追悼:金子隆一さんのいない写真の世界を……
飯沢耕太郎(写真評論家)
金子隆一さんと初めて会ったのは、1970年代の終わり頃、代々木上原の大辻清司さんの自宅兼アトリエで月一回か二回くらいのペースで開かれていた、若い写真関係者が集う研究会の席だった。僕は当時、筑波大学大学院の博士課程に在籍していて、のちに『「芸術写真」とその時代』(筑摩書房、1986年)として出版されるドクター論文の準備を進めていた。大辻さんから、やはり日本写真史に造詣が深い研究者がいるからと紹介されたのではなかったかと思う。
大辻宅での研究会がどんな形で始まったのかは、途中から加わったのでよくわからない。金子さん、平木収さん、谷口雅さん、築地仁さんといった顔ぶれからすると、1976年に開設されて2年間続いた自主運営ギャラリー、フォト・ギャラリー・プリズムの活動を引き継ぐものだったのではないだろうか。独力で日本写真史に取り組もうとしていた僕にとって、研究会のメンバーたちの言動は、新鮮な驚きであり、大きな刺激となった。特にその中でも、金子さんとは、関心を持つ領域がとても近いこともあって、よく話をするようになった。戦前のかなりマイナーな写真家や写真雑誌などが話題になったときに、こんなことを話せるのは日本全国を見渡しても金子さんしかいないな、と思ったのをよく覚えている。
ツァイト・フォト・サロンの石原悦郎さんに請われて、1985年のつくば科学博にあわせて開設された「つくば写真美術館‘85 パリ・ニューヨーク・東京」の準備作業にかかわったときのことも忘れがたい。石原さんが召集した「キュレーター・チーム」のメンバーは、金子隆一、平木収、横江文憲、谷口雅、伊藤俊治、そして最年少の僕という6人だった。自分で言うのもなんだが、相当強力なラインナップだと思う。石原さんが世界中を回って集めてきた450点近い写真作品を展示した「日本最初の写真美術館」は、入場者数がまったく伸びず、経済的には大失敗に終わる。だが、2年余りをかけた準備作業の成果は、立派なカタログにまとまり、「キュレーター・チーム」の面々は、それぞれのやり方で、その後の日本の写真表現の新たな時代を切り拓いていった。
金子さんと横江さんは、1990年に第一次開館する東京都写真美術館の準備室に入り、平木さんは1989年オープンの川崎市市民ミュージアムの立ち上げにかかわった。谷口さんは東京綜合写真専門学校の校長に、伊藤さんは多摩美術大学を経て東京藝術大学美術学部先端芸術表現科の教授になった。大辻さんの研究会や、「つくば写真美術館‘85」の準備作業の間に、みんなが異口同音に語っていた、写真を文化として日本社会に位置づけていこうという夢が、まがりなりにも実現していった時期といえるだろう。
東京都写真美術館専門調査員の時代の金子さんとは、以前のように頻繁に顔をあわせるということはなくなった。それでも、1989~91年に山口県立美術館で開催された日本の戦後写真の連続展「11人の1965~75 -日本の写真は変えられたか」「戦後写真・再生と展開 1945~55」「写真の1955~65」を共同でキュレーションしたり、2005~07年に国書刊行会から刊行された「日本写真史の至宝」(全6巻+別巻1)をともに編集し、解題のテキストを執筆したりした。「日本写真史の至宝」は、金子さんが所蔵する福原信三『巴里とセーヌ』、小石清『初夏神経』、堀野正雄『カメラ・眼×鉄・構成』、木村伊兵衛『JAPAN THROUGH A LEICA』、丹平写真倶楽部『光』、安井仲治『安井仲治作品集』の原本を、完全復刻するという企画(別巻の『光画傑作集』のみ、飯沢所蔵の『光画』全冊が原本)である。金子さんが長年にわたって蒐集してきた、貴重な写真集コレクションの一端に触れることができて、とても愉しい企画だった
最後に一緒にかかわったのは、「幻の写真家」といわれていた飯田幸次郎の消息が明らかになり、彼が残した写真作品とテキストをまとめた『写真 飯田幸次郎』(飯田幸次郎写真集刊行委員会、2017年)を刊行するという企画だった。この時も、金子さんが戦前の写真雑誌のコレクションを丁寧にあたって、写真図版や掲載記事を見つけ出し、リスト化してくれた。
こうして振り返ってみると、あらためて、僕にとっての金子さんの存在の大きさに思い至る。日本写真史というメインテーマが共通していたこともあって、節目節目に金子さんのお世話になり、多くの示唆を与えられ、有形無形の助力をいただいた。昨年倒れられてから、少し時間があったので、それなりの覚悟はしていたのだが、訃報を聞いて真っ先に思い浮かんだのは、金子さんがいない写真の世界ということを、いままでまったく考えてこなかったということだった。まだ、いろいろと一緒にやりたいことがあったのに、という強い思いを抑えることができない。誰もが気になるのは、あの膨大かつ貴重な蔵書がどうなるのかということだが、どうやら調査・分類などの作業を進めていく目処が立ちつつあるようだ。できれば、「金子コレクション」としてまとまった形で保持し、公開できるようになることを願っている。
金子さんとの話の中で、強く印象に残っている言葉がある。どんな文脈だったのかはよく覚えていないが、「自分は写真を撮ること以外のすべてで写真とかかわっていきたい」ということを聞いた。金子さんはまさに生涯を通して、この言葉を実践してこられたわけで、そのことに強く共感し、同時にリスペクトを覚える。及ばずながら、僕も後に続いていきたい。
(いいざわ こうたろう)
昨年秋に倒れられ病気療養中だった金子隆一先生が6月30日午前6時3分に亡くなられました。73歳のお誕生日を迎えられた直後でした。
謹んで哀悼の意を表します。
■金子隆一(かねこ りゅういち 1948~2021年)
写真史家。1948年東京生まれ。立正大学文学部卒業。おもな著書に『日本写真集史 1956-1986』、『日本は写真集の国である』、『日本近代写真の成立』(共著)、『インディペンデント・フォトグラファーズ・イン・ジャパン 1976~83』(共著)など。展覧会キュレーション多数。
■飯沢耕太郎(いいざわ こうたろう)
1954年宮城県出身。1977年日本大学芸術学部写真学科卒業。1984年筑波大学大学院芸術学研究科博士課程修了。『「芸術写真」とその時代』(筑摩書房、1986年)、『写真に帰れ 光画の時代』(平凡社。1988年)、『都市の視線 日本の写真 1920~30年代』(創元社。1989年)の3部作により注目を集め、日本の写真史研究の第一人者に躍り出た。雑誌「deja-vu」の編集長を務める。1996年には『写真美術館へようこそ』でサントリー学芸賞を受賞。キノコの愛好家でもあり、『世界のキノコ切手』『きのこ文学大全』、『きのこ文学ワンダーランド』などの著書がある。

