自転車のある情景
友井伸一
筆者の住む徳島では、近頃ロードバイクでツーリングする人たちをよく見かける。また、散歩感覚のツアー(ポタリング)も拡がっているようだ。コロナ禍の中、公共交通機関を利用せず、外出自粛の運動不足解消にもつながる自転車の需要が世界的に増加しているとも聞く。自転車はスポーツ、レジャー、健康、ファッション、環境などの面で様々な可能性を秘めている。そこに、美術、デザインの面からアプローチしたのが、徳島県立近代美術館の特別展「自転車のある情景」(2021年7月17日[土]~9月5日[日])である。
ロビー
1898(明治31)年、19世紀末のイギリスに徳島出身の一人の若者が降り立った。のちに日本の水彩画の先駆者となる三宅克己(1874-1954年)。その時24才。三宅は回想する。「ロンドンに来て早々私は自転車を買った。それに乗って毎日野外に写生に出たり、また市街を駆け回った」(1)。 その後、三宅は相棒の自転車を、ドーバー海峡を渡ってパリに持ち込みスケッチを続ける。小回りがきく自転車は創造の現場で大いに活躍した。これは日本人による海外での自転車の活用事例の最初期の一つとも言えるだろう。
19世紀の初頭にドイツで発明された自転車は、19世紀末には現在の自転車の原型にまで進化し、チェーンや空気入りタイヤの発明で欧米を中心に広く普及する。三宅に限らず、洋画家の浅井忠はフランスで(1901年)、文豪の夏目漱石はイギリスで(1902年)自転車を練習し、小説家の志賀直哉や詩人の萩原朔太郎らも、この頃自転車に熱中したようだ(2)。画家や小説家にも愛された自転車は、それから100年以上経った現在、日常生活に欠かせないパートナーとして私たちのそばにある。
150 年ほど前のクラシックな自転車
自転車が進化した19世紀はモダンアートの発展した時代でもあった。ヨーロッパでは、19世紀末から20世紀初頭にアール・ヌーヴォーを始めとするポスター芸術が隆盛を極める。「丈夫で軽くてファッショナブル」な自転車を宣伝する街角の大ポスターの数々は見どころだ。
また、20世紀のアヴァンギャルド芸術に登場する自転車と言えば、デュシャンの〈自転車の車輪〉(1913年)や、ピカソの〈雄牛の頭〉(1942年)を思い浮かべる(ともに本展には未出品)。両作品とも、自転車の実用性から切り離されたオブジェである。ただし、私見だが、これらは自転車という工業製品・機械の形態への関心をぬぐい切れず、全きオブジェとはなりきれていないように思える。これは自転車の形態が持つ造形の魅力のあらわれだろうか。今回は150年前のクラシック自転車から最新型まで、19台の自転車を展示している。機械美、機能美という面からも自転車を味わってみてはいかがだろう。
19 世紀末から 20 世紀初頭の自転車のポスター
自転車と美術を考える上で、本展では特に「動きの表現」と「機械美」に注目した。キュビスムのジャン・メッツァンジェや未来派のジャコモ・バッラの作品は「動き」の表現の好例である。メッツァンジェの〈自転車乗り〉(1911-12年)は、ツール・ド・フランス(1903年~)やジロ・デ・イタリア(1909年~)が始まった頃の自転車競技の様子である。そして、「機械美」という新たな価値観を20世紀美術にもたらしたレジェは、第二次世界大戦中のアメリカ滞在期に、自転車に乗る活発な少女たちに触発されて〈美しい自転車乗り〉(1944年)を描いた。
自転車が発達した19世紀後半は、写真技術もまた大いに発達する。「動き」や「一瞬」をとらえる連続写真や映画の発明は、未来派やキュビスムにも影響した。科学技術の成果である写真と自転車が、共に美術やデザインと関わりを深めた点は興味深い。写真からは、アサヒカメラ誌(1975年)連載「大辻清司実験室」の街のスナップショットや、石元泰博の東京の街のシリーズをはじめ、カルティエ=ブレッソン、ユージン・スミス、植田正治、森山大道などの作品を選んだ。自転車はつくづく絵になるモチーフだと思う。
キュビスムや未来派の作品
日本の作家では、自転車のモチーフを多用した瑛九が目を引く。晩年の円形モチーフとの関連はあるのだろうか。また、松本竣介の〈街(自転車)〉(1940年)や、山下菊二の〈高松所見〉(1936年)では、コラージュ的に組み合わされた追憶の街の断片に、さりげなく自転車が登場する。それは都会的でモダンな生活の象徴でもある。
瑛九、山下菊二、松本竣介
自転車にまつわるエピソードは、皆さんもそれぞれにお持ちだろう。たとえば、1970~80年代のかつての自転車少年たちにとって、ブリヂストンの「ロードマン」は懐かしい思い出だ。それは、当時の風や日差し、汗などとともに、五感で体が覚えている。こんな記憶や体験は、はたして美術やデザインの世界の発見につながるだろうか。自転車を通じて、五感が呼び覚ます身体性と美術との関係にも思いを馳せたい。
