東京国立近代美術館 MOMATコレクション展

小特集「純粋美術と宣伝美術」をみる

中村惠一

 美術館といえばコレクションはファインアート、つまり純粋美術を収蔵、展示するものであった。だが、最近では、過去には資料的に扱われてきたポスターや広告、書籍の挿画や装丁なども作品として収蔵、展示することが次第に増えてきたように感じる。現在、国立近代美術館・東京で開催されている常設展「MOMATコレクション」では、7室および8室を会場として小特集「純粋美術と宣伝美術」を2021年10月5日から2022年2月13日まで展示している。企画の意図からいえば、戦後から50年代いっぱいくらいを対象に純粋美術と宣伝美術を架け橋するような作家を取り上げ、その周囲を展示したものである。
 実際の展示をみるまえでは戦前の状況をいったん考えていた。それは純粋美術にとどまらない活動を志向したマヴォのようなグループ、山名文夫や堀野正雄、原弘などがかかわった『NIPPON』のような対外宣伝誌の活動から始まっているのかと想像したのであるが、結果としては戦後からであった。大正末期のマヴォは第1回展での「マヴォの宣言」において「講演会、劇、音楽会、雑誌の発行、その他を試みる。ポスター、ショオヰンドー、書籍の装釘、舞台装置、各種の装飾、建築設計等をも引き受ける。」と述べており、実際に純粋美術以外の活動に傾斜していった。白眉は震災後のバラック建築の設計であり、築地小劇場での舞台美術である。

 今回の第7室では、展示のスタートに唯一の戦前作品である浜田浜雄の「ユパス」(1939年)と題されたシュル的なタブローがおかれている。これは戦後の宣伝美術においてシュル的な表現が特徴的に現れているという文脈からであろうが、私は戦後のスタートがファインアートにおいてはシュルレアリスムの復興から始まり、写真においてはリアリズムから始まったと考えているので、戦後の宣伝美術がシュル的な表現を取り入れるのは当然のことのように感じた。

202201中村惠一01  浜田浜雄「ユパス」

また、7室の展示は、日宣美(日本宣伝美術協会)の活動が狂言回しになっている。日宣美は1951年に結成された。メンバーである山名文夫、河野鷹思、原弘など中心メンバーの顔触れをみると戦前の対外宣伝誌をしきったデザイナーたちである。彼等のなかにはデモクラート美術協会に参加した早川良雄や山城隆一がいた。その文脈において瑛九の1954年の油彩「赤い輪」も展示されている。
  
202201中村惠一02日本宣伝美術協会展ポスター

202201中村惠一03早川良雄「カロン洋裁生徒募集」ポスター

202201中村惠一04山名文夫「野村の投資信託」(1951年)

一方で、画家がデザインしたポスターも展示されている。例えば小磯良平である。1950年の神戸博のポスターであり、同時期の「オルレアン毛織」のポスターである。終戦から5年、自由への希求が感じられる色彩である。

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 1950年代は自由と平和が激しく希求された時代でもあり、各地でサークル運動が活発化した。表現の大衆化の時代であったのだ。その一方で実験的な表現がさまざまなジャンルを越境して発展するような時期でもあった。その一つの例が「実験工房」であった。今回の展示では大辻清司と北代省三による1953-54年に制作された「『APN』ポートフォリオ」の中の写真からの展示がされた。そして、その北代がデザインしたポスター 「ギーゼキング演奏会」が展示された。

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あるいは、菅井汲である。1955年の「鬼」という油彩とともに1952年制作のポスター「びわ湖の旅」が展示されていた。

202201中村惠一07

 純粋美術と宣伝美術とが不可分に存在していた大正末期から昭和初期。次第に専門性を高め、それぞれに分化していった。それを再度境界を乗り越えていった1950-60年代の動きがあったのではないかと考える。混沌とした1950年代であるが、だからこそ面白いとも感じる。さまざまな実験、試行錯誤がされ、生きるためのさまざまな活動もあり、メディアも大きく変化していった。その混沌を反映して、正直な感想をいえば楽しくとも、統一的な流れを辿ることはできない。1960年代、70年代の広告宣伝やデザインそのものがアートして扱われなければならない時代への滑走路として、また独自の時代としての宣伝美術をまとめてマヴォあたりからの流れでしっかり見てみたいと感じたのだった。
なかむら けいいち

■中村惠一(なかむら けいいち)
北海道大学生時代に札幌NDA画廊で一原有徳に出会い美術に興味をもつ。一原のモノタイプ版画作品を購入しコレクションが始まった。元具体の嶋本昭三の著書によりメールアートというムーブメントを知り、ネットワークに参加。コラージュ作品、視覚詩作品、海外のアーティストとのコラボレーション作品を主に制作する。一方、新宿・落合地域の主に戦前の文化史に興味をもち研究を続け、それをエッセイにして発表している。また最近では新興写真や主観主義写真の研究を行っている。
・略歴
1960年 愛知県岡崎市生まれ
1978年 菱川善夫と出会い短歌雑誌『陰画誌』に創刊同人として参加
1982年 札幌ギャラリー・ユリイカで個展を開催
1994年 メールアートを開始
1997年 “Visual Poesy of Japan”展参加(ドイツ・ハンブルグほか)
1999年 「日独ビジュアルポエトリー展」参加(北上市・現代詩歌文学館)
2000年 フランスのPierre Garnierとの日仏共作詩”Hai-Kai,un cahier D’ecolier”刊行
2002年 “JAPANESE VISUAL POETRY”展に参加(オーストリア大使館)
2008年 “Mapping Correspondence”展参加(ニューヨークThe Center for Book Arts)
2009年 “5th International Artist’s Book Triennial Vilnius2009”展に参加(リトアニア)
2012年 “The Future” Mail Art展企画開催(藤沢市 アトリエ・キリギリス)

●展覧会のお知らせ
MOMATコレクション 小特集:純粋美術と宣伝美術について
会場:東京国立近代美術館本館所蔵品ギャラリー(4F-2F)
会期:2021年10月5日(火)-2022年2月13日(日)
開館時間:10:00-17:00(金・土曜は10:00-20:00)
*入館は閉館30分前まで
休室日:月曜日
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●本日のお勧めは山名文夫(『版画掌誌ときの忘れもの』第2号)です。
yamana_02山名文夫 YAMANA Ayao
《作品名不詳》
原画制作 1928年
(シルクスクリーン制作2000年)
シルクスクリーンによるリプロダクション
17.7×12.0cm
Ed.135
遺族保管の作家印あり、限定番号記入あり
『版画掌誌ときの忘れもの』第2号A・B版に挿入
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※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください

●ときの忘れものは2017年に青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。もともと住宅だった阿部勤設計の建物LAS CASASを使って、企画展の開催、版画のエディション、美術書の編集等を行なっています。WEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>の特集も是非ご覧ください。
JR及び南北線の駒込駅南口から徒歩約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 
E-mail:info@tokinowasuremono.com 
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊。