小林美紀のエッセイ「宮崎の瑛九」第3回
瑛九の輪郭2 みやざき交遊録
瑛九として過ごした時間は人生の約半分。杉田秀夫、そして瑛九として、宮崎の地で過ごした時間も約半分というところだろうか。亡くなった場所も、一番脂ののっている時期に過ごした場所も宮崎ではないので、一般的に「宮崎の画家」としての認識が弱いのかもしれない。しかし、移動や転居を繰り返す中で、瑛九は時に孤独にさいなまれることはあったが、様々な人々との交流をもっていた。今回は、生誕の地である宮崎での交流を紹介する。
富松良夫(とみまつ よしお)
富松良夫(1903~1954)は宮崎県都城市生まれの詩人である。病気により、移動も背負われて行かねばならないほど障がいがあった。宮崎の文芸誌『龍舌蘭』では、創刊号から詩を掲載しており、瑛九もまた随筆を掲載している。瑛九は、戦後一時期共産党に入党していたが、富松への書簡で「僕ははじめて多数のすぐれた友人にかこまれて幸福に出発を開始しています」と書いている。しかし、その活動も半年足らずで終わりを告げ、詳細は不明だが、党のためにした借金を返すからと、富松に貸した本を返却して欲しいと伝え、自分の蔵書を相当数売ってしまっている。
富松の没後出版された遺稿集に、瑛九は友のために「おとぎの国」などの銅版画を提供している。(特装版などは現在「生誕110年記念 瑛九展」で展示中)
塩月桃甫(しおつき とうほ)
宮崎県西都市生まれの塩月桃甫(1886~1954)は、大阪や愛媛で教職に就いた後、台湾に渡り、台湾美術の振興に努めた人物である。帰郷後、瑛九とともに県展(後の宮日総合美術展)の創設に関わっている。当館所蔵の写真資料の中に、若き日の瑛九と、兄の杉田正臣らと写っている塩月桃甫の写真がある。瑛九にとって、20歳以上離れたこの画家は、素直に認めることのできる画家であった。
太佐豊春(たさ とよはる)
太佐豊春(1921~2005)もまた宮崎県西都市出身の画家である。瑛九との出会いは1936年。「反時代」(宮崎県立美術館所蔵)を描いたすぐ後に、瑛九からの「(表現が)かたい。少しくずしてみたら」というアドバイスにより、構成的なものからその後の水彩・素描の方向へと転換していく。瑛九の没後、地元のラジオ番組に出演した際は、瑛九から影響を受けたことを熱心に話していたという。
伊東旭(いとう あさひ)
宮崎市出身の画家、伊東旭(1922~2011)は、中学時代に旧制妻中学で美術教師をしていた山田光春に出会い、その影響で写実から抽象的なものへと移行していく。中学3年生頃からは瑛九と出会い、その影響を受けるようになる。瑛九からは、欧州の画家の作品などを数多く見せられ、感銘を受けた。また、瑛九のもとへ自作を持っていき、批評をしてもらっては、発奮して次の作品を制作したという。最も影響を受けた画家として瑛九を挙げ、瑛九が創立に参加した自由美術協会に所属していたが後に脱会している。
加藤正(かとう ただし)
加藤正(1926~2016)は宮崎県串間市出身の画家である。東京の学生であった頃、帰省していた串間での交流会に訪れた瑛九と出会った。その後瑛九は東京に戻った加藤を訪ね、デモクラート美術家協会の東京での立ち上げに誘う。加藤は事務局として活動することになり、瑛九に依頼されて若い画家たちを集めた。瑛九の没後は、宮崎で芸術団体「フラクタス」を立ち上げ、瑛九の精神を継承しながら、東京と宮崎での活動を続けた。
第1章展示風景
第2章展示風景
(こばやし みき)
■小林美紀(こばやし みき)
1970年、宮崎県生まれ。1994年、宮崎大学教育学部中学校教員養成課程美術科を卒業。宮崎県内で中学校の美術科教師として教壇に立つ。2005年~2012年、宮崎県立美術館
学芸課に配属。瑛九展示室、「生誕100年記念瑛九展」等を担当。2012年~2019年、宮崎大学教育学部附属中学校などでの勤務を経て、再び宮崎県立美術館に配属、今に至る。
・小林美紀のエッセイ「宮崎の瑛九」は2022年2月までの全6回、毎月17日の更新です。
●展覧会のお知らせ
「生誕110年記念 瑛九展-Q Ei 表現のつばさ-」
会期:2021年10月23日(土)~12月5日(日)
会場:宮崎県立美術館
フォト・デッサン、版画、油彩など多彩な画業のほかに、評論活動など、独自の表現を探求し続けた瑛九(1911~1960)。生誕110年を記念し、瑛九が生涯をかけて挑んだ「表現すること」への飽くなき探求の軌跡を、宮崎県立美術館が所蔵する作品や膨大な資料をもとに紹介します。

●本日のお勧めは篠田守男です
篠田守男 Morio SHINODA
《TC7013》
2001年 金属彫刻
32.8x38.8x1.8cm
Ed.10 Signed
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
●ときの忘れものは2017年に青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。もともと住宅だった阿部勤設計の建物LAS CASASを使って、毎月展覧会(Web展)を開催し、美術書の編集事務所としても活動しています。
WEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>の特集も是非ご覧ください。
ときの忘れものはJR及び南北線の駒込駅南口から徒歩約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊。