2017年5月13日南青山・ときの忘れものにて、
金子隆一先生には、ときの忘れものの写真展で幾度もギャラリートークの講師をお願いいたしました。
●2009年8月15日「五味彬写真展」
「コレクターのための印画紙講座」
左)五味彬先生、右)金子隆一先生

五味彬展、二次会にて
●2010年6月10日「ウルトラバロック 尾形一郎 尾形優写真展」


左から、写真コレクターの田村利生さん、尾形優先生、尾形一郎先生、金子隆一先生
二次会にて、中央)金子隆一先生
●2015年5月8日「西村多美子写真展 実存―状況劇場1968-69」

左)金子隆一先生、右)西村多美子先生

左から、画廊亭主、西村多美子先生、金子隆一先生、星埜恵子さん
●2016年1月9日「中藤毅彦写真展 Berlin 1999+2014」

左)中藤毅彦先生、右)金子隆一先生


●2017年5月13日「植田正治写真展―光と陰の世界―Part I」
私たちが入手した植田正治の数百点もの作品(多くが未公開)の解明には金子先生に何から何までご指導を受け、公開にこぎつけることができました。
「植田正治写真展-光と陰の世界-Part Ⅲ」についてもご相談していたのですが、ご逝去の報に接して途方に暮れています。
ときの忘れもの青山時代の最後のギャラリートーク

中央:金子隆一先生 右:奈良原恵子さん

植田正治展のカタログにもご寄稿いただきました。
●『植田正治写真展―光と陰の世界―Part I』図録

2017年 ときの忘れもの 発行
36ページ B5判 図版33点
執筆:金子隆一(写真史家)
「植田正治の写真世界」
デザイン:北澤敏彦(DIX-HOUSE)
価格:880円(税込)※送料別途250円
●『植田正治写真展―光と陰の世界―Part II』図録

