王聖美のエッセイ「気の向くままに展覧会逍遥」第13回
「謳う建築」展を訪れて
昨年12月、東京・天王洲アイルに寺田倉庫が運営する展示施設「WHAT」がオープンしました。その新施設「WHAT」の1階の一角で、建築分野の企画展「謳う建築」(会期2020年12月12日~2021年5月30日)が開催されています。
同展は、建築と詩を扱った展覧会で、15の住宅について、建築の体験が詩で表現され、建築の制作過程が模型と資料で示されています。建築の声にじっくり耳を傾け、建築の持つ抽象的なエッセンスを詩を介して想像する体験でした。動画配信/共有サービス、SNSなどにより、短編映像やテロップで構成された視覚メディアが先行する今日に、ブラウジング(語源:家畜を放牧して自由に草を食べさせること)のような消費行為ではなく、立ち止まって能動的に吸収し、音に変換し、思考し、イメージする、そんな根気が試される展覧会でしたし、これまで汎用的ではなかった手段で建築を伝えるまたは残す可能性についても意識させられました。


佐藤研吾《シャンティニケタンの住宅》、Nilanjan Bandyopadhyay
展覧会では、詩人の住む家として佐藤研吾さんの《シャンティニケタンの住宅》(*1)が紹介され、2点のインテリア模型、鉛筆と色鉛筆で描かれたスケッチ《ハコを対峙させてみる》(2017)、建主である詩人Nilanjan Bandyopadhyayによるベンガル語の詩とその書(カリグラフィ)作品が出展されています。佐藤さんはエッセイ「大地について―インドから建築を考える―」(*2)の中で同作品の制作・思考過程を残されており、大変意味のある貴重な内容だと思いますが、特に第25回から、同展でNilanjanさんが詠んでくださった3行の詩と書作品は、氏の溢れんばかりの想いが凝縮された言葉なのだと思い知らされます。
*1:《インド・シャンティニケタンに同志を募って家を作りに行く》参考
*2:佐藤研吾のエッセイ「大地について―インドから建築を考える―」主に第1~15回に《シャンティニケタンの住宅》の過程が書かれています。
以下、文中敬称略で書かせていただきます。
1、企画が生まれた背景
本展を企画した近藤以久恵は、建築倉庫の展示企画において、これまでも建築と他分野の領域の横断を意識してきました。リサーチではアトリエと現地取材を重ねていたので、建築家や構造家の生の声や制作・思考過程に魅了されたり、それらを鑑賞者に共有したいと思う経験が多かったのではないかと思います。彼女によると、企画に至った背景には「建築設計において、与条件、法や条例といったプログラムがAIによって解決されるかもしれない未来に、建築に残されるものは何か?」という問いがあり、「住宅という身近な建築に、身近な言葉を掛け合わせてみた」と言います。その言葉の深層には、コンセプトや構成、社会問題やプログラムの解決といった建築の具体的に解説が可能な部分ではなく、建築の本当の豊さである体験や身体性、建築が生まれる途中の物語を伝えたい、という想いが、詩人に託すこと、に繋がったのではないか、と思います。
選出された住宅建築は、計画中や施工中を含めいずれも制作プロセスに着目して選ばれ、作品ごとに詩人と映像作家が組み合わされています。そして詩人と映像作家が住宅建築を訪れ、その体験を書き下ろす、撮り下ろすという方法で作られた本展ですが、詩人であり装丁家でもあるカニエ・ナハの協力を得て、各々の作風の相性をみてコーディネートしたそうです。
映像は作品ごとに映画監督の広瀬奈々子と建築映像作家の瀬尾憲司のいずれかが撮り下ろしています。『つつんで、ひらいて』、『夜明け』を手掛け、人の心や人と人・ものとの関係性の描写を得意とする広瀬と、建築や建築家を捕らえて残す意志の感じられるドキュメンタリーを撮る瀬尾、建築をどう伝えるか/残すか?ということを考えながら観させてもらいました。
2、展示の体験