瑛九の輪郭2 みやざき交遊録
瑛九として過ごした時間は人生の約半分。杉田秀夫、そして瑛九として、宮崎の地で過ごした時間も約半分というところだろうか。亡くなった場所も、一番脂ののっている時期に過ごした場所も宮崎ではないので、一般的に「宮崎の画家」としての認識が弱いのかもしれない。しかし、移動や転居を繰り返す中で、瑛九は時に孤独にさいなまれることはあったが、様々な人々との交流をもっていた。今回は、生誕の地である宮崎での交流を紹介する。
富松良夫(とみまつ よしお)
富松良夫(1903~1954)は宮崎県都城市生まれの詩人である。病気により、移動も背負われて行かねばならないほど障がいがあった。宮崎の文芸誌『龍舌蘭』では、創刊号から詩を掲載しており、瑛九もまた随筆を掲載している。瑛九は、戦後一時期共産党に入党していたが、富松への書簡で「僕ははじめて多数のすぐれた友人にかこまれて幸福に出発を開始しています」と書いている。しかし、その活動も半年足らずで終わりを告げ、詳細は不明だが、党のためにした借金を返すからと、富松に貸した本を返却して欲しいと伝え、自分の蔵書を相当数売ってしまっている。
富松の没後出版された遺稿集に、瑛九は友のために「おとぎの国」などの銅版画を提供している。(特装版などは現在「生誕110年記念 瑛九展」で展示中)
塩月桃甫(しおつき とうほ)
宮崎県西都市生まれの塩月桃甫(1886~1954)は、大阪や愛媛で教職に就いた後、台湾に渡り、台湾美術の振興に努めた人物である。帰郷後、瑛九とともに県展(後の宮日総合美術展)の創設に関わっている。当館所蔵の写真資料の中に、若き日の瑛九と、兄の杉田正臣らと写っている塩月桃甫の写真がある。瑛九にとって、20歳以上離れたこの画家は、素直に認めることのできる画家であった。
太佐豊春(たさ とよはる)
太佐豊春(1921~2005)もまた宮崎県西都市出身の画家である。瑛九との出会いは1936年。「反時代」(宮崎県立美術館所蔵)を描いたすぐ後に、瑛九からの「(表現が)かたい。少しくずしてみたら」というアドバイスにより、構成的なものからその後の水彩・素描の方向へと転換していく。瑛九の没後、地元のラジオ番組に出演した際は、瑛九から影響を受けたことを熱心に話していたという。
伊東旭(いとう あさひ)
宮崎市出身の画家、伊東旭(1922~2011)は、中学時代に旧制妻中学で美術教師をしていた山田光春に出会い、その影響で写実から抽象的なものへと移行していく。中学3年生頃からは瑛九と出会い、その影響を受けるようになる。瑛九からは、欧州の画家の作品などを数多く見せられ、感銘を受けた。また、瑛九のもとへ自作を持っていき、批評をしてもらっては、発奮して次の作品を制作したという。最も影響を受けた画家として瑛九を挙げ、瑛九が創立に参加した自由美術協会に所属していたが後に脱会している。
加藤正(かとう ただし)
加藤正(1926~2016)は宮崎県串間市出身の画家である。東京の学生であった頃、帰省していた串間での交流会に訪れた瑛九と出会った。その後瑛九は東京に戻った加藤を訪ね、デモクラート美術家協会の東京での立ち上げに誘う。加藤は事務局として活動することになり、瑛九に依頼されて若い画家たちを集めた。瑛九の没後は、宮崎で芸術団体「フラクタス」を立ち上げ、瑛九の精神を継承しながら、東京と宮崎での活動を続けた。
第1章展示風景
第2章展示風景(こばやし みき)
■小林美紀(こばやし みき)
1970年、宮崎県生まれ。1994年、宮崎大学教育学部中学校教員養成課程美術科を卒業。宮崎県内で中学校の美術科教師として教壇に立つ。2005年~2012年、宮崎県立美術館
学芸課に配属。瑛九展示室、「生誕100年記念瑛九展」等を担当。2012年~2019年、宮崎大学教育学部附属中学校などでの勤務を経て、再び宮崎県立美術館に配属、今に至る。
・小林美紀のエッセイ「宮崎の瑛九」は2022年2月までの全6回、毎月17日の更新です。
●展覧会のお知らせ
「生誕110年記念 瑛九展-Q Ei 表現のつばさ-」
会期:2021年10月23日(土)~12月5日(日)
会場:宮崎県立美術館
フォト・デッサン、版画、油彩など多彩な画業のほかに、評論活動など、独自の表現を探求し続けた瑛九(1911~1960)。生誕110年を記念し、瑛九が生涯をかけて挑んだ「表現すること」への飽くなき探求の軌跡を、宮崎県立美術館が所蔵する作品や膨大な資料をもとに紹介します。

●本日のお勧めは篠田守男です
篠田守男 Morio SHINODA《TC7013》
2001年 金属彫刻
32.8x38.8x1.8cm
Ed.10 Signed
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
●ときの忘れものは2017年に青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。もともと住宅だった阿部勤設計の建物LAS CASASを使って、毎月展覧会(Web展)を開催し、美術書の編集事務所としても活動しています。
WEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>の特集も是非ご覧ください。
ときの忘れものはJR及び南北線の駒込駅南口から徒歩約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊。
コメント