石原輝雄のエッセイ「美術館でブラパチ」─14
『優しいジュリエット』
展覧会 マン・レイと女性たち
長野県立美術館
2022年4月21日(木)~6月19日(日)

ジュリエットの肖像の前で記念にパチリ。シルエットは小生切り抜き。展示会場とは関係しませんのでご注意ください。
名古屋から篠ノ井線経由、姨捨を下って長野に入るのは、1981年の『マルセル・デュシャン』展、『マン・レイ』展以来。沿線には山桜や花桃などの薄いピンクから鮮やかな赤までが点在し車窓を楽しませてくれた。今回の『美術館でブラパチ』は長野県立美術館で4月21日(木)から始まった『マン・レイと女性たち』展を報告したいと思う。幸い前日の報道内覧会に参加し会場パチリをさせていただいた。記して感謝申し上げます。

長野駅 JR東海・特急「しなの」383系 制御付自然振子式。長野側先頭部前面展望
今展は昨夏、東京渋谷のBunkamura ザ・ミュージアム(7/13~9/6)で催された展覧会の巡回で、渋谷会場の後、海を渡り視点を変えて北京の木木美術館(M WOODS MUSEUM)(10/1~2022/1/2)、青島の西海美術館(TAG ART MUSEUM)(1/14~3/27)と周り再び日本に戻って、長野の後には、新潟市美術館(7/2~9/25)、神奈川県立近代美術館葉山館(10/22~2023/1/22)と来年1月までの展示が予定されている。コロナ禍収束の兆しから人流復活も取り沙汰され、会場に足を運ぶ人も増えるのではと期待している。── 小生の長野入りも世間様に背中を押された訳ですな。

長野県立美術館本館3F

同2F (展示室2及び3を使用)
展覧会は2004~05年に油彩や写真などの重要作を多数揃え全国5会場を巡回した『マン・レイ展-「私は謎だ。」-』と同じ布陣で、巖谷國士、マリオン・メイエの監修にアートプランニング レイが企画協力する仕立て。今回も興奮して会場を巡るだろうとタクシーに乗った。「おととい大粒の雹が降ってビックリ、今年は桜吹雪がないまま終わったね」と気さくな運転手。なるほど葉桜になっているが今日は気持ち良い快晴。城山公園側からの美術館は平屋に見えるが景観に配慮した丘に埋め込まれたような建物(同地にあった長野県信濃美術館を建て替え昨年4月開館、設計は宮崎浩/プランツアソシエイツ、地上3階地下1階建)で、北と西から十分な採光がありモダンで明るい。
14-1 印画紙の懐かしい女性たち
今回の『マン・レイと女性たち』展は、写真を中心にオブジェ、油彩、素描、書籍、資料、装身具、衣裳などおよそ260点で構成され、その内の4割は前述した『マン・レイ展 「私は謎だ!」』の再招来作品である。個人的には女性アーティストによるファッションの仕事に興味深いものが多いのではと一般書籍のカタログ(巖谷國士監修・著『マン・レイと女性たち』平凡社、2021年刊)で思った (特急「しなの」の車中です)。展覧会の企画意図、会場構成については、読み物として楽しめるこのカタログで詳しく解説されている。見比べながら会場を巡りたい。

I-1「セルフポートレート」─『レイの手』など

I-2「ダダ時代の作品」─『障碍物』スーツケースにハンガー2本

壁面左端グアッシュ『インディアン・サマー リッジフィールドの二人の裸体』など
自動扉が開くとマン・レイの自写像シリーズの奥にニューヨークでモダニズムの画家としてスタートした頃の作品が並ぶ。オブジェもあって愉しい立ち上がり、監修者の狙いが視覚にもたらされる。──あれ、『障碍物』(図23)のハンガー2個がスーツケースに残っているぞ。タグが裏向きで「マン・レイ」の名前が読めない(触れないので未確認)。影が演出されているようだけど、ハンガーの位置、高すぎないか。タイトルとサインが書き込まれたハンガー、どこに掛かっているのだろう、しばらく見上げたが、判らなかった。本作には63個の吊るし方指示書が存在する。ケースが空っぽである方が「謎」の演出に適すると、わたしなど思うのです。些末なことだろうか?
壁面に近づくと懐かしいグアッシュが掛けられている(図13 カタログ逆版: 訂正表記載)。新婚旅行でパリに出掛けた折、マリオン・メイエの画廊で最初に勧められた作品だった。買っておけば良かったと、資金も無いのにバカな後悔。しかし、長旅の疲れが紙面に現れているので同情してしまった。いつもは、ここで涙する小生ですが、作品展示の間隔が狭く、感情が入りにくいのですな。

II-3「ダダ・シュルレアリスム」─オブジェ『贈り物』『永続するモティーフ』など

長野会場特設・ミニシアター
上映『理性への回帰』『エマク・バキア』『ひとで/海の星』『骰子城の秘密』
展覧会は「ニューヨーク、パリ、ハリウッド、パリふたたび」と4章に別け、マン・レイの住んだ都市と時代から「運命的に出会い、愛しあい、生活をともにした5人の女性」(巖谷)を中心に紹介している。『アングルのヴァイオリン』の写真で特に知られるモデルで、歌姫で絵を描いたキキ・ド・モンパルナスの場合は、様々に表情を変えた彼女の魅力をパリの地図、レコード、雑誌、酒場のスナップ(撮影者不詳)などと合わせて示すことで臨場感あふれる展示となっている。ここでも個人的な回想を許していただきたい。──ピンクのパネルに掛けられた『アングルのヴァイオリン』の版画は、エディションは別として1974年にギャラリー16で初めて見たもので懐かしい。写真の方は「後刷」と表記されているが、前述したマン・レイ展の時には、ロザリンド・ジェイコブス蔵のヴィンテージが招来されていた。それは素晴らしく、涙する感動の一品。しかし、時は流れ5月14日に催されるクリスティーズ・ニューヨークでのオークションに出品される予定で、一枚の写真として最高価格を刻むのではと騒がれている。本稿執筆時での落札予想価格は邦貨換算6.5~9.1億円と云う。関係ないけど円が弱くなりましたな。

II-5「キキ・ド・モンパルナス」 中央奥に『アングルのヴァイオリン』版画・写真

II-6「リー・ミラー」 カラー作品は油彩『天文台の時刻に──恋人たち』の複写か?
シュルレアリスムのミューズで才能に溢れ、自由な精神を持ったリー・ミラーは油彩『天文台の時刻に──恋人たち』を描く原動力を、マン・レイを捨てる(?)ことで与えた。悲しく逆説的であるが、作品の魅力は精神の状態と直結する。リーはあるインタビューで喧嘩をした時にふれ「私はいじめっ子で、彼は頑固者」と答えている。
14-2「大切なのは一緒にいること。そして、愛し合うこと、笑うこと……」ジゼル・ピノ

II-12「アディ・フィドラン」─油彩『夢の笑い』など

ジゼル・ピノ著 小説『アディ、黒い太陽』(フィリップ・レイ 2021年刊) 22×14.5cm, 304pp.
著者はアディと同じグアドループ島出身
展示壁が複雑な配置となっているので、失恋から立ち直った後に付き合った若い混血の踊り子アディが紹介される頃には、パリのモデルや名士に画家たちも加わって肖像の記憶が混乱。背後には『チェス・セット』(図196)と『永遠の魅力』(図185)が入った大型のケースがあり、やや苦しい。しかし、アディは爽やかなピンクのアクセントの上で知的な表情。彼女もキキのように様々な役割を演じている。ジョセフィン・ベイカーのような成功を夢見て踊り子になった彼女は、フランス領グアドループ島出身で、近年「有色人種の切り捨てに関与してきた美術史」が抗議運動と連動するかのように見直され、伝記的な事柄も次第に明らかになってきた。彼女はアメリカの主要なファッション雜誌に登場した最初期のモデルと指摘されている。ドイツ軍のパリ侵攻で帰国に追い込まれたマン・レイに同行しなかったのは、アメリカ南部の人種差別を聞いて恐れた為とも言われる。彼女がパリに留まってくれたおかげで、マン・レイ作品は守られた。拙宅にあるアディ旧蔵の品を前にして、わたしはいつも思うのである。── それなのに、どうしてマン・レイは彼女からの手紙に返事を書かなかったのだろう。
14-3「わたしが秘密の言葉を与えたと彼は言いました」ジュリエット・マン・レイ