2018年 ときの忘れもの 発行
24ページ B5判 図版18点
執筆:金子隆一(写真史家)
「もうひとつの遊び 植田正治のポラロイド写真」
デザイン:岡本一宣デザイン事務所
価格:880円(税込)※送料別途250円
●亡くなられる直前に金子隆一先生の著書が刊行されました。
『日本は写真集の国である』
2021年5月28日発行
著者:金子隆一
監修:築地仁
発行:梓出版社
四六判 178ページ
日本の新旧のアート系写真集が、海外で根強い人気を集めるようになって久しい。
海外と、日本における写真の話題や流行を、わかりやすくまとめたエッセイ。
高度で独自な進化を遂げた日本の写真集と、写真表現の世界を案内する。
目次
1 日本は写真集の国である
2 「もの」としての写真集
3 岡村昭彦の「写真」を再考する
4 可能性としての「ネガ」
5 「ベス単派」写真家と震災復興、地域再生
6 ヴァナキュラー写真のような渡辺眸『1968年 新宿』
7 ローカリズムによって切り開かれるデジタル時代の映像作品
8 日本写真の中の自主ギャラリー運動
9 ウィリアム・クラインと日本の写真風土のありか
10 21世紀のフォトモンタージュ考 西野壮平、進藤環
11 海外の研究者が問いかける日本写真の新たな問題提起
12 法隆寺金堂壁画ガラス原板にみる可能性としての銀塩写真
13 クラウドソーシング 写真を共有することの175年
14 深瀬昌久の評価にみる日本写真と西洋写真のパラレルな関係
15 受け継がれてきた「原爆写真」
16 カメラのアクチュアリティ
17 豊里友行『辺野古』からの風
18 蔡國強の壁撞き
19 福島菊次郎が突き付けた遺言
20 新井卓『MONUMENT』 人類の記憶のモニュメント
21 『白陽』にみるコロタイプ・プリントの歴史の厚み
22 森山大道が集積させる写真行為
23 写真史観を問い直す ピクトリアリズムをめぐって
24 集団撮影行動という写真運動
25 ジャック=アンリ・ラルティーグ 人間を虜にする「写真」という魔性
26 清川あさみ『人魚姫』にみる鈴木理策の写真的行為
27 近代写真の対極に位置するサイ・トゥオンブリーの不鮮明な写真
28 ジュリア・マーガレット・キャメロン 不鮮明であることこそ、正統な美意識
29 杉本博司 ロスト・ヒューマン展 人類と文明の黙示的イメージ
30 塩谷定好と雑巾がけ
31 「パリ・フォト」所感
32 オリジナル・プリント中心主義に対峙する写真集のポテンシャル
33 現代的な眼によるフォトモンタージュの発見
34 日本にはLIFEがなかったゆえに
35 山崎博 太陽が描く画
36 「コンポラ写真」をめぐって
37 先駆者ソール・ライターの写真の「色」
38 バルセロナで写真集展
39 芳賀日出男が指し示す写真民俗学という宇宙
40 拡張映画 エクスパンデッド・シネマ
41 70周年を迎えた「マグナム」
42 写真の見せ方にみる写真家の表現意識の変化
43 アノニマスな個人が生起させる「表現」
44 石内都 粒子は写真の本質
45 現実的な心情を表現した「ベス単派」
46 再評価される幻のコラージュ作家
47 作品を経済化するアートフェアの力学
48 ニューヨークという写真の「場」が持つアカデミックかつ保守的な側面
49 先鋭な画像だけで世界を認識するカメラとハイブリット化した人間
50 スペインという「場」の中の東松照明
51 デジタル写真の時代に変容するアマチュア性
52 エドワード・スタイケンと日本写真
53 印画紙を凌駕すると言いたくなるグラビア印刷の黒の深さ
54 デジタル映像時代におけるエンコースティックの物質性
55 写真都市パリでみた写真集フェアのエネルギー
56 プロヴォークという評価軸
57 物質性が際立つ築地仁のポラロイド写真
58 雑誌の表紙は写真家にとってどのような表現の場か
あ と が き(築地仁)
--------------------------------------
●ときの忘れものは2017年に青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。もともと住宅だった阿部勤設計の建物LAS CASASを使って、毎月展覧会(Web展)を開催し、美術書の編集事務所としても活動しています。
WEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>の特集も是非ご覧ください。
ときの忘れものはJR及び南北線の駒込駅南口から徒歩約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊。
飯沢耕太郎(写真評論家)
金子隆一さんと初めて会ったのは、1970年代の終わり頃、代々木上原の大辻清司さんの自宅兼アトリエで月一回か二回くらいのペースで開かれていた、若い写真関係者が集う研究会の席だった。僕は当時、筑波大学大学院の博士課程に在籍していて、のちに『「芸術写真」とその時代』(筑摩書房、1986年)として出版されるドクター論文の準備を進めていた。大辻さんから、やはり日本写真史に造詣が深い研究者がいるからと紹介されたのではなかったかと思う。
大辻宅での研究会がどんな形で始まったのかは、途中から加わったのでよくわからない。金子さん、平木収さん、谷口雅さん、築地仁さんといった顔ぶれからすると、1976年に開設されて2年間続いた自主運営ギャラリー、フォト・ギャラリー・プリズムの活動を引き継ぐものだったのではないだろうか。独力で日本写真史に取り組もうとしていた僕にとって、研究会のメンバーたちの言動は、新鮮な驚きであり、大きな刺激となった。特にその中でも、金子さんとは、関心を持つ領域がとても近いこともあって、よく話をするようになった。戦前のかなりマイナーな写真家や写真雑誌などが話題になったときに、こんなことを話せるのは日本全国を見渡しても金子さんしかいないな、と思ったのをよく覚えている。
