平嶋彰彦の「私の駒込名所図会」総集編 その4

駒込は「ときの忘れもの」がある<私たちの町>です。その魅力を平嶋彰彦の撮りおろした写真と文章で紹介するとともに、散策に便宜をはかり、案内地図(国土地理院のマップ使用)を用意しました。皆さまも「ときの忘れもの」にご来館されるさいには、ぜひとも足をのばし、駒込の街歩きを楽しんでみることをお薦めいたします。

⑰染井霊園 → ⑱慈眼寺 → ⑲霜降銀座・染井銀座 → ⑳妙義神社
→ 次回に続く

駒込名所図会その4



⑰染井霊園
豊島区駒込5-5-1
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染井霊園。慈眼寺墓地(左)との境を谷戸川が流れていた。2020.3.25

染井霊園は、東京の市街外縁部につくられた共同墓地の一つで、1874(明治7)年、青山霊園(現港区)・雑司ヶ谷霊園(豊島区)・谷中霊園(台東区)とともに開設された。江戸時代は建部家下屋敷(播磨林田藩)になっていた。園内には二葉亭四迷・山田美妙・岡倉天心・高村光雲と高村光太郎・智恵子夫妻などの墓がある。染井はソメイヨシノの故郷であるが、園内にはソメイヨシノの古木が数多く植えられていて、サクラの季節は美しい。谷戸川の源流は、東京都中央卸売市場豊島市場(巣鴨御薬園跡、豊島区巣鴨5-1-5)付近とされる。染井霊園と慈眼寺墓地との境になっている道路が流路跡とみられる。谷戸川は、それより現在の染井銀座と霜降銀座の商店街を流れ、霜降橋で本郷通りと交差した。さらに谷田川通りを東へむかい、田端・西日暮里・谷中・千駄木・根津を流れて、上野不忍池に注いでいた。川名は上流では谷戸川または境川、中流では谷田川、下流では藍染川と呼ばれた。現在は駒込のみならず、流域のすべてが暗渠化されている。

⑱慈眼寺
豊島区巣鴨5-35-33
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慈眼寺。芥川龍之介の墓。2012.12.08

染井霊園の西側に隣接する日蓮宗の寺院。もとは深川六間堀猿子橋にあったが、1693(元禄6)年に本所猿江に移転。さらに、染井霊園の開設から38年後になる1912(明治45)年、谷中妙伝寺と合併したうえで、現在地に移転してきた。境内墓地に芥川龍之介、谷崎潤一郎などの墓がある。また本堂前には、江戸三河島で生じた情死事件を素材に創作された新内節の『明烏夢泡雪』を記念した浦里・時次郎の比翼塚がある。慈眼寺の墓地と染井霊園の境は道路になっているが、移転したころは、ここを谷戸川が流れていたとみられる。


⑲霜降銀座・染井銀座
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霜降銀座。土蔵造りの店。立て替えられ、いまはない。北区西ヶ原1-59。2012.12.08


ph19B-6V7A8792-b染井銀座。昔ながらの魚屋二木商店。豊島区駒込3-29。2012.12.08

霜降銀座とそれに続く染井銀座は谷戸川の流路跡にできた商店街。明治から大正のなかごろまでは、その川沿いに田園風景が広がっていた。市街地化が進行するのは関東大震災(1923年)の前後のようである。谷戸川は1931(昭和6)年に埋立工事が始まり、1940年には暗渠化された。戦前にできた商店街は1945年の東京大空襲で壊滅的な被害をうけた。1951年、霜降銀座栄会が設立されるが、それを契機に、現在のような家族連れでにぎわう落ち着いた雰囲気の商店街に発展したものとみられる。霜降銀座と染井銀座は、ドナルド・キーンがこよなく愛した東京の町として知られる。キーンは日本文学研究者で、2008年に文化勲章を受章。生前に旧古河庭園の近くに住んでいた。


⑳妙義神社
豊島区駒込3-16-16
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妙義神社。左奥はアッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団。2020.11.18

