新連載・「私が出会ったアートな人たち」第1回
アートフル勝山の会 荒井由泰
今回、「ときの忘れもの」の亭主こと、綿貫さんからのおすすめもあり、「私が出会ったアートな人たち」と題して、6回シリーズで、私が出会った人に光をあてて、私の思い出話を綴ることとなった。先に連載した「マイコレクション物語」と、一部ダブル部分があるかもしれないが、親しくお付き合いいただき、私のアートする心に火をつけてくれた人について書いてみたいと思う。しばし、お付き合い願えれば幸いだ。
① 「青春欧州の旅でのアートな体験と出会ったアートな人たち」
「あなたの青春は?」と問われたら、躊躇なく「大学3年生の時、1年間休学して出かけた約10か月の欧州の旅です。」と答える。今から50年前、1970年7月11日羽田空港を出発しパリへ、1971年4月24日にソ連(現ロシア)を経由してナホトカからの2泊3日の船旅で横浜港に帰ってきた。
出発前の私
1970年クリスマス パリにて
2横浜港に到着した私:少したくましくなって戻ってきた
福井県立勝山高校から、慶応大学(法学部法律学科)に入学し、すべてが新しい環境の中に身を置くなか、好奇心から絵画やクラシック音楽に関心を抱き、展覧会やコンサートに出かけはじめた。クラシック音楽については高校時代までほとんど触れる機会がなく、まったくの門外漢であった。最初はFM放送で、そして、森正指揮の東京都交響楽団がはじめての生演奏であった。
絵画や音楽に触れる機会が増えるにつれて、ヨーロッパで本物の絵画や音楽を体感したいという想いが募った。折しも、大学では学生運動が盛んな時代で、授業にも影響がでていた。そんな時代背景もあり、日本脱出を考えた。第2外国語のフランス語でお世話になった戸張規子先生のすすめで、スペイン国境に近い、ピレネー山脈の麓にあるポー(Pau)でのフランス語夏期講座(約1か月)だけ決めて、ヨーロッパに旅立った。
ピレネーの麓のポーでのフランス語夏期講座にて
当時は1ドルが360円時代で、ドルの持ち出しが500ドルに制限されていた。闇ドルは400円だった。持ち出しが制限されており、送金のために、ソルボンヌ大学の短期留学の手続きが必要であった。
ポーでの夏期講座の終了後、スペインを皮切りに一人旅を開始した。泊まりはユースホステルで、足はユーレイルパス(乗り放題の列車チケット)あるいはヒッチハイクの一日10ドルの貧乏旅行であった。フランス語を学んだパリとブザンソンでのそれぞれ1か月の滞在を除き帰りのソ連を含めると16か国の旅だった。各国では必ず美術館を訪れた。また、クラシックのコンサートにも足を運んだ。
フランス語を学んだブザンソンにて
パリでのスナップ写真1
パリでのスナップ写真2
当時はスマホのような便利なコミュニケーションの手段がなく、ポーでの夏期講座以外はほとんど住所不定の状態だった。新しい場所に着くと家に絵葉書を送ることで安否を連絡していた。子供を持つ身になってみると両親としてはさぞかし心配であったと想像する。よく海外に出してくれたと感謝している。
アートに関する思い出を少し記すと、まずはマドリッドのプラド美術館のゴヤの最晩年の作品、「黒い絵」のシリーズには大いに心を動かされた。今でも自分自身の美意識の原点のように感ずる。イタリアの旅ではバチカンのシスティーナ礼拝堂のミケランジェロの天井画には圧倒された。71年、ギリシャの旅のあと、再度訪問している。
パリ滞在時にはエコール・デュ・ルーブルで国立の美術館はすべて無料で入館できる無料券(レッセ・パッセ)を発行してもらい、毎日のように、セーヌ沿いを散歩してルーブル美術館を訪れた。それも、今日はモナリザ、明日は、ミロのビーナスそしてサモトラケのニケ・・・と気軽に出かけることができた。
帰国途中にあこがれのムンク美術館(オスロ)にも足をのばした。
ローマにて システィーナ礼拝堂に感動
ギリシャにて
~当時各地の美術館で買い求めた絵葉書~