展示室入り口に身を置くと、風のように透き通った歌声と光のように柔らかい映像の空気感に包まれます。これらは永田昌民の《東久留米の家》(2003)を中村月子が歌い、広瀬奈々子が撮ったものです。次に、導入としての立原道造の《小譚詩》と独居《ヒアシンスハウス》(1938アンビルトのちに別所沼公園に復元)の模型があり、以降、順路に沿って、作品ごとに新作の詩、制作過程を表す模型と建築資料、新作の映像が続いてゆきます。展示室壁面に作者や制作年を示すキャプションや作品解説は一切ありません。ハンズアウトに作家情報と住宅建築の平面図が載っていますが、解説が十分な道標と言えるほどの強度はなく、全体に「手がかり」や「欠片」だけが散りばめられたようなミニマルで抽象的なつくりとなっていました。更に、中盤以降は3作品ずつまとまったコーナーが3つあり、全体の順路は時計回りにも関わらず、小さな反時計回りを3回転します。これらの進行方向に逆らう捻りは、詩の多くが縦書きで、右から左に読むために生まれるものですが、鑑賞者が無意識に流れに身を任せてしまうことを一旦阻止し、能動的な行動を促してくれるような変わった動線でした。

3、詩の表現の多様性
職業を紹介する村上龍の著書『13歳のハローワーク』の「詩人」の説明によると、「昔から詩を書くことで生活していくのはほとんど無理だったが、今は特にむずかしい。基本的に、詩は象徴的なものだ。言葉のシンプルな組み合わせで、普遍的なものを象徴する。」とあります。筆者は詩人の生態系に詳しくありませんが、多くは紙面や電子媒体を通した文字として詩を発表され、音として朗読されたり歌として歌われるものだと思います。今回は三次元の展覧会が媒体ということもあり、建築を伝える手段としての、詩や文の表現の多様性や可能性にも気づけました。
展覧会の詩の中で、中村好文《Cliff House / Cliff Hut》(2003,2017)を訪れた1日の足跡を詠んだ小池昌代《中村邸》、堀部安嗣《我孫子の家》(2011)の太古から未来までそこにあるかのような佇まいを詠んだ杉本真維子《百億年の家》、益子義弘《南が丘の山荘》(2007,2020)の内外が周りの林と繋がるような体験を詠んだ峯澤典子《隔たりのないひかりへ》などには、詩人の個人的な建築の体験が表現されています。田中敏溥《玉川学園の家》(1998)を詠んだ岡本啓《光の背骨》や、東孝光《塔の家》(1966)を詠んだ暁方ミセイ《樹洞の家》のように建築空間の特徴が文字列の形に現れているものもあります。
益子義弘《南が丘の山荘》、峯澤典子《隔たりのないひかりへ》
篠原明理《昭島の住宅》は現在建設中ですが、その建設過程を謳ったカニエ・ナハ《昭島の新しい住宅に寄すスタディ・モデルズ》は、14編が重ねられてバインダーに綴じられています。これは詩人が工事現場に通う度に書きおろし、展示期間中に新作を更新してゆくということをイメージして表現したものです。
篠原明理《昭島の住宅》
カニエ・ナハ《昭島の新しい住宅に寄すスタディ・モデルズ》
能作文徳・常山未央の《西大井のあな》(2018)から、リノベーションにより老朽化した躯体を露出させたり加工を加えることで顕になる老いと若い頃の本来の姿のようなものを人の老いに重ねた長塚圭史《奥》(*3)は、戯曲のセリフの形式をとっています。
*3:2021年11月、吉祥寺シアターで「奥~老いと建築~(仮)」として上演予定
篠原一男《谷川さんの住宅》(1974)(*4)の思い出と家への想いが謳われた谷川俊太郎《無言の言葉》と、吉村順三《湘南茅ヶ崎の家》の冬の光景、移ろう季節とともにある家を詠んだ蜂飼耳の《歳月》では、名住宅建築自体の強い個性以上に、時間を内包した老建築の存在感や、人を包み込む懐の深さが描かれました。展示の前半から後半にかけて、建築空間の特徴を表現する詩から建築の時間や存在について言及する詩に移り変わることで、建築は作られたら終わりではなく、育て続けるものだということも実感するような流れになっていたのではないでしょうか。また、展覧会を通して複数の映像作品で薪を焚べる家人の姿やリビングの炎が描かれており、その最後の作品が暖炉を重要視した吉村順三であることは美しかったです。