III-13「ジュリエット・ブラウナー」、IV-15「アートのなかの女性像」─『ランプシェード』など

III-14「アートの新天地」─『パレッターブル』『ミスター・ナイフとミス・フォーク』など

『パン・パン(彩色パン)』二種 カタログ表紙貼り付け、及び、着彩したポリエステル樹脂

II-9「裸体からマネキン人形まで」─『眠る女』(後刷)など
会場はジュリエットの世界に変わっている。母国に逃れ楽園を目指した50歳のマン・レイはロサンゼルスで途中下車。たちまちマーサ・グレアムの元でモダンダンスを勉強した若いダンサーと恋に落ちる。年の差は23、ジュリエットはすでに油彩『彼女自身の影を伴う綱渡りの踊り子』に恋をしていた。出会いが偶然とはいえ、必然でもあるのだろう。マン・レイの仕事に悲しみを観る小生は、第一印象を「ナチスから逃れてきたばかりで、とても寂しそうでした」と振り返る優しい人に親近感を持つ。ハリウッド時代に造られた軽妙なオブジェやデッサン、パリに戻ってからの言葉遊びが楽しい『フランスのバレエ II』(図193)など、良いですな。今展には「ジュリエット・マン・レイ」とサインの入った「自然絵画」(図201)が出品されており、これも、お尻の下で圧着したかとバカな想像。小生が引用したジョージ・グッドウィンが1981年にしたインタビュー(『ジュリエットの昼と夜』カリフォルニア大学、1984年刊)も読んで欲しい。── と思うのは、翌年の6月にマリオン・メイエの画廊でマン・レイのファンとしてジュリエットに紹介された時、妻が英語で話しかけると「私はアメリカ人なのよ」と喜んでくれたのが印象深い。当時のフランス人は英語を使いませんでした。小生はフランス語も英語もだめですが(ハハ)、視覚芸術は共通言語とはいえタイトルを理解出来ないとどうにもならない。皮肉を効かせながらも前向きな見解に至る「アメリカ人特有のユーモアがマン・レイの言葉にはあった。彼はフランスに住んでいても本当の意味でアメリカ人でした。彼が生み出すアナグラムやシャレも多くのオブジェもシャレの一種、彼のタイトルが判ると、とても面白いのです」とジュリエットは語っている。
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II-8「ファッションと写真」─シャネルの刺繍ドレスとローブ・デコルテ、スキャパレッリの帽子など

ゲラン香水壜各種

IV-15「アートのなかの女性像」、IV-16「新しいジュエリーとモード」
作品と対話しながら会場を巡るのは、観る側の体験を蘇らせる事となる。白い壁面に並ぶ写真たち、薄いピンクのアクセントの他に、ジュリエットのコーナーでは鮮やかな赤が配され、昨日の車窓から観た景色が会場と繋がっている感覚。マン・レイが好きなんだと改めて思う。
今展の特色は指輪、ネックレス、ブローチなどの装身具やドレスが展示されている事。マン・レイが恋人を美しく装った品々の他に、シュルレアリスムの運動に参加した女性アーティストによる装身具は、当時のパリのファッション界を巡るようで興味深い。ルイ・アラゴンの夫人となるエルザ・トリオレが造ったチョーカー、マックス・エルンストと結ばれるドロテア・タニングによるペンダント、マン・レイに裸体を披露したメレット・オッペンハイムの奇妙なブローチ等々、女性の側からの仕事にも包まれ、会場が濃密になった様に感じる。効果的なライティングで映える香水瓶やスキャパレッリの帽子、シャネルのドレス…… 写真の中の作者(女性たち)が生き生きとしている。マン・レイとファッションの関係にフォーカスした展覧会が2020~21年にかけてパリのリュクサンブール美術館で催されているが、その縮小版といえるかもしれない。

II-11「マン・レイの『自由な手』」など

IV-15「アートのなかの女性像」─『宮脇愛子の肖像』など

IV-17「マン・レイとは誰だったか?」─展覧会資料、書籍など

IV-16「新しいジュエリーとモード」─メレット・オッペンハイム『シンプル・ドレス』など
最後の部屋では、毛皮から足指が覗くメレットらしい驚きの靴と厚紙のドレスが二種、間に水泳帽を被った作者。この奥に展覧会資料が置かれている。時代を蘇らせる特別のリアリティがあるのではと、カタログや案内状に注目してきた小生としては、もう少し良い位置に並べてと懇願したい気分。未架蔵は4点なれど、カードのピン跡からアンドレ・ブルトン旧蔵で1938年のシュルレアリスム展で展示されたものではないかと推測。小生、ブルトンのオークションで落札出来なかったので涎です。

