吉原英里のエッセイ「不在の部屋」第7回
-初めてのニューヨーク-
1988年のクリスマス前からお正月にかけて、友人達と初めてニューヨークへ出掛けました。私は直前の12月14日まで、名古屋の伽藍洞ギャラリーで個展を開催していたため、終了後も沢山の追い刷りをして何とかギリギリで作品も発送して、家を出発しました。成田空港で伽藍洞ギャラリーの南谷さんに「作品を発送しましたので、後はよろしくお願いします。」と電話をして飛行機に乗り込むと、ほっとしたのか途端に熱が出て、ウエルカムドリンクのオレンジジュースを飲んだだけで、ニューヨークに着くまでほとんど意識がありませんでした。ホテルに着くと倒れ込む様に二日間眠り続けました。その後、ワールドトレードセンターの病院に連れて行ってもらい、診察を受けると、「香港A型インフルエンザです」と言われて受けた注射のお陰で少し熱が下がりました。コロナ禍の今から思えば常識はずれなことですが、その後病院に付き添ってくれた友人に「帰りにどこか一カ所で良いから連れて行って」とお願いしたら、ニュー・ミュージアムに連れて行ってくれました。
会場に入ると、薄暗い部屋でボーッとしたオレンジ色の光の中に、ブリキのビスケット缶がうず高く積まれ、その上に沢山の人の顔の写真がある、クリスチャン・ボルタンスキーのインスタレーションでした。初めて見た私は、衝撃と同時に長い映画を見終わった後の様な、不思議な安らぎを感じました。「この感覚は、まだ熱があるからなのかな?」と一瞬は疑いましたが、すぐに、「いや、本当に凄い作品を見たんだ。やっぱりニューヨークに来て良かった。」と思いました。
次の日からは、寝ていた時間を取り戻すかのように精力的に、美術館、ギャラリー、書店、クラブ等々を目一杯楽しみました。そしてある本に出会います。ピカソやマチスなどの食卓やアトリエの写真が載った本です。彼ら巨匠の日常生活を垣間見た私に、再び衝撃が走ります。彼らの生活と私の生活、過去と現在、名作と私のモチーフ、などが一つの画面の中で交錯し、過去と現在が行き来するような空間を作りたいと強く思ったのです。
そうして、「画家のアトリエ シリーズ」を始めます。このシリーズでは《セザンヌの食卓》のようにセザンヌの作品から出て来たかの様に同じモチーフ(ワインの瓶)が空間を行き来する事や、《マチスのジャズ》の場合のようにマチスの絵の馬の一部と私が描いたサックスの首のように、似た形態のリフレインでもよかった。また彼らの絵のなかに、こちらのイメージが参加する形でも良いと、かなりフレキシブルな方法にしました。つまり、イメージ先行型から造形重視型まで幅広いきっかけを自身に許しました。おかげでずいぶん長くこのシリーズは続きました。


1.《セザンヌの食卓》1990年 60×45cm エッチング、ラミネート(左)
2.《マチスのジャズ》1990年 60×45cm エッチング、ラミネート(右)
帰国後、何度かボルタンスキーの展覧会を見る機会が持てた頃、毎日新聞大阪本社学芸部の田原さんから連絡があり、1991年1月から京都国立近代美術館で開催されるソナベント・コレクション展の出品作品から一つ選んで文章を書くように依頼がありました。私は迷わずボルタンスキーの「小さなナイフの製造、1970年6-9月」(ケースNo2)を選び、毎日新聞の〔現代美術の神話4 ソナベント・コレクション展より クリスチャン・ボルタンスキーについて〕で、エッセイ「生命体の叫び」を書きました。後年パリで、ボルタンスキー本人にお会いすることが出来た時、そのエッセイの話をしたら嬉しそうに、「どうして僕を選んだの?沢山の巨匠がいるのに。」と言う彼に、27年前にニュー・ミュージアムで初めてボルタンスキーの個展を見たときの衝撃と喜びを伝えました。彼の制作のきっかけはホロコーストだったかも知れないけれど、そのことに留まらず広く人間全般の生と死という普遍的なテーマを表現している事が一目で感じることが出来たからです。私自身は、人の死がテーマではありませんが、当初から人物の不在によってそこにいたはずの人の存在を表現したいと思って制作していたので、ボルタンスキーの作品を知った時から親密感を持っていて、今もずっと気になる作家です。それに、少し照れながら自分の新作を楽しそうに説明してくれるチャーミングなボルタンスキーを見ていると、やっぱりあの時彼を選んで良かったと思いました。