*4:飯沼珠実編「建築のことばを探す 多木浩二の建築写真」(建築の建築、2020)に《谷川さんの住宅》のフィルム6本のベタ焼き含む写真が24頁を割いて収められています。
最後に、本当は書き記しておきたい作品が多くあるのですが、ここでは2作品ご紹介させてください。
4、作品抜粋(1)高野保光《縦露地の家》、高貝弘也《露地の花》
建築家・高野保光は住宅を多く手がける建築家で、大学卒業後、造形作家の小野㐮の造形学研究室に在籍し、抽象彫刻の作品を作っていました。展示されている《縦露地の家》のプロセス模型のうち2点は粘土でできていて、玄関ポーチの控え方、3階の中庭の空け方、外部の街路樹に対して階段室をどう開くか、などの検討形跡が見られます。「縦露地」と呼ばれている街路樹に面した螺旋階段、最上階の茶室と中庭、1階のダイニングテーブルとは別にある畳スペース、3階から1階のキッチンに落ちてくるトップライトなどが本作品の特徴です。
高貝弘也は、昨年、8年ぶりの詩集『紙背の子』を発表した詩人で、代表作に『中二階』、『再生する光』などがあり、時に命や生死を意識させる緊張感ある繊細な詩を多く書かれています。詩が書かれたレポート用紙を複数冊持ち歩かれ、読み返しては書き加えを繰り返し、何年も推敲を重ねて詩集を編まれるそうです。展示室には、高貝の色鉛筆画と、トレーシングペーパーに印刷された詩が壁にランダムに貼られています。広瀬奈々子による映像の中には、高貝が景色を色鉛筆で描写する姿、レポート用紙に万年筆で次々と詩をしたためてゆく姿や、傘をさして住宅を後にする絵になる生き様が収められています。
展示された詩を1枚ずつ順番を変えたり行ったり来たりしながら見てゆくと、紙の余白と文字のバランスの美しい表現の中に、建築の特徴でもある畳スペースに落ちる丸いテーブルの影、そこから見えるアルコーブ状の光庭の笹、3階中庭のカエデ、茶室の障子、螺旋階段とその縦長窓や左官壁などが詠まれていることが見つけられたり、対になっている表現や、音遊びに気づきます。お二人の仕事を通して、詩も建築も、陰でないと光は明るく感じられないものだと気づきます。
高貝弘也《露地の花》
高野保光《縦露地の家》プロセス模型
5、作品抜粋(2)三科尚也・明日香《しのいえ》、四元康祐《しのいえ》
三科尚也・明日香の《しのいえ》は現在計画中の四元康祐が設計を依頼した別荘です。三科明日香が大学時代に住んでた「外人ハウス」のことを多木浩二『生きられた家』の言葉とともに描いた著書の中で、「住宅は太りすぎると苦しくなる。」、「外人ハウスは無頓着で趣味とかこだわりを持っていなかった。だから人に染まりやすくて(略)」、「(外人ハウスは)はっきりと固まったすがたがなく、毎日すがたを変えた」という内容があります。彼女は、住む人の行動に合わせて完璧にデザインされた住宅よりも、少し大雑把で不完全な包容力のある住宅を意識してこられたのではないでしょうか。
四元康祐は自身の経験や妄想が元になった親しみやすくコミカルな作品を多く書かれ、代表作に『笑うバグ』、『世界中年会議』などがあります。今回の展示では、詩《しのいえ》の他に、その背景となる設計要件書と記憶の短歌「しのいえ」に保管すべき記憶の一覧(抜粋)を書かれました。設計要件書には、四元が鹿児島串木野にある駐車場になっている祖父母の土地を管理することになったこと、父と父と関係する人々の思い出を納め、父方の親族が集い、子どもたちが帰ることのできる家を作ろうと考えたことが記されているほか、窓、庭、床といった建築を構成する要素別の要件が、回想と想像を行き来しながら書かれています。記憶の短歌「しのいえ」に保管すべき記憶の一覧(抜粋)では、この土地に込めたい景色の記憶、五右衛門風呂や汲み取り式便所などの幼少期に見たものや体験したこと、父との思い出、馬商人をしていたという曽祖父、産婆だった祖母、祖父母から聞いたこと、家族の墓のことなどが詠まれています。父の家族構成や敷地、これらの背景を知ってから詩を読むと、味わいが一層深まります。