IV-17「マン・レイとは誰だったか?」─オブジェ『イジドール・デュカスの謎』、版画『フェルー通り』など
そして、展示は『イジドール・デュカスの謎』(図246)を荷車に積み、引いて遠ざかる男の姿で終わる。「『謎』が解けたとも、新たな『謎』が加わったともいえそうです」(巖谷)と、わたしたちを出発点に誘うのである。それはカタログの頁。
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中谷芙二子『霧の彫刻』 処: 水辺テラス 撮影: 同行者

長野県立美術館本館─東山魁夷館連絡ブリッジなど

「やはりビールを一杯」

デザート: パティシエによる自家製スイーツ
長野県立美術館の水辺テラスでは霧が「謎」を覆い、また「謎」になる不思議な光景がしばらく続いた。小生は俗世界の人、やはりビールを一杯。ミュゼレストラン善のランチメニューは、前菜三種でチョイスのハーフパスタはホタルイカとおかひじきのペペロンチーノ・スパゲッティーニ、メインは長野県産鹿ロース肉のしっとり仕上げ赤ワインソース、これにスイーツを「好きなだけ」なんてことになって同行者と「ジュリエットがフェルー通りのアトリエに誘ってくれた時は、嬉しかった」と思い出話をしておりました。歳月は流れ、生前のマン・レイと繋がりのあった女性たちの多くが鬼籍に入り「謎」は様々に深まっていく。

長野県立美術館本館─2Fミュゼレストラン善など

善光寺本堂
レストランから眺める善光寺では、コロナ禍で延期された7年に1度の御開帳が催されている(4/3~6/29)。無宗派で女人禁制などの制約がない開かれた同寺で絶対秘仏の御本尊と同じお姿の前立本尊が公開され、お戒壇巡りの回廊で「錠前に触れれば」極楽往生が約束される。ここには自由があり、大切なものは目に見えない教訓が示されている。「謎」を解き明かそうとするのは、思い上がりであるのだろうか。それにしても今回の『マン・レイと女性たち』展に出品された「後刷」と表記された「ゼラチン・シルバー・プリント」たちの不自然さに、長くマン・レイの写真を観てきた者として違和感を持った事は記しておきたい。もし、時間があれば会場で展示品とカタログをわたしのように見比べて欲しい。やがて、印画紙のカールは消え、カタログと展覧会は分離され、美しい印刷物だけが、別の物語を語り続けるだろう。

ミュージアムショップ─海外の展覧会カタログなども並ぶ

善光寺下駅 長野電鉄
ミュージアムショップで展覧会グッズを求め、長野電鉄の善光寺下駅まで歩いた。ホームはどこか東欧の施設のようで、水色の色彩がコンクリートの痛みと混ざり、電車の重い起動音と振動が幾駅も先から近づいてくる。先程、錠前を確認出来なかった小生に迫るものは何か…… 同地で計画されながら実現に至らなかったマン・レイ展についても、いずれ報告したい。
(いしはら てるお)
●石原輝雄さんのエッセイ「美術館でブラパチ」は隔月・奇数月の18日に更新します。次回は7月18日です。どうぞお楽しみに。
●本日のお勧め作品は宮脇愛子のオリジナル・ドローイングとシルクスクリーン入り小冊子、
『Hommage a Man Ray マン・レイへのオマージュ』(DVD付き)です。
『Hommage a Man Ray マン・レイへのオマージュ』
発行日:2010年9月28日
発行:ときの忘れもの
限定25部(番号・サイン入り)
著者:宮脇愛子、マン・レイ
写真:宮脇愛子、磯崎新
シルクスクリーン刷り:石田了一
デザイン:北澤敏彦
折本形式(蛇腹)、皮ケース入り、表裏各15ページ
サイズ:18.0×14.5cm


・ 宮脇愛子オリジナルドローイング、自筆サイン入り
・ 宮脇愛子が1959年より2010年まで制作したドローイングより、シルクスクリーン13点を挿入
・ 磯崎新撮影「アトリエのマン・レイと宮脇愛子」カラー写真1点貼り込み
・ 宮脇愛子に贈られたマン・レイ作品の画像貼り込み(印刷)
・ マン・レイとの交流と、『うつろひ』への宮脇愛子インタビューDVD(約10分)付き
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
●ときの忘れものは2017年に青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。阿部勤が設計した個人住宅だった空間で企画展の開催、版画のエディション、美術書の編集等を行なっています(WEBマガジン コラージ2017年12月号18~24頁の特集参照)。
JR及び南北線の駒込駅南口から徒歩約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
http://www.tokinowasuremono.com/
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊
『優しいジュリエット』
展覧会 マン・レイと女性たち
長野県立美術館
2022年4月21日(木)~6月19日(日)

