松井裕美のエッセイ「線の詩情、色彩の調和――ジャック・ヴィヨンの生涯と芸術」第8回

「弟デュシャン=ヴィヨンの死」

松井裕美

 1937年にジャック・ヴィヨンが手がけたデッサンに、《明日の芸術》というタイトルのものがある。パリ万博が行われたこの年、プティ・パレでは「独立芸術の巨匠たち」、ジュ・ド・ポームでは「独立国際芸術の諸起源と発展」と題された展覧会がそれぞれ行われた。現代芸術の発展を紹介するこの二つの大々的な企画に触発されたのだろう、ヴィヨンによるペン描きの素描もまた、現代的な作品を並べた展覧会の一室を構想するものである。



一番手前の壁にかかっているのは、マティスの油彩画《画家とそのモデル》(1916~17年。パリ、ポンピドゥー・センター)である。その隣にかけられた、幾何学的な構成の絵画は、ピカソの《三人の音楽家》(1921年、フィラデルフィア美術館)だろうか。一番奥に見えるのは、おそらくはピート・モンドリアンの抽象画であり、その左隣の壁にはマルセル・デュシャンの《階段を降りる裸婦No .2》(1912年、フィラデルフィア美術館)が並ぶ。そしてこの部屋の中央に位置するのが、弟レイモンの作品《大きな馬》(1914年/1931年)である。



 余白には鉛筆で、「ピエール・コラールの詩のための挿絵」と書かれている。コラールは37歳で第一次世界大戦の前線で命を落とした詩人だ。レイモン・デュシャン=ヴィヨンもまた、看護助手として戦地へ向かい、腸チフスを患って1918年に41歳で命を落としている。この展示は、「明日の芸術」を示す作品を並べるものであると同時に、そうした芸術の行先を示した、すでに亡き芸術家たちへと向けられたオマージュでもあったのだ。

 上記リンクで示した、現在ポンピドゥー・センターに所蔵されているレイモンの《大きな馬》は、生前この彫刻家が残した作品《馬》をもとに、ジャック・ヴィヨンの監修のもと1メートルの高さの像へと拡大されたものだ。1931年にピエール画廊でレイモンの回顧展が行われるのを機に、生前の弟が記念碑的な彫刻にしようと願っていた《馬》の「完成」を、兄ジャックが試みたのである。石膏像は彫刻家アルベール・ポミエの協力を得て制作され、その後ヴァルシュアーニ工房でブロンズ鋳造された。この像は、ピエール画廊の回顧展では展示室の中央に飾られ、やがて1937年にニューヨーク近代美術館に買い取られることになる。こうしてレイモンの《馬》は、マルセル・デュシャンが後に語っているように、「キュビスム運動の道標のひとつとして幾度となく言及され続ける」ことになる(マルセル・デュシャン『マルセル・デュシャン全著作集』北山研二訳、未知谷、1995年、300頁)。
 ジャック・ヴィヨンは、弟の彫刻を世に知らしめることを自らの使命の一つとしていた。彼は、弟の死後もピュトーのアトリエに石膏像を大切に保存し、折に触れて美術館に作品を寄贈した。1929年にはジャック・ヴィヨンは、レイモン・デュシャン=ヴィヨンにより1913年に制作された彫刻作品《恋人たち》を国家に寄贈している。結果的にはこれは、国家コレクションに入った最初のキュビスム作品となったと考えられる。
また1948年にレイモンの彫刻の石膏の原型がパリの国立近代美術館に寄贈された時、ヴィヨンは当時の学芸員ベルナール・ドリヴァルに次のように書き送っている。「このことは私の弟の力や名声、才能そのものが、彼の死から30年経った今も、いかにその価値をまったく失っていないのかということを示しているのです」(下記に引用された1948年7月9日の書簡。Germain Viatte, Jacques Villon, ne Gaston Duchamp (1875-1965), 2011, p. 36)。
 それはヴィヨンの作品における弟の彫刻との対話としても現れた。彼は弟の作品からインスピレーションを得た作品を多く制作している。1911年にレイモンが制作した《ボードレールの頭部》は、その一つだ。この作品を版画化した1920年のヴィヨンのエッチング(https://www.metmuseum.org/art/collection/search/486993)では、キュビスムの影響から単純なファセットに分割された弟の頭部像の構造を、線の表現力によって正確に翻案することで、その造形的な実験を余すことなく表現しようとする兄の眼差しが感じられる。
 ヴィヨンはさらに、この頭部像を輪切りにした形状を、少しずつ位置をずらしながら重ねた、抽象的な見取り図のような素描を残している。それはやがて、《存在》や《人物像》といったタイトルの一連の油彩画に結実することになる。愛知県美術館に所蔵されているジャック・ヴィヨンの1920年の油彩画《存在》はその一つだ。菱形を連ねた図形の上に投影される、輪切りの頭部像の連続するイメージ実の中に、弟のデュシャン=ヴィヨンの彫刻作品《ボードレールの頭部》との対話が秘められているということに、どれだけの鑑賞者が気づくであろうか。
(まつい ひろみ)

■松井 裕美(まつい ひろみ)
著者紹介:1985年生まれ。パリ西大学ナンテール・ラ・デファンス校(パリ第10大学)博士課程修了。博士(美術史)。現在、東京大学大学院総合文化研究科准教授。専門は近現代美術史。単著に『キュビスム芸術史』(名古屋大学出版会、2019年)、共編著に『古典主義再考』(中央公論美術出版社、2020年)、編著に『Images de guerres au XXe siecle, du cubisme au surrealisme』(Les Editions du Net, 2017)、 翻訳に『現代アート入門』(名古屋大学出版会、2020年)など。

・松井裕美さんの連載エッセイ線の詩情、色彩の調和――ジャック・ヴィヨンの生涯と芸術は毎月25日の更新です。

●本日のお勧め作品はジャック・ヴィヨンです。
ジャック・ヴィヨンOrly
ジャック・ヴィヨン
〈JACQUES VILLON〉より"Orly"
1962年
リトグラフ
イメージサイズ:28.2×46.2cm
シートサイズ:42.3×52.5cm
Ed.225  Signed
※レゾネNo. App.71(p.438)
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