模型と要件から、この家は台風で飛ばされた野良猫を探すための天窓、鶏小屋で飼ってた幻の巨大な雌豚が入ってくるための勝手口が確認できます。沖縄ではシーミーの時に先祖が墓の前に降りてくると言いますが、海と一家の墓地に向かって開かれた「しのいえ」は、そうした現実と非現実が交じり合うような、先祖と現世の親族が共存できるような場所へと向かっているように感じました。饒舌な詩と多くを語らない無骨な模型、この先に生まれる物語が楽しみです。
三科尚也・明日香《しのいえ》、四元康祐《しのいえ》
三科尚也・明日香《しのいえ》模型
さいごに
現在、感染予防対策によりWHATは一時的に週4日の開館になっており、おすすめしたい同展のガイドツアーが開催されていないことは大変残念ですが、文字や映像などの膨大な情報が絶えず流入し続け、それらの取捨選択と拾い読みが習慣化し、今やYouTubeはGoogleと並ぶ検索機能になり、デジタルネイティブはテロップ付き動画を倍速にして情報を飲み込むという時代に、スロウダウンして歩きながら詩を口ずさみ、言葉と建築作品と向き合い読み解く時間を楽しまれてみてはいかがでしょうか。
(おう せいび)
●王 聖美のエッセイ「気の向くままに展覧会逍遥」は偶数月18日に掲載しています。
■王 聖美 Seibi OH
1981年神戸市生まれ。京都工芸繊維大学工芸学部造形工学科卒業。国内、中国、シンガポールで図書館など教育文化施設の設計職を経て、2018年より建築倉庫ミュージアムに勤務。主な企画に「Wandering Wonder -ここが学ぶ場-」展、「あまねくひらかれる時代の非パブリック」展、「Nomadic Rhapsody-”超移動社会”がもたらす新たな変容-」展、「UNBUILT:Lost or Suspended」展。
「謳う建築」
会期:2020年12月12日(土)~2021年5月30日(日)
会場:WHAT 展示室1階(〒140-0002 東京都品川区東品川 2-6-10)
開館時間:火~日 11時~19時(最終入場18時)月曜休館(祝日の場合、翌火曜休館)
*毎週火曜日16時よりギャラリーツアーを開催。
入場料:一般1200円、大学生/専門学校生 700円、中高校生 500円、小学生以下 無料
*「-Inside the Collector’s Vault, vol.1-解き放たれたコレクション」展の観覧料を含む
*オンラインチケット制
*障害者手帳をお持ちの方とその付添者1名は無料。ご入館の際、障害者手帳等をご掲示ください
*学生の方は、ご入館の際に学生証をご掲示ください
主催:寺田倉庫株式会社
企 画:建築倉庫
企画協力:カニエ・ナハ
会場デザイン:関川航平
映像制作:広瀬奈々子、瀬尾憲司
什器デザイン:studio archē(甲斐貴大)
グラフィック:株式会社TETE BRANDING
協力:建築の建築
--------------------------------------------
●京都国立近代美術館で「分離派建築会100年 建築は芸術か?」が3月7日(日)まで開催されています。
●東京・天王洲アイルの寺田倉庫 WHAT で「謳う建築」展が5月30日(日)まで開催され、佐藤研吾が出品しています。
●ときの忘れものが青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転して3年が経ちました。もともと住宅だった阿部勤設計の建物LAS CASASを使って、毎月展覧会(Web展)を開催しています。
WEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>の特集も是非ご覧ください。
ときの忘れものはJR及び南北線の駒込駅南口から徒歩約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊。
「謳う建築」展を訪れて