ジュリエットの肖像の前で記念にパチリ。シルエットは小生切り抜き。展示会場とは関係しませんのでご注意ください。
名古屋から篠ノ井線経由、姨捨を下って長野に入るのは、1981年の『マルセル・デュシャン』展、『マン・レイ』展以来。沿線には山桜や花桃などの薄いピンクから鮮やかな赤までが点在し車窓を楽しませてくれた。今回の『美術館でブラパチ』は長野県立美術館で4月21日(木)から始まった『マン・レイと女性たち』展を報告したいと思う。幸い前日の報道内覧会に参加し会場パチリをさせていただいた。記して感謝申し上げます。

長野駅 JR東海・特急「しなの」383系 制御付自然振子式。長野側先頭部前面展望
今展は昨夏、東京渋谷のBunkamura ザ・ミュージアム(7/13~9/6)で催された展覧会の巡回で、渋谷会場の後、海を渡り視点を変えて北京の木木美術館(M WOODS MUSEUM)(10/1~2022/1/2)、青島の西海美術館(TAG ART MUSEUM)(1/14~3/27)と周り再び日本に戻って、長野の後には、新潟市美術館(7/2~9/25)、神奈川県立近代美術館葉山館(10/22~2023/1/22)と来年1月までの展示が予定されている。コロナ禍収束の兆しから人流復活も取り沙汰され、会場に足を運ぶ人も増えるのではと期待している。── 小生の長野入りも世間様に背中を押された訳ですな。

長野県立美術館本館3F

同2F (展示室2及び3を使用)
展覧会は2004~05年に油彩や写真などの重要作を多数揃え全国5会場を巡回した『マン・レイ展-「私は謎だ。」-』と同じ布陣で、巖谷國士、マリオン・メイエの監修にアートプランニング レイが企画協力する仕立て。今回も興奮して会場を巡るだろうとタクシーに乗った。「おととい大粒の雹が降ってビックリ、今年は桜吹雪がないまま終わったね」と気さくな運転手。なるほど葉桜になっているが今日は気持ち良い快晴。城山公園側からの美術館は平屋に見えるが景観に配慮した丘に埋め込まれたような建物(同地にあった長野県信濃美術館を建て替え昨年4月開館、設計は宮崎浩/プランツアソシエイツ、地上3階地下1階建)で、北と西から十分な採光がありモダンで明るい。
14-1 印画紙の懐かしい女性たち
今回の『マン・レイと女性たち』展は、写真を中心にオブジェ、油彩、素描、書籍、資料、装身具、衣裳などおよそ260点で構成され、その内の4割は前述した『マン・レイ展 「私は謎だ!」』の再招来作品である。個人的には女性アーティストによるファッションの仕事に興味深いものが多いのではと一般書籍のカタログ(巖谷國士監修・著『マン・レイと女性たち』平凡社、2021年刊)で思った (特急「しなの」の車中です)。展覧会の企画意図、会場構成については、読み物として楽しめるこのカタログで詳しく解説されている。見比べながら会場を巡りたい。

I-1「セルフポートレート」─『レイの手』など

I-2「ダダ時代の作品」─『障碍物』スーツケースにハンガー2本

壁面左端グアッシュ『インディアン・サマー リッジフィールドの二人の裸体』など
自動扉が開くとマン・レイの自写像シリーズの奥にニューヨークでモダニズムの画家としてスタートした頃の作品が並ぶ。オブジェもあって愉しい立ち上がり、監修者の狙いが視覚にもたらされる。──あれ、『障碍物』(図23)のハンガー2個がスーツケースに残っているぞ。タグが裏向きで「マン・レイ」の名前が読めない(触れないので未確認)。影が演出されているようだけど、ハンガーの位置、高すぎないか。タイトルとサインが書き込まれたハンガー、どこに掛かっているのだろう、しばらく見上げたが、判らなかった。本作には63個の吊るし方指示書が存在する。ケースが空っぽである方が「謎」の演出に適すると、わたしなど思うのです。些末なことだろうか?
壁面に近づくと懐かしいグアッシュが掛けられている(図13 カタログ逆版: 訂正表記載)。新婚旅行でパリに出掛けた折、マリオン・メイエの画廊で最初に勧められた作品だった。買っておけば良かったと、資金も無いのにバカな後悔。しかし、長旅の疲れが紙面に現れているので同情してしまった。いつもは、ここで涙する小生ですが、作品展示の間隔が狭く、感情が入りにくいのですな。

