「線の詩情、色彩の調和――ジャック・ヴィヨンの生涯と芸術」第6回

「芸術と科学」

松井裕美


 パリのポンピドゥー・センターには、ジャック・ヴィヨンによる油彩画《行進中の兵士たち》と、その鉛筆による下絵の写真が収蔵されている。写真の方は普段は資料室にあって、研究調査の目的でもない限り滅多に実物を見ることはできない。私は幸運にも、博士論文のためにデュシャン=ヴィヨンの調査を進めている過程で、実際に手に取ってみることができた。



 その時の驚きは今でも忘れられない。写真で複製された素描の上に、黒色の水彩絵の具で画家の手が加えられている。細かく位置の定められた点と点とを几帳面に線で結ぶことで生み出される幾何学的構成の緻密さとは対照的に、絵の具の濃淡が生み出す表現は即興のようなタッチを残しており、この一風変わった下絵の実験的な性質をあらわにしている。
 完成作では、下絵の構図はそのままカンヴァスの大きさへと拡大されているが、着色された部分のタッチには、下絵よりも思慮深い画家の手つきが感じられる。淡い青、桃色、赤、オレンジが、幾何学的な構図に調和している。



 複雑な構成のこの画面の中に、歩く兵士の姿を見出すことは難しい。だが彼は闇雲に線を重ねているわけではない。そこには科学的なイメージが着想源として存在していた。発想としては、弟のマルセル・デュシャンが前年に描いた《階段を降りる裸婦No. 2》(フィラデルフィア美術館)ととてもよく似ている。当時デュシャン三兄弟は、生理学者エチエンヌ=ジュール・マーレイ(1830-1904)の連続写真への関心を共有していた。たとえば下記のようなマーレイのイメージを見れば、ヴィヨンの絵画のなかに繰り返し現れる大きな鋭角が、動いている人間の足を図式的に捉えたものであることが理解できる。

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エチエンヌ=ジュール・マーレイ《歩行中のジョワンヴィルの兵士》1883年

 写真銃で連続写真を撮り、その動きを幾何学的に解析するこの新たな科学的イメージに、三兄弟の中でも最初に目をつけたのは、おそらく医学を学んでいたデュシャン=ヴィヨンであると思われる。ルーアン美術館に所蔵されている彼の遺品には、マーレイにも協力した写真家アルベール・ロンド(1858-1917)が撮影した連続写真が残されている。また1911年にこの彫刻家が描いた素描には、歩く男性の動きの幾何学的メカニズムを解明しようとする科学者の眼差しに近いものが顕著に認められる。



 デュシャンの《階段を降りる裸婦No. 2》については、1912年のサロン・デ・ザンデパンダンに展示しようとしたときに、その未来派的な作風がスキャンダルになるだろうからと、兄たちを含む周囲のキュビスムの芸術家たちに出品をとめられたことが知られている。そのことはキュビスムから独立したデュシャンの立場を強調する出来事として理解されてきた。だが実際には同じ作品が、ヴィヨンを含むサロンのキュビストたちが主催した「黄金分割のサロン」に展示されていることを忘れてはならない。またヴィヨンが翌年に描いた《行進中の兵士たち》の方が難解さにおいてはよほどスキャンダラスだったようにも思われる。
 むしろ三兄弟のこの時期の作品を比べてみると、彼らが機械技術や近代科学にいかに共通の関心を向けていたのかに驚かされる。彼らは1900年の万博で機械や電気の力に圧倒され、機械的な部品や動きを捉えた絵画や素描を手がけた。コロンブス美術館にあるヴィヨンの油彩画《機械工のアトリエ》(1914年)においては、入り乱れる直線とコントラストの激
しい色彩が織りなすリズムから、轟音を立てて動く機械の金属音が聞こえてくるようだ。

 また三兄弟は、毎週日曜日にピュトーのアトリエに集ったキュビスムの画家たちと共に、非ユークリッド幾何学や四次元といった数学的概念について語り合った。彼らは、19世紀からアドルフ・ツァイジング(1810-1876)やシャルル・アンリ(1859-1926)の著述をとおして独仏の芸術家のあいだにひろまっていた黄金比率の概念にも多大なる関心を寄せ、理想的な調和を数学的に定義するための数式を、それぞれの素描帳や手帳に書き留めている。
 ヴィヨンが中心的役割を果たし1912年10月に開催された「黄金分割のサロン」は、そうした関心がキュビスムの芸術家たちに共有されたものであることを人々に示す場となった。展示企画の際に「黄金分割」というコンセプトを持ち出すにあたって、企画者たちの重要な着想源となっていたのは、1910年に出版されたレオナルド・ダ・ヴィンチの『絵画論』のフランス語訳であったことを、ヴィヨンは後に述懐している。彼らが黄金比率やレオナルドの絵画論を当時どれほど実践的に制作に取り入れていたのかは定かではない。しかし少なくともレオナルドをはじめとする過去の巨匠の絵画に隠された美的な「調和」が、数によって合理的に説明し得るという発想そのものは、現代を生きる彼らをも強く魅了したのである。
 もちろんデュシャンの創作活動が、他のキュビスムの芸術家たちの関心を逸脱するユニークさを備えていたことは紛れもない事実である。彼は兄たちとは異なり、機械的なメカニズムにエロティシズムを投影した。また近代的な作者という概念を揺るがしうる「レディメイド」というアイディアを生み出した点においても、近代的な作者の概念(作者の独創性[つまりオーサーシップ]が作品をオーセンティックな芸術たらしめるという神話)から離れることのなかった兄たちよりも、より前衛的だったと言える。
 だが彼ら3人の交流に目を向けてみると、今日では神格化された存在となったデュシャンの、血肉の通う人間としての側面を垣間見ることができるのである。次回の記事では、ピュトーのアトリエでの3人の生活を垣間見るために、未刊行の資料の中で語られていたいくつかのエピソードを紹介してみよう。
まつい ひろみ

■松井 裕美(まつい ひろみ)
1985年生まれ。パリ西大学ナンテール・ラ・デファンス校(パリ第10大学)博士課程修了。博士(美術史)。現在、神戸大学国際文化学部准教授。専門は近現代美術史。
単著に『キュビスム芸術史』(名古屋大学出版会、2019年)、共編著に『古典主義再考』(中央公論美術出版社、2020年)、編著に『Images de guerres au XXe siècle, du cubisme au surréalisme』(Les Editions du Net, 2017)、 翻訳に『現代アート入門』(名古屋大学出版会、2020年)など。

・松井裕美さんの連載エッセイ「線の詩情、色彩の調和――ジャック・ヴィヨンの生涯と芸術」は毎月25日の更新です。

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No.10_空洞が出るNo.10
《空洞が出る》
2022
画用紙に鉛筆、顔彩
43.0×36.0cm/67.0×64.0cm
Signed
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