってからたった1年で目録を作るとは、杉田都夫人はすごいですね。

さて、瑛九は1951年12月15日に内田耕平さん宛にこのような書簡を送っています。
僕は今サメてから夢をみるまでエッチングと石版の実ケンにボットウしてゐます。
(山田光春「瑛九 評伝と作品」(1976年、株式会社青龍洞) p.329より引用)

今回の展示で出品している《鳥と動物》はまさにボットウ中に制作された作品です。
qei_139_animals瑛九
《鳥と動物》
1951年
エッチング(自刷り)
28.5×24.0cm
1部乃至数部


qei_100_white_horn瑛九
《白い角》
1954年
銅版(作家自刷り)
イメージサイズ:23.6x18.2cm
シートサイズ:36.8x25.7cm
Ed.25
サインあり
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神田のタケミヤ画廊(1953年8月 )で東京における最初のエッチング展を開いたときには、1953年9月8日の内田さん宛ての書簡でこのように語っています。

エッチング展は瀧口氏などが理解してくれたので、日本のエッチャーは駒井哲郎だけではないということになって、駒井先生もいやおうなしに見に来たらしいのです。
(山田光春「瑛九 評伝と作品」(1976年、株式会社青龍洞) p.364より引用)

IMG_6424(山田光春「瑛九 評伝と作品」(1976年、株式会社青龍洞) p.351より引用)

油絵と並行して約350点もの数の銅版画をつくった瑛九は、当時どんなことを考えていたのでしょうか。1953年11月20日に瑛九が作家の泉茂に宛てた書簡で面白いことを語っています。

エッチングの原則は銅板にキズをつけてそこにインクをつけてスレばよいのです。キズのフカさ、キズをつける方法もどんなことをやってもよいのです。フカクホレば強く出るし、ヨワクホレバよわくできます。(中略)僕個人の場合をいふと、僕はすべてぢかボリです。銅板を前におくまで頭はカラッポです。しかしこれは僕の方法であって、その方法によって僕の作品のカチが決定されるわけではありません。
(山田光春「瑛九 評伝と作品」(1976年、株式会社青龍洞) p.366-367より引用)

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1979年6月8日~20日に小田急グランドギャラリーで開催された「現代美術の父 瑛九展」のレセプション会場の様子。
左から、オノサト・トシノブ先生(瑛九最後の個展の店番をしていたらしい)、久保貞次郎先生、マイクを握っている泉茂先生、瑛九の会事務局長の原田勇さん、右端の背広姿は瑛九の会代表の木水育男さん。


今回は画廊亭主から在宅中の宿題として手渡された山田光春先生「瑛九 評伝と作品」を読みながら、銅版画についてご案内しましたが、うまくお伝えできたでしょうか。
次回はリトグラフについて少し書く予定です。
それでは皆様どうかお元気でお過ごしください。
スタッフM

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◎昨日読まれたブログ(archive)/2015年04月22日|エルンスト・ハースのモノクロ写真「"SEA FORM" - Monochrome photo by Ernst Haas」
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没後60年 第29回瑛九展(Web展/アポイントメント制)開催中
会期=2020年5月8日[金]―5月30日[土]
皆様がご自宅で楽しんでいただけるよう初めて動画を制作し、第一部第二部をYouTubeで公開しています。
特別寄稿・大谷省吾さんの「ウェブ上で見る瑛九晩年の点描作品」もぜひお読みください。
※アポイント制にてご来廊いただける日時は、火曜~土曜の平日12:00~18:00となります。前日までにメールでご予約ください。日・月・祝日休廊。
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没後60年を記念して第29回瑛九展を開催し、1958~59年の点描を中心に、油彩、フォトデッサン、版画など15点を展示しています。
今まで研究者やコレクターの皆さんが執筆して下さったエッセイや、亭主が発信した瑛九情報は2020年5月18日のブログ81日間<瑛九情報!>総目次(増補再録)にまとめて紹介しています。

◆ときの忘れもののブログは作家、研究者、コレクターの皆さんによるエッセイを掲載し毎日更新を続けています(年中無休)。
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阿部勤設計の新しい空間はWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
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