昨年12月、東京・天王洲アイルに寺田倉庫が運営する展示施設「WHAT」がオープンしました。その新施設「WHAT」の1階の一角で、建築分野の企画展「謳う建築」(会期2020年12月12日~2021年5月30日)が開催されています。
同展は、建築と詩を扱った展覧会で、15の住宅について、建築の体験が詩で表現され、建築の制作過程が模型と資料で示されています。建築の声にじっくり耳を傾け、建築の持つ抽象的なエッセンスを詩を介して想像する体験でした。動画配信/共有サービス、SNSなどにより、短編映像やテロップで構成された視覚メディアが先行する今日に、ブラウジング(語源:家畜を放牧して自由に草を食べさせること)のような消費行為ではなく、立ち止まって能動的に吸収し、音に変換し、思考し、イメージする、そんな根気が試される展覧会でしたし、これまで汎用的ではなかった手段で建築を伝えるまたは残す可能性についても意識させられました。


佐藤研吾《シャンティニケタンの住宅》、Nilanjan Bandyopadhyay展覧会では、詩人の住む家として佐藤研吾さんの《シャンティニケタンの住宅》(*1)が紹介され、2点のインテリア模型、鉛筆と色鉛筆で描かれたスケッチ《ハコを対峙させてみる》(2017)、建主である詩人Nilanjan Bandyopadhyayによるベンガル語の詩とその書(カリグラフィ)作品が出展されています。佐藤さんはエッセイ「大地について―インドから建築を考える―」(*2)の中で同作品の制作・思考過程を残されており、大変意味のある貴重な内容だと思いますが、特に第25回から、同展でNilanjanさんが詠んでくださった3行の詩と書作品は、氏の溢れんばかりの想いが凝縮された言葉なのだと思い知らされます。
*1:《インド・シャンティニケタンに同志を募って家を作りに行く》参考
*2:佐藤研吾のエッセイ「大地について―インドから建築を考える―」主に第1~15回に《シャンティニケタンの住宅》の過程が書かれています。
以下、文中敬称略で書かせていただきます。
1、企画が生まれた背景
本展を企画した近藤以久恵は、建築倉庫の展示企画において、これまでも建築と他分野の領域の横断を意識してきました。リサーチではアトリエと現地取材を重ねていたので、建築家や構造家の生の声や制作・思考過程に魅了されたり、それらを鑑賞者に共有したいと思う経験が多かったのではないかと思います。彼女によると、企画に至った背景には「建築設計において、与条件、法や条例といったプログラムがAIによって解決されるかもしれない未来に、建築に残されるものは何か?」という問いがあり、「住宅という身近な建築に、身近な言葉を掛け合わせてみた」と言います。その言葉の深層には、コンセプトや構成、社会問題やプログラムの解決といった建築の具体的に解説が可能な部分ではなく、建築の本当の豊さである体験や身体性、建築が生まれる途中の物語を伝えたい、という想いが、詩人に託すこと、に繋がったのではないか、と思います。
選出された住宅建築は、計画中や施工中を含めいずれも制作プロセスに着目して選ばれ、作品ごとに詩人と映像作家が組み合わされています。そして詩人と映像作家が住宅建築を訪れ、その体験を書き下ろす、撮り下ろすという方法で作られた本展ですが、詩人であり装丁家でもあるカニエ・ナハの協力を得て、各々の作風の相性をみてコーディネートしたそうです。
映像は作品ごとに映画監督の広瀬奈々子と建築映像作家の瀬尾憲司のいずれかが撮り下ろしています。『つつんで、ひらいて』、『夜明け』を手掛け、人の心や人と人・ものとの関係性の描写を得意とする広瀬と、建築や建築家を捕らえて残す意志の感じられるドキュメンタリーを撮る瀬尾、建築をどう伝えるか/残すか?ということを考えながら観させてもらいました。
2、展示の体験
