高橋亨「元永定正のファニーアート」第3回(1980年執筆)
The Funny Art of Sadamasa MOTONAGA
▼元永定正の絵
1.「ファニー」
元永定正の絵の特色はまず第一にフォルムの異様さである。初期にはそれが静的なかたちであらわされ、次にはアンフォルメル風の流動する混沌の相をもってあらわれてくる。あふれ流れる色彩のカオスは初期のフォルムがもった明確な輪郭をのみこみ、奔放強烈に異様さを発散する。それはあくまでなまなましく、ときに性的なイメージとつながり、また男性的で、図太くのさばる。だがその異様さは超越的なものではない。元永はかつて「具体」誌にかいたエッセーで「私は我々の持っている感覚は原始海洋中に生活をしていたアミーバ状態のときからの習性もどこかに残っている、と云うよりもそれが重大な要素を持っているのではないかと考える。」とのべているが、元永の絵に見られる原初的な生命形態ともよぶべきフォルムは、そのような感覚とつながっているようにも思える。元永が生命的なものに関心をもちつづけていることは、そうした画面からみても明らかであり、それゆえにかれのフォルムが示す異様さは人間という生命、またその感覚あるいは想像力にたいして親和的な一面をもつのであろう。ぶきみなうちにユーモラスな表情さえのぞかせる。同じエッセ―で「または阿呆くさい美、狂気の美、笑う様な美、メチャクチャな美、強い美、弱い美、けったいな美、グロテスクな美、その他あらゆる未知な美を展開する。」とかいたのは、グタイのグループ全体の仕事ぶりについてのべたものだが、まるで自分自身について語ったかのように、そっくり元永の作品にあてはまるといってよさそうである。未知の世界に向けて一種強健な楽天主義をもつ人間が、自信をもったり笑ったり破裂したりしながら、陽気に力強く生を更新してゆく過程から吐きだされてくる、といった感じのするのが元永の絵である。
元永定正
「作品 F112」
1968年 キャンバス、水性アクリル・カラー
183x368cm
*画像『元永定正作品集1955-1983』(1983年、灰塚輝三 発行)より転載
このような絵を元永自身は「ファニー」ということばでよんでいる。題名を「FUNNY」とつけた作品もある。奇妙な、けったいな、ということの形容詞は、だれも見たことのない未知のものをつくりだそうというグタイの考えかたが反映しているが、とりわけ元永個人の作品にふさわしい意味と響きをもっている。なんともいいようのない変なものであると同時に、どこかふざけたようなおもしろさをもつもの、それがファニーであろうが、異様ななかにもユーモラスな親近感をたたえた元永の絵にあてはまる。元永の絵には初期からそういう性質がみられるのだが、その「ファニー」の響きは66年に元永が渡米して以後の作品で、いっそう透明さをましてくる。
2.流しからスプレーへ
その年の10月、元永定正はニューヨークのジャパン・ソサエティの招きでアメリカを訪れた。滞在は1年ほどで翌年帰国したが、それを機会に元永は技法を変え、3つ目の時期にはいることになる。不案内な土地で材料の調達が思うようにいかないというのが理由のひとつで、従来のエナメル塗料による流しをうちきり、アクリルえのぐを使ったスプレーでえがくことをはじめた。その方法は今日までつづけられている。
元永定正
「しろくにゃり」
1975年
キャンバス、水性及油性アクリル・カラー(手描き、スプレー)
162x131cm
*画像『元永定正作品集1955-1983』(1983年、灰塚輝三 発行)より転載
生命的でまた物質的な流動が消え、均質なマチエールに変わったのは当然だが、明確な輪郭をもつフォルムに変貌したのが一番の外観的特徴である。アンフォルメルの色彩のカオスにおおわれていたフォルムの輪郭が再び明快にあらわされてくる。その意味では初期の様態にたちかえったともいえそうだが、当時のそれのぎごちなさや生硬さはもうみられない。アンフォルメルをへた元永のフォルムは、豊かなふくらみとやわらかみをたたえるようになる。