3. 《画家のアトリエ Ⅰ》1989年 45×75cm エッチング、ラミネート
4. 《画家のアトリエ Ⅲ》1989年 45×60cm エッチング、ラミネート
5. 《Between Cézanne》1990年 70×52cm ドローイング
(よしはら えり)
■吉原英里 Eri YOSHIHARA
1959年大阪に生まれる。1983年嵯峨美術短期大学版画専攻科修了。
1983年から帽子やティーカップ、ワインの瓶など身近なものをモチーフに、独自の「ラミネート技法」で銅版画を制作。2003年文化庁平成14年度優秀作品買上。2018年「ニュー・ウェイブ現代美術の80年代」展 国立国際美術館、大阪。
*吉原さんは5月7日(金)~5月22日(土)に「吉原英里展 ‒不在の部屋‒2021」を開催します。どうぞご期待ください。
●作品集のご案内
『不在の部屋』吉原英里作品集 1983‐2016
1980年代から現在までのエッチング、インスタレーション、ドローイング作品120点を収録。日英2か国語。サインあり。
著者:吉原英里
執筆:横山勝彦、江上ゆか、植島啓司、平田剛志
翻訳:クリストファー・スティヴンズ
デザイン:西岡勉
発行:ギャラリーモーニング
印刷、製本:株式会社サンエムカラー
定価:3,800円(税込)
*ときの忘れもので扱っています。
●ときの忘れものが青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転して3年が経ちました。もともと住宅だった阿部勤設計の建物LAS CASASを使って、毎月展覧会(Web展)を開催しています。
WEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>の特集も是非ご覧ください。
ときの忘れものはJR及び南北線の駒込駅南口から徒歩約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊。
-初めてのニューヨーク-
1988年のクリスマス前からお正月にかけて、友人達と初めてニューヨークへ出掛けました。私は直前の12月14日まで、名古屋の伽藍洞ギャラリーで個展を開催していたため、終了後も沢山の追い刷りをして何とかギリギリで作品も発送して、家を出発しました。成田空港で伽藍洞ギャラリーの南谷さんに「作品を発送しましたので、後はよろしくお願いします。」と電話をして飛行機に乗り込むと、ほっとしたのか途端に熱が出て、ウエルカムドリンクのオレンジジュースを飲んだだけで、ニューヨークに着くまでほとんど意識がありませんでした。ホテルに着くと倒れ込む様に二日間眠り続けました。その後、ワールドトレードセンターの病院に連れて行ってもらい、診察を受けると、「香港A型インフルエンザです」と言われて受けた注射のお陰で少し熱が下がりました。コロナ禍の今から思えば常識はずれなことですが、その後病院に付き添ってくれた友人に「帰りにどこか一カ所で良いから連れて行って」とお願いしたら、ニュー・ミュージアムに連れて行ってくれました。
会場に入ると、薄暗い部屋でボーッとしたオレンジ色の光の中に、ブリキのビスケット缶がうず高く積まれ、その上に沢山の人の顔の写真がある、クリスチャン・ボルタンスキーのインスタレーションでした。初めて見た私は、衝撃と同時に長い映画を見終わった後の様な、不思議な安らぎを感じました。「この感覚は、まだ熱があるからなのかな?」と一瞬は疑いましたが、すぐに、「いや、本当に凄い作品を見たんだ。やっぱりニューヨークに来て良かった。」と思いました。
次の日からは、寝ていた時間を取り戻すかのように精力的に、美術館、ギャラリー、書店、クラブ等々を目一杯楽しみました。そしてある本に出会います。ピカソやマチスなどの食卓やアトリエの写真が載った本です。彼ら巨匠の日常生活を垣間見た私に、再び衝撃が走ります。彼らの生活と私の生活、過去と現在、名作と私のモチーフ、などが一つの画面の中で交錯し、過去と現在が行き来するような空間を作りたいと強く思ったのです。
