佐藤研吾のエッセイ「大地について―インドから建築を考える―」第48回

かわいい、について

半年ほど前に、ある学生の方から突然メールをいただいた。今年初めに、自分が設計と施工を担当した「喫茶野ざらし」を遠方から訪れたとのことで、その感想を書いて送ってくれたのであった。そこには率直な感想が書かれていて、ある一つのフレーズに衝撃を受けてしまった。
「かわいいが詰まっていて、いつまでも座っていたい空間でした。」

「かわいい」 

 ・・・

自分は建築を考えるとき、言葉にするときになかなかこの言葉を使わない。もちろん世の中、テレビなどの消費的コンテンツの中には「かわいい」という言葉は溢れかえっており、むしろ過剰なほどに聞こえてくる。けれども、いやそれもあって、なんだか自分の手には負えない言葉としてあった。
しかし、改めて自分の作ったモノと、自分がその時に考えようとしていた感覚を思い出してみると、「かわいい」という、なにか、相手を、対象を愛でるような、ヨシヨシと手を触れてしまうような距離感を指す言葉はそこまで間違っていない気がしてくる。いうやむしろ、かなり的を得た形容なのかもしれないぞ、と思うに至った。たとえば、「かっこいい」とか「すごい」といった言葉が表す、どこか崇高さを相手に背負わせるような、相手との距離の取り方には若干の違和感を感じる。自分が考える、在ってほしいと思うモノはもう少し、肩肘の力を抜いた、なんなら若干猫背なくらいのモノなのである。

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(喫茶野ざらしの客席)

猫といえば、最近ウチにも猫が一匹住み始めたのであるが、それがけっこうヒト懐っこい性格で、いつもニャーニャー近くで鳴いているし、おーいと呼べばニャーンとちゃんと返事もくれる。けどおそらく気分が乗らないときにはひとりで部屋の端っこのほうで寝てたり、外をテクテク散歩に出かけたりしている。そんな時の猫の動向は窺い知れていない。こちらからは見えない、翳り、謎を孕んでもいる動物だ。猫は死んだあと化けて出てくるとも言うが、同じく人間に近しい動物の筆頭である犬はそんな”化け犬”というのは聞いたことがない。それはもしかすると、犬に比べて猫の方が謎に満ちた存在だからかもしれない。
先ほどの「かわいい」という表現について話を戻すと、そんな「かわいい」と形容するモノとヒトの間の関係として、手本となりそうなジャンルがある。それは妖怪である。海外における妖怪、悪魔、妖精についてはあまり詳しくないが、日本で妖怪といわれるモノたちは様々な絵図に図像として描かれ残されている。古くは平安時代の文書にその記述があり、また室町時代のころから絵として描かれ、江戸時代においては実に様々な表現技法と造形によって多種多彩な妖怪が図像として描かれた。そして近代においても水木しげる先生の「鬼太郎」を筆頭に、現代では「妖怪ウォッチ」なる親しみある妖怪が生まれている。不気味で恐ろしくもあるが、その姿をよく見てみれば(姿といってもそれは誰かによって描かれたものなのだが)、どこかあどけない、気の抜けた表情をしている。そしてほとんどの妖怪たちが、おそらくは人間の世界、道具やちょっとした部屋の片隅とかの生活の内側から生み出されたものであるようだ。ヒトにとって近しい場所から、何かの拍子に妖怪という別の異形として変転するらしい。
異形の姿をした妖怪たちを、その姿を生み出した人間による想像力の成果として眺めてみたい。人々が何かモノを見たとき、そのモノの物理的輪郭だけでなはい何か、気配のようなもう一つ外側に漂う輪郭を感じ取って、妖怪のその異形が生まれたのだろうか。逆にいえば、モノが持っていた形とその存在の具合が、傍らにいる人間の想像力に作用し、脳内でその造形を育んだのだろうか。
室町時代に描かれた『付喪神絵巻』は、なんとも愉快で恐ろしい妖怪(付喪神)たちが描かれている。当時、日用品である器物は100年経つとなんらかの霊を宿し付喪神となるとされており、人々は「煤払い」と称して毎年の立春前に古道具を家の外に捨てていたのであった。しかし捨てられた器物たちは、その後ニョッキリと足をはやしたり、目玉を付けて駆け回ったり、はたまた酒を食らって宴会を始めたりとなんとも賑やかに動き始めたので在った。物語ではそのあと付喪神たちは人間世界へ行って一揆を起こしたあと、護法童子なる人間に懲らしめられ、最後は仏法に入る、という話であるが、私にはこの物語のクライマックスは、器物たちにいきなりギョッとするような足や手が生えたその場面なのである。

