「瀧口修造と作家たち~私のコレクションより」

第4回「ヴォルス」

清家克久

図版1.ドライポイント 8.4×6.5cm 1948年作図版1.
ドライポイント
8.4×6.5cm
1948年作


図版2.フランツ・カフカ「死者の招き」挿画本表紙図版2.
フランツ・カフカ「死者の招き」
挿画本表紙


 ヴォルス(1913―1951)の本名はアルフレート=オットー=ヴォルフガング・シュルツでドイツ出身である。この作品はフランツ・カフカ著「死者の招き」(プレス・デュ・リーヴル・フランセ、1948年刊)中のドライポイントによる扉絵。本書は270部限定で内120部には4点の版画、150部には1点の版画が挿入されている。私の所有本は後者に属するが番号は入っていない。奥付には刻線により廃版にしたことが明記されている。なお、ヴォルスの生前に9点の挿画本が出版されているが版画集はなく、没後グレティ夫人の同意のもと遺された原版により少部数刊行されている。(「ヴォルス展」カタログ北九州市立美術館1980年7月刊より)ドライポイントは金属板に直接線を彫るため即興的な表現に向いているが、ヴォルスの生動感のある線と不思議な形象には魅了されるものがある。
 10年程前になるだろうか、宇和島市出身で丸善の古書部長を務め美術洋書に精通している正木博さんからこの本を3万5千円で譲っていただいた。正木さんとは私が懇意にしている画家の伝手で知り合ったが同じ高校の1年先輩だった。帰省された折にこの本を紹介され、まさかこの地でヴォルスの版画に遭遇するとは思いも寄らなかった。その後ネットオークションで1947年のルネ・ドゥルーアン画廊におけるヴォルスの個展カタログ(限定番号入り)を入手した。初めて40点の油彩画が展示され、アンフォルメル(非定形)絵画の先駆者として注目される契機となった重要な展覧会である。2017年にDIC川村記念美術館で開催されたヴォルス展にカフカの挿画本と共に同カタログが出品されているが、それはマルセル・デュシャンのコレクター笠原正明さんの所蔵品である。

図版3.ヴォルス展カタログ表紙(ルネ・ドゥルーアン画廊)図版3.
ヴォルス展カタログ表紙
(ルネ・ドゥルーアン画廊
1947年刊)


 ヴォルスについて知ったのは瀧口修造「画家の沈黙の部分」(みすず書房1969年10月刊)によるが、美術に関して私が最も影響を受けた本の一つである。本書は瀧口にとって最後の美術評論集になるが、1951年から1967年にかけて発表された文章の中から彼自身が意図的に選んで編集したものである。詩人の大岡信は書評で「瀧口氏にとって最も親しい現代芸術家一覧だといえる。語り口の親密さ、対象への「浸透」の深さ、短く書きとめられた言葉の、碧空の稲妻ともいうべき鋭い、思いがけない「出現」。それらは本書を、『余白に書く』(みすず書房1966年5月刊)とともに、瀧口氏のもっとも内密な、居間の思索へと導く本にしているものだ。しかし、同時に片言雙句にひらめく創造の熔鉱炉の火照りは、書かれた文字の背後にひそむ、謎にみちた名づけ得ぬものの領土のひろがりを感じさせる。」(「ミクロコスモス瀧口修造」みすず書房1984年12月刊所収)と紹介している。自ら装幀にも関わり夫人への献辞を入れるなど瀧口の思い入れの深さが窺える名著と言えよう。

図版4.「画家の沈黙の部分」表紙(みすず書房1969年10月刊)図版4.
「画家の沈黙の部分」表紙
(みすず書房1969年10月刊)




 1958年、ヴェネツィア・ビエンナーレ日本代表および審査員として初めて渡欧していた瀧口修造は、その会場でヴォルスの特別展示を見て「ヴォルスはアンフォルメルの先駆者のようにいわれているドイツ人の作家で、1951年に38歳の若さでパリで死んだ。作品もすくなくなかなか纏って見られないといわれているだけに、油絵、水彩、銅版画10数点、カフカ、サルトル、アルトーなどの挿絵本6冊は私としては思いがけない収穫であった。」(芸術新潮1958年8月号より「コレクション瀧口修造第1巻」みすず書房刊所収)と報告している。
 日本で最初のヴォルス展は1964年4月に南画廊で開催され、美術雑誌等で取り上げられるなど大きな反響を呼んだ。そのカタログに瀧口は「WOLSあるいは道」と題して寄稿しているが、数奇な生涯を送りアカデミズムとは無縁の絵画を描いて美術界に衝撃を与えて早世したヴォルスへのオマージュとして書かれたものである。