左:ロードマン、右奥:映画 ET に登場した BMX
戦後から現代までの様々な自転車

(徳島県立近代美術館 学芸員 友井伸一)
(1)三宅克己『思ひ出つるまゝ』光大社 1938年、(2)浅井忠、和田英作「愚劣日記」1902年、高橋在久『浅井忠の美術史』第一法規出版 1988年 所収。夏目漱石「自転車日記」 1903年、『漱石紀行文集』岩波文庫 2016年 所収。志賀直哉「自転車」1951年 『ちくま日本文学021 志賀直哉』2008年 筑摩書房 所収。萩原朔太郎「自転車日記」1936年『ちくま日本文学036 萩原朔太郎』2009年 筑摩書房 所収。*なお三宅克己の引用部分は、ブログに掲載するため、旧字体を新字体に改めた。
■友井 伸一(ともい しんいち)
1964年大阪府生まれ。1989年神戸大学大学院修士課程修了。同年、徳島県立近代美術館の建設事務局に学芸員として勤務。1990年11月より同館学芸員。担当した主な展覧会(共同企画含む):「ピカソと日本」(1990)、「亡命者の軌跡 アメリカに渡った芸術家たち」(1993),
「本と美術-20世紀の挿絵本からアーティスツ・ブックスまで」(2002)、「マン・レイ展 私は謎だ。」(2005)、「音楽:色、線、形、そして音」(2005)、「変貌するひとのすがた ピカソの版画」(2005)、「〈遊ぶ〉シュルレアリスム」(2013)、「フィギュア展-ヒトガタ、人形、海洋堂」(2015)、「阿波の道を歩く 芭蕉を目指した男・酒井弥蔵×現代アーティスト・大久保英治」(2016)、「ドイツ 20世紀 アート」(2020)など
●展覧会のお知らせ
「自転車のある情景 ART SCENE WITH BICYCLES」
会期:2021年7月17日 [土] ─ 9月5日 [日]
会場:徳島県立近代美術館
開館時間:午前9時30分 ─ 午後5時
休館日:月曜日、8月10日 [火] ( 8月9日 [月・振替休日] は開館 )
観覧料
一般:900 [720] 円/高・大生:670 [530] 円/小・中生:450 [360] 円
[ ]内は20名以上の団体料金。
*身体障害者手帳、療育手帳、精神障害者保健福祉手帳の所持者とその介助者1名、未就学児はそれぞれ無料。
*小・中・高生は、土・日・祝日・振替休日、および夏休み期間中は無料。
*65歳以上の方で証明できるものをご提示いただいた方は半額。
*当展の観覧券で所蔵作品展もご覧いただけます。
主催:徳島県立近代美術館
後援:徳島新聞社、四国放送株式会社、NHK徳島放送局、エフエム徳島、(公財) 徳島県文化振興財団
助成:(一財) 地域創造
出品作家:瑛九、フェルナン・レジェ、松本竣介、植田正治
担当学芸員:友井伸一
自転車は、スポーツや移動手段のみならず、環境、健康、ファッションなどの観点からも、その魅力が近年再発見されつつあります。そんな自転車に、美術やデザインからアプローチします。本展では、自転車がモチーフになった絵画やポスターなどの美術作品と、実際の自転車を展示します。自転車が登場する多彩な美術を味わうとともに、自転車そのもののデザイン性や機能美などを発見する機会となることを願っています。「美術」を幅広い視点から見直すとともに、自転車を通じて美術とスポーツの豊かなあり方を考えます。
※2021/09/17(金) ~ 2021/11/23(火) 八王子夢美術館に巡回。
●本日のお勧めは倉俣史朗です。
倉俣史朗 Shiro KURAMATA
"Sofa With Arms Black Edition" (赤)
1982年デザイン(2019年製造)
金属、ファブリック
W62.0×D92.0×H65.5cm (SH38.0cm)
Ed.33
1982年に倉俣史郎によってデザインされた"sofa with arms"を基に、
2019年に制作されたブラックフレームの限定モデルです。
この限定モデルは当時赤、青、緑、黄の4色それぞれ33脚、
合計132脚限定で発売されました。
座面裏にシリアルナンバー入りのカッペリーニのプレートあり。
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
◆「没後30年 倉俣史朗展 今尚色褪せないデザインの革命児」開催中
会期=8月12日~8月22日(無休)
会場=Bunkamura Gallery
友井伸一
