中尾美穂「ときの忘れものの本棚から」第9回
宮澤壯佳著『池田満寿夫 流転の調書』
『池田満寿夫 流転の調書』
宮澤壯佳著
2003年
玲風書房
この本は池田満寿夫(1934-1997年)の初の評伝である。ときの忘れものの本棚に、美術評論家・久保貞次郎の全集や版画関連書籍とともに一時置かれていた。
これを眺めるたび、過去の評伝について考えていた。例えば、著名な美術家の研究書や展覧会カタログが何冊もあると、アップデートされない単行本よりも開催年の新しい展覧会の内容をやみくもに信頼してしまうことがある。これを反省してピカソやゴッホの古い評伝を読み(原田マハの小説『リボルバー』がおもしろかったせいでもある)、20年近く前の刊行になる同書も再読してみた。
池田は1960年代から70年代にかけて版画界の寵児で論評は数多く、小説や映画監督でも注目を集めたが、評伝は刊行されていなかった。評価のしにくさが一因だろうが、そもそも自身がユニークな自叙伝的著作の書き手であり、メディア露出によってチャーミングな人柄も広く知られていたから、まだ他者がその人生を代弁しなくともよかったのだろう。しかし、さらなる変貌を期待させながら版画、陶オブジェやタブロー、未完の小説など後年の試みをいくつも残し、疾風のように突然にこの世を去ってしまった。
『池田満寿夫 流転の調書』の著者である宮澤壯佳氏(1933-2019年)は、彼の変遷を直接知るひとりである。長年、美術出版社の『美術手帖』『みづゑ』編集者・編集長を務め、池田満寿夫の初のカタログ・レゾネにあたる『池田満寿夫全版画作品集』など10冊以上の書籍に携わった。そしてかつて長野市松代町にあった池田満寿夫美術館の開館準備期に館長に就任し、2003年、館が全面的に協力した玲風書房の『日本現代版画 池田満寿夫』と並行して同書を執筆した。
同館にとって、池田はまだまだ未知の作家だった。制作数ひとつとっても、いちはやく自身の版画にエディション制を導入した合理的な面と、自作の把握に無頓着な面がある。生い立ちは周辺者の間で既知のことが多かったが、空白の時期や相違があった。宮澤氏はそれらを膨大な個人蔵書や人脈を駆使して補った。まだその途中で、この本は書かれている。発表の機会がないまま先に他館やマスコミへ提供せざるをえなかったりしていた館員のプライベートな調査も断片的に採録されている。
また宮澤氏は、前職での経験と知見から時代背景と池田の歩みとの接点、あるいは距離に重点を置いた。銅版画家としての活躍をたどりながら、より広範の現代美術、とくに先鋭的な動向と比較しているのが独特だが、これで浮き彫りになることがある。版画で注目され始めてからの池田は同時代の美術運動に積極的に言及しないが、それが無関心からだったのか、無視したのかわからないことだ。宮澤氏は「そうした新しい動きに無関心だったことはありえない」と述べるが、接点のあった動きでいえば、グループ「実在者」や「デモクラート美術家協会」での仲間だった靉嘔が参加していたハプニング集団「フルクサス」に刺激を受けたかどうか。このころそれぞれの方向で成功しつつあった二人である。池田は池田で、自身のテーマを概念よりも、一貫して身近で私的な関係に求めつづけた。
同書はあまり評伝的ではない。次の出版を考えていたからなのだろう。宮澤氏は作品群の総合的な評価を避けている。池田の生涯を第一章で締めくくり、雑誌『淡交』への寄稿文を「池田満寿夫と「日本」」のタイトルで後半に再録した。それで重複する記述があるが、継承すべきものは多い。
一般に年月がたてばたつほど作家研究は進むと思われがちだが、客観視できるかわりに、時代のもつ空気から遠ざかり、作家像も残った証言者の記憶違いやミスリード、資料の偏りで変わってしまうものである。だからこそ筆者の捉え方、熱量の多さ、踏み込み方に興味が尽きない。
(なかお みほ)
■中尾美穂
1965年 長野市生まれ。
1997年から2017年まで池田満寿夫美術館学芸員。
池田満寿夫研究をライフワークとする中尾美穂さんの連載エッセイ「ときの忘れものの本棚から」は奇数月の19日に掲載します。
次回は2021年9月19日の予定です。
●本日のお勧めは瑛九です。
瑛九 Q Ei
《フォトデッサン型紙39》
切り抜き・厚紙
52.5x34.8cm
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
●ときの忘れものは2017年に青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。もともと住宅だった阿部勤設計の建物LAS CASASを使って、毎月展覧会(Web展)を開催し、美術書の編集事務所としても活動しています。
WEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>の特集も是非ご覧ください。
ときの忘れものはJR及び南北線の駒込駅南口から徒歩約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊。
宮澤壯佳著『池田満寿夫 流転の調書』
『池田満寿夫 流転の調書』宮澤壯佳著