図版5.ヴォルス展カタログ表紙(南画廊1964年4月刊)図版5.
ヴォルス展カタログ表紙
(南画廊1964年4月刊)


図版6.同上扉図版6.
同上扉


 この文章は展覧会に合わせて刊行された豪華な作品集「WOLS」(みすず書房1964年11月刊)にも補筆再録され巻頭を飾っている。(「画家の沈黙の部分」にも所収)この作品集はデッサン15点、水彩12点の精巧な図版と共にヴォルスと交友のあった詩人のアンリ=ピエール・ロッシェ(ロシェ)や哲学者のジャン=ポール・サルトル、それに美術史家のヴェルナー・ハフトマンらの論文が収録されている。特筆すべきは瀧口によって訳されたヴォルス箴言集が載っていることである。その言葉の一つを紹介しよう。

よくわたしはじぶんに見えるものを
眼を閉じて、みつめている。
そこにはすべてがある。うつくしいもの、退屈なもの。

図版7.「WOLS」函表紙(みすず書房1964年11月刊)図版7.
「WOLS」函表紙
(みすず書房1964年11月刊)


 美術評論家の宮川淳は「アフォリズムの言葉の静かな調和と、彼の作品の不安なイメージとの間にこそ、ヴォルスの《描く》という全行為があったことを見落としてはならないだろう。」(「ヴォルス ― その言葉」美術手帖1968年10月号発表、宮川淳著作集Ⅱ(美術出版社1980年10月刊所収)))と述べ、ヴォルスの言葉と絵画が表裏一体の関係にあることを指摘している。その後ヴォルスの個展は度々開かれているが、1977年4月のフジテレビギャラリーのカタログに瀧口は「ヴォルスからの消息」と題する短文を寄せている。その冒頭に

描かれたものは逆さまも真実なのか。
ヴォルスはそのグアッシュの二点に、いつも眺めていたのを逆さにして署名した
ときの頑なさを、その絵の持主であり親友であったロシェが傳えている。真意の
ほどはわからない。しかし、ヴォルスの「書かれなかった」アフォリズムの一行
を読む想いがしないでもない。

と記している。

図版8.ヴォルス展カタログ表紙(フジテレビギャラリー)図版8.
ヴォルス展カタログ表紙
(フジテレビギャラリー1977年
4月刊)


 1980年7月には北九州市立美術館で日本にあるヴォルスのほぼ全ての作品(油彩4点、水彩・素描33点、版画43点)を集めた大規模な展覧会が開催されている。最近では2017年4月から7月にかけて「ヴォルス ― 路上から宇宙へ」のタイトルでDIC川村記念美術館にて回顧展が行われた。

図版9.ヴォルス展カタログ表紙(北九州市立美術館) 図版10.ヴォルス展カタログ表紙(DIC川村記念美術館)
(左)図版9.ヴォルス展カタログ表紙(北九州市立美術館1980年7月刊)
(右)図版10.ヴォルス展カタログ表紙(DIC川村記念美術館2017年4月刊)

せいけ かつひさ

清家克久 Katsuhisa SEIKE
1950年 愛媛県に生まれる。

・清家克久さんの連載エッセイ瀧口修造と作家たち―私のコレクションより―は毎月23日の更新です。

清家克久さんの「瀧口修造を求めて」全12回目次
第1回/出会いと手探りの収集活動
第2回/マルセル・デュシャン語録
第3回/加納光於アトリエを訪ねて、ほか
第4回/綾子夫人の手紙、ほか
第5回/有楽町・レバンテでの「橄欖忌」ほか
第6回/清家コレクションによる松山・タカシ画廊「滝口修造と画家たち展」
第7回/町立久万美術館「三輪田俊助回顧展」ほか
第8回/宇和島市・薬師神邸「浜田浜雄作品展」ほか
第9回/国立国際美術館「瀧口修造とその周辺」展ほか
第10回/名古屋市美術館「土渕コレクションによる 瀧口修造:オートマティスムの彼岸」展ほか
第11回/横浜美術館「マルセル・デュシャンと20世紀美術」ほか
第12回/小樽の「詩人と美術 瀧口修造のシュルレアリスム」展ほか。
あわせてお読みください。

●ときの忘れものは2017年に青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。阿部勤が設計した個人住宅だった空間で企画展の開催、版画のエディション、美術書の編集等を行なっています(WEBマガジン コラージ2017年12月号18~24頁の特集参照)。
JR及び南北線の駒込駅南口から徒歩約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 
E-mail:info@tokinowasuremono.com
http://www.tokinowasuremono.com/
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊ですが、4月15日(金)~24日(日)「中村潤展 うろうろをへて こつこつのはて」は会期中無休です。