埼玉/浦和から瑛九を見つめる

吉岡知子


 2021年12月初旬、宮崎県立美術館で開催された「生誕110年記念 瑛九展―Q Ei 表現のつばさ―」(会期:2021年10月23日~12月5日)と、隣接する宮崎県立図書館で行われた企画展「瑛九~故郷みやざきと家族の絆」(会期:2021年10月30日~12月5日)を訪れたとき、出品作品と資料の数々に圧倒された。美術館では、新出を含む200点以上の瑛九作品に加えて、瑛九が使用した画材や日用品などの遺品が数多く展示されていた。一方、図書館では、展覧会タイトルにも表れているように、瑛九の父・杉田直の日記に書かれた子ども時代の瑛九の様子などが紹介され、どちらも人間としての生身の瑛九が感じられる展示であった。宮崎に生まれた瑛九の作品と資料を大切に保管したいという思いや、これまで積み重ねてきた瑛九に関する調査の蓄積、そして新出の資料があればすぐに情報を更新、公開する両館の仕事の熱量に、胸を打たれながら帰路についた。
 瑛九は1911年に宮崎に生まれ、1960年に埼玉県浦和市(現・さいたま市)で没した。48年の生涯のうち約半分を宮崎で過ごし、1950年代初頭から没するまでの10年弱を浦和で過ごしたことになる。宮崎と浦和以外にも、行動範囲の広かった瑛九に縁のある土地は多く、作品も全国各地の美術館に所蔵されているが、その足跡を辿るとき、宮崎と浦和が最も重要な二つの拠点となることは確かだろう。
 瑛九が浦和に暮らした年代に眼を向けると、エッチングやフォト・デッサンを多数手がけ、1956年からはリトグラフ、1957、58年頃からは油彩画の制作に没頭するなど、周囲も驚くほど旺盛な創作活動を展開した。ときの忘れもので現在開催されている「第31回瑛九展」で焦点が当てられた1950年代の版画作品も、すべて浦和に暮らした時期に制作されている。瑛九の生涯において、最も活発に制作が行われた時期と浦和に住んだ時期はほぼ重なっている(註1)。
 埼玉県立近代美術館(以下、当館)では、埼玉県に縁のある瑛九の作品と資料の収集を積極的に行ってきた。また、企画展やMOMASコレクション(常設展)では、歴代の学芸員が様々な視点や展示手法によって、瑛九の活動と作品を紹介している。主な例として、同時代作家との交流を通して瑛九の活動を紐解いた企画展「瑛九とその周辺」(1986年)、「デモクラート 1951-1957ー解放された戦後美術ー」(1999年)や、フォト・デッサンに着目した企画展「光の化石―瑛九とフォトグラムの世界」(1997年)、寄託となった晩年の最重要作品《田園》を来場者が照明をコントロールしながら鑑賞する「特別展示:瑛九の部屋」(MOMASコレクション、2019年)などがあげられる。
 一方、うらわ美術館では瑛九の作品資料の収集とともに、「開館記念展I 浦和画家とその時代―寺内萬治郎・瑛九・高田誠を中心に―」(2000年)や、コレクションによるテーマ展「+d」などの展示を通して、浦和という土地に住んだ瑛九の活動が丹念な調査に基づいて紹介されてきた。そして、2011年には宮崎県立美術館、うらわ美術館、当館の共同企画による「生誕100年記念 瑛九展」が開催され、三館による調査研究の集大成として瑛九の魅力が多角的に検証された。冒頭で触れた宮崎県立美術館の「生誕110年記念 瑛九展―Q Ei 表現のつばさ―」は、この三館共同企画展から10年を経ての開催であった。
 さらに今年、うらわ美術館では「うらわ美術館開館22周年 芸術家たちの住むところ」(会期:前期 2022年4月23日~6月19日/後期 6月28日~8月28日)が開催され、浦和に住んだ様々な時代の芸術家の作品が、社会状況やエピソードを交えた解説や地域資料とともに展示された。コロナ禍で2年の延期を経て実現した本展では、地域ゆかりの美術家を丁寧に見つめ、掬い上げてきた同館の調査の蓄積がひしひしと感じられた。瑛九も重要な出品作家の一人として取り上げられ、浦和という土地に対する瑛九の言葉や、アトリエに関するエピソードを交えながら、瑛九の制作や生活の足跡が紹介されていた。