そうして、「画家のアトリエ シリーズ」を始めます。このシリーズでは《セザンヌの食卓》のようにセザンヌの作品から出て来たかの様に同じモチーフ(ワインの瓶)が空間を行き来する事や、《マチスのジャズ》の場合のようにマチスの絵の馬の一部と私が描いたサックスの首のように、似た形態のリフレインでもよかった。また彼らの絵のなかに、こちらのイメージが参加する形でも良いと、かなりフレキシブルな方法にしました。つまり、イメージ先行型から造形重視型まで幅広いきっかけを自身に許しました。おかげでずいぶん長くこのシリーズは続きました。


1.《セザンヌの食卓》1990年 60×45cm エッチング、ラミネート(左)
2.《マチスのジャズ》1990年 60×45cm エッチング、ラミネート(右)
帰国後、何度かボルタンスキーの展覧会を見る機会が持てた頃、毎日新聞大阪本社学芸部の田原さんから連絡があり、1991年1月から京都国立近代美術館で開催されるソナベント・コレクション展の出品作品から一つ選んで文章を書くように依頼がありました。私は迷わずボルタンスキーの「小さなナイフの製造、1970年6-9月」(ケースNo2)を選び、毎日新聞の〔現代美術の神話4 ソナベント・コレクション展より クリスチャン・ボルタンスキーについて〕で、エッセイ「生命体の叫び」を書きました。後年パリで、ボルタンスキー本人にお会いすることが出来た時、そのエッセイの話をしたら嬉しそうに、「どうして僕を選んだの?沢山の巨匠がいるのに。」と言う彼に、27年前にニュー・ミュージアムで初めてボルタンスキーの個展を見たときの衝撃と喜びを伝えました。彼の制作のきっかけはホロコーストだったかも知れないけれど、そのことに留まらず広く人間全般の生と死という普遍的なテーマを表現している事が一目で感じることが出来たからです。私自身は、人の死がテーマではありませんが、当初から人物の不在によってそこにいたはずの人の存在を表現したいと思って制作していたので、ボルタンスキーの作品を知った時から親密感を持っていて、今もずっと気になる作家です。それに、少し照れながら自分の新作を楽しそうに説明してくれるチャーミングなボルタンスキーを見ていると、やっぱりあの時彼を選んで良かったと思いました。
3. 《画家のアトリエ Ⅰ》1989年 45×75cm エッチング、ラミネート
4. 《画家のアトリエ Ⅲ》1989年 45×60cm エッチング、ラミネート
5. 《Between Cézanne》1990年 70×52cm ドローイング(よしはら えり)
■吉原英里 Eri YOSHIHARA
1959年大阪に生まれる。1983年嵯峨美術短期大学版画専攻科修了。
1983年から帽子やティーカップ、ワインの瓶など身近なものをモチーフに、独自の「ラミネート技法」で銅版画を制作。2003年文化庁平成14年度優秀作品買上。2018年「ニュー・ウェイブ現代美術の80年代」展 国立国際美術館、大阪。
*吉原さんは5月7日(金)~5月22日(土)に「吉原英里展 ‒不在の部屋‒2021」を開催します。どうぞご期待ください。
●作品集のご案内
『不在の部屋』吉原英里作品集 1983‐20161980年代から現在までのエッチング、インスタレーション、ドローイング作品120点を収録。日英2か国語。サインあり。
著者:吉原英里
執筆:横山勝彦、江上ゆか、植島啓司、平田剛志
翻訳:クリストファー・スティヴンズ
デザイン:西岡勉
発行:ギャラリーモーニング
印刷、製本:株式会社サンエムカラー
定価:3,800円(税込)
*ときの忘れもので扱っています。
●ときの忘れものが青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転して3年が経ちました。もともと住宅だった阿部勤設計の建物LAS CASASを使って、毎月展覧会(Web展)を開催しています。
WEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>の特集も是非ご覧ください。
ときの忘れものはJR及び南北線の駒込駅南口から徒歩約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊。
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