II-3「ダダ・シュルレアリスム」─オブジェ『贈り物』『永続するモティーフ』など

長野会場特設・ミニシアター
上映『理性への回帰』『エマク・バキア』『ひとで/海の星』『骰子城の秘密』
展覧会は「ニューヨーク、パリ、ハリウッド、パリふたたび」と4章に別け、マン・レイの住んだ都市と時代から「運命的に出会い、愛しあい、生活をともにした5人の女性」(巖谷)を中心に紹介している。『アングルのヴァイオリン』の写真で特に知られるモデルで、歌姫で絵を描いたキキ・ド・モンパルナスの場合は、様々に表情を変えた彼女の魅力をパリの地図、レコード、雑誌、酒場のスナップ(撮影者不詳)などと合わせて示すことで臨場感あふれる展示となっている。ここでも個人的な回想を許していただきたい。──ピンクのパネルに掛けられた『アングルのヴァイオリン』の版画は、エディションは別として1974年にギャラリー16で初めて見たもので懐かしい。写真の方は「後刷」と表記されているが、前述したマン・レイ展の時には、ロザリンド・ジェイコブス蔵のヴィンテージが招来されていた。それは素晴らしく、涙する感動の一品。しかし、時は流れ5月14日に催されるクリスティーズ・ニューヨークでのオークションに出品される予定で、一枚の写真として最高価格を刻むのではと騒がれている。本稿執筆時での落札予想価格は邦貨換算6.5~9.1億円と云う。関係ないけど円が弱くなりましたな。

II-5「キキ・ド・モンパルナス」 中央奥に『アングルのヴァイオリン』版画・写真

II-6「リー・ミラー」 カラー作品は油彩『天文台の時刻に──恋人たち』の複写か?
シュルレアリスムのミューズで才能に溢れ、自由な精神を持ったリー・ミラーは油彩『天文台の時刻に──恋人たち』を描く原動力を、マン・レイを捨てる(?)ことで与えた。悲しく逆説的であるが、作品の魅力は精神の状態と直結する。リーはあるインタビューで喧嘩をした時にふれ「私はいじめっ子で、彼は頑固者」と答えている。
14-2「大切なのは一緒にいること。そして、愛し合うこと、笑うこと……」ジゼル・ピノ

II-12「アディ・フィドラン」─油彩『夢の笑い』など

ジゼル・ピノ著 小説『アディ、黒い太陽』(フィリップ・レイ 2021年刊) 22×14.5cm, 304pp.
著者はアディと同じグアドループ島出身
展示壁が複雑な配置となっているので、失恋から立ち直った後に付き合った若い混血の踊り子アディが紹介される頃には、パリのモデルや名士に画家たちも加わって肖像の記憶が混乱。背後には『チェス・セット』(図196)と『永遠の魅力』(図185)が入った大型のケースがあり、やや苦しい。しかし、アディは爽やかなピンクのアクセントの上で知的な表情。彼女もキキのように様々な役割を演じている。ジョセフィン・ベイカーのような成功を夢見て踊り子になった彼女は、フランス領グアドループ島出身で、近年「有色人種の切り捨てに関与してきた美術史」が抗議運動と連動するかのように見直され、伝記的な事柄も次第に明らかになってきた。彼女はアメリカの主要なファッション雜誌に登場した最初期のモデルと指摘されている。ドイツ軍のパリ侵攻で帰国に追い込まれたマン・レイに同行しなかったのは、アメリカ南部の人種差別を聞いて恐れた為とも言われる。彼女がパリに留まってくれたおかげで、マン・レイ作品は守られた。拙宅にあるアディ旧蔵の品を前にして、わたしはいつも思うのである。── それなのに、どうしてマン・レイは彼女からの手紙に返事を書かなかったのだろう。
14-3「わたしが秘密の言葉を与えたと彼は言いました」ジュリエット・マン・レイ