また、クラシック音楽でも数えてみるとパリ管弦楽団のコンサートには10回通っている。小澤征爾、カラヤン(チェロのロストロポーヴィチとの共演)、バーンスタインらの演奏に接した。貧乏旅行でも生演奏を聴けたのは料金が安かったからだ。学生券は6フラン(360円)、バルコニー席が16~20フラン(960円~1200円)であった。当時は1フラン・60円であった。今思えば、当時は音楽を楽しむというより、名指揮者の演奏を体感することに意義があったようだ。パリ管以外はロンドンでのBBC交響楽団やベルリンの放送交響楽団も体感した。
そろそろ本題の青春の旅で出会ったアートな人を二人紹介したい。一人目は
「鈴木まどか女史」だ。彼女とはポーのフランス語夏期講座で知り合った。彼女は東京芸大美術学部(日本画科)を1968年に卒業して、当時、ルーブル美術館付属のルーブル学院(エコール・デュ・ルーブル)でエジプト考古学を学んでいた。(1973年に卒業しているが、東洋人では最初の卒業生らしい)その彼女からエジプト美術や象形文字(ヒエログリフ)のことなど、教えてもらった。ヒエログリフの発音まで判明していることを聞いて感動したことを憶えている。彼女の導きで、エジプト美術への関心が広がった。彼女は東京国立博物館の客員研究員をつとめるとともに2001年倉敷芸術大学芸術学部の教授に就任し、2015年に定年退官している。その間、さまざまなエジプト展の企画に参加するとともに、シンポジウムにも参画された。残念ながら2018年に事故で亡くなられた。
日本では倉敷にお訪ねしたことが懐かしく思い出される。何故、日本画からエジプト学に移ったのかは聞き逃したが、一つのことにアグレッシブに取り組む姿勢に、あこがれを感じるとともに、彼女から美術の力や生き方を学んだ気がする。「エジプト美術」をコレクションする人を知らないかの連絡をいただいたことがあったが、お役に立てず残念だった。
余談ながら、娘の名前に「まどか」をいただいた。
もう一人はコロナ禍の影響で時間ができ、50年前の欧州旅行の資料を整理している時、偶然発見した当時の旅日記の中で見つけた人物だ。1971年4月9日の日記によれば、当日私はノルウェーのフィヨルドの町・ベルゲンを出発し、8時間以上の長旅を終え、午後5時40分にオスロに到着した。午後11時近くの夜行列車でデンマークのヘルシンゴールに向かうため、オスロの駅近くで時間調整をしていた。そこで偶然出会ったのがこれから紹介する人物だ。その人物の名前は「桜井 武」。彼は慶応の先輩でシカゴに留学後のヨーロッパ旅行の途中であった。彼は私に美術のこと、アメリカのすばらしさなど熱く語った。日記には大いに刺激を受けた旨、綴られていた。旅日記を見るまで、まったく彼の名前を失念していた。
ノールウェー フィヨルドの町ベルゲンにて
同じくベルゲンにて
現在、彼は今どうしているのかな?とスマホで検索したところ、思いがけず彼の訃報そして追悼文と出くわしてしまった。彼は熊本市現代美術館の館長として11年余り務め、昨年(2019年)の6月に現役館長のまま、胃がんのため75歳で亡くなっていた。彼の略歴を見ると、1944年静岡生まれ。慶応大学仏文卒業後、シカゴ・アート・インスティチュート留学。1971年より2004年まで英国のブリティッシュ・カウンシル勤務、2008年より熊本市現代美術館の館長とある。まさにあの「桜井武」に間違いない。
桜井武氏 熊本市現代美術館にて
彼は美術館在職中に「アートの力を見せる」「アートへの愛情を育てる」「アートで人をつなぐ」を基本理念に活動され、熊本の美術界に多大の貢献をされたようだ。追悼文によれば熊本地震後も「美術館は社会にとって必要なものだ」との想いから早期の開館を実現させたと言う。
新型コロナの影響で美術館や博物館が閉鎖されている状況を経験したが、そのなかアートの必要性やアートの持つ価値・力に多くの方が気づかされたと思う。彼のアートに対する基本理念の大切さが強く心に突き刺さる。
もう少し早く、日記が見つかっていれば、再会を果たし、美術の話ができたのではと無念な気持ちが広がった。私は1972年よりニューヨークで仕事をするチャンスを得たが、今になって思うとオスロでの彼の熱い言葉が後押ししてくれたように感ずる。改めて桜井武氏のご冥福を心から祈りたい。
次回は「ニューヨークで出会ったアートな人たち」と題して、思い出を綴ることとする。
(あらい よしやす)