展示室入り口に身を置くと、風のように透き通った歌声と光のように柔らかい映像の空気感に包まれます。これらは永田昌民の《東久留米の家》(2003)を中村月子が歌い、広瀬奈々子が撮ったものです。次に、導入としての立原道造の《小譚詩》と独居《ヒアシンスハウス》(1938アンビルトのちに別所沼公園に復元)の模型があり、以降、順路に沿って、作品ごとに新作の詩、制作過程を表す模型と建築資料、新作の映像が続いてゆきます。展示室壁面に作者や制作年を示すキャプションや作品解説は一切ありません。ハンズアウトに作家情報と住宅建築の平面図が載っていますが、解説が十分な道標と言えるほどの強度はなく、全体に「手がかり」や「欠片」だけが散りばめられたようなミニマルで抽象的なつくりとなっていました。更に、中盤以降は3作品ずつまとまったコーナーが3つあり、全体の順路は時計回りにも関わらず、小さな反時計回りを3回転します。これらの進行方向に逆らう捻りは、詩の多くが縦書きで、右から左に読むために生まれるものですが、鑑賞者が無意識に流れに身を任せてしまうことを一旦阻止し、能動的な行動を促してくれるような変わった動線でした。

3、詩の表現の多様性
職業を紹介する村上龍の著書『13歳のハローワーク』の「詩人」の説明によると、「昔から詩を書くことで生活していくのはほとんど無理だったが、今は特にむずかしい。基本的に、詩は象徴的なものだ。言葉のシンプルな組み合わせで、普遍的なものを象徴する。」とあります。筆者は詩人の生態系に詳しくありませんが、多くは紙面や電子媒体を通した文字として詩を発表され、音として朗読されたり歌として歌われるものだと思います。今回は三次元の展覧会が媒体ということもあり、建築を伝える手段としての、詩や文の表現の多様性や可能性にも気づけました。
展覧会の詩の中で、中村好文《Cliff House / Cliff Hut》(2003,2017)を訪れた1日の足跡を詠んだ小池昌代《中村邸》、堀部安嗣《我孫子の家》(2011)の太古から未来までそこにあるかのような佇まいを詠んだ杉本真維子《百億年の家》、益子義弘《南が丘の山荘》(2007,2020)の内外が周りの林と繋がるような体験を詠んだ峯澤典子《隔たりのないひかりへ》などには、詩人の個人的な建築の体験が表現されています。田中敏溥《玉川学園の家》(1998)を詠んだ岡本啓《光の背骨》や、東孝光《塔の家》(1966)を詠んだ暁方ミセイ《樹洞の家》のように建築空間の特徴が文字列の形に現れているものもあります。
益子義弘《南が丘の山荘》、峯澤典子《隔たりのないひかりへ》篠原明理《昭島の住宅》は現在建設中ですが、その建設過程を謳ったカニエ・ナハ《昭島の新しい住宅に寄すスタディ・モデルズ》は、14編が重ねられてバインダーに綴じられています。これは詩人が工事現場に通う度に書きおろし、展示期間中に新作を更新してゆくということをイメージして表現したものです。
篠原明理《昭島の住宅》
カニエ・ナハ《昭島の新しい住宅に寄すスタディ・モデルズ》能作文徳・常山未央の《西大井のあな》(2018)から、リノベーションにより老朽化した躯体を露出させたり加工を加えることで顕になる老いと若い頃の本来の姿のようなものを人の老いに重ねた長塚圭史《奥》(*3)は、戯曲のセリフの形式をとっています。
*3:2021年11月、吉祥寺シアターで「奥~老いと建築~(仮)」として上演予定
篠原一男《谷川さんの住宅》(1974)(*4)の思い出と家への想いが謳われた谷川俊太郎《無言の言葉》と、吉村順三《湘南茅ヶ崎の家》の冬の光景、移ろう季節とともにある家を詠んだ蜂飼耳の《歳月》では、名住宅建築自体の強い個性以上に、時間を内包した老建築の存在感や、人を包み込む懐の深さが描かれました。展示の前半から後半にかけて、建築空間の特徴を表現する詩から建築の時間や存在について言及する詩に移り変わることで、建築は作られたら終わりではなく、育て続けるものだということも実感するような流れになっていたのではないでしょうか。また、展覧会を通して複数の映像作品で薪を焚べる家人の姿やリビングの炎が描かれており、その最後の作品が暖炉を重要視した吉村順三であることは美しかったです。