もっともフォルムの明確化という点だけみれば、渡米以前すでに60年代前半からその方向があらわれはじめている。流しでフォルム全体をおおうのではなく、はっきりした輪郭をもつお化けのような形が、ドロドロを口や頭から吐きだし、あるいはからだから四方に噴出するといった画面が渡米の前までつづいている。64年の第6回現代日本美術展優秀賞受賞作も、そうしたくっきりしたフォルムの一部に、流しの技法を部分的に使った作品のひとつである。まとまりのあるフォルムでイメージをあらわそうとする考えは元永の本来の意思であり、アンフォルメルの流動する波を自分で頭からかぶった時期にあっても、そのつよい意思は消えることなく底流していたのである。そうした元永の絵は、塗料の流しによる技法をやめ、吹きつけをあらたな技法として用いることによって、塗料が語った物質性がほとんど消えさるのと同時に視覚性が明瞭になり、フォルムと色彩は純粋に絵画的なイメージとしてあらわされるようになる。そのいわば絵画としての純度が、元永のイメージが透明さを加え、奥行きのある想像力が「ファニー」なものを柔軟なしぐさで生産してゆくのに役立っているといえるだろう。
3.抽象漫画宣言
渡米以後つまり66年から79年にいたる最近15年の間の元永定正の絵は、ゆるやかな変化と再生の軌跡をえがいている。だいたい元永の絵は、同じようなフォルムが再三くりかえし現われることが多い。それは最初の「山の絵」以来、独特で固有の形態感覚を身につけ、その感覚はほとんどたえず生命的なものをまさぐりつづけているからでもあろう。しかしそれらは単なるくりかえしではなく、同じようなフォルムがあらたなシチュエーションのなかで再生し、そのたびに「おかしな」ものとして生を得るというところに、元永の停滞を知らない創造力がうかがえる。
69年の第9回日本国際美術展に出品した「Work N. Y. No.1」はこの時期の初めの作で、岩石のようにややでこぼこにひろがる大きな色面がふたつ重なり、半分かくれた方は下に足のようなものがのび、流しの時代のなごりを感じさせるが、もう一方は輪郭の外側を吹きつけのぼかしによる太陽のコロナのような明るい光の輪がとりまいている。この輪郭の外縁または内縁や、形の一部にぼかしを用いる手法は、以来特色のひとつとなり、明確な輪郭線をやわらげ、平板な色面に立体感をもたせるなどの効果をあげている。また間接照明のようなやわらかい光の効果となったりする。
元永定正
「Work N. Y. No.1」
1967年
油性・水性樹脂系絵具、キャンバス、パネル
274x212cm
*画像:『元永定正作品集1955-1983』(1983年、灰塚輝三 発行)より転載
元永定正
「作品 FUNNY 79」
1967年
油性・水性樹脂系絵具、キャンバス、パネル
213x275cm
*画像:『元永定正作品集1955-1983』(1983年、灰塚輝三 発行)より転載
同じ年の「作品 FUNNY 79」は、太いのや細いのや二本ずつ腕のはえた抽象ぬいぐるみ人形がふたつ立っているようなユーモラスな画面である。このような大きなフォルムから小さいフォルムがいくつか分枝する構造をその後も試みている。それらのひとつひとつのフォルムは、細長いマユのようなソフトな感触で包まれ、有機的で生きものの印象にちかい。
70年ごろからの作品に、ローマ字のQを題名に使った絵がいくつか現われる。軟体動物がQの字にまがったようなフォルムで、そのヴァリエーションも多い。漫画のポパイの顔のような感じである。漫画というと、元永が63年8月の美術手帖に「私の抽象漫画宣言」をかいたことを思いだす。まだ画面が強烈な流しでいろどられていたころだが、そこに掲載された簡単な線がきのデッサンは、当時のつよい表現のタブローよりは、ソフトなムードのうちにユーモラスな側面がひろがってきた渡米以後の作品に近い。この宣言というのは漫画のような抽象画があってもいいじゃないかという主張で、元永のいう「ファニーアート」が、奇妙さのうちにおかしさ、おもしろさをはらんだフォルムの追求であることを物語っているだろう。またファニーアートというと、74年に大阪でひらいた個展「衝突」に“元永定正のファニーアート”というサブタイトルがついていたことが思いだされる。これは赤と緑のえのぐをいれたふたつの洗面器をブランコのように揺り、ぶつかってえのぐが飛び散る物理的アクションのイヴェントだが、はじめに手を貸し、あとは偶然と自然の法則にゆだねるそのやりかたは、アンフォルメル時代の流しの技法に共通するといえよう。そういえば初期の煙を吐きだしたイヴェントも同様であった。とにかくそうしたアクションまでふくめてファニーアートとよんでいるのである。
元永定正
「衝突(赤と緑)」
1974年
丸い金属製のたらいに赤と緑の絵具を入れてハンモックに吊り下げ、左右にひろげてぶつける。赤と緑が混じり合って飛び散る。
「衝突―元永定正のファニーアート」(大阪・信濃橋画廊)
*画像:『元永定正』(1980年、現代版画センター発行)より転載
