「ときの忘れものの本棚から」第15回

「難波田史男:宇宙ステーションへの旅」(4)

中尾美穂


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『高等学校 現代語』第一学習社、1994年
表紙、裏表紙、および口絵:難波田史男 《会話》 1973年


難波田家が所蔵する難波田史男関連書籍のなかに、この学習書があった。それでふと、彼がみていた「現代」はどんなものだったろうと気になった。

『終着駅は宇宙ステーション』(幻戯書房、2008年刊)によれば、史男のノートにはゴッホ、クレー、ミロ、エルンストなど、強い関心を持った画家の名が列挙されている。しかし同時代の国内作家の名は少ない。文化学院時代に恩師、村井正誠の壁画を観た日の記述を除けば、世代の違うTARO(岡本太郎)の名が何度か登場するくらいか。これは意外だ。というのも、彼が画業を志して制作を始めた18歳ごろ、つまり1950年代末前後、国内の美術には新しい風が吹きはじめていたからである。

敗戦後まもなく急速な文化的復興が起こった美術界は依然として美術団体やアカデミズム、ジャーナリズムに先導されていたが、個々の作家やグループの先鋭的な活動が徐々に目立ってくる。たとえば1954年に兵庫県芦屋で発足した「具体美術協会」や、1949年に始まる「読売アンデパンダン展」出品作家が行なう挑発的・偶発的な「アクション」「ハプニング」と呼ばれる表現行為のように、既成概念を打ち破るものであったり、1956年に都内で開催の「世界・今日の美術展」で紹介された「アンフォルメル」のように、一時、熱狂的に迎えられるものであったりした。「アンフォルメル」は、史男のノートにもたびたび出てくるほどだから、相当意識していたに違いない。それならもっと関連作家や作品に踏み込んでもよさそうなものなのに、彼はむしろ近代の巨匠たちに目をみはり、ひきくらべて自身の、画家としての在りように思いをめぐらせていく。そんな史男を抽象画家の父、龍起はこう記している。

芸術家の想像には激しい衝動性が伴うものだが、史男の場合もそうで、内面の底から突き上げてくるものがあったと思う。その重圧に耐えてゆくためには、作画に没頭するほかはなかったのだ。
 史男のシャープな流動的な線のあつかいは自ら習得したものであるが、クレーやミロといった画家の影響がなかったとはいえない。ことにクレーは好きで画集を買い集めていた。しかし自分はクレーやミロとは生きている環境も時代も違うと日記にしるしているところをみると、やはりクレーやミロを超克したかったのであろう。
難波田龍起「難波田史男に関する覚書」『三彩』1976年2月号)

岡本太郎に関していえば、間違いなく、著書『今日の芸術』の読者だっただろう。同書はモダンアートの現状や問題点、人々の“なんだかわからないもの”という固定観念を、岡本がわかりやすく論じた一般読者向けの新書で、1954年に刊行された。初版の著者の言葉を借りれば「それまでの常識とは反対のことばかり」を言い、画家や画家志望の若者に衝撃を与えた。史男も「(芸術は)いやったらしい」という文中の言葉を自身の思いにノートに引用している。

ここでいうモダンアートはセザンヌに始まる抽象絵画、マン・レイらによるダダイズム、エルンストやダリが無意識領域を描いたスュールレアリスム(原文ママ)的世界、プランクーシやジェコメッティの彫刻による空間表現、レジェ、アルプ、クレー、ピカソ、シケイロスなどの「自由、無邪気、激しさの表現」と、多様に展開した20世紀美術のダイナミックな流れ全般を指す。世界の動向や思想にいち早く触れた文学者、評論家、画家らが先導し、日本にも戦前・戦後に前衛的な活動が生まれた。口絵の白黒図版には白髪一雄オノサト・トシノブ元永定正荒川修作の作品が載っている。そして岡本が述べたのは、1954年の「今日」においてはピカソやゴッホの作品が「いやったらしい」衝撃を人々に与えた時代がとっくに終わっていて、もはや優美な芸術と見なされていること。さらに1963年版の序文によれば、「右を見ても、左を見てもモダンアートばかり」の10年後になっても、一般の人々の芸術への抵抗はなお強まっていると考える強烈な問題意識である。

そもそも岡本は敗戦によって社会全体が虚脱状態や価値観の転換にゆれるなか、1948年に評論家の花田清輝と公開研究会「夜の会」、次いで「アヴァンギャルド芸術研究会」を立ち上げ、1953年には西欧の諸運動にいち早く呼応して「国際アート・クラブ」を発足させた。二年後には新人が多数加わり、龍起も幹事を務めた。また、前述の「世界・今日の美術展」も主導し、長い間、現代美術の舵取り役的な存在だった。龍起らの「抽象」表現も現代美術における新しい挑戦だったことから、それを間近でみていた史男が狭い同時代にとらわれなかったのも納得がいく。

父も史男の才能を驚きをもってみていた。前掲の覚書に出てくるとおり、史男の活動には助力を惜しまなかった。第七画廊、次いで史男の個展が複数回開かれた東邦画廊はもともと龍起の個展が行なわれた場所である。ことに東邦画廊は油彩、水彩などを順次紹介し、史男の独自の作品世界が共感をもって人々の目に触れることになるのである。

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『難波田史男水彩展』東邦画廊、1985年
表紙:難波田史男 《無題》 1960年

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裏表紙:難波田史男《無題》 1967年

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左:難波田史男《水の町》 1967年
右上:難波田史男《無題》 1970年
右下:難波田史男《無題》 1967年

*掲載写真は筆者撮影。
*掲載写真の利用については遺族等の許諾が必要です。あらかじめご了承ください。

(なかお みほ)

■中尾美穂
1965年 長野市生まれ。
1997年から2017年まで池田満寿夫美術館学芸員。
201603_collection池田満寿夫研究をライフワークとする中尾美穂さんの連載エッセイ「ときの忘れものの本棚から」奇数月の19日に掲載します。
次回は2022年11月19日の予定です。


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