筆者の住む徳島では、近頃ロードバイクでツーリングする人たちをよく見かける。また、散歩感覚のツアー(ポタリング)も拡がっているようだ。コロナ禍の中、公共交通機関を利用せず、外出自粛の運動不足解消にもつながる自転車の需要が世界的に増加しているとも聞く。自転車はスポーツ、レジャー、健康、ファッション、環境などの面で様々な可能性を秘めている。そこに、美術、デザインの面からアプローチしたのが、徳島県立近代美術館の特別展「自転車のある情景」(2021年7月17日[土]~9月5日[日])である。
ロビー1898(明治31)年、19世紀末のイギリスに徳島出身の一人の若者が降り立った。のちに日本の水彩画の先駆者となる三宅克己(1874-1954年)。その時24才。三宅は回想する。「ロンドンに来て早々私は自転車を買った。それに乗って毎日野外に写生に出たり、また市街を駆け回った」(1)。 その後、三宅は相棒の自転車を、ドーバー海峡を渡ってパリに持ち込みスケッチを続ける。小回りがきく自転車は創造の現場で大いに活躍した。これは日本人による海外での自転車の活用事例の最初期の一つとも言えるだろう。
19世紀の初頭にドイツで発明された自転車は、19世紀末には現在の自転車の原型にまで進化し、チェーンや空気入りタイヤの発明で欧米を中心に広く普及する。三宅に限らず、洋画家の浅井忠はフランスで(1901年)、文豪の夏目漱石はイギリスで(1902年)自転車を練習し、小説家の志賀直哉や詩人の萩原朔太郎らも、この頃自転車に熱中したようだ(2)。画家や小説家にも愛された自転車は、それから100年以上経った現在、日常生活に欠かせないパートナーとして私たちのそばにある。
150 年ほど前のクラシックな自転車自転車が進化した19世紀はモダンアートの発展した時代でもあった。ヨーロッパでは、19世紀末から20世紀初頭にアール・ヌーヴォーを始めとするポスター芸術が隆盛を極める。「丈夫で軽くてファッショナブル」な自転車を宣伝する街角の大ポスターの数々は見どころだ。
また、20世紀のアヴァンギャルド芸術に登場する自転車と言えば、デュシャンの〈自転車の車輪〉(1913年)や、ピカソの〈雄牛の頭〉(1942年)を思い浮かべる(ともに本展には未出品)。両作品とも、自転車の実用性から切り離されたオブジェである。ただし、私見だが、これらは自転車という工業製品・機械の形態への関心をぬぐい切れず、全きオブジェとはなりきれていないように思える。これは自転車の形態が持つ造形の魅力のあらわれだろうか。今回は150年前のクラシック自転車から最新型まで、19台の自転車を展示している。機械美、機能美という面からも自転車を味わってみてはいかがだろう。
19 世紀末から 20 世紀初頭の自転車のポスター自転車と美術を考える上で、本展では特に「動きの表現」と「機械美」に注目した。キュビスムのジャン・メッツァンジェや未来派のジャコモ・バッラの作品は「動き」の表現の好例である。メッツァンジェの〈自転車乗り〉(1911-12年)は、ツール・ド・フランス(1903年~)やジロ・デ・イタリア(1909年~)が始まった頃の自転車競技の様子である。そして、「機械美」という新たな価値観を20世紀美術にもたらしたレジェは、第二次世界大戦中のアメリカ滞在期に、自転車に乗る活発な少女たちに触発されて〈美しい自転車乗り〉(1944年)を描いた。
自転車が発達した19世紀後半は、写真技術もまた大いに発達する。「動き」や「一瞬」をとらえる連続写真や映画の発明は、未来派やキュビスムにも影響した。科学技術の成果である写真と自転車が、共に美術やデザインと関わりを深めた点は興味深い。写真からは、アサヒカメラ誌(1975年)連載「大辻清司実験室」の街のスナップショットや、石元泰博の東京の街のシリーズをはじめ、カルティエ=ブレッソン、ユージン・スミス、植田正治、森山大道などの作品を選んだ。自転車はつくづく絵になるモチーフだと思う。
キュビスムや未来派の作品日本の作家では、自転車のモチーフを多用した瑛九が目を引く。晩年の円形モチーフとの関連はあるのだろうか。また、松本竣介の〈街(自転車)〉(1940年)や、山下菊二の〈高松所見〉(1936年)では、コラージュ的に組み合わされた追憶の街の断片に、さりげなく自転車が登場する。それは都会的でモダンな生活の象徴でもある。
瑛九、山下菊二、松本竣介自転車にまつわるエピソードは、皆さんもそれぞれにお持ちだろう。たとえば、1970~80年代のかつての自転車少年たちにとって、ブリヂストンの「ロードマン」は懐かしい思い出だ。それは、当時の風や日差し、汗などとともに、五感で体が覚えている。こんな記憶や体験は、はたして美術やデザインの世界の発見につながるだろうか。自転車を通じて、五感が呼び覚ます身体性と美術との関係にも思いを馳せたい。