画面におけるフォルムのおもしろさだけでなく、作家としての活動全体の方向として考えられているといってよいだろう。元永は若いころさまざまの職につきながら、なぐさみに漫画をかいていた時期があったというが、奇妙でおもしろいものにたいする関心は元永の半生を貫いてきた主軸なのだ。まじめさや深刻さが買われ、漫画などは本格的な芸術の仲間からはずされがちなこの世界で、元永の主張と作品を通じての実践は居直るような大胆さということができよう。その画面はそうした方向にともなうある種の軽さをむしろ積極的な特色として、フォルムのもつスケールの大きさと空間的な豊かさをもって。独特のおおらかな世界にひろげてゆく。おかしな題名も多い。「NYU NYU NYU NYU 」「KURU KURU RIN」「ぽぽぱぱ」「YON KURU」―題名までファニーだ。
元永定正
右:「くにゃりとくにゃり」陶器 長さ60x高さ10cm
中:「たまのでるかたち」陶板 30x30cm
左:「くねくねくね」陶器 長さ60x高さ10cm
制作年はすべて1972年
*画像:『元永定正』(1980年、現代版画センター発行)より転載
上)西郷コミカ温泉
(屋根・煙突のペインティング)
1977年
屋根には白いペンキ、煙突には赤いペンキをそれぞれ流した。「西郷コミカ温泉」は大阪・守口市にあるユニークな公衆浴場。レストランや中庭、小ホールといった施設をもち、地域住民の新たな活動の場として利用されている。
下)「HAHAHA HOHOHO」(西郷コミカ温泉浴室壁画)
1977年
耐水性特殊ラッカー(手描き、スプレー)
*画像:『元永定正』(1980年、現代版画センター発行)より転載
西郷コミカ温泉浴室壁画
*画像:『元永定正作品集1955-1983』(1983年、灰塚輝三 発行)より転載
西郷コミカ温泉浴室壁画
*画像:『元永定正作品集1955-1983』(1983年、灰塚輝三 発行)より転載
元永定正
「作品 布と針金」
1972年
自然石、針金、布、他
高さ30cm
*画像:『元永定正』(1980年、現代版画センター発行)より転載
4.第4の時期へ
これまでおよそ四半世紀にわたる元永定正の足どりを、三つの時期にわけて眺めてきた。かなり長い道のりであるにもかかわらず、元永の足跡はたどりやすいということができる。途中の上り下りや屈折はあっても、かれのいうファニーなイメージをとらえようとするフォルム追求の一本の道として確かに連続しているからである。分かれ道や迷路はまったくなかったといってよい。おそらく道をきりひらいた元永自身がこれまで迷わず来たからにちがいない。これほど一本の道をえがける作家は今日数少ないのではないか。
その道の三区間のなかで、アンフォルメルとともに一躍名をあげたころが、元永にとって力のこもった展開の時期として重要なことはさきにのべたが、渡米から今日までの第三の区間もそれに劣らぬ質と量をきずいており、発展性という点からすればより注目すべきではないかと思われる。アンフォルメルにかかわる時期の絵は、印象の強烈さにおいて一番だが、かなり一定したフォルムがつづいている。流動性にあふれたえのぐのオートマティスムが、フォルムの類型化を許さないようにみえながら、その技法自体が逆にフォルムの自由な展開を束縛するという点がみられる。また流れいりまじる色彩のカオスは、無限の可能性を秘めながらも、それがつねに始原状態であることによってかえってひとつのパターンを形成しようとする。それは具体美術宣言がうたった物質と精神の対等のかかわりが、そのかかわりゆえにイメージを制約することともいえるだろう。
三つ目の時期ではそうした物質性からぬけでて、絵画本来の姿というべき純粋視覚的な表現に達することによって、元永の想像力はむしろのびのびと夢をはせることができたのだと思われる。この過程は元永の師吉原治良がさまざまな試みとアンフォルメルをへて、晩年の「円」においてかたち自体の世界へ達したそれと相通じるものがあり、また絵画一般の問題としてさらに考えてゆかねばならぬことだろう。
このような発展のうえにたって、最近の元永の絵はいろいろと変化を加えてきた。グタイ・グループにはいった55年に「外国人が日本の書を始めて見た場合その形の面白さを見る。日本人は意味を読む。意味は観念だ。観念があるために形の面白さを感ずることが出来ない。」と「具体」誌にかいた元永の考えはおそらくいまも変わらず、なにものも意味しないフォルム自体の表現性を追及する基本姿勢は変わっていない。そのイメージはさまざまな連想をよぶ豊かな能力をもつが、その連想は人間の日常世界の次元に、以前にもましてより強く導かれるという傾向が、近年の画面のなかに感じられる。さまざまな形や線を複合する構図上のあらたな試みがそこに加わって、ある絵は明るく楽しげな人間世界の風景にみえたりする。ほのぼのと夢幻的に明るんだ地平の空に、なにかが浮かんだり空飛ぶ円盤が舞いあがったりするような絵もある。それらは無邪気ともいえるほどの開放的な空間の詩情をさそうものであり、また後者は元永の宇宙的空間への関心を想像させたりする。すでに71年の第10回現代日本美術展出品作「ZZZZZ」などにもそうした傾向がうかがえたが、最近の元永の画面にみるひとつの方向といってよいだろう。そこに感じられる日常次元へのあまりにもすれすれの近接と、また「ファニー」のいわば通俗化を、今後元永がどのようにあつかってゆくかに興味がもたれる。
