宮森敬子のエッセイ「ゆらぎの中で」第11回
「宮森敬子展―集められた時間と空間の表面たち」(その2)
9月25日から10月17日まで開催された「宮森敬子展―Surfaces of Time 集められた時間と空間の表面たち」展では、バラの花弁の色と匂いを使って、来場してくださった方に自然の時間の経緯を感じてもらうことを考えました。匂いをお伝えすることはできないのですが、まずは、展覧会の初日、入口のインスタレーション の画像から始めます。そして、エッセイの最後に最終日の写真を載せます。

前回は、私の家にいた「くも」が展示を見た感想を書いている、という想定で書きました。それは、もし展示を見に来た子供が、なんの前知識もなく、作品をみたら、どんな感じがするのだろう、という問いに自分なりに答えようとするものでした。
今回は、私自身の言葉で、私の展覧会の副題となった「Surfaces of Time―集められた時間と空間の表面たち」について、少し書いてみたいと思っています。
英語で「Surface」とは「表面・表層」のことです。つまり、「Surfaces of Time」とは、「時間の表層の重なり」という意味です。実は時間や空間の「層」というタイトルは、1997年ごろ制作した平面作品に使われており、私が時間や、空間を「層」の積み重ねとして感じ、表現しようとしていた、ということがうかがえます。


ところで、英語の副題「Surfaces of Time」の後には、「集められた時間と空間の表面たち」とあります。あれっ?英語と日本語の意味が違う、と思った方も多かったのではないでしょうか? 実は、英語のタイトルにも「空間」を意味する「Space」を入れようかと思ったのですが、私の思うTimeには、空間的なものも含まれるので、英語のタイトルはあえて「Surfaces of time」だけにしました。このことについては、後で少し書きたいと思います。
「表面」について
前回のエッセイで、クモさんが“敬子の作品についてる「黒いしみ」”と表現したように、発表した多くの作品の“表面”には黒い斑点がついていました。それは、和紙に記された木炭の印で、あちこちの樹の表面に和紙を当て、炭を使って集めた「樹拓」です。(「樹拓」については、第4回と第5回で加藤典洋さんの言葉を引用しながら書かせていただきました)

例えば、上の写真の作品は、見かけはほとんど同じですが、左《Layers of Time Komagome #2》は昨年(2019年)画廊のある駒込界隈を歩いて集めた樹拓で、右《Layers of Time Pandemic NY #1》は今年(2020年)パンデミックの中、ニューヨークで採集した樹拓を、重ねていった作品です。よく見ると、多くの和紙には番号がつけられていて、どこで採集されたか、場所と写真の記録がしてあります。(支持体となる木製額は、綿貫さんからいただいたもので、かなり高価なものも含まれていたようですが、他の額と変わりなく、表面を覆っています)

このように「もともとあったオブジェクトの表面」は、私のスタジオで、和紙で覆われ、「新しい表面」を持って生まれます。その和紙の表面についている樹拓は、私がスタジオの外で、「樹の表面」の再生プロセスの一瞬を捉えて、印をつけたものです。樹皮は常に有機的にめくれ、生まれ変わるサイクルの中にあるからです。和紙や炭も、実は樹皮の変化した形であることを考えると、それだけでも、作品の中に何重にも「表面」が混在しています。
「時間と空間」について
“ふき抜けになってる下を見たら、敬子が帽子をかぶった男の人に「時間はもどせてカタチがかわるだけ」とかいっていましたけど、それは展らん会のせつめいかもしれないです。”
前回のクモさんの言葉、ちょっとおかしなことを言っている、と思われたかもしれません。これは「私の中のTimeには、空間的なものも含まれる」と書いたように、私に「時間は空間のなかにある」というイメージがある、ということに通じています。
先にあげた絵画《Layers of time from bed》(1997)を見てください。ベッドから波のような線が描かれています。これは、私がベッドから、過去や未来に通じるそれぞれの時間を行き来できる、ということを想像していた様子を描いています。《空間層-椅子のある》では、ベッドや椅子から、それを想像しています。そこでは、時間は全て私のイメージする空間の中に浮遊していて、私はただ、そこに行くことを想像することで、どの時間にもゆくことができる、まるでドラえもんの“どこでもドアー”のように。それを見つけさえすれば、私の空間の中に、時間を取り込むことができたのです。

多くの私のドローイングには「四角の四隅に手が生えたような形」が出現します。それは自分の周りのあちこちにある、「その場所」から、「あの場所」までを行き来することを楽しむための印です。(かつて、そこに行くことを「Red Point」と名付けていました)過去のインスタレーションの作品タイトルに「こことそこ 」というのが多く用いられてきたこととも、関わりがあります。