ツァイト・フォト・サロンの石原悦郎さんに請われて、1985年のつくば科学博にあわせて開設された「つくば写真美術館‘85 パリ・ニューヨーク・東京」の準備作業にかかわったときのことも忘れがたい。石原さんが召集した「キュレーター・チーム」のメンバーは、金子隆一、平木収、横江文憲、谷口雅、伊藤俊治、そして最年少の僕という6人だった。自分で言うのもなんだが、相当強力なラインナップだと思う。石原さんが世界中を回って集めてきた450点近い写真作品を展示した「日本最初の写真美術館」は、入場者数がまったく伸びず、経済的には大失敗に終わる。だが、2年余りをかけた準備作業の成果は、立派なカタログにまとまり、「キュレーター・チーム」の面々は、それぞれのやり方で、その後の日本の写真表現の新たな時代を切り拓いていった。
金子さんと横江さんは、1990年に第一次開館する東京都写真美術館の準備室に入り、平木さんは1989年オープンの川崎市市民ミュージアムの立ち上げにかかわった。谷口さんは東京綜合写真専門学校の校長に、伊藤さんは多摩美術大学を経て東京藝術大学美術学部先端芸術表現科の教授になった。大辻さんの研究会や、「つくば写真美術館‘85」の準備作業の間に、みんなが異口同音に語っていた、写真を文化として日本社会に位置づけていこうという夢が、まがりなりにも実現していった時期といえるだろう。
東京都写真美術館専門調査員の時代の金子さんとは、以前のように頻繁に顔をあわせるということはなくなった。それでも、1989~91年に山口県立美術館で開催された日本の戦後写真の連続展「11人の1965~75 -日本の写真は変えられたか」「戦後写真・再生と展開 1945~55」「写真の1955~65」を共同でキュレーションしたり、2005~07年に国書刊行会から刊行された「日本写真史の至宝」(全6巻+別巻1)をともに編集し、解題のテキストを執筆したりした。「日本写真史の至宝」は、金子さんが所蔵する福原信三『巴里とセーヌ』、小石清『初夏神経』、堀野正雄『カメラ・眼×鉄・構成』、木村伊兵衛『JAPAN THROUGH A LEICA』、丹平写真倶楽部『光』、安井仲治『安井仲治作品集』の原本を、完全復刻するという企画(別巻の『光画傑作集』のみ、飯沢所蔵の『光画』全冊が原本)である。金子さんが長年にわたって蒐集してきた、貴重な写真集コレクションの一端に触れることができて、とても愉しい企画だった
最後に一緒にかかわったのは、「幻の写真家」といわれていた飯田幸次郎の消息が明らかになり、彼が残した写真作品とテキストをまとめた『写真 飯田幸次郎』(飯田幸次郎写真集刊行委員会、2017年)を刊行するという企画だった。この時も、金子さんが戦前の写真雑誌のコレクションを丁寧にあたって、写真図版や掲載記事を見つけ出し、リスト化してくれた。
こうして振り返ってみると、あらためて、僕にとっての金子さんの存在の大きさに思い至る。日本写真史というメインテーマが共通していたこともあって、節目節目に金子さんのお世話になり、多くの示唆を与えられ、有形無形の助力をいただいた。昨年倒れられてから、少し時間があったので、それなりの覚悟はしていたのだが、訃報を聞いて真っ先に思い浮かんだのは、金子さんがいない写真の世界ということを、いままでまったく考えてこなかったということだった。まだ、いろいろと一緒にやりたいことがあったのに、という強い思いを抑えることができない。誰もが気になるのは、あの膨大かつ貴重な蔵書がどうなるのかということだが、どうやら調査・分類などの作業を進めていく目処が立ちつつあるようだ。できれば、「金子コレクション」としてまとまった形で保持し、公開できるようになることを願っている。
金子さんとの話の中で、強く印象に残っている言葉がある。どんな文脈だったのかはよく覚えていないが、「自分は写真を撮ること以外のすべてで写真とかかわっていきたい」ということを聞いた。金子さんはまさに生涯を通して、この言葉を実践してこられたわけで、そのことに強く共感し、同時にリスペクトを覚える。及ばずながら、僕も後に続いていきたい。
(いいざわ こうたろう)
昨年秋に倒れられ病気療養中だった金子隆一先生が6月30日午前6時3分に亡くなられました。73歳のお誕生日を迎えられた直後でした。
謹んで哀悼の意を表します。
■金子隆一(かねこ りゅういち 1948~2021年)
写真史家。1948年東京生まれ。立正大学文学部卒業。おもな著書に『日本写真集史 1956-1986』、『日本は写真集の国である』、『日本近代写真の成立』(共著)、『インディペンデント・フォトグラファーズ・イン・ジャパン 1976~83』(共著)など。展覧会キュレーション多数。
■飯沢耕太郎(いいざわ こうたろう)
1954年宮城県出身。1977年日本大学芸術学部写真学科卒業。1984年筑波大学大学院芸術学研究科博士課程修了。『「芸術写真」とその時代』(筑摩書房、1986年)、『写真に帰れ 光画の時代』(平凡社。1988年)、『都市の視線 日本の写真 1920~30年代』(創元社。1989年)の3部作により注目を集め、日本の写真史研究の第一人者に躍り出た。雑誌「deja-vu」の編集長を務める。1996年には『写真美術館へようこそ』でサントリー学芸賞を受賞。キノコの愛好家でもあり、『世界のキノコ切手』『きのこ文学大全』、『きのこ文学ワンダーランド』などの著書がある。

