植田実のエッセイ「手紙 倉俣さんへ」第5回

手紙 倉俣さんへ 5

 小川隆之さんの「山荘T(T villa)」については、2001年10月28日に放映されたNHKの新日曜美術館「夢のかたち―デザイナー倉俣史朗」でも紹介されていますし、小川さんも建て主の立場から話されています。
 倉俣美恵子さんから上のようなお便りをいただき、是非とお願いして送っていただいたその記録を、ときの忘れもので拝見することができた。だがここでまた「山荘T」にかかずらうと同じところでの道草が長くなるので、この番組にコメントを寄せたエットレ・ソットサスによる倉俣像をさきに紹介する。
 倉俣さんは「ついに天使になってしまった」と、イタリア人デザイナーは話す。彼は前にも倉俣さんを「天上的な男だった」と喩え、それは「デザイナー」やら「アーティスト」やらの「曖昧模糊とした領域」に倉俣史朗を規定することを嫌う気持ちと表裏一体になっていた。「天上的」とは何か。「倉俣史朗はとても小さな家に住んでいた。」そこは東京然とした街並みから密かに逃げのびて、「通りが狭くて、人通りが少なくて、どこの玄関も小さくて、どこの窓も小さくて、どこの庭も小さくて、どこの庭木も小さくて」、「そんな界隈に」史朗は、「敷布団や毛布やシーツ、水を張ったバケツや石鹸、皿やガスオーブンと格闘しているときであれ…」天上的な「とても美しい奥さんとともに」住んでいた。
 じつはテレビ番組での発言から、とつぜん別の本に書かれた文章へと、勝手に飛び移ってソットサスさんの倉俣像を続けてしまっているが、これはもっとも美しく哀切な、そしてもっとも描写力の正確さが極まった一節である。東京・品川の原美術館の企画で、1996年から99年にかけて、東京、メキシコシティー、サンフランシスコ、ニューヨーク、モントリオール、パリ、ウィーン、京都の各美術館やギャラリーを巡回した、没後初めての「倉俣史朗の世界」展の図録に寄稿したA4版2ページのごく短いエッセイだが、彼以外のだれも、このような語りかたはできない。「わたしにとって史朗とは、現代史の、耳をつんざくような騒音のなかに、隠された言葉を、謎めいた言葉を、音楽のような言葉を、口にすることができない言葉を、路上では語られない言葉を、大学の教室でも教えない言葉を、」「そうした言葉のすべてを読み取ることのできる男だった。」(鈴木昭裕訳)
 「小さくて」「言葉を」のリフレインは、たとえばポール・エリユアールを思い出させる。「小学生の ノートのうえに/机のうえに 樹の幹に/砂のうえ 雪のうえに/わたしは書く きみの名を」(大島博光訳)と、フランスの詩人が身近な事物から遠い場所すべてに「自由」の名を記してやまない命名の仕方と、イタリアのデザイナーが小さな小さな暮らしの場を探し当て、何ものにも屈しない言葉の読み取り法を見い出すこととは、一見正反対でありながら通底している。
 原美術館での展示構成もエットレ・ソットサスによる。会場では荒木経惟が撮った日本の都市光景の写真を大きく引き伸ばしたパネルが会場のあちこちを仕切り、倉俣作品群はその只中に配されていた。
 NHK新日曜美術館の「夢のかたち」に戻る。この番組にゲスト出演した磯崎新は、「天使になってしまった」というエットレのコメントはとても適切で、倉俣さんは生涯を通じていろいろなものをつくったけれど、さいごには自ら言っている無重力や透明、そこに到達する。だから天使。磯崎さんはその代表的な作品として即座に「Homage to Josef Hoffmann,Begin the Beguine」と「How High the Moon」を挙げる。名匠による名作椅子の中身を抜き取った結果の、無重力や透明への接近は、特異な発想である。磯崎さんも原美術館の倉俣展実行委員のひとりであり、カタログに「戦士の休息」というエッセイを寄せている。テレビで磯崎さんが続けて話していることはこのエッセイでも言及されているので、そこを引用したほうがもっと分かりやすいだろう。
 「インテリアやプロダクトをデザインするとは、単に形をひねることではなくて、その形に固有の名称を獲得させることにある。」倉俣さんの仕事とは「私たちの社会的慣習が物体に与えた名称を裏切ること」で、「それを私は『鉛筆書きを消しゴムで消したあげくに紙の上に残る傷痕のようにはかないもの』と表現したことがあった。」それは倉俣さんの仕事の核心に迫るだけでなく、磯崎さん自身の仕事、同時代のラディカルなデザイナーや建築家の仕事の構造性までを言い当てている。
 その表現はじつに多様で、古典的作品への敬意を空洞化することで表したり異質なものを加えたり、消しゴムで消したりするだけではないのは当然だ。倉俣さんはただ浮遊したり見えないものをつくろうとはしていない。数葉の羽毛がアクリルの透明なインゴット(塊)のなかに閉じ込められながら、はかなく空中に漂うさまを見せるスツールなど、事物のまるで相反する在りかたと見えかたを一体化し、そこでは無重力や透明が完全に変質し純化しているのだ。
 「戦士の休息」にはさらに驚くべき視角が組み込まれている。苛烈な都市環境のなかで倉俣さんがインテリアの仕事を続けていたことを、磯崎さんは鮮明に位置づける。東京という「死骸のなかで、シロー、君のやったデザインだけが発光を続けている。微光といったらいいか、あやしい光なのだ。」
 それが何であるのか。磯崎さんはヴェネツィア滞在の折にふいに気付く。あの光は「やさしさ」なのだった。それが東京では分からなかった。ニューヨークでもパリでもそれは同じで、でも「ロンドンは君を理解したかも知れない」。カナレットが描いたころのロンドンならなおさら。いまの大都市はもうダメ、みたいな漠然とひとくくりの批判ではなく、倉俣さんの仕事をリトマス試験紙のように読みながら世界の都市の病状を個々に見極めている。倉俣史朗の仕事を感知できなかった都市、その隙間の小さな庭、小さな家に住んでいた倉俣史朗、そのような東京の内外に磯崎新とエットレ・ソットサスがひそかに辿った迷路はどこかで、同じ迷路のままにつながっている。