作家が何かを強く思って制作していても、美術作品と見る人とのあいだに、常にエネルギーが生み出される、とは限りません。作品を自分のスタジオの外に出して発表をする、ということは、作品にその役割を負わせることです。私は個人的な世界と、世界の誰かを切り結ぶ、ということに、意味がある、と思っています。
「切り結ぶ」とは、自分の信じている考えや信念に共感する、一筋の「繋がり」を作ることです。それは、本当に見えないような、すぐに切れてしまうような、細い細い、蚕の糸のようなものかもしれません。ただ、その儚い糸は、時に束になって強くなったり、時に織となって人を包んだり、本当に美しいものになる可能性も秘めているのです。
今回のエッセイを読んでいただいた方に、私がイメージしている世界を、一緒に味わっていただくことができたでしょうか? そして、今度、実際の作品を見る時に、ほんの少し、違った気持ちになっていただけたら、嬉しいです。何故って、それは私の時間の形が変わって、空間の形が少し大きくなるからです。
次回はいよいよ最終回です。今、行っているリサーチ旅行について、書きたいと思います。それは、ハワイで生まれ、戦前に日本に嫁いで、戦争を体験した、二つの国のパスポートを持つ私の祖母に関わるものです。また、私の身の回りで起こっていること、アメリカのこと、そして自分がコロナ下で、ニューヨークで作品を作り続けて、思ったことなど、上手くまとめられるかわかりませんけれども、書いてみたいと思っています。
(お知らせ)
この度、予約制で多くの方にご迷惑をおかけいたしました。幸い、助成金を受けて、現在、展覧会の記録集を作っています。数に限りがございますので、ご希望の方は、お名前とご住所を keiko.miyamori1@gmail.com にお知らせください。(申し込み締め切り11月末日、発送12月中)
冊子は200部印刷予定ですが、送料の実費のみは負担していただく予定です。
PDFはホームページから無料でダウンロードできるようにする予定です。

(みやもり けいこ)
■宮森敬子 Keiko MIYAMORI
1964年横浜市生まれ 。筑波大学芸術研究科絵画専攻日本画コース修了。和紙や木炭を使い、異なる時間や場所に存在する自然や人工物の組み合わせを、個と全体のつながりに注目した作品を作っている。
●ときの忘れものは青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。
阿部勤設計の新しい空間はWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊。
「宮森敬子展―集められた時間と空間の表面たち」(その2)
9月25日から10月17日まで開催された「宮森敬子展―Surfaces of Time 集められた時間と空間の表面たち」展では、バラの花弁の色と匂いを使って、来場してくださった方に自然の時間の経緯を感じてもらうことを考えました。匂いをお伝えすることはできないのですが、まずは、展覧会の初日、入口のインスタレーション の画像から始めます。そして、エッセイの最後に最終日の写真を載せます。

インスタレーション開始日のようす《Imagine Here and There》 2020.9.24撮影 Photo: Tetsuya Shiono(Colla:J)
前回は、私の家にいた「くも」が展示を見た感想を書いている、という想定で書きました。それは、もし展示を見に来た子供が、なんの前知識もなく、作品をみたら、どんな感じがするのだろう、という問いに自分なりに答えようとするものでした。
今回は、私自身の言葉で、私の展覧会の副題となった「Surfaces of Time―集められた時間と空間の表面たち」について、少し書いてみたいと思っています。
英語で「Surface」とは「表面・表層」のことです。つまり、「Surfaces of Time」とは、「時間の表層の重なり」という意味です。実は時間や空間の「層」というタイトルは、1997年ごろ制作した平面作品に使われており、私が時間や、空間を「層」の積み重ねとして感じ、表現しようとしていた、ということがうかがえます。

《Layers of time from bed》 (1997)胡粉、木炭、チョーク、油彩(一部インク)和紙、麻布 175 x 267 cm

《空間層-椅子のある》(1997)和紙、胡粉、木炭、コンテ、チョーク、油彩、インク、ポリエステル布 257 x 208 cm
ところで、英語の副題「Surfaces of Time」の後には、「集められた時間と空間の表面たち」とあります。あれっ?英語と日本語の意味が違う、と思った方も多かったのではないでしょうか? 実は、英語のタイトルにも「空間」を意味する「Space」を入れようかと思ったのですが、私の思うTimeには、空間的なものも含まれるので、英語のタイトルはあえて「Surfaces of time」だけにしました。このことについては、後で少し書きたいと思います。
「表面」について
前回のエッセイで、クモさんが“敬子の作品についてる「黒いしみ」”と表現したように、発表した多くの作品の“表面”には黒い斑点がついていました。それは、和紙に記された木炭の印で、あちこちの樹の表面に和紙を当て、炭を使って集めた「樹拓」です。(「樹拓」については、第4回と第5回で加藤典洋さんの言葉を引用しながら書かせていただきました)

《Layers of Time Komagome #2》(2020)60.0×43.0×10.0 cm 《Layers of Time Pandemic NY #1》(2020)44.0×41.0×3.0 cm
例えば、上の写真の作品は、見かけはほとんど同じですが、左《Layers of Time Komagome #2》は昨年(2019年)画廊のある駒込界隈を歩いて集めた樹拓で、右《Layers of Time Pandemic NY #1》は今年(2020年)パンデミックの中、ニューヨークで採集した樹拓を、重ねていった作品です。よく見ると、多くの和紙には番号がつけられていて、どこで採集されたか、場所と写真の記録がしてあります。(支持体となる木製額は、綿貫さんからいただいたもので、かなり高価なものも含まれていたようですが、他の額と変わりなく、表面を覆っています)

