小林美紀のエッセイ「宮崎の瑛九」第6回(最終回)

宮崎の瑛九-瑛九普及の現在地


 宮崎県立美術館は、コレクション展示室の1室に「瑛九展示室」を設置し、常にテーマ毎に30点ほどの瑛九作品を展示紹介している。観覧料は無料で、幸か不幸か混み合うことは少ないので、たっぷりと瑛九の世界に浸ることができる。展示しているのは作品ばかりではなく、瑛九の考え、作品についての情報、生活ぶりが満載の資料も紹介するようにしている。
 瑛九ファンの中には、同じ作品を何度も見たいという方がいる。「つばさ」推しの人がいれば、「田園B」推しの人もいる。作品自体の固定ファンがいるのである。できるだけ鑑賞の機会を提供できればと思う一方、作品は休ませないといけない期間も必要で、悩ましいところである。禅問答のように何時間も作品と対峙している方もいる。作品と出会うことによって瑛九を好きになった方もいる。一方で、「入場無料」「いつ来ても見ることができる」は罪作りでもある。来る機会が少ないのなら、いつでも見ることのできる作品より見たことのない作品を見たい、と後回しにする。初めて展示する作品であっても、「瑛九はもう見た」と言う方もいる。また、「よく分からない」という理由で避ける、食わず嫌いならぬ見らず嫌いの方もいる。
 宮崎県立図書館に『美術記者10年 画廊から』という、西日本新聞宮崎総局で美術記者をしていた江頭光氏の著書がある。瑛九の没後に書かれたものであるので、残念ながら瑛九についての記述は、瑛九の晩年の油彩「田園B」との出会いが宮崎移住のきっかけとなった夭逝の画家、後藤章の個展評ぐらいである。昭和42年発行のもので、当時美術館を持たなかった宮崎県において、画廊や喫茶店、楽器店、百貨店など様々な場所で開催された県内外の作家たちの個展等について取材し、新たな情報などを入れつつ短い文章で紹介や批評をしている。江頭は自分のことを「書斎の中の美術評論家ではできないことを足で書く美術記者」と書いている。今の宮崎にもそんな「美術記者」がほしいものだとつくづく思う。
 瑛九は生前、「郷土の人たちに自分の芸術を理解してもらいたいとの切実な願いにもとづいて宮崎で作品を展覧してきた」のだが、その期待はいつもはぐらかされていた。その結果自分が最も重要と思う油絵が抽象化するにつれ、宮崎の人には理解しがたいものになるであろうと考えていた。「玄人が好む瑛九」と言われるほど、画家や学芸員などから愛されていることの多い瑛九。玄人は良さも悪さも専門の世界の言葉で説く。瑛九自身も時に難しい言葉や言い回しを選ぶ。要するに難しくて分からないのである。彼らにとっては一般的な言葉が、広く他の人にも通じるとは限らない。批評や批判の中でもまれてきた瑛九が、自分の作品を本質的に受け止めてくれていると感じたのは名も知らぬ市井の人々だったという。
 学術的研究のためには、研究者や学芸員などが論文の発表や書籍化するなどした方がいいのであろう。しかし、宮崎の地での瑛九普及という観点で言えば、近寄りがたく小難しいと感じさせた時点で負けなのである。「『わかる』は不必要」とは、瑛九普及に努めた鈴木素直の言葉だが、計算の答えのような明解さを求めては、瑛九に限らず「わかる」ことはないだろう。没後に県の文化賞を受賞した瑛九。美術文化の萌芽を瑛九だけが育んだわけではないが、時に自分の信条を脇に置いてでも、宮崎の文化の発展のためにあれこれ動いたことは間違いのない事実である。瑛九展示室をもつ美術館としては、「郷土の画家としての瑛九」を普及し続けるために何ができるかをずっと考えていかねばならない。

コレクション展第4期版画家瑛九の仕事

コレクション展第4期版画家瑛九の仕事2写真2枚はコレクション展第4期展示写真

こばやし みき

■小林美紀(こばやし みき)
 1970年、宮崎県生まれ。1994年、宮崎大学教育学部中学校教員養成課程美術科を卒業。宮崎県内で中学校の美術科教師として教壇に立つ。2005年~2012年、宮崎県立美術館学芸課に配属。瑛九展示室、「生誕100年記念瑛九展」等を担当。2012年~2019年、宮崎大学教育学部附属中学校などでの勤務を経て、再び宮崎県立美術館に配属、今に至る。

・小林美紀のエッセイ「宮崎の瑛九」は今回で最終回です。ご愛読ありがとうございました。
第1回 「生誕110年記念 瑛九展 -Q Ei 表現のつばさ-」開催
第2回 瑛九の輪郭1 エスペラントとの出会い
第3回 瑛九の輪郭2 みやざき交遊録
第4回 瑛九の輪郭3 杉田秀夫時代(~1935)の活動について1
第5回 瑛九の輪郭4 杉田秀夫時代(~1935)の活動について2
第6回(最終回) 宮崎の瑛九-瑛九普及の現在地

・小林美紀先生が担当された宮崎県立美術館「生誕110年記念 瑛九展-Q Ei 表現のつばさ-」(2021年10月23日~12月5日)については、下記のスタッフレポートもご参照ください。
32bcab83-s尾立麗子の内覧会レポート/2021年11月6日ブログ
スタッフMのレポート/2021年12月19日ブログ
スタッフIのレポート/2021年12月21日ブログ
スタッフSのレポート/2021年12月26日ブログ。


*画廊亭主敬白
長年、宮崎県立美術館で「郷土の画家としての瑛九」芸術の普及に尽力されている小林美紀先生の連載がひとまず終了しました。お忙しいなかご執筆いただいたことに感謝いたします。
瑛九の抽象作品がなかなか理解されないと嘆いておられますが、そんなことはありません。瑛九の盟友だった群馬の画家オノサト・トシノブ先生に比べれば、何と瑛九は幸せな作家でしょう。
亭主はこのブログで何度も溜め息をつきながら「不運なオノサト、強運の瑛九」と書いてきました。
日本を代表する抽象作家でありながら、都内の美術館でまとまった展示が30年間もなかったなんてオノサトファンとしては悲しくなりますが、風の噂だと群馬の某美術館が久しぶりにオノサト展を計画しているとか、期待してます!

●本日のお勧めは瀧口修造です。
v-08瀧口修造 Shuzo TAKIGUCHI
《短冊デッサン》(V-08)
1962年
紙に水彩、インク
イメージサイズ:33.5×21.0cm
シートサイズ:37.5×29.0cm
裏面にタイトルと年記あり
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※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください

●ときの忘れものは2017年に青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。もともと住宅だった阿部勤設計の建物LAS CASASを使って、企画展の開催、版画のエディション、美術書の編集等を行なっています。WEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>の特集も是非ご覧ください。
JR及び南北線の駒込駅南口から徒歩約8分です。
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