III-13「ジュリエット・ブラウナー」、IV-15「アートのなかの女性像」─『ランプシェード』など

III-14「アートの新天地」─『パレッターブル』『ミスター・ナイフとミス・フォーク』など

『パン・パン(彩色パン)』二種 カタログ表紙貼り付け、及び、着彩したポリエステル樹脂

II-9「裸体からマネキン人形まで」─『眠る女』(後刷)など
会場はジュリエットの世界に変わっている。母国に逃れ楽園を目指した50歳のマン・レイはロサンゼルスで途中下車。たちまちマーサ・グレアムの元でモダンダンスを勉強した若いダンサーと恋に落ちる。年の差は23、ジュリエットはすでに油彩『彼女自身の影を伴う綱渡りの踊り子』に恋をしていた。出会いが偶然とはいえ、必然でもあるのだろう。マン・レイの仕事に悲しみを観る小生は、第一印象を「ナチスから逃れてきたばかりで、とても寂しそうでした」と振り返る優しい人に親近感を持つ。ハリウッド時代に造られた軽妙なオブジェやデッサン、パリに戻ってからの言葉遊びが楽しい『フランスのバレエ II』(図193)など、良いですな。今展には「ジュリエット・マン・レイ」とサインの入った「自然絵画」(図201)が出品されており、これも、お尻の下で圧着したかとバカな想像。小生が引用したジョージ・グッドウィンが1981年にしたインタビュー(『ジュリエットの昼と夜』カリフォルニア大学、1984年刊)も読んで欲しい。── と思うのは、翌年の6月にマリオン・メイエの画廊でマン・レイのファンとしてジュリエットに紹介された時、妻が英語で話しかけると「私はアメリカ人なのよ」と喜んでくれたのが印象深い。当時のフランス人は英語を使いませんでした。小生はフランス語も英語もだめですが(ハハ)、視覚芸術は共通言語とはいえタイトルを理解出来ないとどうにもならない。皮肉を効かせながらも前向きな見解に至る「アメリカ人特有のユーモアがマン・レイの言葉にはあった。彼はフランスに住んでいても本当の意味でアメリカ人でした。彼が生み出すアナグラムやシャレも多くのオブジェもシャレの一種、彼のタイトルが判ると、とても面白いのです」とジュリエットは語っている。
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II-8「ファッションと写真」─シャネルの刺繍ドレスとローブ・デコルテ、スキャパレッリの帽子など

ゲラン香水壜各種

IV-15「アートのなかの女性像」、IV-16「新しいジュエリーとモード」
作品と対話しながら会場を巡るのは、観る側の体験を蘇らせる事となる。白い壁面に並ぶ写真たち、薄いピンクのアクセントの他に、ジュリエットのコーナーでは鮮やかな赤が配され、昨日の車窓から観た景色が会場と繋がっている感覚。マン・レイが好きなんだと改めて思う。
今展の特色は指輪、ネックレス、ブローチなどの装身具やドレスが展示されている事。マン・レイが恋人を美しく装った品々の他に、シュルレアリスムの運動に参加した女性アーティストによる装身具は、当時のパリのファッション界を巡るようで興味深い。ルイ・アラゴンの夫人となるエルザ・トリオレが造ったチョーカー、マックス・エルンストと結ばれるドロテア・タニングによるペンダント、マン・レイに裸体を披露したメレット・オッペンハイムの奇妙なブローチ等々、女性の側からの仕事にも包まれ、会場が濃密になった様に感じる。効果的なライティングで映える香水瓶やスキャパレッリの帽子、シャネルのドレス…… 写真の中の作者(女性たち)が生き生きとしている。マン・レイとファッションの関係にフォーカスした展覧会が2020~21年にかけてパリのリュクサンブール美術館で催されているが、その縮小版といえるかもしれない。

II-11「マン・レイの『自由な手』」など

IV-15「アートのなかの女性像」─『宮脇愛子の肖像』など

IV-17「マン・レイとは誰だったか?」─展覧会資料、書籍など

IV-16「新しいジュエリーとモード」─メレット・オッペンハイム『シンプル・ドレス』など
最後の部屋では、毛皮から足指が覗くメレットらしい驚きの靴と厚紙のドレスが二種、間に水泳帽を被った作者。この奥に展覧会資料が置かれている。時代を蘇らせる特別のリアリティがあるのではと、カタログや案内状に注目してきた小生としては、もう少し良い位置に並べてと懇願したい気分。未架蔵は4点なれど、カードのピン跡からアンドレ・ブルトン旧蔵で1938年のシュルレアリスム展で展示されたものではないかと推測。小生、ブルトンのオークションで落札出来なかったので涎です。