《Layers of Time Komagome #2》の細部
このように「もともとあったオブジェクトの表面」は、私のスタジオで、和紙で覆われ、「新しい表面」を持って生まれます。その和紙の表面についている樹拓は、私がスタジオの外で、「樹の表面」の再生プロセスの一瞬を捉えて、印をつけたものです。樹皮は常に有機的にめくれ、生まれ変わるサイクルの中にあるからです。和紙や炭も、実は樹皮の変化した形であることを考えると、それだけでも、作品の中に何重にも「表面」が混在しています。
「時間と空間」について
“ふき抜けになってる下を見たら、敬子が帽子をかぶった男の人に「時間はもどせてカタチがかわるだけ」とかいっていましたけど、それは展らん会のせつめいかもしれないです。”
前回のクモさんの言葉、ちょっとおかしなことを言っている、と思われたかもしれません。これは「私の中のTimeには、空間的なものも含まれる」と書いたように、私に「時間は空間のなかにある」というイメージがある、ということに通じています。
先にあげた絵画《Layers of time from bed》(1997)を見てください。ベッドから波のような線が描かれています。これは、私がベッドから、過去や未来に通じるそれぞれの時間を行き来できる、ということを想像していた様子を描いています。《空間層-椅子のある》では、ベッドや椅子から、それを想像しています。そこでは、時間は全て私のイメージする空間の中に浮遊していて、私はただ、そこに行くことを想像することで、どの時間にもゆくことができる、まるでドラえもんの“どこでもドアー”のように。それを見つけさえすれば、私の空間の中に、時間を取り込むことができたのです。

《Layers of time from bed》と《空間層-椅子のある》の細部
多くの私のドローイングには「四角の四隅に手が生えたような形」が出現します。それは自分の周りのあちこちにある、「その場所」から、「あの場所」までを行き来することを楽しむための印です。(かつて、そこに行くことを「Red Point」と名付けていました)過去のインスタレーションの作品タイトルに「こことそこ 」というのが多く用いられてきたこととも、関わりがあります。

《レッドポイントのためのスケッチ》 1997年 雁皮紙に鉛筆、色鉛筆 10 x 12.7 cm (平均寸法)
作家が何かを強く思って制作していても、美術作品と見る人とのあいだに、常にエネルギーが生み出される、とは限りません。作品を自分のスタジオの外に出して発表をする、ということは、作品にその役割を負わせることです。私は個人的な世界と、世界の誰かを切り結ぶ、ということに、意味がある、と思っています。
「切り結ぶ」とは、自分の信じている考えや信念に共感する、一筋の「繋がり」を作ることです。それは、本当に見えないような、すぐに切れてしまうような、細い細い、蚕の糸のようなものかもしれません。ただ、その儚い糸は、時に束になって強くなったり、時に織となって人を包んだり、本当に美しいものになる可能性も秘めているのです。
今回のエッセイを読んでいただいた方に、私がイメージしている世界を、一緒に味わっていただくことができたでしょうか? そして、今度、実際の作品を見る時に、ほんの少し、違った気持ちになっていただけたら、嬉しいです。何故って、それは私の時間の形が変わって、空間の形が少し大きくなるからです。
次回はいよいよ最終回です。今、行っているリサーチ旅行について、書きたいと思います。それは、ハワイで生まれ、戦前に日本に嫁いで、戦争を体験した、二つの国のパスポートを持つ私の祖母に関わるものです。また、私の身の回りで起こっていること、アメリカのこと、そして自分がコロナ下で、ニューヨークで作品を作り続けて、思ったことなど、上手くまとめられるかわかりませんけれども、書いてみたいと思っています。
(お知らせ)
この度、予約制で多くの方にご迷惑をおかけいたしました。幸い、助成金を受けて、現在、展覧会の記録集を作っています。数に限りがございますので、ご希望の方は、お名前とご住所を keiko.miyamori1@gmail.com にお知らせください。(申し込み締め切り11月末日、発送12月中)
冊子は200部印刷予定ですが、送料の実費のみは負担していただく予定です。
PDFはホームページから無料でダウンロードできるようにする予定です。

インスタレーション終了日のようす《Imagine Here and There》 2020.11.20撮影 Photo: Tatsuhiko Nakagawa
(みやもり けいこ)
■宮森敬子 Keiko MIYAMORI
1964年横浜市生まれ 。筑波大学芸術研究科絵画専攻日本画コース修了。和紙や木炭を使い、異なる時間や場所に存在する自然や人工物の組み合わせを、個と全体のつながりに注目した作品を作っている。
●ときの忘れものは青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。
阿部勤設計の新しい空間はWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊。
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