松本竣介研究ノート 第32回

石膏デッサンについて


小松﨑拓男


 美術を学ぼうとする初学者が必ずやらされることに「石膏デッサン」なるものがある。ビーナス像などの西洋彫刻から型取りして作られた石膏の彫像を木炭や鉛筆などを使って写し取る、絵を描く技術の勉強方法の一つである。石膏像は白く、光と陰の部分が色彩に惑わされることなくよくわかり、形態の把握や明暗の付け方など、立体をモノクロの濃淡、コントラストによって表現する写実的な絵画技法の初歩を学ぶのである。この勉強の方法は、日本では、明治時代に工部美術学校(図1、図2)や東京美術学校で本格的な西洋式の美術教育が始まった時に導入され、当時のヨーロッパでも一般的な絵画の勉強方法の一つでもあった。

図1 図1 「工部美術学校画学生徒階級表」(『近代の美術46』至文堂より)赤い楕円で囲まれたところに石膏デッサンが行われていた記録がある。松岡とは松岡壽のことであろう。

図2図2 工部美術学校の生徒のデッサン例(『近代の美術46』至文堂より)実際の石膏像を描いていたか、モノクロの石版などからの模写であったかは不明。

 また、古くは、ルネサンスの頃のレオナルド・ダ・ヴィンチなども明暗の表現の勉強や研究のために、石膏像ではないが、布の襞を描写するのに実際の布に石膏を付け固まらせたものを作って描いた作品(図3)が残っている。技法的には「キアロ・スクーロ」といい、日本語では「明暗法」といわれるものだ。

図3図3 レオナルド・ダ・ヴィンチの作といわれている素描、1470年頃。

 この石膏デッサンが上手く描けるか、描けないかが、美術を志す時に一つの壁になる。また実際、美術系の大学へ進学するためには、今でも東京藝術大学を含めて実技試験の第1の課題としてこの石膏デッサンが課せられることが多い。だから受験生の多くは石膏デッサンの技術を磨かなくてはならない。これが描けないと進学をあきらめなくてはならなくなる。美術を志してもこの関門を超えられず、挫折してしまうことも多い。
 彫刻を目指す人のデッサンは、石膏像の表面を撫でるような筆致で描き、対象物の量塊を掴み取るようなデッサンが多い。石膏デッサンとは別のものだが、ジャコメッティの素描などを見ると彫刻家のデッサンの特徴が見て取れる気がする。油絵や日本画を目指す人のデッサンは石膏像が置かれた空間を描こうとする。これも絵画が空間を描くことを目指すからこうした表現になるのだろう。
 この石膏デッサンに目を見張るような画力を残す天才画家たちは多い。例えば、ピカソがそうだ。幼少期にして父親を唸らせる画力を示し、トルソ(胴体部分のみの彫像のこと)を描いた石膏デッサンなどは、12歳の少年が描いたものとは思えない。石膏デッサンではないが日本の美術館にも14歳の時に描いた男性の裸体像の素描が収蔵されているが、その画力は並ではない。(注1)
 明治時代以降、海外に留学した日本人画家も、美術アカデミーや画塾で石膏デッサンや人体デッサンに取り組んでいる。明治初期の洋画家松岡壽(ひさし)(図4、図5、注2)、東京美術学校で指導した黒田清輝、日本的な洋画を目指した安井曾太郎などの滞欧時代に描いた優品が現在も残っており、それらの作品を見ると、木炭デッサンの技量においては西欧の画家たちに決してひけを取ることがなかったことがよくわかる。

