「何もかもとっておくのはいいかげにして、早く処分して!」
社長のお小言がまた一段と厳しくなりました。
築半世紀のオンボロ我が家はメンテナンスがたいへんで、つい先日も屋根の修理をしたと思ったら、この猛暑で今度は空調がいかれてしまい、資料を保管していた部屋の床が水浸しに。床置きしていた段ボール箱の底がぐっしょり・・・ 慌ててン十年もそのままにしていたファイル類を取り出し、乾燥させ、いやはや大騒ぎでした。
おかげで(何がおかげよ、と社長また激怒)長年謎だったメカスさんの初来日の日を確定できましたのでご報告します。
昨年2020年11月、neoneo編集室からドキュメンタリー叢書『ジョナス・メカス論集 映像詩人の全貌』が刊行されました(編集者の若林良さんのエッセイをお読みください)。
吉増剛造先生はじめ、メカスさん来日に尽力された木下哲夫さん、このブログでエッセイを連載中の井戸沼紀美さんなど多くの執筆者による、メカスとの交流、またメカスからの影響を振り返るエッセイや、映画や詩をはじめ、メカスが残した種子を分析する論考が掲載されました。
亭主も「メカスさんの初来日、初めての展覧会、初めての版画とカタログ制作」という小文を寄稿したのですが、冒頭に<メカスさんの初来日について書くことになり、昔の資料をひっくり返し、友人たちにも聞いたのですが、驚いたことに成田空港に彼がいつ到着し、いつ離日したのかの正確な日時を、私も含めて誰も覚えていません>と、書いてしまった。
後悔先に立たず、あのとき自宅の段ボール箱をもう少し丁寧に調べればよかった・・・
今回見つかった1983年当時の「メカス賛助計画」のファイル。幸い表紙は濡れてしまいましたが中は無事でした。
ファイルには当時の実行委員会の打合せメモ、原美術館との打合せメモ、プレス資料、新聞のゲラ等々が綴じ込まれていました。
ジョナス・メカスさんは1983年11月29日に初来日(成田空港着)、12月12日に成田空港を出発、帰米されました。
1)1983年11月24日付メモ(筆跡は亭主)

上掲のメモは来日直前の予定表ですので、実際とは少し異なります(倉敷、岡山には下車しなかったようです)。他の記録と付き合わせると概ね下記のような日程だったと思われます。
1983年11月29日:メカスさん、成田空港に到着。出迎えた山下伸さんの車で渋谷区鉢山町の現代版画センター企画室に直行し、初めて制作した版画作品にサインをする。東京での宿泊は山下伸さんの自宅。
11月30日:メカスさんはイメージフォーラムへ。原美術館の展示作業。
12月1日16時~:原美術館のオープニング。
12月3日~8日:東京を車で出発して名古屋、京都、奈良、大阪へ。大阪から福岡へは新幹線で行き、空路東京に戻る。山下伸さん、木下哲夫さんが同行。
12月9日:帰京。
12月10日:原美術館のシンポジウムに出席。ジョナス・メカス、飯田善國、正津勉、佐々木幹郎、他(佐伯誠さんの追悼文を参照)。
12月11日:スタジオ200で実験映画祭。
12月12日:メカスさん成田空港から出発、帰米。
2)1983年11月22日付メモ(原美術館との打合せ報告、筆跡は社長)