元永定正
「ZZZZZ」
1971年 キャンバス、水性及油性アクリル・カラー(手描き、スプレー)
182x368cm
*画像:『元永定正作品集1955-1983』(1983年、灰塚輝三 発行)より転載
元永定正「オレンジの中で」
1977年 シルクスクリーン(刷り:石田了一)
イメージサイズ:47.0x61.0cm
シートサイズ:50.0x65.0cm
Ed.100 サインあり
元永定正「いいろろ」
1977年 シルクスクリーン(刷り:石田了一)
イメージサイズ:47.0x61.0cm
シートサイズ:50.0x65.0cm
Ed.100 サインあり
うるんだネオンのような光を放つ色の線が現われたり、あるいはこどものなぐりがきのような細い線のドロウイングが画面の空白にちりばめられたりするのも、最近みられるあらたな試みである。ことに後者は元永の絵をもう一度無意味な地点から組みかえようとする気配とも受けとられるが、カリグラフィーに関心をつよめているという元永定正の第四の時代がはじまろうとしていることかもしれない。
(たかはしとおる)
*『元永定正』(1980年、現代版画センター発行)より再録掲載
第1回は5月30日
第2回は5月31日に掲載
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『元永定正』
1980年2月10日
現代版画センター 発行
60ページ
22.0x11.0cm
執筆:金関寿夫、高橋亨
■高橋 亨 Takahashi Toru
1927年神戸市生まれ。美術評論家、大阪芸術大学名誉教授。
東京大学文学部を卒業後、1952年に産経新聞大阪本社に入り、文化部記者として主に展覧会評など美術関係を担当して11年後に退社。具体美術協会の活動は結成直後から実見し、数多くの批評を発表。美術評論活動を続けながら1971年より26年間、大阪芸術大学教授を務める。兼務として大阪府民ギャラリー館長(1976―79)、大阪府立現代美術センター館長(1979―87)。
大阪府民ギャラリーでは、具体解散後初の本格的な回顧展「具体美術の18年」(1976)開催と、詳細な記録集『具体美術の18年』の発行に尽力。その他、徳島県文化の森建設顧問として徳島県立近代美術館設立に参画し同館館長(1990―91)、滋賀県立近代美術館館長(2003―06)を歴任。
●本日のお勧め作品は元永定正です。
元永定正 Sadamasa MOTONAGA
《さんかくしかくながいまる》
1981年 シルクスクリーン
36.0×57.0cm
Ed.150 サインあり
作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
◆「没後10年 元永定正もこもこワールドPartⅡ」(予約制)
会期=2021年6月1日[火]―6月12日[土]*日・月・祝日は休廊
元永定正(1922-2011)の没後10年を記念して、現代版画センターエディションを中心に版画26点をご覧いただきます。
谷川俊太郎との絵本「もこもこもこ」で知られる元永のユーモラスなかたちや、多彩なぼかし、グラデーションをお楽しみください。
ブログでは元永定正の1977年のインタビューや、谷川俊太郎、高橋亨のエッセイを再録掲載しています。
出品全作品は5月29日ブログに掲載しました。


●ときの忘れものが青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転して3年が経ちました。もともと住宅だった阿部勤設計の建物LAS CASASを使って、毎月展覧会(Web展)を開催しています。
WEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>の特集も是非ご覧ください。
ときの忘れものはJR及び南北線の駒込駅南口から徒歩約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊。