IV-17「マン・レイとは誰だったか?」─オブジェ『イジドール・デュカスの謎』、版画『フェルー通り』など
そして、展示は『イジドール・デュカスの謎』(図246)を荷車に積み、引いて遠ざかる男の姿で終わる。「『謎』が解けたとも、新たな『謎』が加わったともいえそうです」(巖谷)と、わたしたちを出発点に誘うのである。それはカタログの頁。
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中谷芙二子『霧の彫刻』 処: 水辺テラス 撮影: 同行者

長野県立美術館本館─東山魁夷館連絡ブリッジなど

「やはりビールを一杯」

デザート: パティシエによる自家製スイーツ
長野県立美術館の水辺テラスでは霧が「謎」を覆い、また「謎」になる不思議な光景がしばらく続いた。小生は俗世界の人、やはりビールを一杯。ミュゼレストラン善のランチメニューは、前菜三種でチョイスのハーフパスタはホタルイカとおかひじきのペペロンチーノ・スパゲッティーニ、メインは長野県産鹿ロース肉のしっとり仕上げ赤ワインソース、これにスイーツを「好きなだけ」なんてことになって同行者と「ジュリエットがフェルー通りのアトリエに誘ってくれた時は、嬉しかった」と思い出話をしておりました。歳月は流れ、生前のマン・レイと繋がりのあった女性たちの多くが鬼籍に入り「謎」は様々に深まっていく。

長野県立美術館本館─2Fミュゼレストラン善など

善光寺本堂
レストランから眺める善光寺では、コロナ禍で延期された7年に1度の御開帳が催されている(4/3~6/29)。無宗派で女人禁制などの制約がない開かれた同寺で絶対秘仏の御本尊と同じお姿の前立本尊が公開され、お戒壇巡りの回廊で「錠前に触れれば」極楽往生が約束される。ここには自由があり、大切なものは目に見えない教訓が示されている。「謎」を解き明かそうとするのは、思い上がりであるのだろうか。それにしても今回の『マン・レイと女性たち』展に出品された「後刷」と表記された「ゼラチン・シルバー・プリント」たちの不自然さに、長くマン・レイの写真を観てきた者として違和感を持った事は記しておきたい。もし、時間があれば会場で展示品とカタログをわたしのように見比べて欲しい。やがて、印画紙のカールは消え、カタログと展覧会は分離され、美しい印刷物だけが、別の物語を語り続けるだろう。

ミュージアムショップ─海外の展覧会カタログなども並ぶ

善光寺下駅 長野電鉄
ミュージアムショップで展覧会グッズを求め、長野電鉄の善光寺下駅まで歩いた。ホームはどこか東欧の施設のようで、水色の色彩がコンクリートの痛みと混ざり、電車の重い起動音と振動が幾駅も先から近づいてくる。先程、錠前を確認出来なかった小生に迫るものは何か…… 同地で計画されながら実現に至らなかったマン・レイ展についても、いずれ報告したい。
(いしはら てるお)
●石原輝雄さんのエッセイ「美術館でブラパチ」は隔月・奇数月の18日に更新します。次回は7月18日です。どうぞお楽しみに。
●本日のお勧め作品は宮脇愛子のオリジナル・ドローイングとシルクスクリーン入り小冊子、
『Hommage a Man Ray マン・レイへのオマージュ』(DVD付き)です。
『Hommage a Man Ray マン・レイへのオマージュ』発行日:2010年9月28日
発行:ときの忘れもの
限定25部(番号・サイン入り)
著者:宮脇愛子、マン・レイ
写真:宮脇愛子、磯崎新
シルクスクリーン刷り:石田了一
デザイン:北澤敏彦
折本形式(蛇腹)、皮ケース入り、表裏各15ページ
サイズ:18.0×14.5cm


・ 宮脇愛子オリジナルドローイング、自筆サイン入り
・ 宮脇愛子が1959年より2010年まで制作したドローイングより、シルクスクリーン13点を挿入
・ 磯崎新撮影「アトリエのマン・レイと宮脇愛子」カラー写真1点貼り込み
・ 宮脇愛子に贈られたマン・レイ作品の画像貼り込み(印刷)
・ マン・レイとの交流と、『うつろひ』への宮脇愛子インタビューDVD(約10分)付き
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●ときの忘れものは2017年に青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。阿部勤が設計した個人住宅だった空間で企画展の開催、版画のエディション、美術書の編集等を行なっています(WEBマガジン コラージ2017年12月号18~24頁の特集参照)。
JR及び南北線の駒込駅南口から徒歩約8分です。
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