リレーエッセイ「伊藤公象の世界」

第5回 小泉晋弥「ソラリスの海《回帰記憶》のなかで」


 現在、水戸のARTS ISOZAKIで開催中(3月27日まで会期延長)の伊藤公象展のタイトルは、20世紀を代表するSF作家スタニスワフ・レム(1921~2006)の代表作『ソラリス』のイメージを拝借した。展覧会初日の9月18日が、レムの百回目の誕生日9月12日の一週間遅れだったことは偶然だが、伊藤氏の新作によって、筆者の脳裏に『ソラリス』の世界が浮かび上がってきたのは、何かの巡り合わせだったのかもしれない。

202202伊藤公象_sfmagazineSFマガジン
2021年12月号表紙

 レムの生誕百周年を記念して、早川書房は「あのオールタイム・ベストSF第一位『ソラリス』が装いも新たに登場!」とのキャッチコピーで、ホログラムをカバーにした文庫本を発売し、SFマガジンの2021年12月号は、「スタニスワフ・レム生誕百周年」特集となった。その中に、1966年のインタヴューが再構成されて掲載されている(牧真司=編「スタニスワフ・レム語録」)。そこでレムは、自作『ソラリス』について、次のように述べている。
 「人間の情報は巨大な創造力のインパルスである、ということをわたしたちはしばしば忘れている。哲学的悲劇として構想された『ソラリスの陽のもとに』のなかで、わたしは感じることができる能力がいかにロボット〔主人公の前にあらわれる死んだはずの恋人ハリーのこと〕を人間化していったかを示した」。
 ここでは、ロボットと言われているが実際には惑星ソラリスの「海」を構成するゲル状の物質が固体化して出現した人間もどきを指す。宇宙飛行士の記憶に侵入した海は、それを再構成して形だけは本物そっくりの存在をつくり出す。その外形だけだったはずの人間もどきは、宇宙飛行士と交流する内に、次第に心を持っているかのように振る舞うようになる…。「感じる能力」が「ロボットを人間化する」という言葉は、まるで現代人の寓話のようである。

202202伊藤公象_20210918_153643202202伊藤公象_20210918_142755『ソラリスの海《回帰記憶》のなかで』2021年9月18日の風景

 「人間の情報は巨大な創造力のインパルスである」というレムの言葉は、インターネット時代の21世紀を予言しているというより、いつも人間は、情報によって巨大な創造力を得ているという意味に受けとりたい。それは、過去の情報が詰め込まれた書類のシュレッダー片を泥漿に混ぜて、まるで海のようにして作り上げられた、伊藤氏の新作《回帰記憶》の原理そのものに思える。
 1月26日にARTS ISOZAKIで作品の展示替えが行われ、ランダムに配置されていたピースが、規則的なパターンで再構成された。波立っていた海が、理性を持って立ち上がったように思える。これはSFの中の話ではない。物質が人格をもっているように感じるというところに芸術の本質がある。「感じることができる能力」とは、共感力であって、それは百年前に筆者の研究対象である岡倉天心が『茶の本』で書いていたこととほぼ重なる。その第5章は芸術鑑賞というタイトルだが、『茶の本』全体が、「芸術鑑賞に必要な共感による心の交流」をテーマにしているということもできる。その終章で人生を海にたとえて「なぜ、大波の霊に共鳴しないのか。」と問う天心に従って、「ソラリスの海《回帰記憶》のなかで」を体験して欲しい。

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202202伊藤公象_20220126_143057『ソラリスの海《回帰記憶》のなかで』2022年1月26日の風景
こいずみ しんや

■小泉晋弥 こいずみしんや
昭和28年福島県に生まれる。昭和55年東京芸術大学大学院美術研究科修士課程修了。昭和59年いわき市立美術館学芸員。平成4 年郡山市立美術館主任学芸員。平成08年茨城大学教育学部助教授、平成13年同教授。平成14年~18年茨城大学五浦美術文化研究所所長。平成23年~26年茨城大学教育学部附属中学校長。平成26年~30年茨城大学教育学部副学部長。平成27年~30年茨城大学教育学部附属幼稚園長。現在茨城大学名誉教授。五浦美術文化研究所客員所員。

伊藤公象小泉晋弥堀江ゆうこの三人によるリレーエッセイ「伊藤公象の世界」は、2022年9月までの一年間、毎月8日に掲載します。

●展覧会のお知らせ
solaris『ソラリスの海《回帰記憶》のなかで』
伊藤公象 Kosho Ito
会期:2021.9.18(Sat)-12.26(Sun) 2022.3.27(Sun)※会期が延長となりました。
水曜~日曜日および祝日 13:00-18:00
■月・火曜は休廊。
会場:ARTS ISOZAKI

●ときの忘れものは2017年に青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。もともと住宅だった阿部勤設計の建物LAS CASASを使って、企画展の開催、版画のエディション、美術書の編集等を行なっています。WEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>の特集も是非ご覧ください。
JR及び南北線の駒込駅南口から徒歩約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 
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営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊ですが、企画によっては会期中無休で営業します。