2017年5月13日南青山・ときの忘れものにて、
金子隆一先生には、ときの忘れものの写真展で幾度もギャラリートークの講師をお願いいたしました。
●2009年8月15日「五味彬写真展」
「コレクターのための印画紙講座」
左)五味彬先生、右)金子隆一先生
五味彬展、二次会にて●2010年6月10日「ウルトラバロック 尾形一郎 尾形優写真展」


左から、写真コレクターの田村利生さん、尾形優先生、尾形一郎先生、金子隆一先生
二次会にて、中央)金子隆一先生●2015年5月8日「西村多美子写真展 実存―状況劇場1968-69」

左)金子隆一先生、右)西村多美子先生
左から、画廊亭主、西村多美子先生、金子隆一先生、星埜恵子さん
●2016年1月9日「中藤毅彦写真展 Berlin 1999+2014」

左)中藤毅彦先生、右)金子隆一先生

●2017年5月13日「植田正治写真展―光と陰の世界―Part I」
私たちが入手した植田正治の数百点もの作品(多くが未公開)の解明には金子先生に何から何までご指導を受け、公開にこぎつけることができました。
「植田正治写真展-光と陰の世界-Part Ⅲ」についてもご相談していたのですが、ご逝去の報に接して途方に暮れています。
ときの忘れもの青山時代の最後のギャラリートーク
中央:金子隆一先生 右:奈良原恵子さん

植田正治展のカタログにもご寄稿いただきました。
●『植田正治写真展―光と陰の世界―Part I』図録

2017年 ときの忘れもの 発行
36ページ B5判 図版33点
執筆:金子隆一(写真史家)
「植田正治の写真世界」
デザイン:北澤敏彦(DIX-HOUSE)
価格:880円(税込)※送料別途250円
●『植田正治写真展―光と陰の世界―Part II』図録