*4:飯沼珠実編「建築のことばを探す 多木浩二の建築写真」(建築の建築、2020)に《谷川さんの住宅》のフィルム6本のベタ焼き含む写真が24頁を割いて収められています。
最後に、本当は書き記しておきたい作品が多くあるのですが、ここでは2作品ご紹介させてください。
4、作品抜粋(1)高野保光《縦露地の家》、高貝弘也《露地の花》
建築家・高野保光は住宅を多く手がける建築家で、大学卒業後、造形作家の小野㐮の造形学研究室に在籍し、抽象彫刻の作品を作っていました。展示されている《縦露地の家》のプロセス模型のうち2点は粘土でできていて、玄関ポーチの控え方、3階の中庭の空け方、外部の街路樹に対して階段室をどう開くか、などの検討形跡が見られます。「縦露地」と呼ばれている街路樹に面した螺旋階段、最上階の茶室と中庭、1階のダイニングテーブルとは別にある畳スペース、3階から1階のキッチンに落ちてくるトップライトなどが本作品の特徴です。
高貝弘也は、昨年、8年ぶりの詩集『紙背の子』を発表した詩人で、代表作に『中二階』、『再生する光』などがあり、時に命や生死を意識させる緊張感ある繊細な詩を多く書かれています。詩が書かれたレポート用紙を複数冊持ち歩かれ、読み返しては書き加えを繰り返し、何年も推敲を重ねて詩集を編まれるそうです。展示室には、高貝の色鉛筆画と、トレーシングペーパーに印刷された詩が壁にランダムに貼られています。広瀬奈々子による映像の中には、高貝が景色を色鉛筆で描写する姿、レポート用紙に万年筆で次々と詩をしたためてゆく姿や、傘をさして住宅を後にする絵になる生き様が収められています。
展示された詩を1枚ずつ順番を変えたり行ったり来たりしながら見てゆくと、紙の余白と文字のバランスの美しい表現の中に、建築の特徴でもある畳スペースに落ちる丸いテーブルの影、そこから見えるアルコーブ状の光庭の笹、3階中庭のカエデ、茶室の障子、螺旋階段とその縦長窓や左官壁などが詠まれていることが見つけられたり、対になっている表現や、音遊びに気づきます。お二人の仕事を通して、詩も建築も、陰でないと光は明るく感じられないものだと気づきます。
高貝弘也《露地の花》
高野保光《縦露地の家》プロセス模型5、作品抜粋(2)三科尚也・明日香《しのいえ》、四元康祐《しのいえ》
三科尚也・明日香の《しのいえ》は現在計画中の四元康祐が設計を依頼した別荘です。三科明日香が大学時代に住んでた「外人ハウス」のことを多木浩二『生きられた家』の言葉とともに描いた著書の中で、「住宅は太りすぎると苦しくなる。」、「外人ハウスは無頓着で趣味とかこだわりを持っていなかった。だから人に染まりやすくて(略)」、「(外人ハウスは)はっきりと固まったすがたがなく、毎日すがたを変えた」という内容があります。彼女は、住む人の行動に合わせて完璧にデザインされた住宅よりも、少し大雑把で不完全な包容力のある住宅を意識してこられたのではないでしょうか。
四元康祐は自身の経験や妄想が元になった親しみやすくコミカルな作品を多く書かれ、代表作に『笑うバグ』、『世界中年会議』などがあります。今回の展示では、詩《しのいえ》の他に、その背景となる設計要件書と記憶の短歌「しのいえ」に保管すべき記憶の一覧(抜粋)を書かれました。設計要件書には、四元が鹿児島串木野にある駐車場になっている祖父母の土地を管理することになったこと、父と父と関係する人々の思い出を納め、父方の親族が集い、子どもたちが帰ることのできる家を作ろうと考えたことが記されているほか、窓、庭、床といった建築を構成する要素別の要件が、回想と想像を行き来しながら書かれています。記憶の短歌「しのいえ」に保管すべき記憶の一覧(抜粋)では、この土地に込めたい景色の記憶、五右衛門風呂や汲み取り式便所などの幼少期に見たものや体験したこと、父との思い出、馬商人をしていたという曽祖父、産婆だった祖母、祖父母から聞いたこと、家族の墓のことなどが詠まれています。父の家族構成や敷地、これらの背景を知ってから詩を読むと、味わいが一層深まります。