202101佐藤研吾2『付喪神絵巻 2巻』(京都大学附属図書館所蔵)
室町時代の成立。古道具という非情物の成仏を描き、真言密教の優性を説く。本書は近世の模本であるが、器物の妖怪という設定は『百鬼夜行絵巻』にも通じる。(出典:『京都大学附属図書館創立百周年記念公開展示会図録』より)

器物たちに付け加えられた顔や、手足。これはもちろん当時の人々の想像力の成果である。そして長年使い込まれ捨てられた器物たちが帯びざるをえなかったなんらかの気配こそが、その想像力のきっかけを作り出したのではないか。使い続けられ、何十年も人々の傍らで年月を共にした器物たちだったからこそ、人々はその器物に纏わせるもう一つ外側の輪郭を想像し描くことができたのではないだろうか。
妖怪の姿形を、そうした長い時間が生み出したヒトの想像力の産物である、と考えてみる。そして、もしそうだとすれば、妖怪めいた輪郭を帯びるモノを、新たに作り出す、デザインすることはできないのだろうか。
そのあたりのことが今、取り組んでみたい課題なのである。

(次回に続く)

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(喫茶野ざらしの正面扉の取っ手)

(all photos by Comuramai)

さとう けんご

佐藤研吾(さとう けんご)
1989年神奈川県横浜生まれ。2011年東京大学工学部建築学科卒業。2013年早稲田大学大学院建築学専攻修士課程(石山修武研究室)修了。同専攻嘱託研究員を経て、2014年よりスタジオGAYA。2015年よりインドのVadodara Design AcademyのAssistant Professor、および東京大学工学系研究科建築学専攻博士課程在籍。福島・大玉村で藍染の活動をする「歓藍社」所属。インドでデザインワークショップ「In-Field Studio」を主宰。「一般社団法人コロガロウ」設立。
現在、福島県大玉村教育委員会地域おこし協力隊。

◆佐藤研吾のエッセイ「大地について―インドから建築を考える―」は毎月7日の更新です。

●本日のお勧め作品は『版画掌誌ときの忘れもの 第1号 小野隆生三上誠 です。
イタリアでルネサンスの巨匠絵画に学び、テンペラによる独特の肖像画を描き続ける小野隆生(b.1950)と、パンリアル美術協会を創立し、日本画の革新に挑んだ三上誠(1919-1972)を特集。三上誠がひそかに作り続けていた新発掘の銅版原版から後刷りし(刷り=白井版画工房)初公開しました。
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1999年3月1日刊行、B4判変形(32×26cm)、綴じ無し、表紙は箔押・シルクスクリ-ン刷り、本文24頁、限定135部
執筆=高橋睦郎(詩人)、松永伍一(詩人)、松本育子(刈谷市美術館)
A版 (限定28部)
小野隆生のリトグラフ《バック・ミラーに映った影》《日付けのないカレンダー》2点+三上誠の銅版画《作品A(仮題)》《作品C(仮題)》2点、計4点入り。 
B版(限定100部)
小野隆生のリトグラフ《日付けのないカレンダー》1点入り。 
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塩見允枝子のエッセイ「フルクサスの回想」第2回を掲載しました。合わせて連載記念の特別頒布会を開催しています。
AAA_0054塩見允枝子先生には11月から2021年4月までの6回にわたりエッセイをご執筆いただきます。12月28日には第2回目の特別頒布会も開催しています。お気軽にお問い合わせください。

●多事多難だった昨年ですが(2020年の回顧はコチラをご覧ください)、今年も画廊空間とネット空間を往還しながら様々な企画を発信していきます。ブログは今年も年中無休です(昨年の執筆者50人をご紹介しました)。

●ときの忘れものが青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転して3年が経ちました。
もともと住宅だった阿部勤設計の建物LAS CASASを使って、毎月展覧会(Web展)を開催しています。
WEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>の特集も是非ご覧ください。
ときの忘れものはJR及び南北線の駒込駅南口から徒歩約8分です。
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