The Funny Art of Sadamasa MOTONAGA
▼元永定正の絵
1.「ファニー」
元永定正の絵の特色はまず第一にフォルムの異様さである。初期にはそれが静的なかたちであらわされ、次にはアンフォルメル風の流動する混沌の相をもってあらわれてくる。あふれ流れる色彩のカオスは初期のフォルムがもった明確な輪郭をのみこみ、奔放強烈に異様さを発散する。それはあくまでなまなましく、ときに性的なイメージとつながり、また男性的で、図太くのさばる。だがその異様さは超越的なものではない。元永はかつて「具体」誌にかいたエッセーで「私は我々の持っている感覚は原始海洋中に生活をしていたアミーバ状態のときからの習性もどこかに残っている、と云うよりもそれが重大な要素を持っているのではないかと考える。」とのべているが、元永の絵に見られる原初的な生命形態ともよぶべきフォルムは、そのような感覚とつながっているようにも思える。元永が生命的なものに関心をもちつづけていることは、そうした画面からみても明らかであり、それゆえにかれのフォルムが示す異様さは人間という生命、またその感覚あるいは想像力にたいして親和的な一面をもつのであろう。ぶきみなうちにユーモラスな表情さえのぞかせる。同じエッセ―で「または阿呆くさい美、狂気の美、笑う様な美、メチャクチャな美、強い美、弱い美、けったいな美、グロテスクな美、その他あらゆる未知な美を展開する。」とかいたのは、グタイのグループ全体の仕事ぶりについてのべたものだが、まるで自分自身について語ったかのように、そっくり元永の作品にあてはまるといってよさそうである。未知の世界に向けて一種強健な楽天主義をもつ人間が、自信をもったり笑ったり破裂したりしながら、陽気に力強く生を更新してゆく過程から吐きだされてくる、といった感じのするのが元永の絵である。
元永定正「作品 F112」
1968年 キャンバス、水性アクリル・カラー
183x368cm
*画像『元永定正作品集1955-1983』(1983年、灰塚輝三 発行)より転載
このような絵を元永自身は「ファニー」ということばでよんでいる。題名を「FUNNY」とつけた作品もある。奇妙な、けったいな、ということの形容詞は、だれも見たことのない未知のものをつくりだそうというグタイの考えかたが反映しているが、とりわけ元永個人の作品にふさわしい意味と響きをもっている。なんともいいようのない変なものであると同時に、どこかふざけたようなおもしろさをもつもの、それがファニーであろうが、異様ななかにもユーモラスな親近感をたたえた元永の絵にあてはまる。元永の絵には初期からそういう性質がみられるのだが、その「ファニー」の響きは66年に元永が渡米して以後の作品で、いっそう透明さをましてくる。
2.流しからスプレーへ
その年の10月、元永定正はニューヨークのジャパン・ソサエティの招きでアメリカを訪れた。滞在は1年ほどで翌年帰国したが、それを機会に元永は技法を変え、3つ目の時期にはいることになる。不案内な土地で材料の調達が思うようにいかないというのが理由のひとつで、従来のエナメル塗料による流しをうちきり、アクリルえのぐを使ったスプレーでえがくことをはじめた。その方法は今日までつづけられている。
元永定正「しろくにゃり」
1975年
キャンバス、水性及油性アクリル・カラー(手描き、スプレー)
162x131cm
*画像『元永定正作品集1955-1983』(1983年、灰塚輝三 発行)より転載
生命的でまた物質的な流動が消え、均質なマチエールに変わったのは当然だが、明確な輪郭をもつフォルムに変貌したのが一番の外観的特徴である。アンフォルメルの色彩のカオスにおおわれていたフォルムの輪郭が再び明快にあらわされてくる。その意味では初期の様態にたちかえったともいえそうだが、当時のそれのぎごちなさや生硬さはもうみられない。アンフォルメルをへた元永のフォルムは、豊かなふくらみとやわらかみをたたえるようになる。