3)原美術館プレス用資料

4)朝日新聞の広告ゲラ



5)映画新聞創刊号/1984年6月1日
*中島崇さんの記事によれば11月30日から連日イメージフォーラムに通い、日本の実験映画50本ほどを精力的に見たとのこと。


1983年12月1日原美術館にて、左から、靉嘔、綿貫不二夫、木下哲夫、ジョナス・メカス
1983年12月7日福岡にて、ジョナス・メカス
撮影:福間良夫(写真提供:宮田靖子)
メカスさん、若いですね。
あれから39年、ちょどいま上野の東京都美術館で「Walls & Bridges 世界にふれる、世界を生きる」展が開催中で、ジョナス・メカスさんの作品展示と映像の上映がされていますので、ぜひ皆さんいらっしゃってください。
会期=7月22日~10月9日
担当学芸員・中原淳行さんのギャラリートークがユーチューブで公開されています。
ときの忘れもののブログも王聖美さんに展覧会レビューを執筆していただきましたのでお読みください。
*2021年9月5日追記
1983年の来日時、もちろんメカスさんは日本各地を巡業したときに撮影をし、『富士山への道すがら、わたしが見たものは…』として発表しています。詳しくは木下哲夫さんのエッセイを読んでいただきたいのですが、その中に順序はばらばらですが、以下の映像が映っています。
・東京 山下家(東京の宿泊先)/イメージフォーラム/浅草 仲見世/ドナルド・リチー
・名古屋シネマテーク
・京都 竹林/修学旅行/名刹 庭園/京都大学 西部講堂(映画の上映会場、バンド演奏)
・京都 柿の木/郊外の寺(京都の宿泊先)/手拭いを頭に被り掃除する町田宗鳳
・奈良 鹿、西田画廊(桜湯を淹れる西田夫人)、西田考作氏宅(奈良の宿泊先)
・博多 九州芸工大学訪問(松本俊夫)/長浜ラーメンの屋台/記者会見
・東京 夜の街 山下家の兄妹
・富士山
●1983年、初めてメカスさんは版画作品7点を制作しました。

ジョナス・メカス
「モントークのピーター・ビアード 1974」
1983年
シルクスクリーン(岡部徳三刷り)
37.5×51.0cm
Ed.75 サインあり
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
●『ジョナス・メカス論集 映像詩人の全貌』
『ジョナス・メカス論集 映像詩人の全貌』
216ページ、四六判
執筆:ジョナス・メカス、井戸沼紀美、吉増剛造、井上春生、飯村隆彦、飯村昭子、正津勉、綿貫不二夫、原將人、木下哲夫、髙嶺剛、他
発行:2020年11月5日 neoneo編集室
*ときの忘れもので扱っています。税込み 2,200円+送料250円、メール・fax等でお申し込みください。
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
●ときの忘れものは2017年に青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。もともと住宅だった阿部勤設計の建物LAS CASASを使って、毎月展覧会(Web展)を開催し、美術書の編集事務所としても活動しています。
WEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>の特集も是非ご覧ください。
ときの忘れものはJR及び南北線の駒込駅南口から徒歩約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊。
社長のお小言がまた一段と厳しくなりました。
築半世紀のオンボロ我が家はメンテナンスがたいへんで、つい先日も屋根の修理をしたと思ったら、この猛暑で今度は空調がいかれてしまい、資料を保管していた部屋の床が水浸しに。床置きしていた段ボール箱の底がぐっしょり・・・ 慌ててン十年もそのままにしていたファイル類を取り出し、乾燥させ、いやはや大騒ぎでした。
おかげで(何がおかげよ、と社長また激怒)長年謎だったメカスさんの初来日の日を確定できましたのでご報告します。
昨年2020年11月、neoneo編集室からドキュメンタリー叢書『ジョナス・メカス論集 映像詩人の全貌』が刊行されました(編集者の若林良さんのエッセイをお読みください)。
吉増剛造先生はじめ、メカスさん来日に尽力された木下哲夫さん、このブログでエッセイを連載中の井戸沼紀美さんなど多くの執筆者による、メカスとの交流、またメカスからの影響を振り返るエッセイや、映画や詩をはじめ、メカスが残した種子を分析する論考が掲載されました。
亭主も「メカスさんの初来日、初めての展覧会、初めての版画とカタログ制作」という小文を寄稿したのですが、冒頭に<メカスさんの初来日について書くことになり、昔の資料をひっくり返し、友人たちにも聞いたのですが、驚いたことに成田空港に彼がいつ到着し、いつ離日したのかの正確な日時を、私も含めて誰も覚えていません>と、書いてしまった。
後悔先に立たず、あのとき自宅の段ボール箱をもう少し丁寧に調べればよかった・・・
今回見つかった1983年当時の「メカス賛助計画」のファイル。幸い表紙は濡れてしまいましたが中は無事でした。ファイルには当時の実行委員会の打合せメモ、原美術館との打合せメモ、プレス資料、新聞のゲラ等々が綴じ込まれていました。
ジョナス・メカスさんは1983年11月29日に初来日(成田空港着)、12月12日に成田空港を出発、帰米されました。
1)1983年11月24日付メモ(筆跡は亭主)