図4 『近代のデッサン』展の謄写版刷りの配布冊子。図4 『近代のデッサン』展の謄写版刷りの配布冊子。

図5図5 松岡壽のデッサンを収蔵したことがわかる記述。赤の下線部。

 このように明治時代から油絵、すなわち西洋画を学ぼうとする時に、美術学校や画塾において必須となるのが石膏デッサンであり、本格的な美術教育の第一歩であった。そしてそれは松本竣介にとっても東京での絵の修練の最初の課題となったであろう。盛岡の旧制中学時代にこの石膏デッサンを経験していたかどうかはわからない。美術の教科の中に石膏デッサンはあったであろうか。少なくとも当時の作品として目にしたことはない。
 神奈川県立近代美術館鎌倉別館で2016年の10月に開催された展覧会『松本竣介 創造の原点』に松本竣介の石膏デッサンが出品されている。図録に掲載されている一群の石膏デッサンは、太平洋美術学校時代の松本竣介の技量を知ることのできる貴重なものである。記録によると松本家に旧蔵されていたものが禎子夫人によって寄贈されたとある。
 さて、松本竣介の技量はいかに。
 頭部や手足などの部分、さらに首像や胸像と石膏像が大きくなればなるほど難しくなる。ここにあるデッサンは、トルソや全身像で初学者にはかなり難易度が高い。『カラカラ帝』(図6)と題された作品は、胸から上の人体像、すなわち胸像であるが、形がぎこちなく、木炭の描写も丁寧ではあるものの、陰の部分が光によって暗くなっているようには見えにくい。首の周りの立体感にも乏しい。最初の一枚であるとは思えないが、石膏デッサンを始めて間もない頃のもののように見える。『ディアーナ』(図7)もまた曲線の丸みを帯びたプロポーションの胸像の形を正確に取ることに苦戦をしている様子が伺われ、線や面の描き方がぎこちない。さらに『腕のあるトルソ(右向き)』(図8)は全体に描写が硬く、特に腰に置いた手の肩から指先まで立体感や空間表現が上手くいっていない。この3点以外のトルソや全身像(図9)には比較的木炭での描写に熟達した様子が感じられる。面や立体感を出す時の木炭の調子にぎこちなさが感じられなくなり、一定した安定感のある木炭の運筆が見て取れる。全身像のバランスや奥行きも大きく破綻していたりはしない。おそらくは、最初にあげた3点のデッサンは太平洋美術学校に通い出してあまり時間が経っていない頃に描いたものではないかと技術的な点や表現力をみると推察できる。

図6 松本竣介『カラカラ帝』1929年図6
松本竣介
『カラカラ帝』
1929年

図7 松本竣介『ディアーナ』1929年図7
松本竣介
『ディアーナ』
1929年

図8 松本竣介『腕のあるトルソ(右向き)』1930年図8
松本竣介
『腕のあるトルソ(右向き)』
1930年

図9 松本竣介『棘をぬく少年(右向き)』1930年図9
松本竣介
『棘をぬく少年(右向き)』
1930年

 全体の技量はどうであろうか。天才ピカソや、並み居る明治洋画の巨匠たちと比べると、決して下手ではないが、そこまでの天才性や写実表現に熟達している様子は伺えない。しかし、それはのちの松本竣介が求めた絵画世界にとって、マイナスの要素になるものではなく、むしろ彼が絵画に求めていたものが、技量一辺倒の単純な写実表現やリアリティではなかったということわかるような気がする。松本竣介が絵画に求めたのは、そうした描写の写実的な技量に依存した表現ではなく、心情に寄り添う入念に構築されたマチエール(画肌)だったのではないかということである。
 石膏デッサンからやがて実際のモデルを使った人体デッサンへと進むことになり、松本竣介は古参の一人としてポーズをつけるまでになる。だが、私はもはや写実を目指したわけではなかった松本竣介にとってこうしたモデルを使った人体デッサンの技術の習得は、あまり意味を持つことがなく、退学して仲間とともにアトリエでの制作を考えるようになったのは、ごく当然の結果であったように思う。つまり、松本竣介のデッサンをみていると、これ以上のアカデミックな修練は必要がないと彼自身が考えたのではないかと想像できる気がするのだ。

注1 ピカソが14歳の時に紙に鉛筆で描いた『裸体男性像』(1895年)がSONPO美術館に収蔵されている。
注2 1984年の6月18日から7月14日まで東京藝術大学の芸術資料館で開催されていた『近代のデッサン』と題された展覧会で配布されていた、当時でも珍しくなっていた謄写版刷りの冊子の記載。松岡壽のローマ留学時代のデッサンが収蔵されたとある。
こまつざき たくお

小松﨑拓男のエッセイ「松本竣介研究ノート」は毎月3日の更新です。

小松﨑拓男 Takuo KOMATSUZAKI
千葉県生まれ。横浜そごう美術館、郡山市美術館準備室、平塚市美術館の主任学芸員を経て、NTTインターコミュニケーション・センター[ICC]学芸課長、広島市現代美術館学芸課長、副館長を歴任後、金沢美術工芸大学教授を2019年まで務める。現在、美術評論家連盟会員、文教大学情報学部非常勤講師として「美術」「サブカルチャー論」担当。
キュレーター時代には絵画をはじめとしてメディア・アートなど先端領域を含めた幅広い分野で近現代美術の展覧会を企画。村上隆、奈良美智、会田誠などを公立美術館で初めて本格的に紹介した。
主な展覧会に「TOKYO POP」(平塚市美術館)「New Media New Face / New York」(NTTインターコミュニケーション・センター[ICC])「絵画新世紀」「サイバー・アジア」(広島市現代美術館)「エコメトロ」(光州ビエンナーレ)などがある。

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4_海老原喜之助海老原喜之助 Kinosuke EBIHARA
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1956年
リトグラフ
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