もっともフォルムの明確化という点だけみれば、渡米以前すでに60年代前半からその方向があらわれはじめている。流しでフォルム全体をおおうのではなく、はっきりした輪郭をもつお化けのような形が、ドロドロを口や頭から吐きだし、あるいはからだから四方に噴出するといった画面が渡米の前までつづいている。64年の第6回現代日本美術展優秀賞受賞作も、そうしたくっきりしたフォルムの一部に、流しの技法を部分的に使った作品のひとつである。まとまりのあるフォルムでイメージをあらわそうとする考えは元永の本来の意思であり、アンフォルメルの流動する波を自分で頭からかぶった時期にあっても、そのつよい意思は消えることなく底流していたのである。そうした元永の絵は、塗料の流しによる技法をやめ、吹きつけをあらたな技法として用いることによって、塗料が語った物質性がほとんど消えさるのと同時に視覚性が明瞭になり、フォルムと色彩は純粋に絵画的なイメージとしてあらわされるようになる。そのいわば絵画としての純度が、元永のイメージが透明さを加え、奥行きのある想像力が「ファニー」なものを柔軟なしぐさで生産してゆくのに役立っているといえるだろう。
3.抽象漫画宣言
渡米以後つまり66年から79年にいたる最近15年の間の元永定正の絵は、ゆるやかな変化と再生の軌跡をえがいている。だいたい元永の絵は、同じようなフォルムが再三くりかえし現われることが多い。それは最初の「山の絵」以来、独特で固有の形態感覚を身につけ、その感覚はほとんどたえず生命的なものをまさぐりつづけているからでもあろう。しかしそれらは単なるくりかえしではなく、同じようなフォルムがあらたなシチュエーションのなかで再生し、そのたびに「おかしな」ものとして生を得るというところに、元永の停滞を知らない創造力がうかがえる。
69年の第9回日本国際美術展に出品した「Work N. Y. No.1」はこの時期の初めの作で、岩石のようにややでこぼこにひろがる大きな色面がふたつ重なり、半分かくれた方は下に足のようなものがのび、流しの時代のなごりを感じさせるが、もう一方は輪郭の外側を吹きつけのぼかしによる太陽のコロナのような明るい光の輪がとりまいている。この輪郭の外縁または内縁や、形の一部にぼかしを用いる手法は、以来特色のひとつとなり、明確な輪郭線をやわらげ、平板な色面に立体感をもたせるなどの効果をあげている。また間接照明のようなやわらかい光の効果となったりする。
元永定正「Work N. Y. No.1」
1967年
油性・水性樹脂系絵具、キャンバス、パネル
274x212cm
*画像:『元永定正作品集1955-1983』(1983年、灰塚輝三 発行)より転載
元永定正「作品 FUNNY 79」
1967年
油性・水性樹脂系絵具、キャンバス、パネル
213x275cm
*画像:『元永定正作品集1955-1983』(1983年、灰塚輝三 発行)より転載
同じ年の「作品 FUNNY 79」は、太いのや細いのや二本ずつ腕のはえた抽象ぬいぐるみ人形がふたつ立っているようなユーモラスな画面である。このような大きなフォルムから小さいフォルムがいくつか分枝する構造をその後も試みている。それらのひとつひとつのフォルムは、細長いマユのようなソフトな感触で包まれ、有機的で生きものの印象にちかい。
70年ごろからの作品に、ローマ字のQを題名に使った絵がいくつか現われる。軟体動物がQの字にまがったようなフォルムで、そのヴァリエーションも多い。漫画のポパイの顔のような感じである。漫画というと、元永が63年8月の美術手帖に「私の抽象漫画宣言」をかいたことを思いだす。まだ画面が強烈な流しでいろどられていたころだが、そこに掲載された簡単な線がきのデッサンは、当時のつよい表現のタブローよりは、ソフトなムードのうちにユーモラスな側面がひろがってきた渡米以後の作品に近い。この宣言というのは漫画のような抽象画があってもいいじゃないかという主張で、元永のいう「ファニーアート」が、奇妙さのうちにおかしさ、おもしろさをはらんだフォルムの追求であることを物語っているだろう。またファニーアートというと、74年に大阪でひらいた個展「衝突」に“元永定正のファニーアート”というサブタイトルがついていたことが思いだされる。これは赤と緑のえのぐをいれたふたつの洗面器をブランコのように揺り、ぶつかってえのぐが飛び散る物理的アクションのイヴェントだが、はじめに手を貸し、あとは偶然と自然の法則にゆだねるそのやりかたは、アンフォルメル時代の流しの技法に共通するといえよう。そういえば初期の煙を吐きだしたイヴェントも同様であった。とにかくそうしたアクションまでふくめてファニーアートとよんでいるのである。
元永定正「衝突(赤と緑)」
1974年
丸い金属製のたらいに赤と緑の絵具を入れてハンモックに吊り下げ、左右にひろげてぶつける。赤と緑が混じり合って飛び散る。
「衝突―元永定正のファニーアート」(大阪・信濃橋画廊)
*画像:『元永定正』(1980年、現代版画センター発行)より転載