2018年 ときの忘れもの 発行
24ページ B5判 図版18点
執筆:金子隆一(写真史家)
「もうひとつの遊び 植田正治のポラロイド写真」
デザイン:岡本一宣デザイン事務所
価格:880円(税込)※送料別途250円
●亡くなられる直前に金子隆一先生の著書が刊行されました。
『日本は写真集の国である』2021年5月28日発行
著者:金子隆一
監修:築地仁
発行:梓出版社
四六判 178ページ
日本の新旧のアート系写真集が、海外で根強い人気を集めるようになって久しい。
海外と、日本における写真の話題や流行を、わかりやすくまとめたエッセイ。
高度で独自な進化を遂げた日本の写真集と、写真表現の世界を案内する。
目次
1 日本は写真集の国である
2 「もの」としての写真集
3 岡村昭彦の「写真」を再考する
4 可能性としての「ネガ」
5 「ベス単派」写真家と震災復興、地域再生
6 ヴァナキュラー写真のような渡辺眸『1968年 新宿』
7 ローカリズムによって切り開かれるデジタル時代の映像作品
8 日本写真の中の自主ギャラリー運動
9 ウィリアム・クラインと日本の写真風土のありか
10 21世紀のフォトモンタージュ考 西野壮平、進藤環
11 海外の研究者が問いかける日本写真の新たな問題提起
12 法隆寺金堂壁画ガラス原板にみる可能性としての銀塩写真
13 クラウドソーシング 写真を共有することの175年
14 深瀬昌久の評価にみる日本写真と西洋写真のパラレルな関係
15 受け継がれてきた「原爆写真」
16 カメラのアクチュアリティ
17 豊里友行『辺野古』からの風
18 蔡國強の壁撞き
19 福島菊次郎が突き付けた遺言
20 新井卓『MONUMENT』 人類の記憶のモニュメント
21 『白陽』にみるコロタイプ・プリントの歴史の厚み
22 森山大道が集積させる写真行為
23 写真史観を問い直す ピクトリアリズムをめぐって
24 集団撮影行動という写真運動
25 ジャック=アンリ・ラルティーグ 人間を虜にする「写真」という魔性
26 清川あさみ『人魚姫』にみる鈴木理策の写真的行為
27 近代写真の対極に位置するサイ・トゥオンブリーの不鮮明な写真
28 ジュリア・マーガレット・キャメロン 不鮮明であることこそ、正統な美意識
29 杉本博司 ロスト・ヒューマン展 人類と文明の黙示的イメージ
30 塩谷定好と雑巾がけ
31 「パリ・フォト」所感
32 オリジナル・プリント中心主義に対峙する写真集のポテンシャル
33 現代的な眼によるフォトモンタージュの発見
34 日本にはLIFEがなかったゆえに
35 山崎博 太陽が描く画
36 「コンポラ写真」をめぐって
37 先駆者ソール・ライターの写真の「色」
38 バルセロナで写真集展
39 芳賀日出男が指し示す写真民俗学という宇宙
40 拡張映画 エクスパンデッド・シネマ
41 70周年を迎えた「マグナム」
42 写真の見せ方にみる写真家の表現意識の変化
43 アノニマスな個人が生起させる「表現」
44 石内都 粒子は写真の本質
45 現実的な心情を表現した「ベス単派」
46 再評価される幻のコラージュ作家
47 作品を経済化するアートフェアの力学
48 ニューヨークという写真の「場」が持つアカデミックかつ保守的な側面
49 先鋭な画像だけで世界を認識するカメラとハイブリット化した人間
50 スペインという「場」の中の東松照明
51 デジタル写真の時代に変容するアマチュア性
52 エドワード・スタイケンと日本写真
53 印画紙を凌駕すると言いたくなるグラビア印刷の黒の深さ
54 デジタル映像時代におけるエンコースティックの物質性
55 写真都市パリでみた写真集フェアのエネルギー
56 プロヴォークという評価軸
57 物質性が際立つ築地仁のポラロイド写真
58 雑誌の表紙は写真家にとってどのような表現の場か
あ と が き(築地仁)
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●ときの忘れものは2017年に青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。もともと住宅だった阿部勤設計の建物LAS CASASを使って、毎月展覧会(Web展)を開催し、美術書の編集事務所としても活動しています。
WEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>の特集も是非ご覧ください。
ときの忘れものはJR及び南北線の駒込駅南口から徒歩約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊。
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