土渕信彦のエッセイ「瀧口修造の本」

17.『三夢三話』~後編

瀧口による夢の記述、ないし夢を扱った作品には、『三夢三話』の他にもいくつかあります。この連載第13回でご紹介した『瀧口修造の詩的実験1927~1937』に収録された「夢の王族」(「新興藝術」1930年1月、図18,19)は、その代表例でしょう。以下、年代順にご紹介します。

202007土渕信彦_図18図18

202007土渕信彦_図19図19

戦前期では、まず雑誌「作品」1933年3月号の「初夢の話」。日比谷公園らしきところへ佐藤朔とフランスの前衛映画の試写を見に行ったという夢の話で、その映画は誰かを追跡するという筋書きで、さまざまな場面が現れ、やがて自分自身が追跡者になっているらしいと気が付くというもの。

続いて雑誌「蝋人形」1939年4月号(図20)の「夢についてのノート」。夢や夢の記述をめぐる随想の後に、その頃に見た夢が三つ紹介されています。

一つ目は、前出「初夢の話」でも語られた、フランスの前衛映画を見に行く夢の抜萃。

二つ目は、フランスの未知の画家から小包がとどき、開封すると画集が出てきて、鮮明な素描が描かれていたという夢。飛び起きて忘れないようにペンを走らせて10枚ほど描いたが、後日、この絵を精神分析の座談会に持ち込んだところ、出席者の一人である式場隆三郎が複雑な表情を浮かべたとされています。この夢の直後、ダリから実際に小型の画集が届き、正夢となったとも語られています。

三つ目は、義父の病が重篤との電報を受け取り、大津まで駆け付けたところ、小康を得たので、芭蕉が滞在した幻住庵を訪れたが、たまたま芭蕉の忌日にあたっており、県知事代理、大津市長や小学生などの、賑やかなイベントに遭遇したという実話が記された後、その夜にみた、一直線に逆立ちした虹の夢のことが語られています。

202007土渕信彦_図20図20

戦後では「三田文学」1956年4月号の「夢日記が夢のように消えた話」。戦時下、特高に検挙され釈放された後の時期に続けていた夢の記録のことが記され、国際文化振興会の嘱託として京都や奈良の古美術の撮影を手伝っていた頃、しきりに夢を見るようになったので、記録するように心掛け、私家版で刊行したいと思い始めたが、戦火で灰燼に帰したと回想されています。

翌年の、書肆ユリイカ刊「ユリイカ」1957年10月号(図21)の「夢の記録」。自宅に押し入ってきた見知らぬ老人が、風呂敷から将棋のコマのような末広がり形をした箱のような物体を取り出したが、それは表紙に漢字(図22)が墨でくろぐろと書かれた本だったという夢が記されています。

202007土渕信彦_図21図21

202007土渕信彦_図22図22

この「夢の記録」では1920年代にシュルレアリストたちによってしきりに行われた夢の記述について、当時瀧口自身も試みていたことにも触れられ、前出「夢についてのノート」の二つ目の夢について、さらに詳しく、あるいは潤色されて、語られています。すなわち、ブルトンとマン・レイから不思議な写真集を贈られた夢をみた直後、実際にエリュアールからマン・レイとの共作『ファシール』(図23)が贈られてきて、正夢となったとされています。「夢についてのノート」ではダリの小型画集でしたので、記憶違いかもしれません。精神分析の座談会のことにも触れられ、持参したスケッチの枚数が「十五、六枚」とされているほか、出席者も式場隆三郎に加えて、大槻憲二の名も挙げられ、「危くぼくが患者になりかけた」と記されています。

202007土渕信彦_図23図23

戦前期の夢の記述やスケッチなどは、昭和20年5月25日の空襲によって、ブルトンらから贈られた書籍や雑誌、書簡などとともに焼失しました。現存していれば、前衛画家たちの絵画作品や瀧口自身の詩的実験などとは一味違った、日本におけるシュルレアリスムの状況を物語る、貴重な資料となっていたでしょう。惜しまれます。

以上のとおり、本書は1920年代からしばしば夢の記述を試み、またその後も続けていた瀧口が、夢の記述を初めて作品化して刊行した点で、独自の意義を有するといえるでしょう。内容といい語り口といい、三つの話いずれもたいへん魅力的です。日本文学史を見ても、古くは明恵上人の『夢記』や新しくは夏目漱石の『夢十夜』など、夢を語る形を採ったテクストの系譜にシュルレアリスムの夢の記述の要素を導入し、新たな一頁を付け加えたと評価することもできるでしょう。そして何よりも本書は、瀧口が自身の言葉と造形とを組み合わせ、自ら装幀までも施した、唯一無二の一冊です。「三夢三話」は、戦後の夢の記述とともに、『コレクション瀧口修造』第3巻に収録されていますが、ぜひとも本書あるいは初出の「草月」に当たられ、本文と挿絵とを同時に味わわれるよう、お勧めします。

なお、本書以外に瀧口が夢を記述した本として、手づくり本『ELIXIR』(私家版、1969年頃。図24)および、『寸秒夢』(思潮社、1975年2月。図25)もあります。

202007土渕信彦_図24図24 慶應義塾大学アート・センター《影どもの住む部屋II―瀧口修造の〈本〉―「秘メラレタ音ノアル」ひとつのオブジェ》展より

202007土渕信彦_図25図25


『ELIXIR』は1969年頃の制作で、「ガウディの夢」が収録されています。日本庭園の苔むした石に座ったアントニオ・ガウディから、LIBERTY PASSPORTと不老長寿の薬をもらったという話です。親しい友人に贈呈され、当初は「ELIXIL」と表記されていたようですが、訂正されています。『寸秒夢』には「寸秒夢」「寸秒夢あとさき」「夢三度」が収録されています。『寸秒夢』については次回採り上げる予定です。
つちぶち のぶひこ

土渕信彦 Nobuhiko TSUCHIBUCHI
1954年生まれ。高校時代に瀧口修造を知り、著作を読み始める。サラリーマン生活の傍ら、初出文献やデカルコマニーなどを収集。その後、早期退職し慶應義塾大学大学院文学研究科修士課程修了(美学・美術史学)。瀧口修造研究会会報「橄欖」共同編集人。ときの忘れものの「瀧口修造展Ⅰ~Ⅳ」を監修。また自らのコレクションにより「瀧口修造の光跡」展を5回開催中。富山県立近代美術館、渋谷区立松濤美術館、世田谷美術館、市立小樽文学館・美術館などの瀧口展に協力、図録にも寄稿。主な論考に「彼岸のオブジェ―瀧口修造の絵画思考と対物質の精神の余白に」(「太陽」、1993年4月)、「『瀧口修造の詩的実験』の構造と解釈」(「洪水」、2010年7月~2011年7月)、「瀧口修造―生涯と作品」(フランスのシュルレアリスム研究誌「メリュジーヌ」、2016年)など。

◆土渕信彦のエッセイ「瀧口修造の本」は毎月23日の更新です。

●本日のお勧め作品は百瀬寿です。
momose_05_Square_lame-Yellow_and_Pink_around_White百瀬寿 Hisashi MOMOSE
"Square lame' - Yellow and Pink around White"
2002年
シルクスクリーン
42.5x42.5cm
Ed.70
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