画面におけるフォルムのおもしろさだけでなく、作家としての活動全体の方向として考えられているといってよいだろう。元永は若いころさまざまの職につきながら、なぐさみに漫画をかいていた時期があったというが、奇妙でおもしろいものにたいする関心は元永の半生を貫いてきた主軸なのだ。まじめさや深刻さが買われ、漫画などは本格的な芸術の仲間からはずされがちなこの世界で、元永の主張と作品を通じての実践は居直るような大胆さということができよう。その画面はそうした方向にともなうある種の軽さをむしろ積極的な特色として、フォルムのもつスケールの大きさと空間的な豊かさをもって。独特のおおらかな世界にひろげてゆく。おかしな題名も多い。「NYU NYU NYU NYU 」「KURU KURU RIN」「ぽぽぱぱ」「YON KURU」―題名までファニーだ。
元永定正右:「くにゃりとくにゃり」陶器 長さ60x高さ10cm
中:「たまのでるかたち」陶板 30x30cm
左:「くねくねくね」陶器 長さ60x高さ10cm
制作年はすべて1972年
*画像:『元永定正』(1980年、現代版画センター発行)より転載
上)西郷コミカ温泉(屋根・煙突のペインティング)
1977年
屋根には白いペンキ、煙突には赤いペンキをそれぞれ流した。「西郷コミカ温泉」は大阪・守口市にあるユニークな公衆浴場。レストランや中庭、小ホールといった施設をもち、地域住民の新たな活動の場として利用されている。
下)「HAHAHA HOHOHO」(西郷コミカ温泉浴室壁画)
1977年
耐水性特殊ラッカー(手描き、スプレー)
*画像:『元永定正』(1980年、現代版画センター発行)より転載
西郷コミカ温泉浴室壁画*画像:『元永定正作品集1955-1983』(1983年、灰塚輝三 発行)より転載
西郷コミカ温泉浴室壁画*画像:『元永定正作品集1955-1983』(1983年、灰塚輝三 発行)より転載
元永定正「作品 布と針金」
1972年
自然石、針金、布、他
高さ30cm
*画像:『元永定正』(1980年、現代版画センター発行)より転載
4.第4の時期へ
これまでおよそ四半世紀にわたる元永定正の足どりを、三つの時期にわけて眺めてきた。かなり長い道のりであるにもかかわらず、元永の足跡はたどりやすいということができる。途中の上り下りや屈折はあっても、かれのいうファニーなイメージをとらえようとするフォルム追求の一本の道として確かに連続しているからである。分かれ道や迷路はまったくなかったといってよい。おそらく道をきりひらいた元永自身がこれまで迷わず来たからにちがいない。これほど一本の道をえがける作家は今日数少ないのではないか。
その道の三区間のなかで、アンフォルメルとともに一躍名をあげたころが、元永にとって力のこもった展開の時期として重要なことはさきにのべたが、渡米から今日までの第三の区間もそれに劣らぬ質と量をきずいており、発展性という点からすればより注目すべきではないかと思われる。アンフォルメルにかかわる時期の絵は、印象の強烈さにおいて一番だが、かなり一定したフォルムがつづいている。流動性にあふれたえのぐのオートマティスムが、フォルムの類型化を許さないようにみえながら、その技法自体が逆にフォルムの自由な展開を束縛するという点がみられる。また流れいりまじる色彩のカオスは、無限の可能性を秘めながらも、それがつねに始原状態であることによってかえってひとつのパターンを形成しようとする。それは具体美術宣言がうたった物質と精神の対等のかかわりが、そのかかわりゆえにイメージを制約することともいえるだろう。
三つ目の時期ではそうした物質性からぬけでて、絵画本来の姿というべき純粋視覚的な表現に達することによって、元永の想像力はむしろのびのびと夢をはせることができたのだと思われる。この過程は元永の師吉原治良がさまざまな試みとアンフォルメルをへて、晩年の「円」においてかたち自体の世界へ達したそれと相通じるものがあり、また絵画一般の問題としてさらに考えてゆかねばならぬことだろう。
このような発展のうえにたって、最近の元永の絵はいろいろと変化を加えてきた。グタイ・グループにはいった55年に「外国人が日本の書を始めて見た場合その形の面白さを見る。日本人は意味を読む。意味は観念だ。観念があるために形の面白さを感ずることが出来ない。」と「具体」誌にかいた元永の考えはおそらくいまも変わらず、なにものも意味しないフォルム自体の表現性を追及する基本姿勢は変わっていない。そのイメージはさまざまな連想をよぶ豊かな能力をもつが、その連想は人間の日常世界の次元に、以前にもましてより強く導かれるという傾向が、近年の画面のなかに感じられる。さまざまな形や線を複合する構図上のあらたな試みがそこに加わって、ある絵は明るく楽しげな人間世界の風景にみえたりする。ほのぼのと夢幻的に明るんだ地平の空に、なにかが浮かんだり空飛ぶ円盤が舞いあがったりするような絵もある。それらは無邪気ともいえるほどの開放的な空間の詩情をさそうものであり、また後者は元永の宇宙的空間への関心を想像させたりする。すでに71年の第10回現代日本美術展出品作「ZZZZZ」などにもそうした傾向がうかがえたが、最近の元永の画面にみるひとつの方向といってよいだろう。そこに感じられる日常次元へのあまりにもすれすれの近接と、また「ファニー」のいわば通俗化を、今後元永がどのようにあつかってゆくかに興味がもたれる。