祭神に日本武尊を祀る。相殿神は高御産霊神・神功皇后・応神天皇。境内末社に太田道灌霊社。『新編武蔵風土記稿』に載る社伝では、日本武尊が東征のみぎり、この地に陣営を構えたのが神社創建の由来とされる。また時代は下るが、室町時代の文明年間、太田道灌は古河公方足利成氏との戦(1471年)をはじめ、豊島勘解由左衛門尉との戦(1477年)や千葉孝胤との戦(1479年)にさいして、妙義神社に戦勝祈願して連戦連勝したという。こうした伝承から、勝負の神様・戦勝の宮(かちいくさのみや)として信仰されてきた。


平嶋彰彦のエッセイ 「東京ラビリンス」のあとさき その11(後編)
平嶋彰彦のエッセイ 「東京ラビリンス」のあとさき その12(前編)(後編)

●主な参考文献
『日本歴史地名体系13 東京都の地名』(平凡社)/『豊島区史 通史編二』「第五編 資本主義の発達と豊島 第2章 都市化の開始」/『図説 江戸・東京の川と水辺の事典』(鈴木理生編著、柏書房)/『新編武蔵風土記稿 第一巻』「巻十九 豊島郡之十一岩淵領 上駒込村」(雄山閣)/『大日本地誌体系② 御府内備考 第二巻』「巻之三十八 駒込三」(雄山閣)
「霜降銀座店街の歴史年表」(『霜降銀座栄会』HP)/『東京の原風景』(川添登、ちくま学芸文庫)/妙義神社HP。境内説明板(豊島区教育委員会)

(ひらしま あきひこ)

平嶋彰彦のエッセイ 「東京ラビリンス」のあとさき は毎月14日に更新します。「私の駒込名所図会」総集編 は毎月27日更新ですが、今回は4月30日に掲載しました。

平嶋彰彦 HIRASHIMA Akihiko
1946年、千葉県館山市に生まれる。1965年、早稲田大学政治経済学部入学、写真部に所属。1969年、毎日新聞社入社、西部本社写真課に配属となる。1974年、東京本社出版写真部に転属し、主に『毎日グラフ』『サンデー毎日』『エコノミスト』など週刊誌の写真取材を担当。1986年、『昭和二十年東京地図』(文・西井一夫、写真・平嶋彰彦、筑摩書房)、翌1987年、『続・昭和二十年東京地図』刊行。1988年、右2書の掲載写真により世田谷美術館にて「平嶋彰彦写真展たたずむ町」。(作品は同美術館の所蔵となり、その後「ウナセラ・ディ・トーキョー」展(2005)および「東京スケイプinto the City」展(2018)に作者の一人として出品される)。1996年、出版制作部に転属。1999年、ビジュアル編集室に転属。2003年、『町の履歴書 神田を歩く』(文・森まゆみ、写真・平嶋彰彦、毎日新聞社)刊行。編集を担当した著書に『宮本常一 写真・日記集成』(宮本常一、上下巻別巻1、2005)。同書の制作行為に対して「第17回写真の会賞」(2005)。そのほかに、『パレスサイドビル物語』(毎日ビルディング編、2006)、『グレートジャーニー全記録』(上下巻、関野吉晴、2006)、『1960年代の東京 路面電車が走る水の都の記憶』(池田信、2008)、『宮本常一が撮った昭和の情景』(宮本常一、上下巻、2009)がある。2009年、毎日新聞社を退社。それ以降に編集した著書として『宮本常一日記 青春篇』(田村善次郎編、2012)、『桑原甲子雄写真集 私的昭和史』(上下巻、2013)。2011年、早稲田大学写真部時代の知人たちと「街歩きの会」をつくり、月一回のペースで都内各地をめぐり写真を撮り続ける。2020年6月で100回を数える。2020年11月ときの忘れもので「平嶋彰彦写真展 — 東京ラビリンス」を開催。

●ときの忘れものは2017年に青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。阿部勤が設計した個人住宅だった空間で企画展の開催、版画のエディション、美術書の編集等を行なっています(WEBマガジン コラージ2017年12月号18~24頁の特集参照)。
JR及び南北線の駒込駅南口から徒歩約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 
E-mail:info@tokinowasuremono.com
http://www.tokinowasuremono.com/
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