 ところで、うらわ美術館の展覧会の出品資料に「第4回埼玉県美術展覧会」の出品目録があり、そこには瑛九が洋画部門の招待作家として《小さい白》という作品を出品したことが記されていた。「埼玉県美術展覧会」(以下、埼玉県展または県展)は、1951年に第1回展が開催され、今日まで続く埼玉県主催の公募展で、県教育委員会が県内の美術家に協力を呼びかけるかたちで創設されたものである。埼玉県展に瑛九が携わっていたことを初めて知ったとき、やや意外な感じがした。というも、当時の県展の審査員や運営委員には、写実に基づく堅実な作風を手がける美術家が多く、彼らとともに県展に参加する瑛九がすぐにはイメージできなかったからである。
 埼玉県展草創期の1950年代に洋画部門で中心的な役割を担ったのは、主に戦前から浦和に住んだ「浦和画家」と称される画家たちであった。関東大震災の後、東京・上野への交通の便がよく豊かな自然に恵まれた浦和には、東京から芸術家が多く移住し、浦和はアトリエ村のような様相を帯びた。戦前のアトリエ村といえば池袋モンパルナスが有名だが、アトリエ付き住宅に暮らし、貧しさの中で芸術議論を交わした池袋モンパルナスの画家たちに比べると、官公庁や学校が建ち並び、文京都市の雰囲気を持つ浦和を拠点に選んだ画家たちは、穏健な作風を手がけ、官展で活躍する場合が多かった。その代表的な存在として、主に重厚な裸婦像を日展で発表し、埼玉県展の洋画部門で長年審査員を務めるなど、埼玉県内の美術の振興に尽力した寺内萬治郎があげられる。
 その頃、浦和の本太町(現・さいたま市浦和区本太)にあった瑛九のアトリエ兼住居には、池田満寿夫、靉嘔、細江英公など、自由と独立を重んじ公募展を否定した「デモクラート美術家協会」の若い美術家や、書家、詩人など、多様な分野の芸術家が集っていた。公募展を否定し、新しい芸術を模索する人々と交流を深める一方で、瑛九は県主催の公募展である埼玉県展の運営に携わっていたことになる。1934年の宮崎美術協会の創立や、戦後の宮崎県展(後の宮日総合美術展)の創設に関わるなど、宮崎でも多くの人に開かれた制作発表の場をつくることに力を注いだ瑛九は、浦和においても、新しく創設された埼玉県展に参加し、地域の人々の創作活動を支援することに意義を見出したのではないか。
 記録によると、瑛九は埼玉県展の第5回展、第6回展(いずれも1955年)、第8回展(1958年)で洋画部門の審査員を務め、没後の第10回記念展(1960年)では、その功績により遺作が特別に展示されている(註2)。瑛九がどのような経緯で県展に関わり、応募者に対してどのような審査を行ったのかは詳らかではないが、埼玉県展の草創期において瑛九が担った役割は小さくなかったと想像される。

ときの忘れもの_ブログ画像(埼玉県展目録)瑛九が洋画部門の審査員を務めた第5回、第6回埼玉県美術展覧会の出品目録(1955年)、埼玉県立近代美術館 資料閲覧室蔵

 また、瑛九は浦和市立(現・さいたま市立)北浦和小学校の教師であり創造美育協会の事務局長を務めた島﨑清海と交流を深め、島﨑との共著『やさしい銅版画の作り方』(門書店、1956年)を出版するなど、浦和で様々な交友関係を築いていた(註3)。
 浦和に暮らした1950年代の瑛九は、多様なジャンルの作品を数多く生み出すとともに、海外における最新の美術動向から地域の美術振興や美術教育に至るまで、芸術に関する幅広い領域に眼を向け、人的交流も活発であったことが窺える。瑛九の活動を地域に残された資料から紐解いていくこと。その作業の一つひとつは、地道でささやかなものかもしれないが、別の地域による調査研究や、多様な視点、より広い視座から瑛九にアプローチする研究と重ね合わせることで、多面的な活動を展開した瑛九のさらなる新しい一面を開いていくことができるのではないか。昨年から今年にかけて、宮崎県立美術館・宮崎県立図書館とうらわ美術館で開催された展覧会は、そうした可能性を提示してくれたように思う。

(註1)瑛九の浦和での活動については、以下の論考を参照した。山田志麻子「瑛九のアトリエ―浦和での足跡をたどって」『生誕100年記念 瑛九展』展覧会図録、宮崎県立美術館・埼玉県立近代美術館・うらわ美術館、2011年、pp.247-251
(註2)第50回埼玉県美術展覧会記念誌編集委員会編『埼玉県展の50年』2000年、を参照。
(註3)島﨑清海の活動については、以下の文献を参照されたい。『島﨑清海と芸術家とわたし 作品資料集』清海の会、2020年

(よしおかともこ)

吉岡知子(よしおか・ともこ)
1982年東京生まれ。2008年東京大学大学院総合文化研究科修士課程修了。同年より埼玉県立近代美術館学芸員。専門は日本近代美術史。主な担当展覧会は「原田直次郎展」(2016年)、「森田恒友展」(2020年)。

*画廊亭主敬白
10月13日ブログの鴫原悠先生に続き、同じ埼玉県立近代美術館学芸員の吉岡知子先生にご寄稿いただきました。吉岡知子先生には今までも駒井作品等についてご寄稿いただいていますので、併せてお読みください。
瑛九がアトリエを構えた浦和に建つ埼玉県立近代近代美術館は瑛九作品を多数所蔵しており、宮崎県立美術館とともに、瑛九顕彰の展覧会を継続的に開催されています。
10月22日から始まる「桃源郷通行許可証」は現代美術作家と同館コレクションとのコラボレーションが見どころとなる企画ですが、同時に瑛九《雲》や、駒井哲郎作品も展示されるので楽しみです。
さて、本日から六本木のストライプハウスギャラリーで、久保貞次郎先生の教え子たちが作品を持ち寄った「クボテーって誰? 希代のパトロン久保貞次郎と芸術家たち」展が始まります。主催の久保貞次郎の会の世話人たちは皆仕事を持ったり、家事に追われる中で一年間かけて組み立ててきた展覧会です。世話人とボランテイァの皆さんが交代で店番をします。社長は月曜(10月17日、24日)が当番です。全60点を、久保先生仕込みのオークション(入札)で頒布します。どうぞお出かけください。

第31回 瑛九展
会期=2022年10月7日(金)~10月22日(土)※日・月・祝日休廊
出品作品の詳細と展示風景は10月4日ブログをご覧ください。
第31回瑛九展案内状_表1280


クボテーって誰? 希代のパトロン久保貞次郎と芸術家たち
会期:10月15日[土]~10月29日[土] *日曜休廊
会場:ストライプハウスギャラリー STRIPED HOUSE GALLERY
  〒106-0032 東京都港区六本木 5-10-33
  Tel:03-3405-8108 / Fax:03-3403-6354
主催:久保貞次郎の会
久保貞次郎の会_案内状_表面1280

久保貞次郎の会_案内状_宛名面1280