元永定正「ZZZZZ」
1971年 キャンバス、水性及油性アクリル・カラー(手描き、スプレー)
182x368cm
*画像:『元永定正作品集1955-1983』(1983年、灰塚輝三 発行)より転載
元永定正「オレンジの中で」1977年 シルクスクリーン(刷り:石田了一)
イメージサイズ:47.0x61.0cm
シートサイズ:50.0x65.0cm
Ed.100 サインあり
元永定正「いいろろ」1977年 シルクスクリーン(刷り:石田了一)
イメージサイズ:47.0x61.0cm
シートサイズ:50.0x65.0cm
Ed.100 サインあり
うるんだネオンのような光を放つ色の線が現われたり、あるいはこどものなぐりがきのような細い線のドロウイングが画面の空白にちりばめられたりするのも、最近みられるあらたな試みである。ことに後者は元永の絵をもう一度無意味な地点から組みかえようとする気配とも受けとられるが、カリグラフィーに関心をつよめているという元永定正の第四の時代がはじまろうとしていることかもしれない。
(たかはしとおる)
*『元永定正』(1980年、現代版画センター発行)より再録掲載
第1回は5月30日
第2回は5月31日に掲載
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『元永定正』1980年2月10日
現代版画センター 発行
60ページ
22.0x11.0cm
執筆:金関寿夫、高橋亨
■高橋 亨 Takahashi Toru
1927年神戸市生まれ。美術評論家、大阪芸術大学名誉教授。
東京大学文学部を卒業後、1952年に産経新聞大阪本社に入り、文化部記者として主に展覧会評など美術関係を担当して11年後に退社。具体美術協会の活動は結成直後から実見し、数多くの批評を発表。美術評論活動を続けながら1971年より26年間、大阪芸術大学教授を務める。兼務として大阪府民ギャラリー館長(1976―79)、大阪府立現代美術センター館長(1979―87)。
大阪府民ギャラリーでは、具体解散後初の本格的な回顧展「具体美術の18年」(1976)開催と、詳細な記録集『具体美術の18年』の発行に尽力。その他、徳島県文化の森建設顧問として徳島県立近代美術館設立に参画し同館館長(1990―91)、滋賀県立近代美術館館長(2003―06)を歴任。
●本日のお勧め作品は元永定正です。
元永定正 Sadamasa MOTONAGA《さんかくしかくながいまる》
1981年 シルクスクリーン
36.0×57.0cm
Ed.150 サインあり
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◆「没後10年 元永定正もこもこワールドPartⅡ」(予約制)
会期=2021年6月1日[火]―6月12日[土]*日・月・祝日は休廊
元永定正(1922-2011)の没後10年を記念して、現代版画センターエディションを中心に版画26点をご覧いただきます。谷川俊太郎との絵本「もこもこもこ」で知られる元永のユーモラスなかたちや、多彩なぼかし、グラデーションをお楽しみください。
ブログでは元永定正の1977年のインタビューや、谷川俊太郎、高橋亨のエッセイを再録掲載しています。
出品全作品は5月29日ブログに掲載しました。


●ときの忘れものが青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転して3年が経ちました。もともと住宅だった阿部勤設計の建物LAS CASASを使って、毎月展覧会(Web展)を開催しています。
WEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>の特集も是非ご覧ください。
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