●荒井由泰のエッセイ「私が出会ったアートな人たち」は偶数月の8日に掲載します。次回は10月8日の予定です。
■荒井由泰(あらいよしやす)
1948年(昭和23年)福井県勝山市生まれ。会社役員/勝山商工会議所会頭/版画コレクター
1974年に「現代版画センター」の会員になる
1978年アートフル勝山の会設立 小コレクター運動を30年余実践してきた
ときのわすれものブログに「マイコレクション物語」等を執筆
*画廊亭主敬白
先日倉庫の奥からメクセペル(Friedrich Meckseper)の小さな銅版画を発掘した。確か小さなブリキ缶のような箱に入った小品集の一点で、他の一点を当時ニューヨークにいた荒井さんが買ってくださった。以来、半世紀近いお付き合いになります。私どもの最も古い顧客であり、恩地孝四郎をはじめとするコレクションの見事さには敬服しています。良きコレクションは良き出会いからしか生まれません。毎年勝山に伺い、東京でも会っているのに、荒井さんがめぐり会った素敵な人たちの話をきちんと聞いて来なかった。
今回あらためて「私が出会ったアートな人たち」について執筆をお願いした次第です。
実は明日も荒井さんにこの連載とは別にフルクサスの作家・斉藤陽子さんについて特別寄稿していただきました。ぜひお読みください。
●本日のお勧め作品は磯崎 新です。
磯崎新 Arata ISOZAKI「霧 1」
1999年 シルクスクリーン(刷り:石田了一)
イメージサイズ:58.3×77.0cm
シートサイズ:70.0×90.0cm
Ed.35 サインあり
*「磯崎新版画集 霧」(秋吉台国際芸術村)の中の1点。
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
●ときの忘れものは青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。
阿部勤設計の新しい空間はWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊。
アートフル勝山の会 荒井由泰
今回、「ときの忘れもの」の亭主こと、綿貫さんからのおすすめもあり、「私が出会ったアートな人たち」と題して、6回シリーズで、私が出会った人に光をあてて、私の思い出話を綴ることとなった。先に連載した「マイコレクション物語」と、一部ダブル部分があるかもしれないが、親しくお付き合いいただき、私のアートする心に火をつけてくれた人について書いてみたいと思う。しばし、お付き合い願えれば幸いだ。
① 「青春欧州の旅でのアートな体験と出会ったアートな人たち」
「あなたの青春は?」と問われたら、躊躇なく「大学3年生の時、1年間休学して出かけた約10か月の欧州の旅です。」と答える。今から50年前、1970年7月11日羽田空港を出発しパリへ、1971年4月24日にソ連(現ロシア)を経由してナホトカからの2泊3日の船旅で横浜港に帰ってきた。
出発前の私
1970年クリスマス パリにて
2横浜港に到着した私:少したくましくなって戻ってきた福井県立勝山高校から、慶応大学(法学部法律学科)に入学し、すべてが新しい環境の中に身を置くなか、好奇心から絵画やクラシック音楽に関心を抱き、展覧会やコンサートに出かけはじめた。クラシック音楽については高校時代までほとんど触れる機会がなく、まったくの門外漢であった。最初はFM放送で、そして、森正指揮の東京都交響楽団がはじめての生演奏であった。
絵画や音楽に触れる機会が増えるにつれて、ヨーロッパで本物の絵画や音楽を体感したいという想いが募った。折しも、大学では学生運動が盛んな時代で、授業にも影響がでていた。そんな時代背景もあり、日本脱出を考えた。第2外国語のフランス語でお世話になった戸張規子先生のすすめで、スペイン国境に近い、ピレネー山脈の麓にあるポー(Pau)でのフランス語夏期講座(約1か月)だけ決めて、ヨーロッパに旅立った。
ピレネーの麓のポーでのフランス語夏期講座にて当時は1ドルが360円時代で、ドルの持ち出しが500ドルに制限されていた。闇ドルは400円だった。持ち出しが制限されており、送金のために、ソルボンヌ大学の短期留学の手続きが必要であった。