模型と要件から、この家は台風で飛ばされた野良猫を探すための天窓、鶏小屋で飼ってた幻の巨大な雌豚が入ってくるための勝手口が確認できます。沖縄ではシーミーの時に先祖が墓の前に降りてくると言いますが、海と一家の墓地に向かって開かれた「しのいえ」は、そうした現実と非現実が交じり合うような、先祖と現世の親族が共存できるような場所へと向かっているように感じました。饒舌な詩と多くを語らない無骨な模型、この先に生まれる物語が楽しみです。
三科尚也・明日香《しのいえ》、四元康祐《しのいえ》
三科尚也・明日香《しのいえ》模型さいごに
現在、感染予防対策によりWHATは一時的に週4日の開館になっており、おすすめしたい同展のガイドツアーが開催されていないことは大変残念ですが、文字や映像などの膨大な情報が絶えず流入し続け、それらの取捨選択と拾い読みが習慣化し、今やYouTubeはGoogleと並ぶ検索機能になり、デジタルネイティブはテロップ付き動画を倍速にして情報を飲み込むという時代に、スロウダウンして歩きながら詩を口ずさみ、言葉と建築作品と向き合い読み解く時間を楽しまれてみてはいかがでしょうか。
(おう せいび)
●王 聖美のエッセイ「気の向くままに展覧会逍遥」は偶数月18日に掲載しています。
■王 聖美 Seibi OH
1981年神戸市生まれ。京都工芸繊維大学工芸学部造形工学科卒業。国内、中国、シンガポールで図書館など教育文化施設の設計職を経て、2018年より建築倉庫ミュージアムに勤務。主な企画に「Wandering Wonder -ここが学ぶ場-」展、「あまねくひらかれる時代の非パブリック」展、「Nomadic Rhapsody-”超移動社会”がもたらす新たな変容-」展、「UNBUILT:Lost or Suspended」展。
「謳う建築」
会期:2020年12月12日(土)~2021年5月30日(日)
会場:WHAT 展示室1階(〒140-0002 東京都品川区東品川 2-6-10)
開館時間:火~日 11時~19時(最終入場18時)月曜休館(祝日の場合、翌火曜休館)
*毎週火曜日16時よりギャラリーツアーを開催。
入場料:一般1200円、大学生/専門学校生 700円、中高校生 500円、小学生以下 無料
*「-Inside the Collector’s Vault, vol.1-解き放たれたコレクション」展の観覧料を含む
*オンラインチケット制
*障害者手帳をお持ちの方とその付添者1名は無料。ご入館の際、障害者手帳等をご掲示ください
*学生の方は、ご入館の際に学生証をご掲示ください
主催:寺田倉庫株式会社
企 画:建築倉庫
企画協力:カニエ・ナハ
会場デザイン:関川航平
映像制作:広瀬奈々子、瀬尾憲司
什器デザイン:studio archē(甲斐貴大)
グラフィック:株式会社TETE BRANDING
協力:建築の建築
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●京都国立近代美術館で「分離派建築会100年 建築は芸術か?」が3月7日(日)まで開催されています。
●東京・天王洲アイルの寺田倉庫 WHAT で「謳う建築」展が5月30日(日)まで開催され、佐藤研吾が出品しています。
●ときの忘れものが青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転して3年が経ちました。もともと住宅だった阿部勤設計の建物LAS CASASを使って、毎月展覧会(Web展)を開催しています。
WEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>の特集も是非ご覧ください。
ときの忘れものはJR及び南北線の駒込駅南口から徒歩約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊。
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