上掲のメモは来日直前の予定表ですので、実際とは少し異なります(倉敷、岡山には下車しなかったようです)。他の記録と付き合わせると概ね下記のような日程だったと思われます。
1983年11月29日:メカスさん、成田空港に到着。出迎えた山下伸さんの車で渋谷区鉢山町の現代版画センター企画室に直行し、初めて制作した版画作品にサインをする。東京での宿泊は山下伸さんの自宅。
11月30日:メカスさんはイメージフォーラムへ。原美術館の展示作業。
12月1日16時~:原美術館のオープニング。
12月3日~8日:東京を車で出発して名古屋、京都、奈良、大阪へ。大阪から福岡へは新幹線で行き、空路東京に戻る。山下伸さん、木下哲夫さんが同行。
12月9日:帰京。
12月10日:原美術館のシンポジウムに出席。ジョナス・メカス、飯田善國、正津勉、佐々木幹郎、他(佐伯誠さんの追悼文を参照)。
12月11日:スタジオ200で実験映画祭。
12月12日:メカスさん成田空港から出発、帰米。
2)1983年11月22日付メモ(原美術館との打合せ報告、筆跡は社長)


3)原美術館プレス用資料

4)朝日新聞の広告ゲラ



5)映画新聞創刊号/1984年6月1日
*中島崇さんの記事によれば11月30日から連日イメージフォーラムに通い、日本の実験映画50本ほどを精力的に見たとのこと。


1983年12月1日原美術館にて、左から、靉嘔、綿貫不二夫、木下哲夫、ジョナス・メカス
1983年12月7日福岡にて、ジョナス・メカス撮影:福間良夫(写真提供:宮田靖子)
メカスさん、若いですね。
あれから39年、ちょどいま上野の東京都美術館で「Walls & Bridges 世界にふれる、世界を生きる」展が開催中で、ジョナス・メカスさんの作品展示と映像の上映がされていますので、ぜひ皆さんいらっしゃってください。
会期=7月22日~10月9日
担当学芸員・中原淳行さんのギャラリートークがユーチューブで公開されています。ときの忘れもののブログも王聖美さんに展覧会レビューを執筆していただきましたのでお読みください。
*2021年9月5日追記
1983年の来日時、もちろんメカスさんは日本各地を巡業したときに撮影をし、『富士山への道すがら、わたしが見たものは…』として発表しています。詳しくは木下哲夫さんのエッセイを読んでいただきたいのですが、その中に順序はばらばらですが、以下の映像が映っています。
・東京 山下家(東京の宿泊先)/イメージフォーラム/浅草 仲見世/ドナルド・リチー
・名古屋シネマテーク
・京都 竹林/修学旅行/名刹 庭園/京都大学 西部講堂(映画の上映会場、バンド演奏)
・京都 柿の木/郊外の寺(京都の宿泊先)/手拭いを頭に被り掃除する町田宗鳳
・奈良 鹿、西田画廊(桜湯を淹れる西田夫人)、西田考作氏宅(奈良の宿泊先)
・博多 九州芸工大学訪問(松本俊夫)/長浜ラーメンの屋台/記者会見
・東京 夜の街 山下家の兄妹
・富士山
●1983年、初めてメカスさんは版画作品7点を制作しました。

ジョナス・メカス
「モントークのピーター・ビアード 1974」
1983年
シルクスクリーン(岡部徳三刷り)
37.5×51.0cm
Ed.75 サインあり
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●『ジョナス・メカス論集 映像詩人の全貌』
『ジョナス・メカス論集 映像詩人の全貌』216ページ、四六判
執筆:ジョナス・メカス、井戸沼紀美、吉増剛造、井上春生、飯村隆彦、飯村昭子、正津勉、綿貫不二夫、原將人、木下哲夫、髙嶺剛、他
発行:2020年11月5日 neoneo編集室
*ときの忘れもので扱っています。税込み 2,200円+送料250円、メール・fax等でお申し込みください。
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●ときの忘れものは2017年に青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。もともと住宅だった阿部勤設計の建物LAS CASASを使って、毎月展覧会(Web展)を開催し、美術書の編集事務所としても活動しています。
WEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>の特集も是非ご覧ください。
ときの忘れものはJR及び南北線の駒込駅南口から徒歩約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊。
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