ポーでの夏期講座の終了後、スペインを皮切りに一人旅を開始した。泊まりはユースホステルで、足はユーレイルパス(乗り放題の列車チケット)あるいはヒッチハイクの一日10ドルの貧乏旅行であった。フランス語を学んだパリとブザンソンでのそれぞれ1か月の滞在を除き帰りのソ連を含めると16か国の旅だった。各国では必ず美術館を訪れた。また、クラシックのコンサートにも足を運んだ。
フランス語を学んだブザンソンにて
パリでのスナップ写真1
パリでのスナップ写真2当時はスマホのような便利なコミュニケーションの手段がなく、ポーでの夏期講座以外はほとんど住所不定の状態だった。新しい場所に着くと家に絵葉書を送ることで安否を連絡していた。子供を持つ身になってみると両親としてはさぞかし心配であったと想像する。よく海外に出してくれたと感謝している。
アートに関する思い出を少し記すと、まずはマドリッドのプラド美術館のゴヤの最晩年の作品、「黒い絵」のシリーズには大いに心を動かされた。今でも自分自身の美意識の原点のように感ずる。イタリアの旅ではバチカンのシスティーナ礼拝堂のミケランジェロの天井画には圧倒された。71年、ギリシャの旅のあと、再度訪問している。
パリ滞在時にはエコール・デュ・ルーブルで国立の美術館はすべて無料で入館できる無料券(レッセ・パッセ)を発行してもらい、毎日のように、セーヌ沿いを散歩してルーブル美術館を訪れた。それも、今日はモナリザ、明日は、ミロのビーナスそしてサモトラケのニケ・・・と気軽に出かけることができた。
帰国途中にあこがれのムンク美術館(オスロ)にも足をのばした。
ローマにて システィーナ礼拝堂に感動
ギリシャにて~当時各地の美術館で買い求めた絵葉書~




また、クラシック音楽でも数えてみるとパリ管弦楽団のコンサートには10回通っている。小澤征爾、カラヤン(チェロのロストロポーヴィチとの共演)、バーンスタインらの演奏に接した。貧乏旅行でも生演奏を聴けたのは料金が安かったからだ。学生券は6フラン(360円)、バルコニー席が16~20フラン(960円~1200円)であった。当時は1フラン・60円であった。今思えば、当時は音楽を楽しむというより、名指揮者の演奏を体感することに意義があったようだ。パリ管以外はロンドンでのBBC交響楽団やベルリンの放送交響楽団も体感した。
そろそろ本題の青春の旅で出会ったアートな人を二人紹介したい。一人目は
「鈴木まどか女史」だ。彼女とはポーのフランス語夏期講座で知り合った。彼女は東京芸大美術学部(日本画科)を1968年に卒業して、当時、ルーブル美術館付属のルーブル学院(エコール・デュ・ルーブル)でエジプト考古学を学んでいた。(1973年に卒業しているが、東洋人では最初の卒業生らしい)その彼女からエジプト美術や象形文字(ヒエログリフ)のことなど、教えてもらった。ヒエログリフの発音まで判明していることを聞いて感動したことを憶えている。彼女の導きで、エジプト美術への関心が広がった。彼女は東京国立博物館の客員研究員をつとめるとともに2001年倉敷芸術大学芸術学部の教授に就任し、2015年に定年退官している。その間、さまざまなエジプト展の企画に参加するとともに、シンポジウムにも参画された。残念ながら2018年に事故で亡くなられた。
日本では倉敷にお訪ねしたことが懐かしく思い出される。何故、日本画からエジプト学に移ったのかは聞き逃したが、一つのことにアグレッシブに取り組む姿勢に、あこがれを感じるとともに、彼女から美術の力や生き方を学んだ気がする。「エジプト美術」をコレクションする人を知らないかの連絡をいただいたことがあったが、お役に立てず残念だった。
余談ながら、娘の名前に「まどか」をいただいた。
もう一人はコロナ禍の影響で時間ができ、50年前の欧州旅行の資料を整理している時、偶然発見した当時の旅日記の中で見つけた人物だ。1971年4月9日の日記によれば、当日私はノルウェーのフィヨルドの町・ベルゲンを出発し、8時間以上の長旅を終え、午後5時40分にオスロに到着した。午後11時近くの夜行列車でデンマークのヘルシンゴールに向かうため、オスロの駅近くで時間調整をしていた。そこで偶然出会ったのがこれから紹介する人物だ。その人物の名前は「桜井 武」。彼は慶応の先輩でシカゴに留学後のヨーロッパ旅行の途中であった。彼は私に美術のこと、アメリカのすばらしさなど熱く語った。日記には大いに刺激を受けた旨、綴られていた。旅日記を見るまで、まったく彼の名前を失念していた。