左:ロードマン、右奥:映画 ET に登場した BMX
戦後から現代までの様々な自転車
(徳島県立近代美術館 学芸員 友井伸一)
(1)三宅克己『思ひ出つるまゝ』光大社 1938年、(2)浅井忠、和田英作「愚劣日記」1902年、高橋在久『浅井忠の美術史』第一法規出版 1988年 所収。夏目漱石「自転車日記」 1903年、『漱石紀行文集』岩波文庫 2016年 所収。志賀直哉「自転車」1951年 『ちくま日本文学021 志賀直哉』2008年 筑摩書房 所収。萩原朔太郎「自転車日記」1936年『ちくま日本文学036 萩原朔太郎』2009年 筑摩書房 所収。*なお三宅克己の引用部分は、ブログに掲載するため、旧字体を新字体に改めた。
■友井 伸一(ともい しんいち)
1964年大阪府生まれ。1989年神戸大学大学院修士課程修了。同年、徳島県立近代美術館の建設事務局に学芸員として勤務。1990年11月より同館学芸員。担当した主な展覧会(共同企画含む):「ピカソと日本」(1990)、「亡命者の軌跡 アメリカに渡った芸術家たち」(1993),
「本と美術-20世紀の挿絵本からアーティスツ・ブックスまで」(2002)、「マン・レイ展 私は謎だ。」(2005)、「音楽:色、線、形、そして音」(2005)、「変貌するひとのすがた ピカソの版画」(2005)、「〈遊ぶ〉シュルレアリスム」(2013)、「フィギュア展-ヒトガタ、人形、海洋堂」(2015)、「阿波の道を歩く 芭蕉を目指した男・酒井弥蔵×現代アーティスト・大久保英治」(2016)、「ドイツ 20世紀 アート」(2020)など
●展覧会のお知らせ
「自転車のある情景 ART SCENE WITH BICYCLES」
会期:2021年7月17日 [土] ─ 9月5日 [日]
会場:徳島県立近代美術館
開館時間:午前9時30分 ─ 午後5時
休館日:月曜日、8月10日 [火] ( 8月9日 [月・振替休日] は開館 )
観覧料
一般:900 [720] 円/高・大生:670 [530] 円/小・中生:450 [360] 円
[ ]内は20名以上の団体料金。
*身体障害者手帳、療育手帳、精神障害者保健福祉手帳の所持者とその介助者1名、未就学児はそれぞれ無料。
*小・中・高生は、土・日・祝日・振替休日、および夏休み期間中は無料。
*65歳以上の方で証明できるものをご提示いただいた方は半額。
*当展の観覧券で所蔵作品展もご覧いただけます。
主催:徳島県立近代美術館
後援:徳島新聞社、四国放送株式会社、NHK徳島放送局、エフエム徳島、(公財) 徳島県文化振興財団
助成:(一財) 地域創造
出品作家:瑛九、フェルナン・レジェ、松本竣介、植田正治
担当学芸員:友井伸一
自転車は、スポーツや移動手段のみならず、環境、健康、ファッションなどの観点からも、その魅力が近年再発見されつつあります。そんな自転車に、美術やデザインからアプローチします。本展では、自転車がモチーフになった絵画やポスターなどの美術作品と、実際の自転車を展示します。自転車が登場する多彩な美術を味わうとともに、自転車そのもののデザイン性や機能美などを発見する機会となることを願っています。「美術」を幅広い視点から見直すとともに、自転車を通じて美術とスポーツの豊かなあり方を考えます。
※2021/09/17(金) ~ 2021/11/23(火) 八王子夢美術館に巡回。
●本日のお勧めは倉俣史朗です。
倉俣史朗 Shiro KURAMATA"Sofa With Arms Black Edition" (赤)
1982年デザイン(2019年製造)
金属、ファブリック
W62.0×D92.0×H65.5cm (SH38.0cm)
Ed.33
1982年に倉俣史郎によってデザインされた"sofa with arms"を基に、
2019年に制作されたブラックフレームの限定モデルです。
この限定モデルは当時赤、青、緑、黄の4色それぞれ33脚、
合計132脚限定で発売されました。
座面裏にシリアルナンバー入りのカッペリーニのプレートあり。
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
◆「没後30年 倉俣史朗展 今尚色褪せないデザインの革命児」開催中
会期=8月12日~8月22日(無休)
会場=Bunkamura Gallery
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