追伸1
 新日曜美術館「夢のかたち」には「山荘T」のスタジオが一瞬映し出されます。末広がりの階段をV字形に(パースペクティブに)囲っている壁一面が、いままでのいわば竣工的演出的写真とは違って、数多くの(たぶん小川隆之さんが撮影した)写真のプリントで飾られていて、小川さんはさらに壁の写真を増やすべく展示作業を続けている。こんな楽しい使いかたもされているのでした。小川さんが話しています。「倉俣さんにとっては階段もひとつの表現…でなければこんなおかしな階段(笑)はない。ここでは倉俣さんがちゃんと浮遊しているんだよ」
 倉俣美恵子さん、貴重な記録をお送りくださり、ありがとうございました。主要作品ひとつひとつの紹介もとても充実した番組でした。

追伸2
 その小川さんが関わっていた「建築を映像に記録する会」(「手紙 倉俣さんへ 2」および「手紙3」追伸を参照)は実際に映像記録を残していました。それも倉俣美恵子さんが教えてくださり、クラマタデザイン事務所に保管されていたDVDを送ってくださったのです。
 中野刑務所(旧豊多摩監獄 設計:後藤慶二 1915年竣工)が1983年に取り壊されるその直前に小川さんが撮影した1時間31分39秒に及ぶ映像です。この建築取り壊しの真っ只中に、消されていく壁や窓や生活機器がそれまでに聞いたことのない声をあげているのを、宮本隆司が精緻な写真におさめており、詩人の佐々木幹郎(じつはプロの映像作家)が、たとえばさいごまで残されていた時計塔の文字盤がついに崩れ落ちる絶妙の瞬間をとらえている。対して小川さんの映像には、やはり時計塔を執拗に襲う解体鉄球の動きが見受けられるものの、むしろ広大な敷地内にひろがる監房棟をはじめ多様な棟の、まだいつからでも使用できそうな姿を順序よく淡々と案内してくれる気配があります。それだけに、なぜこの名建築が消滅しなければならなかったのかの思いが強くなってきます。「記録する会」のこのときの実行チームの名も画面に残されています。小川隆之、長谷川堯、倉俣史朗、内田繁。この4人に話をきく機会はすでに失われました。
 写真はその頃、私も中野刑務所を訪ねたときのスナップです。

202007植田実_中野刑務所中野刑務所

202007植田実01

追伸3
 原美術館での回顧展「倉俣史朗の世界」図録のタイトルは「Shiro Kuramata」1996年 原美術館発行。現在はクラマタデザイン事務所の扱いになっています。
(2020.7.21 うえだ まこと

*植田実のエッセイは毎月29日の更新です。

●図録のご案内
1581758214049「倉俣史朗の世界」展図録
1996年 原美術館
298×222mm  212P
価格:5,000円+税
ときの忘れもので販売しています。

●本日のお勧め作品は倉俣史朗です。
倉俣史朗倉俣史朗 Shiro KURAMATA
Flower Vase #1303
アクリル、ガラス管
W26.9xD8.0xH26.0cm
見積り請求、ご注文はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください


「開廊25周年 第1回ときの忘れものエディション展―建築家たち」
会期=2020年7月21日[火]―8月8日[土]
建築家たちDM
ときの忘れものはこの6月に開廊25周年を迎えることができました。展覧会の企画と版画の版元として今日まで歩んでこれた感謝をこめて、25年間にエディションした建築家5人(安藤忠雄石山修武磯崎新光嶋裕介六角鬼丈)の版画を展示し、動画を撮影、YouTubeに公開します。

*古今東西の建築家のドローイングについてはジョヴァンニ・バティスタ・ピラネージからル・コルビュジエまで15人を論じたブログの八束はじめ・彦坂裕のリレー連載「建築家のドローイング」も併せてお読みください。

●ときの忘れものは青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。
阿部勤設計の新しい空間はWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 
E-mail:info@tokinowasuremono.com 
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊。