佐藤研吾のエッセイ「大地について―インドから建築を考える―」第78回
喫茶野ざらしの終わり
(photo by comuramai)
最近、喫茶野ざらしの店舗内装が解体されるとの知らせを受けた。正確には、私がそのことを知った時にはすでに大方の内装は取り外され、処分されていた。喫茶野ざらしはおよそ3年前の2020年始めに設計施工、そして運営に参加したプロジェクト。開店直後から感染症流行拡大の影響をモロに受け、2020年夏には関わっていた青木彬くん中島晴矢くんと共に店舗運営から離れざるをえない展開となった。それから2年間ほどは店の前も通ることもなく、中に入ることも無かった。すこし前からその物件には、別の事業者の方が居抜きのような形で入っているようだ(一時的にカレー屋さんも入っていた)。そしておそらくその事業者さんが、いよいよこれから営業を本格化させるために、残っていた店内の内装を撤去したのだろう。
自分が関わった建築あるいは室内が壊され無くなるということは、実は今回が初めての経験だと思う。もちろん展覧会の会場構成や、展示の什器はそもそも短い時限付きであるから、撤去撤収のことまでも十分想定して制作する。けれども、喫茶野ざらしの改修ではそうしたことは実はあまり考えてはいなかった。確かに建物自体はかなり古びていて、そこで何十年も店舗が残るような想像は決してできない代物だったが、なんとなく、近い未来の解体の風景までは想像していなかった。遠くもなく近くもないが、微かに見えるその結末からなんとなく目を背けていたのかもしれない。
解体作業が進められている店内の様子をSNSで少しばかり眺めていた。壁の仕上げが剥がされ、下地が露出し、固定されていた什器が取り外されているのが確認できる。するとかなり鮮明に、当時の現場で自分がその時何を考えていたかの記憶が蘇る。おそらく何十年経とうが、その建築現場で自分が何を作り、何を考えていたかは忘れることがないのだろう。少なくともまたその建築を訪れてみれば、どこか頭の片隅にしまってある記憶をすぐに引っ張り出して周到に並べることができるはずだ。建築には関わった人々の膨大な知恵と記憶が染み込んでいる。
一方で建築は限りある時間の中に置かれていることも当たり前の事実だ。いつかは壊れ、壊される。100年200年は持つように作ったとしても、経済的状況や周囲の政治的状況に左右されれば簡単に消えてしまう。稀にギリシャの神殿のように古代から残る立派な建築も存在するが、この世界の有象無象の生き物のように、ほとんど全ての建築がいつかは消えて無くなる当然の未来を背負っている。モノを作っていると、そうした始末、事の顛末全体を隅々まで想像し切ることができなかったりもする。特に建築という、我が身から離れて他の多くの人々のために作られるスケールのモノについては、その建築が置かれる近未来の風景を想像し切ることはとても難しい(未来は常にわからない)。当然、数十年後のメンテナンス、設備更新などを考慮した計画を組み立てることはするが、テクノロジーの進歩によってはたった10年程度でガラリと状況が変わり、作ったモノが時代遅れな仕様となってしまうことも珍しくない。建築の前提条件、土台が変わると文字通りその建築の存在が危ぶまれることも少なくない。
建築の未来はやはりどうしたって分からない。しかしその時に、やはり作り手が意識しなければならないのは、その建築がいつか消えて無くなるかもしれないという、建築の崩壊風景を微かに夢想することではないか。それは解体しやすく仮設的に作る、ということだけではない。そうしたネガティブな意識ではなく、あくまでも描くべき未来の解像度を高めていくための工夫である。未来は楽しくもあり、悲しくもあるはずで、両者を切り分けることは本質的にはできないはずだ。作り終わって後は知りません、と逃げる訳にはいかないこの世界において、喫茶野ざらしの終わりに直面し、改めて考えた。
(photo by comuramai)
(さとう けんご)
■佐藤研吾(さとう けんご)
1989年神奈川県横浜生まれ。2011年東京大学工学部建築学科卒業。2013年早稲田大学大学院建築学専攻修士課程(石山修武研究室)修了。同専攻嘱託研究員を経て、2014年よりスタジオGAYA。2015年よりインドのVadodara Design AcademyのAssistant Professor、および東京大学工学系研究科建築学専攻博士課程在籍。福島・大玉村で藍染の活動をする「歓藍社」所属。インドでデザインワークショップ「In-Field Studio」を主宰。「一般社団法人コロガロウ」設立。2022年3月ときの忘れもので二回目となる個展「佐藤研吾展 群空洞と囲い」を開催。
・佐藤研吾のエッセイ「大地について―インドから建築を考える―」は毎月7日の更新です。
●ときの忘れものは2017年に青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。阿部勤が設計した個人住宅だった空間で企画展の開催、版画のエディション、美術書の編集等を行なっています(WEBマガジン コラージ2017年12月号18~24頁の特集参照)。
JR及び南北線の駒込駅南口から徒歩約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
http://www.tokinowasuremono.com/
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊
喫茶野ざらしの終わり
(photo by comuramai)最近、喫茶野ざらしの店舗内装が解体されるとの知らせを受けた。正確には、私がそのことを知った時にはすでに大方の内装は取り外され、処分されていた。喫茶野ざらしはおよそ3年前の2020年始めに設計施工、そして運営に参加したプロジェクト。開店直後から感染症流行拡大の影響をモロに受け、2020年夏には関わっていた青木彬くん中島晴矢くんと共に店舗運営から離れざるをえない展開となった。それから2年間ほどは店の前も通ることもなく、中に入ることも無かった。すこし前からその物件には、別の事業者の方が居抜きのような形で入っているようだ(一時的にカレー屋さんも入っていた)。そしておそらくその事業者さんが、いよいよこれから営業を本格化させるために、残っていた店内の内装を撤去したのだろう。
自分が関わった建築あるいは室内が壊され無くなるということは、実は今回が初めての経験だと思う。もちろん展覧会の会場構成や、展示の什器はそもそも短い時限付きであるから、撤去撤収のことまでも十分想定して制作する。けれども、喫茶野ざらしの改修ではそうしたことは実はあまり考えてはいなかった。確かに建物自体はかなり古びていて、そこで何十年も店舗が残るような想像は決してできない代物だったが、なんとなく、近い未来の解体の風景までは想像していなかった。遠くもなく近くもないが、微かに見えるその結末からなんとなく目を背けていたのかもしれない。
解体作業が進められている店内の様子をSNSで少しばかり眺めていた。壁の仕上げが剥がされ、下地が露出し、固定されていた什器が取り外されているのが確認できる。するとかなり鮮明に、当時の現場で自分がその時何を考えていたかの記憶が蘇る。おそらく何十年経とうが、その建築現場で自分が何を作り、何を考えていたかは忘れることがないのだろう。少なくともまたその建築を訪れてみれば、どこか頭の片隅にしまってある記憶をすぐに引っ張り出して周到に並べることができるはずだ。建築には関わった人々の膨大な知恵と記憶が染み込んでいる。
一方で建築は限りある時間の中に置かれていることも当たり前の事実だ。いつかは壊れ、壊される。100年200年は持つように作ったとしても、経済的状況や周囲の政治的状況に左右されれば簡単に消えてしまう。稀にギリシャの神殿のように古代から残る立派な建築も存在するが、この世界の有象無象の生き物のように、ほとんど全ての建築がいつかは消えて無くなる当然の未来を背負っている。モノを作っていると、そうした始末、事の顛末全体を隅々まで想像し切ることができなかったりもする。特に建築という、我が身から離れて他の多くの人々のために作られるスケールのモノについては、その建築が置かれる近未来の風景を想像し切ることはとても難しい(未来は常にわからない)。当然、数十年後のメンテナンス、設備更新などを考慮した計画を組み立てることはするが、テクノロジーの進歩によってはたった10年程度でガラリと状況が変わり、作ったモノが時代遅れな仕様となってしまうことも珍しくない。建築の前提条件、土台が変わると文字通りその建築の存在が危ぶまれることも少なくない。
建築の未来はやはりどうしたって分からない。しかしその時に、やはり作り手が意識しなければならないのは、その建築がいつか消えて無くなるかもしれないという、建築の崩壊風景を微かに夢想することではないか。それは解体しやすく仮設的に作る、ということだけではない。そうしたネガティブな意識ではなく、あくまでも描くべき未来の解像度を高めていくための工夫である。未来は楽しくもあり、悲しくもあるはずで、両者を切り分けることは本質的にはできないはずだ。作り終わって後は知りません、と逃げる訳にはいかないこの世界において、喫茶野ざらしの終わりに直面し、改めて考えた。
(photo by comuramai)(さとう けんご)
■佐藤研吾(さとう けんご)
1989年神奈川県横浜生まれ。2011年東京大学工学部建築学科卒業。2013年早稲田大学大学院建築学専攻修士課程(石山修武研究室)修了。同専攻嘱託研究員を経て、2014年よりスタジオGAYA。2015年よりインドのVadodara Design AcademyのAssistant Professor、および東京大学工学系研究科建築学専攻博士課程在籍。福島・大玉村で藍染の活動をする「歓藍社」所属。インドでデザインワークショップ「In-Field Studio」を主宰。「一般社団法人コロガロウ」設立。2022年3月ときの忘れもので二回目となる個展「佐藤研吾展 群空洞と囲い」を開催。
・佐藤研吾のエッセイ「大地について―インドから建築を考える―」は毎月7日の更新です。
●ときの忘れものは2017年に青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。阿部勤が設計した個人住宅だった空間で企画展の開催、版画のエディション、美術書の編集等を行なっています(WEBマガジン コラージ2017年12月号18~24頁の特集参照)。
JR及び南北線の駒込駅南口から徒歩約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
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