ノールウェー フィヨルドの町ベルゲンにて
同じくベルゲンにて現在、彼は今どうしているのかな?とスマホで検索したところ、思いがけず彼の訃報そして追悼文と出くわしてしまった。彼は熊本市現代美術館の館長として11年余り務め、昨年(2019年)の6月に現役館長のまま、胃がんのため75歳で亡くなっていた。彼の略歴を見ると、1944年静岡生まれ。慶応大学仏文卒業後、シカゴ・アート・インスティチュート留学。1971年より2004年まで英国のブリティッシュ・カウンシル勤務、2008年より熊本市現代美術館の館長とある。まさにあの「桜井武」に間違いない。
桜井武氏 熊本市現代美術館にて彼は美術館在職中に「アートの力を見せる」「アートへの愛情を育てる」「アートで人をつなぐ」を基本理念に活動され、熊本の美術界に多大の貢献をされたようだ。追悼文によれば熊本地震後も「美術館は社会にとって必要なものだ」との想いから早期の開館を実現させたと言う。
新型コロナの影響で美術館や博物館が閉鎖されている状況を経験したが、そのなかアートの必要性やアートの持つ価値・力に多くの方が気づかされたと思う。彼のアートに対する基本理念の大切さが強く心に突き刺さる。
もう少し早く、日記が見つかっていれば、再会を果たし、美術の話ができたのではと無念な気持ちが広がった。私は1972年よりニューヨークで仕事をするチャンスを得たが、今になって思うとオスロでの彼の熱い言葉が後押ししてくれたように感ずる。改めて桜井武氏のご冥福を心から祈りたい。
次回は「ニューヨークで出会ったアートな人たち」と題して、思い出を綴ることとする。
(あらい よしやす)
●荒井由泰のエッセイ「私が出会ったアートな人たち」は偶数月の8日に掲載します。次回は10月8日の予定です。
■荒井由泰(あらいよしやす)
1948年(昭和23年)福井県勝山市生まれ。会社役員/勝山商工会議所会頭/版画コレクター
1974年に「現代版画センター」の会員になる
1978年アートフル勝山の会設立 小コレクター運動を30年余実践してきた
ときのわすれものブログに「マイコレクション物語」等を執筆
*画廊亭主敬白
先日倉庫の奥からメクセペル(Friedrich Meckseper)の小さな銅版画を発掘した。確か小さなブリキ缶のような箱に入った小品集の一点で、他の一点を当時ニューヨークにいた荒井さんが買ってくださった。以来、半世紀近いお付き合いになります。私どもの最も古い顧客であり、恩地孝四郎をはじめとするコレクションの見事さには敬服しています。良きコレクションは良き出会いからしか生まれません。毎年勝山に伺い、東京でも会っているのに、荒井さんがめぐり会った素敵な人たちの話をきちんと聞いて来なかった。
今回あらためて「私が出会ったアートな人たち」について執筆をお願いした次第です。
実は明日も荒井さんにこの連載とは別にフルクサスの作家・斉藤陽子さんについて特別寄稿していただきました。ぜひお読みください。
●本日のお勧め作品は磯崎 新です。
磯崎新 Arata ISOZAKI「霧 1」1999年 シルクスクリーン(刷り:石田了一)
イメージサイズ:58.3×77.0cm
シートサイズ:70.0×90.0cm
Ed.35 サインあり
*「磯崎新版画集 霧」(秋吉台国際芸術村)の中の1点。
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
●ときの忘れものは青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。
阿部勤設計の新しい空間はWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊。
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