2003年
玲風書房
この本は池田満寿夫(1934-1997年)の初の評伝である。ときの忘れものの本棚に、美術評論家・久保貞次郎の全集や版画関連書籍とともに一時置かれていた。
これを眺めるたび、過去の評伝について考えていた。例えば、著名な美術家の研究書や展覧会カタログが何冊もあると、アップデートされない単行本よりも開催年の新しい展覧会の内容をやみくもに信頼してしまうことがある。これを反省してピカソやゴッホの古い評伝を読み(原田マハの小説『リボルバー』がおもしろかったせいでもある)、20年近く前の刊行になる同書も再読してみた。
池田は1960年代から70年代にかけて版画界の寵児で論評は数多く、小説や映画監督でも注目を集めたが、評伝は刊行されていなかった。評価のしにくさが一因だろうが、そもそも自身がユニークな自叙伝的著作の書き手であり、メディア露出によってチャーミングな人柄も広く知られていたから、まだ他者がその人生を代弁しなくともよかったのだろう。しかし、さらなる変貌を期待させながら版画、陶オブジェやタブロー、未完の小説など後年の試みをいくつも残し、疾風のように突然にこの世を去ってしまった。
『池田満寿夫 流転の調書』の著者である宮澤壯佳氏(1933-2019年)は、彼の変遷を直接知るひとりである。長年、美術出版社の『美術手帖』『みづゑ』編集者・編集長を務め、池田満寿夫の初のカタログ・レゾネにあたる『池田満寿夫全版画作品集』など10冊以上の書籍に携わった。そしてかつて長野市松代町にあった池田満寿夫美術館の開館準備期に館長に就任し、2003年、館が全面的に協力した玲風書房の『日本現代版画 池田満寿夫』と並行して同書を執筆した。
同館にとって、池田はまだまだ未知の作家だった。制作数ひとつとっても、いちはやく自身の版画にエディション制を導入した合理的な面と、自作の把握に無頓着な面がある。生い立ちは周辺者の間で既知のことが多かったが、空白の時期や相違があった。宮澤氏はそれらを膨大な個人蔵書や人脈を駆使して補った。まだその途中で、この本は書かれている。発表の機会がないまま先に他館やマスコミへ提供せざるをえなかったりしていた館員のプライベートな調査も断片的に採録されている。
また宮澤氏は、前職での経験と知見から時代背景と池田の歩みとの接点、あるいは距離に重点を置いた。銅版画家としての活躍をたどりながら、より広範の現代美術、とくに先鋭的な動向と比較しているのが独特だが、これで浮き彫りになることがある。版画で注目され始めてからの池田は同時代の美術運動に積極的に言及しないが、それが無関心からだったのか、無視したのかわからないことだ。宮澤氏は「そうした新しい動きに無関心だったことはありえない」と述べるが、接点のあった動きでいえば、グループ「実在者」や「デモクラート美術家協会」での仲間だった靉嘔が参加していたハプニング集団「フルクサス」に刺激を受けたかどうか。このころそれぞれの方向で成功しつつあった二人である。池田は池田で、自身のテーマを概念よりも、一貫して身近で私的な関係に求めつづけた。
同書はあまり評伝的ではない。次の出版を考えていたからなのだろう。宮澤氏は作品群の総合的な評価を避けている。池田の生涯を第一章で締めくくり、雑誌『淡交』への寄稿文を「池田満寿夫と「日本」」のタイトルで後半に再録した。それで重複する記述があるが、継承すべきものは多い。
一般に年月がたてばたつほど作家研究は進むと思われがちだが、客観視できるかわりに、時代のもつ空気から遠ざかり、作家像も残った証言者の記憶違いやミスリード、資料の偏りで変わってしまうものである。だからこそ筆者の捉え方、熱量の多さ、踏み込み方に興味が尽きない。
(なかお みほ)
■中尾美穂
1965年 長野市生まれ。
1997年から2017年まで池田満寿夫美術館学芸員。
池田満寿夫研究をライフワークとする中尾美穂さんの連載エッセイ「ときの忘れものの本棚から」は奇数月の19日に掲載します。次回は2021年9月19日の予定です。
●本日のお勧めは瑛九です。
瑛九 Q Ei《フォトデッサン型紙39》
切り抜き・厚紙
52.5x34.8cm
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※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
●ときの忘れものは2017年に青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。もともと住宅だった阿部勤設計の建物LAS CASASを使って、毎月展覧会(Web展)を開催し、美術書の編集事務所としても活動しています。
WEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>の特集も是非ご覧ください。
ときの忘れものはJR及び南北線の駒込駅南口から徒歩約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
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